助ける巫女と拒む巫女(5)
叶は上から覗き込むように、じっと実菜穂を見つめた。実菜穂の水色の瞳の中には、『悲しみ』という色が濃く滲んでいた。
(どうやら、私の心の中までは覗いていないようね……)
己の内に抱いていた恐れが薄れて胸を撫でおろすと同時に、叶の唇から微かに笑みがこぼれた。
「私はナナガシラで、小さな女の子が巫女に選ばれ、物の怪と必死で戦う姿を見ました。村の呪いを祓うため、宿命のもとで生きるしかなかった巫女だった。それは、あの地だけでしかありえない過酷な運命なのだと思っていた。それなのに、日本中どこでも同じようなことがおきているなんて……どうして……」
「どうして、巫女や見習いたちが、命を懸けて戦っているのか……そう言いたいの?」
必死で問いかける実菜穂を見ながら、叶は「はぁー」と深い溜息をついた。
「実菜穂ちゃん。この世界が平和で、みんな笑顔で楽しく生きているんだって、本気で思っていたりする?」
叶がくるりと背を向け、夜空を見上げた。
「……えっ?」
風にさらさらと揺れる叶の後ろ髪を見つめながら、実菜穂は言葉を失っていた。
「何の不安もなく、笑顔で生きている子たちもこの世界には多いと思うよ。でもね、それと同じくらい絶望している子も数多くいるの」
叶がユラリと身を翻し、実菜穂を見つめた。その瞳は悲しげでありながらも、どこか凛とした気迫を持っていた。
実菜穂は叶の言葉の意味を、まだ完全に理解できずにいた。ナナガシラの地で感じた『絶望』は、特別な歪から生まれたものだとばかり思っていた。だが、叶の言葉は、それが日常にありふれているのだと言っている。
「親や家族、友人に虐げられ、身体も心も挫かれた女の子は、行くあてをなくして彷徨っているの。今この瞬間も、街中で、公園で、あるいは海辺で……居場所を求めて泣いている」
まるで幼子を諭すような笑みを浮かべ、叶が実菜穂の瞳を上から覗き込んでいく。
「そして、その少女たちが最後に辿り着く場所……それが『巫女』よ」
「……⁉……みこ……」
叶はゆっくりと頷いた。
「教えておいてあげる。最後の最後に望みをかけた少女は、巫女を目指すの。巫女になるということは、神様の力を得るということ。それさえあれば、自分の願いを叶えることができるの。たとえそれが、どんなに小さく弱い神様であったとしてもね……」
「じゃあ、あの小さな女の子たちは、生きる希望を、願いを叶えるために戦っているというのですか」
「そう。巫女になれば、自分の願いを叶えることができる。実菜穂ちゃんが見てきた子たちは、ただそれだけのために戦っているの。そりゃあ中には、この世界を護ろうなんて本気で思っている子もいるだろうけど、そんなのは本当にごく一握りよ。ねえ、私の言うこと嘘だと思う? 水面の神は、実菜穂ちゃんを巫女にするときなんて言ってた?」
叶の問いかけに、実菜穂は、みなもの巫女になる決意をしたあの時のことを思い出していた。
「みなもは……『巫女になれば、魔や邪気を祓い、弱き者、困っておる人を助けることもできる。かたや、人を蹂躙し、支配することもできる。お主は、まさに神にも悪鬼にもなれる』……そう言っていた」
実菜穂は、みなもの言葉は、単に『巫女になるための覚悟』を問われているのだと思っていた。だけど、それは巫女に与えられる『全能の力と行使する権利』を指しているのだと、叶の言葉は語っていた。
「ねえ、琴美ちゃんっているでしょ。死神ちゃんの巫女。彼女の神社って、実は訳ありの女の子たちに結構人気あるんだよ。意外でしょ。死神には、『縁切り』の御利益があるからね。ここまで言えば、もう察しがつくでしょ……あーっ、ちょっとしゃべりすぎたかな」
叶は自分の口に人差し指を手てて、悪戯っぽく微笑んだ。
「じゃあ、叶さんも……願いを叶えるために巫女になったのですか?」
今まで動揺で上擦っていた実菜穂の声が、凛と澄んだ響きを取り戻した。
「そうね。私も……そうよ……」
叶の瞳が琥珀色に輝いたその瞬間、不意に周囲の静寂が打ち破られて。
路地裏の奥で、一人の少女が巨漢の鎧武者の怪異と激しく刃を交え、吹き飛ばされるように倒れ込んだ。
「あの子、昨日の子だ。まだ傷も癒えてないのに……無茶だよ」
実菜穂が手の内に鉄の弓を取り出すと、鎧武者めがけて矢を放った。周囲に影響を与えないように、かなり威力を抑えて矢を放ったが、それでも衝撃音は地響きとなり轟いた。
一撃で物の怪を粉砕した実菜穂は駆け寄り、倒れている少女の傷を水の神気で包み込み癒していく。気を失い、苦痛に歪んでいた少女の顔から険しさが抜け、穏やかな表情になっていく。
「よかった」
実菜穂が安どの表情を浮かべたその刹那、一振りの刃が実菜穂の首元を容赦なく襲った。実菜穂は間一髪で頭をそらしてかわしたものの、すかさず強烈な蹴りを腹部に食らい、身を捩らせた。
襲撃者に視線を合わせた実菜穂は、意外な相手に表情をこわばらせた。
そこにいたのは、漆黒の巫女装束を纏った少女だった。そう、河原で出会ったあの『黒い巫女見習い』だった。
黒の少女は、実菜穂が助けたばかりの巫女見習いを踏みつけ、打ちのめした。
「余計なこと、しないで」
冷静とも冷酷ともいえる眼差しで、実菜穂に言い放った。
状況が掴めず、呆然と固まる実菜穂を見ながら叶は、背後で会心の笑みを浮かべた。
「ありがとう、実菜穂ちゃん。私、ずっとこの時を待ってた」
叶は黒の巫女見習いに向かって、弾かれたようにその身を躍らせた。




