モンスターの異変
エマは、森に残った魔力の痕跡を調べていた。
地面にしゃがみ込み。
指先をゆっくりと動かす。
アイリスとフェリシアは、その少し後ろで待っていた。
「……やっぱり」
「何か分かった?」
アイリスが尋ねる。
「転移先そのものは無理です」
「無理?」
「この痕跡じゃ、そこまでは追えません」
エマは立ち上がる。
「でも」
「でも?」
「方角だけなら、ある程度」
「つまり」
アイリスが少し身を乗り出す。
「ルークが行った方向が分かる?」
「正確には、可能性が高い方向です」
「それでも十分」
エマは頷く。
そして。
森の奥。
王都から見て西の方角を指した。
「こっちです」
フェリシアがその方向を見る。
少しして。
「……嫌な方向だね」
「このまま行けば、前線の方よ」
「前線?」
「もっと先だけどね」
フェリシアは腕を組む。
「途中に街をいくつも挟む。馬でも一日二日じゃ着かない」
「その先は?」
「魔族領」
アイリスは黙った。
エマも少しだけ表情を変える。
「じゃあ」
「まだ決まったわけじゃない」
フェリシアがすぐに言う。
「方向が同じってだけ」
「うん」
「でも」
アイリスは、エマが指した先を見る。
「行けるところまで行ってみたい」
「……」
フェリシアがゆっくりアイリスを見る。
「私、明日までって言ったよね?」
「そうね」
「なら」
「お願い」
フェリシアの眉がぴくりと動く。
「行けるところまででいいから」
「……」
アイリスは真っ直ぐフェリシアを見る。
少し。
長い沈黙。
やがて。
フェリシアが大きく息を吐いた。
「明日の夕方まで」
「うん」
「それ以上は無理」
「分かった」
「本当に?」
横で。
エマが小さく笑った。
「私は付き合えますよ」
二人がそちらを見る。
「いいの?」
「気になるので」
「ルークが?」
「これを使ったのが誰なのか」
「そっち?」
◇
その日のうちに。
三人は、ルークの痕跡が見つかった森を抜け。
そのまま西へ続く街道を進んだ。
しばらくすると木々はまばらになり。
やがて視界が大きく開ける。
そこから先に広がっていたのは、見渡す限りの草原だった。
次の街までは、まだかなりある。
遠くに森や低い丘が見えるだけで。
街道の周囲には、人家らしいものもほとんどない。
三人は、その草原を馬で進んでいった。
「この先、最初の街までどれくらい?」
アイリスが聞く。
「昼頃には着くと思う」
フェリシアが答える。
「そこで一度休憩。馬も休ませる」
「分かった」
「焦って飛ばさないでよ」
「してないよ」
「さっきから一番前走ってる」
そんなやり取りをしながら。
三人は街道を進んだ。
最初は。
特に変わったこともなかった。
けれど。
昼前。
「……今の」
エマが馬を止めた。
「何?」
「見ませんでした?」
道の端。
草むらの中を。
数匹のホーンラビットが駆け抜けていく。
「ホーンラビットね」
フェリシアが言う。
「珍しくないでしょう」
「そうなんですけど」
エマは、その姿が消えた方を見る。
「なんか急いでませんでした?」
「モンスターなんて、あんなものでしょ」
「そうですかね」
そのまま進む。
しばらくすると。
今度は、小型のスライムが数体。
街道を横切っていった。
「またモンスター」
アイリスが呟く。
「今日は多いね」
「王都の近くよりは出るわよ」
フェリシアは気にした様子もなく答える。
だが。
さらに進むと。
林の奥から、ジャイアントラットが何匹も飛び出してきた。
三人の馬を避けるように。
そのまま反対側の草むらへ消えていく。
「……今度はあれ?」
アイリスが振り返る。
「さすがに多くない?」
「多いかもね」
フェリシアも少しだけ眉をひそめた。
それでも。
モンスターが出ること自体は珍しくない。
街道を進んでいれば、何度か目にすることもある。
三人は再び馬を走らせた。
けれど。
その後も。
何度もモンスターと遭遇した。
ホーンラビット。
スライム。
ジャイアントラット。
どれも小型のものばかり。
そして妙なことに。
こちらへ襲いかかってくる個体が、一匹もいない。
姿を見せても。
三人には目もくれず。
どこかへ走り去っていく。
「……ねえ」
アイリスが口を開いた。
「何?」
「さっきから、みんな同じ方に行ってない?」
フェリシアが周囲を見る。
「……言われてみれば」
エマも振り返った。
「ホーンラビットも、スライムも、さっきのラットも」
「偶然じゃない?」
「かもしれないけど」
アイリスは少し気になった。
さらに先へ進む。
すると。
街道脇の林から。
一頭のワイルドボアが飛び出してきた。
「っ!」
フェリシアが反射的に剣へ手を伸ばす。
だが。
ワイルドボアはこちらを見ようともせず。
そのまま街道を横切り。
森の反対側へ走り去った。
「……襲ってこなかった」
アイリスが言う。
「気づかなかったんじゃない?」
「あの距離で?」
「さあ」
三人は、ワイルドボアが消えていった方を見る。
やはり。
さっきまでのモンスターと同じ方向だった。
「なんなんでしょうね」
エマが呟く。
「さっきからずっと」
「分からない」
フェリシアはそう答えた。
「ただ」
少しだけ表情を険しくする。
「偶然にしては、ちょっと気味が悪いね」
アイリスも。
ワイルドボアが消えていった方を見る。
「……もしかして」
「何?」
「逃げてる、とか?」
フェリシアが眉をひそめる。
「何かから?」
「分からないけど」
アイリスは首を振る。
「みんな同じ方へ行ってるし。こっちには目もくれないし」
「そう見えなくもないですけど」
エマも草原の向こうを見る。
「それなら、逃げてきたのは……」
三人の視線が。
自然と反対側へ向いた。
西。
自分たちがこれから進もうとしている方向。
「この先に何かある?」
アイリスが呟く。
「まだ分からないよ」
フェリシアが答える。
「モンスターが移動してる理由なんて、私たちには判断できない」
「うん」
「でも」
エマが口を挟む。
「ちょっと気になりますね」
「何が?」
「方向です」
エマは西を指す。
「ルークさんが転移した可能性が高いのも、この方向ですよね」
「……そうだった」
アイリスの表情が変わる。
偶然かもしれない。
転移とモンスターの異変には、何の関係もないかもしれない。
けれど。
「転移魔術を使った人も、この先にいるのかな」
「転移した先がこの方向だった、というだけですけどね」
エマはそう前置きしてから。
「調べる価値はあると思います」
フェリシアが二人を見る。
「つまり?」
「このまま進む」
アイリスが答えた。
「結局そうなるのね」
「元々そのつもりだったでしょ?」
「そうだけど」
フェリシアはため息をつく。
「モンスターの異変まで増えるとは思ってなかった」
「私も」
「なら少しは慎重になって」
「なってるよ」
「どこが?」
アイリスは答えず。
馬を進ませた。
「ほら」
「ほら、じゃない!」
フェリシアも慌てて後を追う。
エマも小さく笑いながら馬を走らせた。
それからも。
三人は何度かモンスターとすれ違った。
やはり。
どれも西から東へ向かっている。
ただ。
その理由までは分からない。
結局。
答えが出ないまま。
空が赤く染まり始めた頃。
ようやく、草原の先に石壁が見えてきた。
「あれ?」
アイリスが前を見る。
「次の街」
フェリシアが答えた。
「やっと着いた……」
エマが小さく息を吐く。
三人は馬の速度を落とし。
夕暮れの街へ入った。
宿を取ったあと。
三人は一階の食堂で、簡単な夕食を囲んでいた。
「今日はもう動かないからね」
フェリシアが念を押す。
「分かってる」
「本当に?」
「馬も休ませないといけないし」
「ならいいけど」
フェリシアは水を一口飲む。
「それで、明日はどうする?」
アイリスは少し考えた。
「今日と同じ方向に進みたい」
「やっぱりね」
「ルークの手がかりも、この先にあるかもしれない。それに」
「モンスターのこと?」
「うん」
あれだけの数が。
同じ方向へ移動していた。
理由は分からない。
でも。
何もないとは思えなかった。
「もう少し調べたい」
フェリシアは黙ってアイリスを見る。
そして。
「明日が最後だからね」
「分かってる」
「日が暮れる前には引き返す」
「うん」
「何があっても」
明日。
もう一日だけ。
西へ進む。
ルークの手がかりを探すために。
そして。
今日何度も目にした、モンスターたちの異様な移動。
その理由を確かめるために。
三人に残された調査時間は。
あと一日だった。
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