第六章 ダレイネザル魔術の根源(三)
朝になり、食堂に下りていくと、時間が遅かったせいか誰もいなかった。一人で朝食を摂った。
どこにも行く当てがなかったので、散歩でもしようかと、寮の玄関ロビーに行った。
玄関ロビーに行くと、置いてあった真っ黒な液晶ディスプレィ製の立看板が消えていた。代わりに全裸の蒼井さんの遺体が台の上に乗せられ、展示物のように晒し者にされていた。
全裸の蒼井さんの体に心臓を撃ち抜かれた痕だけがあり、顔や体は綺麗なままに修復されていた。
台には表題として《脱走者の末路》と書かれていた。見せしめだった。
神宮寺は蒼井さんの遺体のあまりの扱いように、激しい怒りを覚えた。だが、どう対処していいかわからなかった。管理人室には誰もいなかったので、近くの内線電話を取った。
電話の先から、学生課で入学案内をしていた人と同じ声が聞こえてきた。
「はい、こちら、ウルリミン寮の管理係ですが」
土曜の朝だが、学校の人間が出た。
「すぐに寮の入口、ロビーにある蒼井さんの遺体を寮から運び出して埋葬してください」
係の人間は、丁寧な口調で即答した。
「それは、了承しかねます。二十二番の処遇は、寮を管理する水天宮先生の指示です。水天宮先生の許可なく、ロビーから運び出すわけにはいきません」
寮の管理係とは、話しても無駄だ。神宮寺は独断で自分の部屋からタオルケットを持ち出して、蒼井さんの裸の遺体を覆い、すぐに自転車を使って校舎に移動した。
校舎は開いていた。神宮寺は医務室まで一直線に進んだ。
玄関から医務室からまでの間、実習で怪我をした生徒たちの列と会った。誰もが、歩くのもやっといった敗戦兵のような足取りだった。
神宮寺が医務室に入ると、水天宮先生はパイプを吹かして座っていた。
「おはよう。十五番君。もう、医務室を閉めるわよ。やっと生徒が月曜から授業に復帰できる状態になったので、私も自室に戻れるわ。用があるなら、また今度にしてね」
「蒼井さんの遺体をウルリミン寮のロビーから移動させる許可を貰えれば、すぐにでも帰ります」
水天宮先生は冗談でも言うように笑顔で語った。
「なんだ、十五番は、死体と寝たいの? そういう趣味があるとは知らなかったわ。でも、許可できないわね。これは授業の一環だもの。仏教絵画の九相図は、知っているかしら?」
「いえ、知りません。でも、女性の遺体を裸で晒し者にして、いいわけがありません」
水天宮先生は、どこか酔ったような表情で饒舌に話す。
「二十二番は確かに美しい。でも、死ねば、どう? 死体は膨張し、皮膚は崩れ、体液は滲み出し、腐敗し、青黒く変色、虫が湧いて、肉体はバラバラになり、散乱。骨だけになり、焼けば灰になる。生徒は見た経験がないでしょうから、見せてあげようという教育的配慮なのよ。医学でいうところの解剖実習とでも思ったら、どうかしら」
「遺体が崩れて骨になるまで蒼井さんを放置しておく気ですか。それではあんまりです」
「逃亡した二十二番を撃ち殺した君が言うセリフかしら? 寮の管理と二十二番の扱いに関しては、私が一任されているのよ。それに、今後とも逃亡者を出さないためにも、最低でも蛆が湧くまでは二十二番の姿を他の生徒に見せるべきだと、魔法先生は言っていた。二十二番の処遇は授業であり、一生徒である十五番が口出しするのは、出すぎた真似よ」
教育的な措置と言われれば、神宮寺には何もできなかった。
本当なら今すぐにでも、医務室を飛び出し、玄関ロビーから晒し者になっている蒼井さんを隠してやりたい。
でも、実行すれば、今度は授業の妨害だ。証拠も残るだろうし、嘘でもごまかせない。授業の妨害は魔道師のへの道を閉ざしかねない。
神宮寺は怒っていた。だが、同時にせっかくここまで来たのに、死体のために、全て捨てるかもしれない行動に走るだけの勇気がなかった。
神宮寺は怒りを押し殺して確認するのが精一杯だった。
「では、先生は、どうあっても、蒼井さんを裸のまま、蛆が湧くまで他の生徒が目につくところに放置するつもりなんですね」
水天宮先生はどこか酔ったような楽しげな表情のまま、思案しながら発言した。
「そうよ。と言いたいところだけど、十五番君がそこまでいうなら、一つ問題を出しましょう。もし、私の納得の行く答が出せたら、二十二番の死体の公開は、月曜日までに限定にしましょう。さて、問題よ。死体は美しくあるべきか? 回答権は一回きりよ」
死体は極言すれば、有機物の塊であり、いずれ分解されるのが自然の摂理だ。だが、なんでも自然の摂理で割り切れるほど、人間は単純ではない。思い入れがある。できれば綺麗な形で葬ってあげたいと思うのが人情だ。
神宮寺は迷い、気が付いた。水天宮先生からの問題だ。自然の摂理とか、思い入れとかは、関係ない。出題者である水天宮先生がどう思っているか、だ。
神宮寺は思い出した。蒼井さんは、夜に見た時、顔に酷い怪我あり、全身が傷だらけだと言っていた。けれども、展示されていた蒼井さんには、撃たれた箇所しか傷はなかった。誰かが死体を綺麗に復元しておいた証拠だ。
水天宮先生は「二十二番の扱いに関しては私が一任されている」と断言していた。なら、蒼井さんを綺麗な姿にしてくれたのは、水天宮先生ではないのか。
胸のへの一撃だけを残したのは魔法先生の指示があったから残したので、本心は胸の傷も塞ぎたかったのではないだろうか。神宮寺は水天宮先生を見ながら答を伝えた。
「死体は、物です。朽ちていくのが当然です。ですが、物であれば、加工も許されるはずです。世の中には、芸術的に復元された美しい死体を作る職人がいてもいいと思います」
水天宮先生は、小さくやがて大きな声で笑った。
「君は馬鹿だね。私は死体は美しくあるべきか、と聞いたのに、美しい死体を作る職人がいてもいいと答えた。答になっていない。なっていないから、優はやれないわね。でも、十五番君の答を否定する行為は私にできない。いいでしょう。可をあげましょう。公開は月曜日までにするわ」
神宮寺は一礼して、ウルリミン寮に戻った。すると、せっかく掛けたタオルケットが畳んでどけられていて、全裸のままの蒼井さんの遺体があった。
神宮寺は生徒の誰かが興味本位にやったと思って、腹が立った。もう一度、タオルケットを掛け直した。
五月ではさすがに蒼井さんの遺体が傷むと思った。ドライアイスをどこかで手に入れなければいけないが、街に行っても、ドライアイスがどこに売っているかがわからない。
学内インターネット・ショップにも、ドライアイスの販売はなかった。
嘉納に探しにいってもらおうと思ったが、嘉納は留守だった。嘉納を探しに部屋まで行ってロビーに戻ってくると、また、タオルケットが畳んでどけてあった。
明らかに誰かが、故意にやっている。最初は生徒の誰かだと思ったが、こうなると、寮にいる見えない何者かがやっている気がしてならない。
神宮寺は『異界の気配』を唱えた。建物全体から気配がする。ウルリミン寮はやはり、全体になんらかの魔法が掛った建物だ。『異界の気配』の効果範囲を広げてみた。
ロビーの隅に透明になっている何かの存在がいた。大きさと形状は、前にロビーにあった、真っ黒な液晶ディスプレィ製の立看板と同じくらいだった。
最初に立看板を見た時、神宮寺の名前が浮かび上がった事件を思い出した。
きっと、黒な液晶ディスプレィ製の立看板に見えた存在は単なる物ではなく、水天宮先生が呼び出した、ファフブールと同じく知能を備えた異界から来た存在。
水天宮先生が呼び出した存在だとしたら、排除するわけにはいかない。蒼井さんの遺体にタオルケットを掛ける許可までは貰っていない。幸い相手は人に見られている間は行動を起さないらしい。蒼井さんを見張り続ければ、蒼井さんの遺体は辱められずに済む。
(タオルケットの問題は見張ればいいとして、腐敗の対処は、どうしようか)
ロビーで、どうしたものかと困っていると、剣持が発泡スチロールの大きな箱を持って、やってきた。剣持は「ドライアイスだ、使え」と、箱と軍手を置いていってくれた。
おそらく、水天宮先生が剣持に蒼井さんの死体の処遇を報告して、剣持が気を回してくれたのだろう。剣持は他にも、持ってきた脱脂綿を、蒼井さんの鼻に詰めて体液が染み出ないようにして、口が開かないように、紐で閉じてくれた。
神宮寺は去り行く剣持の背中に向かって、深々と礼をした。
ドライアイスを蒼井さんの死体の周りに敷きつめ、上からタオルケットを掛けた。
神宮寺はロビーに座って、誰もタオルケットに悪戯しないように見張った。
それでも、トイレや食事に行くと、タオルケットが外され、畳まれていた。神宮寺は、できるだけ玄関ロビーの椅子に腰掛けたまま、黙って蒼井さんを見守ることにした。
寮からは、怪我をして帰ってきた生徒のうち一名が荷物を持って寮を去った。これで、残り九人になった。
見張りの途中で、玄関前に来た、名も知らぬ怪我を残したままの生徒が、台を前に座っている神宮寺に何をしているのかと尋ねてきた。
「タオルケットの下に蒼井さんの遺体があるんだよ。逃亡したらどうなるかの見せしめだよ。最初は蒼井さんの遺体は裸のまま曝されていたんだ。だから、俺がタオルケットを掛けた。ひどいよね、蒼井さんは女性なのに。月曜日まで晒し者にするそうだよ」
名も知らぬ生徒は大学を出たての感じの男性だったが、タオルケットの前で手を合わせ、蒼井さんの冥福を祈った。神宮寺は、横で冥福を祈る名も知らぬ生徒に説明を続けた。
「こうしてタオルケットを掛けているんだけど、誰かが見てないと、タオルケットがどけられて、蒼井さんが裸で曝される。寮にいる見えない存在がやっているらしい。見えない存在は見られていると、何もしない。だから、俺は蒼井さんを見張るつもりだよ」
見知らぬ生徒は神宮寺の説明を聞くと、悲しげな表情を浮かべて静かな物腰で申し出た。
「俺の名は相沢。逃げた蒼井さんの気持ち、わかるよ。学校には逆らいたくないけど、俺も自分の意思表示ぐらいはしたい。俺も蒼井さんの見張りに参加させてくれないか」
神宮寺は一人で見張りをするつもりだったが、相沢からの交代の申し出を引き受けた。
蒼井さんだって、蒼井さんを撃った神宮寺に見送られるより、他のクラスメートに見送られたがっているかもしれない。
時間が経ったので、相沢と交代するため玄関ロビーに戻った。玄関ロビーには相沢と同じくらいの年代の男の生徒で、細川と名乗る生徒が既に交代していた。細川もまた相沢から話しを聞き、見張りに賛同した生徒だった。
相沢や細川が残った人間に声を掛けたのか、いつの間にか、出掛けている嘉納以外の生き残った生徒が、月形さんも含め、交代で見送りに参加した。
月形さんの参加は少々意外だったが、月形さんにも思うところがあるらしかった。
相沢、細川、藤堂、駒場、京極、篠崎、初めて神宮寺は残ったクラスメートの全員の名前を知った。話す内に、六人は退学権利金を納めていない生徒だと感じた。
花もなく、線香もなく、お経もない、ただ、人が見張っているだけの蒼井さんの葬儀が行われた。
夜遅くに嘉納が寮に帰ってきた。嘉納が玄関ロビー前の椅子に座り、蒼井さんが寝かされている台を見張っている神宮寺を見かけると、怪訝そうに声を掛けてきた。
「どないした神宮寺? こんな遅くまで、ロビーなんかにおって」
神宮寺は黙って、台に記されている《脱走者の末路》の文字を指差した。
嘉納が険しい顔をして、やりきれないといった様子で聞いてきた。
「誰か、脱走を試みて、やられたんか」
「脱走者は、蒼井さんだよ。月曜日まで見せしめに玄関ロビーに放置されるんだ。こうして見ていないと、見えない存在が、タオルケットを外して、裸の蒼井さんの遺体を曝すんだよ。だから、俺が見張っている」
嘉納は眉を吊り上げ、「えげつないことしよる」と吐き捨てるように言い放った。
嘉納は蒼井さんのタオルケットの顔の部分だけをどけて、手を合わせて念仏を唱えると、再びタオルケットの端を顔に掛けた。
「神宮寺は朝からずっと、蒼井さんを見守ってたんか」
「いや、残った生徒全員で交代で見送るつもりで見張っていた。俺、辺境魔法学校に来る人間なんて、他人なんてどうでもいいと思っていると奴ばかりだと思っていた。けど、違ったよ。意外と皆、普通の人だった。ただ、名前は今日、全員を初めて知った」
嘉納は疲れているのだろうが、決意を込めて言葉に出した。
「よっしゃ、わいだけ蒼井さんの見張りに不参加ちゅうわけにはいかんな。ましてや、ダチやった人間の葬式みたいもんやろう。わかった、今日、明日と夜中は、俺が責任を持って見張る。だから、神宮寺、夜は休め」
神宮寺は嘉納の申し出をありがたく受け入れた。嘉納の申し出を受け入れる態度が、撃たれた蒼井さんに対しても、友人の嘉納に対しても最良だと感じた。
蒼井さんの葬式を通じて初めて、残りのクラスメートと心の交流が持てたと感じた。




