助ける巫女と拒む巫女(13)
陽向と霞が桃源郷の世界で死闘を繰り広げていた頃、実菜穂は、黒巫女の少女を背に匿いながら叶と対峙していた。
(陽向と霞ちゃんの姿が消えちゃった。叶さんの力でどこかに飛ばされたのかな……)
片膝をつき、息を乱しながら実菜穂は叶を見上げる。
その叶の表情は、どこか常軌を逸していた。怒り、恨み、憎しみ、そのすべてが一つに溶け落ちたような、禍々しいほどの情念の光を瞳に宿している。その顔つきは、人だけでなく鬼すら恐怖で平伏してしまうほどの威圧感を放っていた。
(さっきまでの叶さんと全く違う……恐ろしいほどの念がこもった神気が出てる。それに……この子の怯えよう……叶さんに原因があるのは確かだけど、とても尋常じゃない!)
一歩、一歩と近づいてくる叶に対して、実菜穂は身を硬くして背後の少女を守った。
「実菜穂ちゃん、そこを退いてくれる?」
「動きません!」
実菜穂は鉄の弓を構え、必死に叶を牽制した。だが、叶は実菜穂のその構えが威嚇のためのブラフであることを見抜いていた。また、実菜穂自身も、自分に残された手札がないことを自覚していた。
「実菜穂ちゃんに私は撃てない。たとえ撃ったとしても、今の私を仕留めることはできない」
「どうしてそう言い切れるのですか?」
叶の言葉に、実菜穂はかろうじて問いで返した。それは、状況を打開するための苦し紛れの時間稼ぎでしかなかった。
「一つ、私を撃てば陽向ちゃんと霞ちゃんの安全は保障できない。二つ、いまその背に庇う巫女の異変の原因が分からない。三つ……矢を番えた瞬間、私が迷いなく後ろの巫女を討つ!」
叶の瞳には一切の迷いがなく、実菜穂の背後にいる巫女を何としてでも息の根を止めようとする怒気が放たれている。
実菜穂は、その圧倒的な怒りの正体を探ろうと必死で視線を走らせた。
(これは……! 駄目だ、この怒りは……本物だ……!)
実菜穂の視線は叶の瞳から、その胸元へと移った。そこに漂う異質な神気の正体に気付いた瞬間、実菜穂は背中に匿っていた黒巫女の少女を後方へと力任せに突き飛ばした。少女は地面を二、三メートル転がっていった。
鉄の弓をその場に投げ捨て、実菜穂は無謀にも叶の胸元へ飛び込むように抱きついて行く。
叶は冷酷に実菜穂をかわし、倒れ伏す少女へと牙を剥いて襲いかかろうとした。
だがその直後、右足が重くなり動かなくなった。叶は、どうしてそうなったのかすぐに理解した。
「……実菜穂ちゃん、離して!」
実菜穂は必死の形相で叶を止めるべく、その足に強くしがみついているのだ。
「駄目です! いまあの子に手を出したら、叶さんは……叶さんは戻れなくなります!」
「私はどうなったっていいの! 私は……私はあいつを討つために……!」
叶は大きく足を振り上げ、実菜穂を力任せに振り落とそうとした。地面に叩きつけられながらも、実菜穂はその手を決して離そうとしなかった。
叶は実菜穂を引きずりながら少女へと苛烈に近づくと、手にしていた扇を広げ、天へと高く掲げた。
その瞳はまっすぐに少女を射抜いている。そこには躊躇の色など微塵もなく、ただ目の前の存在を討ち果たすという固い意志の光だけが燃えていた。少女は恐怖のあまり、指一本動かせずにいた。
「逃げて――っ!」
実菜穂が最後の力を振り絞り、叶の腕を抑え込もうとしたその時――夜空を切り裂き、流星のごとき紫の光が舞い降りた。
「告死蝶」
降り注ぐ光の中から琴美が滑り込むように現れると、その背後に巨大なオオムラサキが幻影のように羽を広げた。
巨蝶が一瞬にして無数の小さな紫の蝶へと分裂し、一斉に叶を目指して狂い舞う。
「こんな時に……死神の巫女…… 厄介な……!」
叶が一瞬怯んだ隙を逃さず、琴美は大鎌を掲げ、背後から一筋の閃光となって振り下ろした。
大鎌の冷たい刃が、叶の背を祓うようにかすめていく。
(くっ、縁切りの力……!? 七人の巫女を相手にしては分が悪いわね……!)
叶が両手の扇を舞うように翻すと、蝶の群れが一気に吹き散らされ、それと同時に空間が歪んだ。弾け飛ぶ結界の破片とともに、陽向、霞、凜々果、聖良の四人がその場へと転がり出た。
「マジ!? やっと出られたー! 珠音、遅い……ってワケじゃない感じ?」
凜々果がミニスカートをひらめかせながら着地し、周りの様子を見回して現状を把握する。
「どうやら、無事に桃源郷の結界は抜けられたみたいね」
陽向と霞が肩を並べて立ち上がり、警戒を怠らずに向かいの凜々果と聖良を見据えた。
「陽向ちゃん……霞ちゃん……よかったあ……!」
泥だらけになりながら、なおも叶の足にしがみついていた実菜穂が、安堵のため息を漏らした。
「どうやら、今回の務めは果たせなかったようですわね。引き上げますわよ」
「そだねー。火と光の神の巫女、今度はマジで首跳ねてやるから覚えてなよ!」
聖良と凜々果は互いに視線を交わすと、そのまま闇の中へと滑り込むように姿を消した。
「あっ……!」
実菜穂がはっと正気に戻り、急いで立ち上がって少女の行方を探した。しかし、既に少女の姿はなく、いつの間にか叶の気配も消え去っていた。
「実菜穂……!? その怪我、一体どうしたの……!?」
陽向は、実菜穂の傷だらけの手足と泥にまみれた痛々しい姿を見て、息を飲んで呆然とした。霞と琴美も駆け寄り、酷い傷を負った実菜穂を心配そうに抱き起こす。
傷つきながらも無事を確かめ合う四人の巫女たち。
その光景を、月夜の樹上から静かに見守っていた一筋の影が、誰にも気づかれることなくすっと闇へと消えていった。




