第二章 二十二人の魔道師の雛たち(三)
ちょっと一眠りのはずが、一晩ぐっすり寝てしまった。起きた時は、午前六時。さっそく、メールをチェックする。授業に関するメールが入っていた。
「授業を受ける時の服装は自由で、特に持ってくる物はなし」となっていた。
授業時間は十時~十二時の午前授業と、午後一時半から三時半の午後授業のみ。
「授業時間が少なさ過ぎやしないか?」
養成に十年も掛かるところを、三ヵ月でやるのだから、もっと、睡眠時間三時間とか、鬼の過密スケジュールを想像していたのに、なんだか、のんびり過ぎる。
それとも、卒業するには宿題が山のように出て、独りで黙々とこなした者だけが卒業できるのだろうか。または、これから徐々に授業時間が増えていくのかもしれない。
日直者アルバイトに関するメールも入っていた。日直アルバイト二名は九時に職員室に集合とあった。
一時間早く登校しなければいけないので、すぐに食堂に下りた。だが、十二席しかない食堂の席は、一つしか空いていなかった。食事を載せたトレイを受け取ると、小清水さんと蒼井さんも朝食を摂っていたので挨拶した。
本来なら朝食を摂りながら会話の一つもしたかった。とはいえ、残りの席は一つで、小清水さんとも蒼井さんとも席が離れているので、挨拶くらいしかできなかった。
食事を済ませると最低限の筆記用具だけを持ち、教室に向かうために寮を出る準備をした。
教室は学生課の奥にある。学生課の建物から昨日も歩いてきたが、所要時間は十五分。
職員室がかなり奥にあっても、二十分もあれば間に合うだろう。それでも、神宮寺は十五分の余裕を持って、寮を出た。
神宮寺が寮を出ると、背後から小清水さんの声がした。
「ひょっとして、もう一人の日直者って、神宮寺君?」
もう一人の日直者が小清水さんで、良かった。かなり年の離れたおじさんで、嘉納のように「君はこんな、ところにいるべきではない」とか説教されたら、ウザくて堪らない。
神宮寺は作り物の親しみを込めて挨拶した。
「よろしくね、小清水さん。多分、魔法学校の日直っていっても、普通の学校の日直とは違うだろうけど。頑張ろうね」
小清水さんは、良い笑顔で「うん」と返事をした。
(さて、十五分も何を話そうか、個人的には色々と聞いて、友好を深めたいが。辺境魔法学校の入学者は訳ありが多い。家族構成とか、志望動機とか、聞いていいのだろうか)
最初の印象はできるだけ、良くしておきたい。無用に嫌われたくはない。
神宮寺が迷っていると、先に小清水さんが口を質問してきた。
「神宮寺君は、辺境魔法学校に入学するのに、お父さんとか、反対した?」
「親父だけじゃないよ。母さんも、弟も反対した。だから、母さんの財布からお金を全て抜き取って、書置き一つで、飛び出してきた。きっと帰れたら、すごく怒られると思う。でも、退学権利金を納めていないから、帰れないけどね」
家を出た話をすると、少し気分が軽くなった。
策だ、同盟だと、周りを気を使い過ぎているのかもしれない。皆、訳ありで来ているのだから、少なからず事情を抱えているし、聞かれるのを大なり小なり覚悟している。嫌なら答えないなりに、嘘を吐けばいい。
家を出た話も、他人目線で見れば聞き難い話だったかもしれない。でも、小清水さんから聞かれると、簡単に言えた。
訳有りだから何でも遠慮して聞かないのは、ここではあまり意味をなさないのかもしれない。聞いてみて、触れてほしくないようなら、二度目から聞かなければいい。
「小清水さんは、どうして辺境魔法学校に来たの? 短い期間で魔法使いになれるから」
小清水さんは、全くもって普通に返した。
「私ね、家に居場所がなかったの。お父さんは航空自衛隊にいたんだけど、死んじゃってね。お母さんは再婚したんだけど、新しいお父さんとお兄ちゃんと、なんだかうまくいかなくて、高校を出たら、早く家を出たかったんだ」
やっぱり事情があった。神宮寺より重たい事情だ。
神宮寺は聞いていいのかどうか迷ったが、意を決して聞いた。
「辺境魔法学校に来るのに、親は反対しなかったの?」
小清水さんは普通の会話として、笑顔で答えてくれた。
「神宮寺君のところと同じ、家族は皆、反対したよ。でも、家族の負担になりたくなくて、残っていたお年玉を全部下ろして、辺境魔法学校に来ちゃった」
小清水さんは無理をしている。本音ではあまり辺境魔法学校になんて、来たくなかったんじゃないのかと思えた。家庭の事情で進学が許されなかったのだろうか。
なぜ、辺境魔法学校なんだろう。確かに辺境魔法学校なら、お金はほとんど掛からない。普通に高校を卒業したのなら、進学はできなくても、ボロのアパートで一人暮らしでも、寮がある仕事でも、探せば見つかったのではないだろうか。
明らかなのは、小清水さんも退学権利金を納めていない事実だ。なら、逃げられない。
小清水さんは、どこか寂しげに言葉を漏らした。
「きっと、家では騒ぎになっていると思うけど、三ヵ月もしたら、きっと私の記憶なんてどうでもよくなっていると思うよ。たぶん」
小清水さんは、どこにも居場所がなくなって、ついに消えてしまう覚悟で、辺境魔法学校までやって来たのではないだろうか。
試験だって、受かりたくて受けたのではないのかもしれない。
たまたま合格して、消えるタイミングを逸しただけかもしれない。だとしたら、悲劇だ。同時に、消えるつもりの人間をグループに入れたのは失策だと思った。
「ねえ、神宮寺君は、どうして魔道師を目指したの」
「お金のためだよ。苦労して受験して、良い企業に入っても、長い戦争に突入したら、全てが無駄になって、一等兵へ転落だよ。でも、魔道師になっておけば、そうはならない」
嘉納の時と同じく、嘘を吐いた。二〇一五年のアジア核戦争は短期間で終ったが、第三次世界大戦への火種は、アジアで燻っていた。
小清水さんは魔道師を目指す動機が金のためと聞いても嘉納のように嫌悪しなかった。小清水さんは神宮寺の動機を聞き、小清水さん自身の動機を明かした。
「そうなんだ。私は魔法の中に夢を見ているんだよ。魔法の中に、死んだ人を生き返らせる魔法とかあったら、いいと思わない?」
捨て鉢で辺境魔法学校に逃げてきた訳ではないらしい。一応は目標があるらしい。
「魔法は習い始めたばかりで、よくわからないけど、あったらいいね、魔法だもんね」
神宮寺は小清水さんの笑顔に同調して、また、嘘を吐いた。
そんな都合の良い魔法など、あるわけがない。あったら、もうとっくに東京魔法大学か京都の寺社魔法学院辺りが臨床試験をして、医療者と倫理的な軋轢を生んでいるだろう。
それに、古今東西、死者を魔法で生き返らせようとした場合、悪い結果しか生まない話が多いので、お勧めできない。
小清水さんが晴れた空を見上げて発言した。
「神宮君って、空を飛んだ経験、ある? 私ね。一度だけあるんだ。小さい時に航空ショウで、お父さんに戦闘機に乗せてもらって飛んだんだよ。戦闘機の中って狭いけど、空がとっても近いんだよ」
小清水さんは空に手を伸ばした。
「もう、戦争の影響で戦闘機で空を飛ぶことなんてできないけど、もう一度、飛べるものなら、飛んでみたいな。あの空の上に行けば、欲しいものが手に入る気がするんだ」
さっき、小清水さんを自殺志願者のように思ったが、違った。小清水さんは小清水さんで、失った父親との楽しい想い出を取り返したくて、辺境魔法学校に来たのだろう。
「小清水さん、想い出は、想い出なんだよ。心の中にとっておくべきもので、幸せは自分で未来に見つけていくしかないんだよ」というのが本音だが、言えなかった。
神宮寺は、小清水さんに嫌われたくなかった。小清水さんが好きだからじゃない。神宮寺自身のためだ。魔道師になるためには、どうしても協力者を確保しておいたほうがいい。小清水さんのためと、小清水さんを否定するのは、得策ではなかった。
神宮寺は時折、自分を偽っているようで、性格が嫌になる時がある。だが、持って生まれた性格なので、変わりようがない。
あとは職員室の行きすがら、他愛もない話をしながら歩いた。が、神宮寺の心の中に、ある想いが芽生えた。
(もし、小清水さんと一緒に魔道師になれたら、もう一度だけ、魔法先生に頼んで、エカテリーナを貸してもらえないものだろうか?)
空に上がったうえで、小清水さんに言い聞かせれば、過去をふっきってもらえるかもしれない。新しい人生を歩んでくれるかもしれない。
計算高い神宮寺自身の思考と、他人に対する優しさ。神宮寺は矛盾だと思っても、どちらか一方を、心の中からは追い払えなかった。
辺境魔法学校の校舎は全部バリア・フリーになっていたので、車椅子の生徒でも授業を受けられる造りになっていた。
弱者切捨てのイメージがあったので、ちょっと意外だった。
職員室には八時四十五分に着いた。職員室といっても、二十畳ほどのフロア・マット張りの部屋に、机が四つあるだけ。先生も、入学試験の時に一緒に学校に戻ってきた魔法先生と、剣持の二人しかおらず、他の二つの席は空席だった。
魔法学校と言うからには、てっきり、もっと大勢の専門分野を教える先生がいるのかと思っていたので、いささか拍子抜けだった。
小清水さんと神宮寺が魔法先生に挨拶して、日直のアルバイトであることを告げた。
魔法先生はニコニコした顔で、機嫌よく挨拶を返してくれた。
「そうですか、十五番さんと十六番さんが日直ですか。私の呼びは、魔法先生でいいです」
魔法先生には神宮寺と名前を名乗ったが、名前では呼んでくれなかった。別に、気にはならなかった。逆にいつかは、名前で呼ばせてやろうという小さな野心が浮かんだ。
魔法先生は言葉を続けた。
「私の向かいに座っているのが、剣持君。私の助手をしてもらっています。わからない点があったら、まず剣持君に聞いてください。初日は大変ですが、頑張ってください」
剣持は立ち上がると「助手の剣持だ」と挨拶して、神宮寺と小清水さんの背格好を観察した。
神宮寺と小清水さんが顔を見合わせていると、剣持はビニールに入った服を渡した。中を開けると、新品ではないが、クリーニングを終えた緑衣が入っていた。
緑衣の胸の部分には《日直》と大きな文字で書かれていた。日直者はこれを着るらしい。
剣持が指示する。
「小清水は、ここにあるテキストを教室の机の上に並べておいてくれ。神宮寺は個人用の机と椅子を物品庫から出して、二組を教室に持っていけ。教室は二十人用に作られているが、詰めれば席は置けるだろう。机と椅子に関しては、学生数が二十人を切ったら、物品庫に戻しておくように。あと、指示が終ったら、医務室に顔を出して水天宮先生に挨拶しておけ。今日は、きっとお世話になる」
神宮寺はさっそく、物品庫の場所を教えてもらい、物品庫に行った。
物品庫にあった机は、高校時代お世話になったような安っぽい代物で、座り心地も良くないのは、一目ちらっと見ただけで明らかだった。
余っていた机と椅子は四つあったが、どれも大差なさそうボロさだった。でも、できるだけ程度の良いものを二つ選んで、教室に運んだ。
教室は新しく、机も一人用のもので少し大きめ、椅子はフカフカして座り心地が良さそうだった。教室には巨大な液晶ディスプレィとエアコンが完備されていた。
なんだか、増設用の机に座る人物が不憫だが、席は二十席しかないので、止むを得ない。
小清水さんと神宮寺は、各机に剣持に指定されたテキストを並べていった。テキストは厚くてA4版の大きいものだが、一種類しかなかった。
テキストは授業が進むたびに配っていくのだろうか。
教室で作業をしていると、小清水さんが感想を述べた。
「魔法先生って、もっと厳しい人かと思ったから、安心したよ」
「違うよ。あの人が優しいのは、顔だけだよ。中身は狂人さ。まだ助手の剣持のほうが、人間として正気を保っているよ」というのが本音だったが、言葉を控えた。
どうせ、魔法先生が授業を教え始めれば、すぐに、狂人振りを露呈するだろう。なら、今から余計に不安にさせる必要はない。
それに、どこで誰が聴いているかわからない初日には、用心するに越したことはない。