奏多叶という巫女(9)
隼斗の手がホルスターへと伸びるが、銃には手をかけていなかった。
操られている一般人が着物の女を隠すように、隼斗を取り囲んでいるのだ。
(このまま念導弾を銃で撃ち抜けば、一撃必殺であの女を仕留めることができる。だが、それは目の前の一般人も撃ち抜いてのことだ。霞の念がこもった代物だ。九ミリ弾でも十人くらいは軽くぶち抜いていてしまう。身体は跡形もなく吹き飛ぶぞ)
隼斗はゆっくりと手を、ホルスターから引っ込めた。
(不思議だな……生き抜くためなら、以前は何の躊躇いもなくぶっ放しているところだ。だけど、霞に会ってから、何だ……? 余計なものを傷つけちゃいけないと思っている俺がいる……)
隼斗は銃を抜き出さずに、ツナギから手を引いた。
(まあ、俺に何の力もないわけじゃない。この『神の眼』があれば、化け物の動きも見極められる。至近距離でぶっ放せば、他の奴は巻き込まない。活路はある)
隼斗は瞳を緑色に輝かせた。
ジリッジリッと周りの操り人間が間合いを詰めてくる。隼斗は、僅かな隙間をかいくぐり、包囲を突破していった。肉体的なリミッターを解除した人間とはいえ、『神の眼』の前では動きがスローに見え、隙をつくのは容易だった。
何重もの人の輪を潜り抜け、隼斗は女の前に身を乗り出した。ツナギの中のホルスターから銃を抜きだそうとしたその時、女が目を細くして笑った。
「無駄ね!」
女の勝ち誇った声と共に、隼斗の足がピタリと止まった。
「何だ! 足が動かない」
隼斗が動かなくなった足元を見ると、いつのまにか黒い紐が足首に巻きついていた。
「ふふふふ、気が付かなかったの? あなたが、人の輪を潜り抜けてる間に、私の黒髪を跨いだのよ。もう逃げられないわ」
うすら笑いを浮かべる女は、隼斗の足を操り、自分の方へと引き寄せていく。その間にも、太腿から腰にかけて徐々に髪の毛が這い上がってきた。
「くっ、体が思うままに動かない……!」
隼斗が女を睨みつけながら、身をよじって抗う。ジリジリと手繰り寄せられる隼斗は、後方に体重をかけて「簡単にはやられない」という強い意志を見せた。
「悪あがきも可愛いわね。『神の眼』を持つ男を連れて行くのも悪うない」
女は不気味なほど口角を吊り上げ、笑っている。その女を見ながら、隼斗もまた不敵な笑みを浮かべた。
「悪いが、俺にも好みがあるんだ。笑っている顔は、可愛い方がいい。お前のは無理だ!」
隼斗は一気に体重を後方にかけると、まるで蛇の脱皮のようにスルリとツナギを脱ぎ捨て、下に着ていた短パンとシャツ姿になった。
(この男、ずっと身を捩っていたのは悪あがきではなく、着物を脱ぐためか!)
怒りに震える女の顔を見ながら、隼斗はホルスターからベレッタ92FSを抜き、狙いを定めた。
トリガーに指をかける。初弾のダブルアクションで指に力を込めた。だが次の瞬間、隼斗は再び動きを止められた。女が、一般人を盾にして割り込ませたのだ。
「くそっ!」
隼斗が静止した隙を逃さず、再び黒髪がその足を絡めようと襲いかかった。すぐさま飛び退いて、弾丸を打ち込める隙を窺うが、女は操り人形と化した一般人を自分の周囲に盾として次々に並べていく。
さらに、数人の人間を隼斗めがけて襲わせた。向かってくる者を最小限の力で払いのける隼斗だったが、その隙をついた黒髪に再び腕を捉えられてしまった。
「てこずらせてくれたわね。まずは、あんたのその眼をいただくわ」
女が隼斗を引き寄せ、鋭い爪が立った手をその右眼にかけようと迫った。
それは一瞬のことだった。
隼斗の『神の眼』にもその影は、はっきりと捉えられた。
一筋の黒い影が、女の目の前を凄まじいスピードで横切る。女には、それが何なのかはっきりとは分かっていないようだった。
パラパラと、無数の髪の毛が床へ散らばっていく。黒い影が、女の髪を切ったのだ。
女の周りを取り囲んでいた一般人は、糸が切れたようにその場に崩れ落ちていく。全員が気を失っていた。
「なっ……何が起こったの……⁉」
女が影の行方を追って、乱れた髪を振り乱す。その頭上から、影の正体が音もなく降り立った。
隼斗の目には、その正体がはっきりと見えていた。
(なっ、なんだ……子供? 女の子……しかも黒い巫女装束……)
そう、隼斗が目にしたのは自分より遥かに背の低い、小学生ほどの少女だった。顔立ちは幼いが、その小さな身体に漆黒の巫女装束をまとっている。少女は着地の勢いそのままに、女の目の前に立ちはだかった。
「お前、巫女か……いや、巫女モドキ」
女が狂ったような叫び声をあげ、残った黒髪を逆立てて少女へと放った。しかし、少女は怯むことなく、素早く懐から御札を取り出すと、向かってくる黒髪をかわしながら、女の胸元へ素早く張り付けた。
御札が触れた瞬間、漆黒の炎が激しく吹き上がる。女はたまらず絶叫し、その場でのたうち回って苦しみ始めた。その刹那、少女は背中に忍ばせていた中刀を引き抜き、一瞬の澱みもない居合の如き軌道で、女の首を一刀両断した。
女は悲鳴を上げる間もなく膝から崩れて落ち、その肉体は御札の放つ漆黒の炎に包まれ、焼き尽くさて消え去った。
周囲の床には。先ほどまで操られていた客たちが深い眠りに落ちて静まり返っている。その静粛の中で、隼斗だけは、はっきりと見た。
少女の見せた横顔から見える黒い瞳には、恐ろしいほどの怒りと深い憎しみに満ちた冷たい光が宿っていた。
(このガキ、なんて目をしてやがるんだ。どれほどの修羅場をくぐったら、あんな目を持つんだ……)
隼斗が銃をホルスターに仕舞い込み、少女の瞳を見つめ返そうとした瞬間、少女はすっと視線をそらした。
隼斗に背中を向けた少女は、まるで影が闇に溶け込むようにその姿を消してしまった。
後には、何事もなかったかのようにゆっくりと意識を取り戻していく客たちの騒めきと喧騒だけが戻り始めていた。




