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奏多叶という巫女(8)

 隼斗《はやと》はいつでも反撃できるように素早く身構えた。とはいえ、あくまで自然に立っている姿勢を保っている。こんな場所で大立ち回りを演じれば目立ってしまい、下手をすれば警察の取り調べを受けることになる。面倒事はなるべく避けたいところだった。


(何なんだこいつ! さっき見た時はただのやばい奴だったのに……今はまるで生気がないじゃないか。それなのに、強烈な殺気だけは渦巻いてやがる)


『神の眼』の力で男を観察していた隼斗は、この異変にいち早く気がついた。


「お前が……僕と絢佳《あやか》の間で邪魔をするんだ!」

「なにも邪魔はしてないけどな。ところで、絢佳って誰のことだい?」


 隼斗は生気のない目のまま笑わない男に対して、とぼけて笑ってみせた。あくまでも絢佳を自分とは無関係な存在として遠ざけ、護るのが目的だった。


(駄目だな……こいつ、俺を殺す気満々だ)


 隼斗が男の粘着したような殺気を感じ取った瞬間、既に男の右腕が目前まで迫っていた。


 すぐさまその腕を脇に抱え込み、隼斗はそのまま自重をかけて男を床に抑えつける体制をとった。


(……いっ⁉)


 腕を取られた男は、倒れるどころか立ったまま右腕一本の腕力で隼斗の身体を持ち上げていく。


「おいおい、マジかよ。そのひょろい体型で、片腕で俺を持ち上げるってのか!」


 次の瞬間、隼斗は押さえつけられた体制のまま、背中から床に激しく叩きつけられた。


「ガハッ……!」


 頭部を直撃することこそ免れたものの、上半身全体に強烈な打撃を受けた。鍛え抜かれた隼斗の身体をも打ち砕かんとする衝撃だった。


(分かったぜ、こいつ正気じゃない! 霞みたいに、肉体の防衛反応のリミッターを解除させてやがるんだ)


 隼斗が床を転がりながら、男から距離を取った。この段階になって、ようやく周囲の客たちもロビーの異様な光景に気付き始めた。幸いにも、周りの目には『不審者が清掃員に理不尽な因縁をつけ、暴力を振るった』ようにしか映っていない。


 すぐさま警備員たちが男を取り囲む。隼斗は背中の痛みに耐えながら、『神の眼』であたりを素早く見渡した。


(あの男の変わりようは、ただ事じゃない。馬鹿力も尋常じゃない。絶対に何か原因がある……⁉)


 隼斗の目に異質なものが映った。男の手足から、細い黒い紐のようなものが伸びている。黒い紐の先を目で追っていった。


「女……!」


 黒い紐を辿った先には、白い着物をまとった女が立っていた。女には表情が無く、まるで能面に黒髪をはやしたような不気味な顔立ちをしていた。その無機質で恐ろしい顔を見た瞬間、背中の痛みも一瞬で吹き飛んだ。


 隼斗は、ゆっくりと立ち上がる。紐のように見えたものは、その女の髪の毛だとようやく理解した。


「ふふふふ……まさか『神の眼』を持つ男がいるとはね。あなたが邪魔さえしなければ、極上の御霊《みたま》を黄泉の世界へ連れ出すことができたのに」


 着物の女は、男へと伸びる自身の黒髪を口に咥え込むと、目もカッと見開いて隼斗を睨みつけた。その表情は、怒りを表す能面『般若』そのものだった。


(極上の御霊? 絢佳のことか⁉ くそっ、こんなところで化け物に出くわすとはな。いっそ念導弾《ねんどうだん》をぶちかませば……って、無理か!)


 念導弾———それは銃の弾丸に巫女の念を封じた特殊な弾薬である。これを使えば、通常の物理攻撃では仕留められない物の怪や悪霊を葬り去ることができる。


 隼斗は、その念導弾を霞に念を封じてもらう形で携帯していた。『ナナガシラ』の事件では、鉄鎖の神の神社の神主・志希名《しきな》から提供されたことがあり、その威力は十分に熟知していた。ただ、念導弾は念を封じ込める巫女の力に大きく依存するらしく、霞が念を込めたものは恐ろしいほどの破壊力を秘めていた。


(間違いねえ。こいつは人じゃねえ。物の怪だ。……となると、あの男を操って仕留め損ねた絢佳の代わりに、俺を始末する気だな。能面女と黄泉の世界までデートなんて、冗談じゃねえ)


 隼斗はツナギの中に忍ばせたホルスターへ密かに手を伸ばした。中には愛用のベレッタ92FSが収まっている。だが、大勢の人が行きかう空港ロビーで銃など抜けば、一瞬でパニックを引き起こし、警察沙汰になることは火を見るより明らかだった。


(ちっ、武器は使えねえか。あいにく、あの女は一般人には見えてねえ。俺が逃げてそれで済めばいいが、放っておけば他の客が犠牲になるだろうな。なんせ『黄泉の世界』などとほざいているんだ。手土産がわりに誰かをやるだろう)


 隼斗は覚悟をして、素手での肉弾戦に挑むため深く構えた。


 ―――ドガッ!


 突如、背後から強烈な衝撃が襲い掛かった。隼斗の身体が、着物の女の方へと突き飛ばされる。


「なんだ?」


 空中で素早く態勢を入れ替え、振り返る。そこには、警備員を殴り倒し、隼斗に飛び蹴りを食らわせたメガネの男が立っていた。男の背後では、何人もの警備員が呻き声をあげて蹲っていた。


(やりやがったな!)


 猛烈に突進してくる男に対し、隼斗も即座に応戦する。掴みかかってくる男をかわして、カウンターの蹴りを叩きこもうとしたその時、隼斗は再び、横合いから突き飛ばされた。


「なんだ?」


 受け身を取って起き上がった隼斗は、自分を取り巻く異常な状況を把握し、ゆっくりと立ち上がった。


 いつの間にか空港内にいた大勢の利用客たちが、隼斗をぐるりと取り囲むように集まってきた。


 その人々の手足には、あの白い着物の女の黒髪がくっきりと絡みついている。まるで糸で操られる巨大な人形劇だった。しかも、操られている一般客全員が、身体のリミッターを解除された尋常ではない筋力を漲らせている。


「参ったなこりゃ。本当にこいつを抜かなきゃいけないか」


 隼斗の頬に冷たい汗が伝い落ちる。その絶体絶命の光景を、着物の女は満足そうに笑みを浮かべて見ていた。

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