第五章 生存者、勝者、敗残者、それぞれの理由(一)
十四番からは、マジチェフェルの進行状況を聞かれた。神宮寺は今までの試験で、嘉納以外の五人が重傷を負って医務室送りになり、七人が死亡した事態を教えた。
十四番は大柄な男だが、すっかり怯えてしまった。《接近遭遇の間》に入るなり、学校に預けてある退学権利金の供出を、叫ぶように申し出た。
剣持が十四番に冷酷に言葉を浴びせ、問い質した。
「マジチェフェルの危険性を告知して、先ほどマジチェフェルに参加したくない者は今すぐに申し出るように言っておいたはずだが、どうして急に態度を変えた。誰かに何か吹き込まれたのか」
十四番は怯えているので、神宮寺がマジチェフェルの内容を教えている状況を漏らしかねなかった。おそらく剣持は気付いている。十四番がはっきり言えば動かぬ証拠となる。
十四番の代わりに、神宮寺は急いで議論をすり替え、捲し立てた。
「でも、まだマジチェフェルは始まっていませんよね。退学権利金を積めば、授業前開始前なら、退学が認められるはずです。十四番には正当な権利があります。マジチェフェルを辞退させてあげてください」
神宮寺は「辞退したいんだろう? そうだろう、な、な」と十四番をきつく見据えて、念を押した。十四番は怯えた表情のまま、何度も頷いた。
魔法先生が十四番を幻滅の表情でちら見して、少し残念そうに口を開いた。
「まあ、いいでしょう。多少、申告は遅れましたが。マジチェフェル開始前として、退学を認めましょう。その足で、すぐに学生課に学生証を返却して、退学手続きしなさい。学校からは今日中に消えなさい。ここは普通の人間がいて良い場所ではないのですから」
十四番は逃げるように、《接近遭遇の間》の間を後にした。
ついに、十五番。神宮寺の番が来た。逃げ切れる自信は半々だが、神宮寺は他の受験生にマジチェフェルの内容を漏洩している。剣持も魔法先生も内容の漏洩には気付いているはずなので、いつまで逃げても、マジチェフェルは停まらず、殺されるかもしれない。
神宮寺が円柱状空間の前に進もうとすると、魔法先生が背後から声を掛けた。
「待ちなさい。日直者がいなくなると、マジチェフェルが滞ります。先に他の生徒を済ませてからにしましょう。十五番と、十六番は、最後にします」
神宮寺は、十七番、十八番、十九番、二十番、と逃げる大切さを説いた。十九番だけがアドバイスを無視して、攻撃魔法をすぐに使い、死んだ。
十七番、十八番、二十番は、神宮寺のアドバイスを聞いて逃げ回った。だが、相手の位置が掴めず、大怪我を負った。無傷で逃げ切れた者はいなかった。
結局、神宮寺の発見と考察は、流血の事態を回避できなかった。
二十番を医務室に運んだ時には、医務室のベッドは三床を残して塞がり、まるで野戦病院のように重傷者が横たわっていた。
二十一番は初日の授業後に消えていたので、遂に二十二番の蒼井さんの番になった。絶望的な気分だった。蒼井さんの選んだ魔法は『鋳造の魔炎』と『火鼠の防衣』だった。
『鋳造の魔炎』が効かないのは、もう見ている。ファフブールは今まで炎を吐く攻撃方法を使った経験がないので『火鼠の防衣』は役に立たないだろう。
蒼井さんは、早い段階で『鋳造の魔炎』の呪文を習得できたので、『火鼠の防衣』の他に、三つ目の魔法を習得している可能性がある。
(三つ目が『異界の気配』か、せめて『魔鋼の盾』であれれば、いいのだが)
教室に行くと、一番の月形さんと二十二番の蒼井さんしか残っていない。二人の間には交友関係が全くないのか、距離を置いて座っていた。
月形さんなら聞かれてもいいと思って、教室で蒼井さんと話をした。
神宮寺は見てきた光景を、正直に蒼井さんに話した。
(月形さんにも聞こえていたが、特に俺の行為がルール違反だとは、指摘をしなかった)
神宮寺の見た光景を聞いて、蒼井さんは、不安を打ち消すように強い口調で断言した。
「大丈夫よ。私の魔法は、他の奴らとは火力が違う。『鋳造の魔炎』だけじゃないわ。『精錬の雷』だって習得したのよ。一撃でファフブールを黙らせて、合格してみせるわよ」
『鋳造の魔炎』も『精錬の雷』も効果をなさない状況を、既に見ている。
神宮寺は攻撃魔法を使う人間の心理を少し理解した。
「俺は特別だ」「俺には力がある」「俺ならやれる」と、攻撃魔法を使う奴らは、特別な優越感にも似た感情を抱いて立ち向かい、死んでいったのだろう。
神宮寺は強く言い聞かせた。
「ダメだ、蒼井さん。戦ったら死ぬ。逃げなきゃ、だめなんだよ」
蒼井さんが大きな声で、反発するように怒鳴った。
「逃げて、どうなるのよ。神宮寺の話じゃ、逃げても『異界の気配』がなきゃ、相手の位置がわからない。『魔鋼の盾』がなければ、飛んでくる見えない凶器は防げないのよ。私には戦うしかないの」
蒼井さんは、かなり苛立っていると見え、いつもと違って神宮寺の名は呼び捨てだった。
神宮寺は、それでも戦いを止めるべく、強い口調で反論した。
「戦えば百%死ぬけど、逃げれば十%くらい、無事に生き延びられるかもしれないんだ」
嘘だった。逃げても無事に逃げ切れる可能性は、十%はない。精々一%あるかないかだ。それでも、戦えば確実に生き残れない。
蒼井さんは神宮寺に反発して、怒声を上げた。
「でも、戦っても一%くらい、勝てるかもしれないわ。ファフブールって、見えないんでしょ。だったら、今まで他の生徒が与えたダメージが蓄積されているわよ。今なら、倒せるかもしれないでしょ。私に与えられた学籍番号二十二も、三つの魔法も、運命なのよ」
確かにファフブールは見えない。本当のところ、攻撃が効いているかどうかは、不明だ。
でも、神宮寺には効いていないとしか思えなかった。ゼロは蓄積しても、ゼロにしかならない。頭に血が上り、冷静さを欠く蒼井さんには、いくら諭しても言葉が届かないのが虚しく苛立たしかった。
神宮寺はそれでも、蒼井さんを思い、強硬に主張した。
「とにかく、戦ったらダメだ」
蒼井さんは、金切り声を上げるよう叫んだ、
「もういい! 私のマジチェフェルなんだから、私の好きにさせて。お姉ちゃんのように、なんでも決め付けないで。命令しないでよ」
蒼井さんは完全に、正気ではなかった。長い時間じっと待たされた不安と、心の歪みが今になってピークを迎えたのかもしれない。
このまま蒼井さんを送り届ければ、絞首刑の十三階段を上がらせるようなものだ。
蒼井さんと神宮寺の言い合いが停まった。
「愛せよ、そして汝の望むようになせーー本で読んだ、昔の聖人の言葉だと思うけど」
声のほうを振り向くと東京魔法高校の制服を着て、文庫本を読んでいた月形さんが顔を上げて、こちらを見ていた。
神宮寺は、話に突如として横合いから入ってきた月形さんに意見を求めた。
「月形さんは、どう思う? 何か良い考えがある?」
月形さんは、他人のマジチェフェルのせいか、いたく冷静だった。
「神宮寺君の言う通りに逃げても、十%も成功する確率があるとは思えないわね。別に、マジチェフェルを受けるのは蒼井さんなんだから、好きにすればいい。戦って死ぬなり大怪我すればいいでしょ。でも、私が蒼井さんだったら、そうはしない」
月形さんは何か良い策があるのか。神宮寺は蒼井さんの使える魔法で手段を考えた。
神宮寺は、生存確率を上げる逃げ方を思いついた。
「そうだ。蒼井さん。よく聞いてくれ。まず、自分に『火鼠の防衣』の呪文を掛ける。次に、ファフブールがいる円の部分を除いて、床一面に炎を薄く張るんだ。そうすれば、ファフブールは攻撃を受けないから、一分間は動かない。あとは辛抱強く、床を見るんだ。一分が経過してファフブールが移動し始めれば、炎の揺らぎで、位置がわかる。あとは、ファフブールの足の向きから、正面を推測して、正面に立たないようにすれば、飛んでくる目に見えない凶器を避けられる」
初めて生存の道を見出した気がした。だが、蒼井さんは瞳に不満の色を浮かべ、何も言わなかった。
神宮寺は、蒼井さんが何も言わなかったので、渋々ながら了解してくれたと思った。
《接近遭遇の間》の間に行くと、剣持が詰問調で聞いてきた。
「今度は、やけに遅かったな。どうした」
「すいません。俺ちょっと、お腹が痛くなって、トイレに行ってから蒼井さんを迎えに行ったので、遅くなりました。それに、エレベーターを誰かが使っていたようで中々上がってこない状況とぶつかって、時間が掛かりました」
我ながら見え透いた嘘を吐いたものだ。
剣持が何か言いたそうだったが、先に魔法先生が口を開いた。
「お腹は大丈夫ですか。二十二番が終ったら、十五番さんの順番は、もうすぐですよ」
「お気遣い、ありがとうございます、でも、もう、大丈夫ですから」