奏多叶という巫女(6)
実菜穂と陽向が叶と対面していたちょうどその頃、一台のバイクが空港に向かって夜の幹線道路を疾走していた。フルフェイスのヘルメットを被ったライダーと、タンデムシートでピタリと背中に寄り添う人物。二人とも淡いグリーンの作業用のツナギを身にまとっている。
「なあ、確かお前の事務所の先輩に『叶夢優衣』っていたよな」
タンデムの人物が着けたヘルメットのインカムから、隼斗の声が響いた。
「なあにぃ? そんな古臭い名前……ああ、いたね。そんな先輩が」
今度は隼斗のヘルメット越しに、濡れるような甘い声が滑り込んできた。一度聴けば誰もが虜になるような、耳心地の良い声色だった。それもそのはず、隼斗の後ろに乗っているのは、今をときめくトップアイドルグループの不動のセンターを務める『西園寺絢佳』だった。
他のメンバーたちは、昼間のうちにコンサート会場のある現地へと移動を終えている。だが、絢佳だけはソロの仕事があったため、夜のフライトで追いかけるスケジュールになっていたのだ。
グループの中でもダントツ人気を誇る絢佳である。当然、ファンの中には常軌を逸した者も少なくない。現地入りする情報をどこからか聞きつけ、ストーカーと化して空港や自宅付近まで押し寄せてくるのだ。隼斗は、そんな彼女の護衛をビジネスとして請け負っていた。今回も、追っ手を撒いて空港まで無事に彼女を送り届けるのが、隼斗の任務だった。
「それで、叶夢優衣がどうかしたの?」
背中からしっかりと抱きついていた絢佳の腕が、隼斗の腹をギュっと締め付け、ツナギ越しに爪を立ててきた。
「いっ……おい、やめろよ。綺麗な爪が折れるぞ! なに、ちょうど俺たちの世代なんだよ。日本を出る前、叶夢優衣の歌をよく聴いていたからな。こっちに戻ってきて姿を見かけないから、ちょっと気になったんだよ」
隼斗が絢佳を優しく宥めるように言葉をかけると、腹に食い込んでいた爪がゆっくりと緩んだ。このあたりの女心の扱いにおいて、隼斗は実に長けている。あくまでもクライアントとの適度な距離を保ち、深入りはさせない。
もっとも、これがもし霞だったら問答無用で絞殺されていたかもしれないと思うと、恐ろしくもあり、どこか妙な高揚感を覚えてしまう自分がいた。
「……そうだよね。私も、優衣先輩に憧れてアイドルになったんだ。キラキラ輝いて、歌が上手くて、誰もがセンターに立つ叶夢優衣に夢中だった。彼女を目指して、やっと同じステージに立てると思った矢先……突然、消えたの」
絢佳が再びツナギに爪を食いこませてきた。だが、今度は安っぽい嫉妬ではなく、当時の悔しさを紛らわすためにやったことだと隼斗は察した。
「だから、爪が痛むぞ……。優衣が消えたって? 失踪か? たしか『体調不良による休業』って発表されたんじゃなかったか?」
「表向きはね……。でも本当は……事件なの。マネージャーさんが殺されたの。犯人は分からないまま。異常な執着を持ったファンの仕業じゃないかって、事務所は考えているみたいだけど」
「優衣は、その現場にいたのか?」
隼斗の問いかけに、絢佳はしばらく沈黙を守っていた。やがて隼斗の背中にヘルメットを押し付けて静かに呟いた。
「うん……唯一の目撃者だったの。ショックのせいなのか、記憶が混乱したみたいに『女の子が……』って叫ぶばかりで、まともに話せる状態じゃなかったみたい。それで、数日後に行方不明になったの。事務所は世間体を気にして『体調不良で休業』ってことで揉み消した……。だから、私も本当は怖くて……」
絢佳が声を震わせ、縋るように抱きついてきた。
「そうか……余計なこと訊いて悪かったな。安心しろ。受けた以上は無事に飛行機に乗せてやるよ」
「ねえ、あっち(ライブの会場)まで送っていってくれないかな?」
絢佳が甘えるような声でお願いをしている。数万人のファンを魅了するトップアイドルが、たった一人の男に全幅の信頼を寄せ、身を委ねようとしているのだ。
「それは契約外だ、無理だな。まあ、心配するな。いざとなったら、いつでも弾除けくらいにはなってやるさ」
隼斗は軽快にアクセルを捻り、空港の駐輪場へと滑り込んだ。
「ほら、これ被れ」
隼斗が絢佳に作業用のキャップとゴーグルを手渡した。ヘルメットを脱いだ絢佳は、軽く首を振って綺麗なセミロングの髪を揺らした。一目見ただけで誰もが思わず振り返ってしまうほど、強烈な存在感と美しい瞳を持つ少女だった。
絢佳は、隼斗から受け取ったキャップを深々と被り、ゴーグルを装着した。これで見た目は完全に空港の清掃スタッフそのものである。
「いいか、俺のすぐ横を歩けよ。人が大勢いて好都合だが、絶対に離れるなよ」
「うん、分かった」
絢佳が隼斗の腕にぴったりと身を寄せた。
「ばか、くっつき過ぎだ。仕事柄、立ち位置くらい分かるだろう」
隼斗は並んで歩く程度の不自然でない距離まで、絢佳の肩をポンと横に押し戻した。少し泣き出しそうな顔になった絢佳を見て、隼斗は心の中で小さな溜息をついた。
「きつく言って、悪かったよ。でもな、勘のいい奴は、そういう不自然な密着から見破るんだよ。絶対に送り届けるから、安心してついてこい」
隼斗が優しく絢佳の手を握って深く頷くと、気を取り直した絢佳も頷いて隼斗の隣へと付き従った。
(おかげで最高の情報が手に入った。街に物の怪が出た日、霞から紹介された女。どこかで見た記憶があったから気になって仕方なかったが、これで間違いない。奏多叶の正体は、もとトップアイドル『叶夢優衣』だ。だが、なぜアイドルが巫女なんかに……)
隼斗は絢佳を庇うように寄り添いながら、雑踏の広がる空港へと足を踏み入れた。




