奏多叶という巫女(7)
隼斗と絢佳が空港のロビーに立っている。淡いグリーンのツナギは清潔感もあり、雑踏の中でも不自然さを見せずに風景に溶け込んでいた。
「いいか、さっきも言ったように自然に俺の横について歩けよ。俺が指さす方向を眺めて行けばそれでいい。ほら、これ持って」
隼斗は絢佳に折りたたんだ空港のフロア図を手渡した。夜間のフライトとはいえ、空港はまだ大勢の人が行きかっている。
ざっと辺りを隼斗は見渡した。清掃員姿の男が不審物や汚れがないか周りを見渡すのは、他の目から見てもごく自然な動作だ。
(あのジーンズ男……それからスーツ男……団体客……)
隼斗は周囲にいる人物を次々に視界に入れていく。動きや表情に怪しいところがないか、瞬時に判断していくのだ。これは隼斗が戦場や裏の仕事で培ってきた業であり、護衛の任務では絶大な威力を発揮した。
さらにナナガシラの事件の後、シーナの兄である士都乃神から授けられた『神の眼』の力は、索敵の場において思いもよらぬ効果をもたらした。
(驚いたのは、最近になって身についたこの『神の眼』ってやつだ。霞は「巫女になれば誰でも持っている」なんて言ってたが、人のどんな敏捷な動きもスローに見えるし、敵意の有無もすぐに分かる。おまけに、人でないものまで見える……)
ロビーを行きかう人々の中に、ぬいぐるみの熊ほどの大きさの小鬼がテコテコと歩いているのを隼斗は目で追った。当然、普通の人には見えていない。小鬼は、隼斗の視線に気づくと、血相を変えて脱兎のごとく逃げ出してしまった。
(まあ、あいつは人畜無害だ。俺にも大体見分けがついてきた。それより厄介なのは、やっぱり『人』だな。……あいつ、やばいか)
隼斗の視界に入ったのは、一人の青年だった。メガネをかけたその男は、一見すればどこにでもいそうな真面目な学生に見える。
(ほんと、あからさまにオタクオタクしてくれてる方が分かりやすいんだけどね。まあ、面倒を起こさせないのに限る)
隼斗は、絢佳にフロア地図を顔の前に掲げさせると、図を指差しながら語りかけた。こうすることで、新人の清掃員が仕事の研修を受けているように見せかけるのだ。
「いいか、この姿勢のまま、俺が指さす方に顔を向けて歩くんだ。分かるか?」
「うん。隼斗が教える方向に顔を向けて、ついていけばいいんだよね」
「そう。飲み込みが良いな」
隼斗に褒められ、絢佳はゴーグル越しに恥ずかしそうにはにかんで照れていた。その可憐な笑顔は、ゴーグルでは隠し切れない輝きを放っている。
隼斗が絢佳の横に付き、足元の床を指で示しながら歩く。絢佳の顔は自然と下を向く形になる。先輩スタッフから指導を受けている姿にしか見えなかった。
保安ゲート前で待ち合わせをしているマネージャーに絢佳を送り届けるには、どうしてもあの青年の前を通るしかなかった。力技でねじ伏せることは簡単だが、トップアイドルの絢佳を連れている以上、無駄な騒ぎは起こしたくなかった。
二人が青年の脇を静かに通り過ぎて行く。初めは青年もチラリと絢佳を見ていたが、絶妙なタイミングで隼斗が、青年から顔を背ける方向に指を差した。絢佳は素直に従い、顔を背ける。
隼斗は素早く自然な動作で、絢佳の姿を隠すように立ち位置を変えた。
平然と通り過ぎて行く二人を見て、青年も「清掃員」かと興味を失い、視線を外した。
絢佳に不安を与えないよう、隼斗は、保安ゲートの方を指で差した。絢佳の視線の先には、ソワソワした様子で立つ男がいる。マネージャーだ。そのまま、二人は男の前へと歩み寄った。
「確かに、送り届けました」
「ああ、ご苦労様です」
マネージャーもいつものことなので、ほっとしながら隼斗に労いの言葉をかけた。
「ありがとう、隼斗」
「仕事だからな、お互い様だ。気にするな。保安ゲート入ったら、すぐに着替えるんだぞ」
隼斗に肩を叩かれ、絢佳は頬を赤らめた。ファンやカメラマンには絶対に見せない表情だった。
「隼斗……」
絢佳が、フロア地図を少し掲げて「こっちに来て」と合図した。
「なんだ?」
隼斗が首を傾げ、綾香の方に顔を近づけた。綾香は、フロア地図で口元を隠すと、隼斗の耳元で囁いた。
「優衣先輩のことで、一つ気になることがあって……。事務所では極秘なんだけど、優衣先輩のマネージャさん……『狐憑き』だったって……」
すぐ側にいる自分のマネージャーを気にしながら、上目遣いで隼斗の顔を伺う。
「そうか。貴重な情報ありがとう」
「隼斗……私のこと笑わないの?」
絢佳が、不思議そうに目を丸くした。
「笑わねえよ。お前が何の根拠もなく、オカルトを言いやしないだろ。世界を回ってりゃ、そんな不気味な話はいくらでも聞く。まあ、理由はともあれ、あり得る事かもな」
「そっかあ。笑って馬鹿にされるかと思った……」
(こういうところなんだよね。隼斗がすごく優しいのは……)
すっかり安心した絢佳が、愛おしそうに隼斗を見上げた。
隼斗はマネージャーに「早く連れて行け」と目配せをした。絢佳は名残惜しそうにしつつも、マネージャーと共に保安ゲートの奥へと消えていった。
二人を無事に見送り、隼斗はポツリと呟いた。
「既に烏だの鶴だの、果ては魑魅魍魎の類まで見てきてるんだ。今さら狐が出たところで……」
やれやれと胸を撫でおろし、振り返る隼斗の目の前には、先ほどやり過ごしたはずの青年がうつろな目をして立っていた。




