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巫女の務め(10)

 危機が迫っていることは分かっている。だが、動くことはできなかった。


 今ここで迎撃しようものなら、憑りついた物の怪を祓うことができず、少年の御霊は完全に闇に取り込まれてしまう。かといってこのまま祓《はら》い続ければ、自分は耐えられても、衝撃の余波で少年の命は消えるかもしれない。


 退くことも、進むこともできない。霞《かすみ》は完全に硬直してしまった。


「駄目だ!」


 身を固め、最悪の結末を受け入れながらも少年を庇おうとする霞の脳裏に、突如、凛とした女の声が響いた。


「そのまま動かないで、祓いを続けなさい」


 ――ガァンッ!


 凄まじくも小気味よい、肉体と肉体が激突する打撃音が屋上にさく裂した。


 恐る恐る顔を上げた霞の視線の先には、強烈な衝撃で吹き飛ばされ、屋上に転がる物の怪の姿があった。


 驚いて振り返った霞の瞳に映ったのは、綺麗に横蹴りをお見舞いした右足をピンと美しく伸ばしたまま佇む一人の女の姿だった。


 昼間、カフェで琴美《ことみ》と熾烈《しれつ》な情報戦を演じ、さらに霞の力まで見通していたあのOL姿の女性である。彼女はタイトスーツのスカートから伸びたしなやかな脚を、ゆっくりと下ろした。


「駄目ですよ。背後は私が護りますから、貴女は祓いに集中してください。最初は手間取るでしょうが、すぐに慣れて力加減が分かるようになります」

 

 女が静かに霞を見下ろしている。その瞳にはカフェで見せたような刃めいた鋭い光は無く、代わりにどこかで見たことのある不思議な煌《きら》びやかな光を宿していた。ただ、その整った表情を縁取る優しさの奥には、どうしようもないほどの深い寂しさが滲んでいるように霞は感じられた。


 一瞬、『色』で彼女を見ようと考えたが、それはどこか卑怯な行いのように思えて、霞は首を振って再び祓いに集中した。


「霞ちゃん、大丈夫?」


 心配する声を上げ、ビルの屋上にふわりと舞い降りてきたのは琴美だった。


 霞はチラリと背後の女へ警戒の視線を走らせたが、敵意がないと見るや、瞬時に無防備状態で祓いを続ける霞の横へと滑り込んだ。霞が集中できるよう、死角を埋める環境を作ったのだ。


(なるほど。この子は実に冷静ね。さすが死神の巫女。自ら死界に閉じこもったのは、伊達ではないということか)


 女は感心しながら口元を緩めると、自ら三歩下がって距離を取り、二人を見守った。これ以上、邪魔をする意思がないことを行動で示したのだ。


 信頼できる仲間の盾を得て、霞の風の神気が少年の御霊を覆っていく。


 ついに祓いが成功し、少年の中から物の怪を引きずり出された。


 剥き出しになり、姿を現した物の怪めがけて、琴美の大鎌が容赦なく振り降ろされた。琴美の手元に、御霊が一つ納められた。


(これも同じ……)


 琴美が御霊を懐に仕舞い込んだのと同時に、正気に戻った少年が目を覚ました。少年は起き上がると、見知らぬビルの屋上の状況に、目を白黒させて困惑している。


「君、ちょっと気を失っていたんだよ。さあ、お家に帰ろうね」


 霞は少年を優しく抱き起して、胸で少年の視界を塞ぐと、瞬間移動でビルの中に姿を消した。


 屋上には、琴美とOL姿の女が残された。


 お互いがその不穏な存在を認め合うように、二人は一言も発さないまま、ただじっと見つめ合っている。


 秋の日が幕を閉じるように、つるべ落としの夕日が沈んでいく。


 二人の影を長く伸ばしながら、辺りには、夜の帳が降りようとしていた。

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