奏多叶という巫女(3)
実菜穂が霞の横を通り過ぎていく。
実菜穂の視線が背後の叶に固定されていることに、霞もただならぬ違和感を覚えていた。
振り向いた霞の目に入ったのは、叶が静かに微笑んでいる姿であった。その微笑みには、霞自身も思わず見とれてしまうほどの不思議な魅力があった。そして丸メガネの奥に宿る瞳こそ、その根源となる光が放たれていることは確かだった。
(田口実菜穂……この子が水面の神の巫女。分かるわ。陰陽でいえばこれほどの『陰』の力を持つ巫女は見たことがない。この力なら、間違いなく『あいつ』を引き付ける。この子の側にいれば、チャンスは必ず来る。私は、この子と繋がる……)
実菜穂の懐に入り込もうとする叶を、陽向と霞は強く警戒しながらも見守っていた。
実菜穂が吸い寄せられ、まるで叶の胸に抱かれるかのような距離まで近づいた次の瞬間、実菜穂の弾んだ声が静かな境内に響き渡った。
「おおっ、大きい……!」
あまりにも突飛な声と、それと同時に実菜穂が取ったまさかの行動に陽向と霞の張り詰めていた警戒心は跡形もなく吹き飛んだ。二人の視線は、実菜穂に向けられたまま凍りついてしまった。
二人が見たのは、叶の豊かな胸にはっきりと右手を添えている実菜穂の姿だった。しかも、二度、三度と感触を確かめるように撫で回しているのだ。
「ひっ、ヒィ~ッ⁉」
叶が両手で胸を隠しながら、ズザーッと勢いよく身を引いた。大きくズレた丸メガネの奥から覗く瞳は、驚きのあまりメガネのフレーム以上に丸くなっていた。陽向も霞も開いた口が塞がらないままだった。
「やっぱり! 陽向よりおっきいよ!」
実菜穂は自分の両手で胸を覆うようなポーズを作り、叶のバストの圧倒的な存在感を無邪気に表現していた。
「み、実菜穂さん! いったいどうしちゃったんですか?」
霞が実菜穂のあまりにも奇天烈な行為にショックを通り越して、度肝を抜かれていた。出会った時からずっと手本にして尊敬していた実菜穂だけに、とても考えられない行動だった。だが、その実菜穂といえば、掌を丸めて『ふむふむ』と大きさと感触を再現している。
確かに異様といえる実菜穂の行動。そのため、叶は悲鳴を上げて後ろに飛び退いた。一見すれば、不意に胸を触られてパニックになった女性の正常なリアクションに見える。けれど、陽向だけは叶のリアクションに潜む『異様さ』を瞬時に見抜いていた。悲鳴を上げ、狼狽する叶の瞳の奥に見えたのは、恥じらいなどではなく、実菜穂の力に対する『恐れ』の光だった。
(私は、実菜穂の中に飛び込もうとしていた。だけどこの子は、それを止めた。嘘、偽りの全てを見抜く水波野菜乃女神。その妹である水面野菜乃女神にも同じ力があるということ……この子は、どこまで私の企みを見抜いたのか……)
冷たい汗が叶の首筋にたらりと落ちると、スカーフへと吸い寄せられていた。
「ああ、叶さん、ごめんなさい! 細身で目立たないはずなのにどうしても私、気になっちゃって……おかしいなあ。普段ならこんなこと気にするはずないのに、なぜだろう?」
実菜穂が「申し訳ない」とばかりに深々と頭を下げて謝罪する。
「あはは、視線を感じるから隠してたんだけど、バレちゃったかあ」
叶は、すかさずさっきまでの年上の余裕の表情を取り戻すと、明るい笑みを浮かべて見せた。霞も二人のやり取りを見ながら「なーんだ」と胸を撫でおろして、一緒に笑っている。
しかし、陽向は違った。叶の笑顔の裏に、底知れない不気味さと危険な匂いが渦巻いているのを、紅の瞳で見据えていた。




