巫女の務め(8)
霞は琴美と共に、多くの人が行きかう路地の隙間を擦り抜けながら走っている。
「琴美ちゃん、飛ぶね」
「うん」
強く握った琴美の手を霞は、胸元まで引き寄せた。
琴美はその言葉の意味を瞬時に理解し、体をスッと霞の背中に寄せる。次の瞬間、二人の姿は消えた。
瞬間移動――風の神が持つ力の一つだ。霞が「飛ぶ」と言ったのは、このことだった。人混みの激しい街中では、どれだけ急いで走っても思うようには進まない。空を飛ぶことは巫女であれば誰でも可能だが、一般人の前でそんな非現実的な光景を晒せば街中がパニックになることは目に見えていた。
次に二人が姿を現したのは、静まり返った人気のない路地裏であった。
ドンッ!
「きゃっ!」
霞が子猫の鳴き声のような、オクターブ高い声を響かせた。勢い余ってぶつかった目の前には、霞とそう変わらない背丈の男が立っていた。
「相変わらず、着地が下手くそだな」
そう言いながら、男が霞の体を気遣って優しく細い肩を受け止めた。隼斗である。霞より四つも年上でありながら、その顔立ちは少年を思わせるほどに幼い。
「酷い言い方だなあ。こっちは急いで来たんだよ。それに、ほら、デート相手まで連れてきたんだから」
「そいつは、悪かった。だけどさ、そんな可愛い顔で怒られても全然怖くないぞ」
ぷっくりと頬を膨らませる霞に対し、隼斗はご機嫌を取るように彼女の両頬を指で突っついた。
二人の親密なやり取りを、琴美は「ホーっ」と小さく口を開けたまま、固まって眺めている。
「せっかく人が呼び出しに応じてあげたのに、揶揄うのならもう帰るよ」
霞がムーッと不満気に隼斗を見つめた。本人にとっては精一杯の威嚇の表情なのだが、隼斗から見ればただ愛らしいだけだった。とはいえ、霞の規格外の実力を誰よりも知る隼斗は、これ以上機嫌を損ねまいとあっさりと両手を上げた。
「悪かったって。だが、大変な事態になっているのは本当だ。突如として、化け物どもがこの街に湧いて出てきやがった。どうやら普通の人には見えないようだ。おかげで大騒ぎにはならなかったが、人を襲っているのは間違いない。現に、この辺りだけで不可解な交通事故が四、五件は起きている」
「うーん、なるほどね……。物の怪が人の意識を乗っ取るようにして、無理やり事故を起こさせたのね」
霞は隼斗の話を聞きながら、能力を使って辺り一帯を『色』で眺めた。空間に残された一つ一つの異なる色彩の残滓が、その場で起きた悲劇の状況を物語っていた。
「それで、実菜穂さんと陽向さんが片付けたっていうのは本当なの?」
「ああ。俺が手を焼いていたら突如現れて、片っ端から文字通り奴らを蹴散らしていった。しかも、これだけの大勢の人がいる街中で、誰一人としてその姿に気づかれないように、静かに、かつ素早くだ。あれは絶対に、最初からこうなることを予測していた……間違いないぜ」
隼斗は感心と戦闘のプロとしての確信をもって、霞に語った。
「「……⁉」」
隼斗の言葉に、霞と琴美は弾かれたように視線を交わし、深く頷き合った。
(実菜穂さんと陽向さんは、この異変が起こることを事前に知っていたってこと……? だとしたら、シーナが言っていた『実菜穂さんを護れ』という言葉の意味がもう始まっているのかな……)
「隼斗、それで二人はどこに行ったの?」
「ああ、最後にでかい化け物が残ってな。あれは俺も以前、ナナガシラで遭遇した猿鬼ってやつだ。あいつは場所も弁えずに暴れる回る。何もしなけりゃ、このあたり一帯は血の海になるところだった。だから二人が奴を引きつけて、人気のないところまで誘導していったんだ」
霞は隼斗の話を頭の中でトレースしながら、再び周囲の色に意識を集中させた。そこには確かに、実菜穂と陽向が放った苛烈で清らかな神の色が道筋として残っていた。
(隼斗が言ったとおりだ……。これほど鮮やかに一般人を巻き込まずに後始末するなんて……)
「霞ちゃん、とにかく街に残っている小物の物の怪を先に退治しておかないと。実菜穂さんと陽向さんの後を追うのは、それを片付けてからにしよう」
「うん、そうだね!」
琴美の冷静な進言に、霞は、はっと顔を上げて力強く同意した。
「隼斗、ちょっとそこらへん片付けてくるね!」
言い終わるが早いか、二人は隼斗の前から姿を消した。




