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灰銀の戦乙女は、制服を知らない  作者: 最後に残った形


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第6章 第12話:紙細工の男


「鍵は響いた」


 その声は、紙を擦るように薄かった。


 大きな声ではない。


 叫びでもない。


 廊下の向こう、中庭東側の導線上から聞こえたはずなのに、その言葉だけが小講義室の壁をすり抜け、アルト・レインフォードの左手首へ直接触れた。


 鍵。


 響いた。


 その二つの言葉が、銀環の奥で硬くぶつかる。


 左手首が熱を持った。


 強い。


 痛みは中。


 声は、遠くにあったものが一気に近づく。


 ……鳴らすな。


 ……来るな。


 その断片の下に、別の震えが重なる。


 鍵。


 響いた。


 アルトは椅子の縁を握った。


 世界が一瞬、白く狭まる。


 しかし、その白さの中で、リゼ・グレイスの声が切り込んできた。


「現在地」


 短く、鋭く、迷いのない声。


 アルトは息を吸う。


「小講義室」


「名前」


「アルト・レインフォード」


「周囲」


「リゼさん、ミリアさん、カイ、ユリウス先輩、クラウスさん、ロウ先生」


「痛み」


「中」


「熱」


「強」


「声」


「あります。鳴らすな、来るな。あと、今の男の声で……鍵って」


「感情」


「怖い。嫌です」


「良好です。小講義室内待機を継続します」


 リゼは剣に手をかけなかった。


 灰銀の瞳は廊下側を射抜くように鋭くなっている。


 だが、彼女はアルトの正面から離れない。


 ロウ教師が低く言った。


「グレイス、人を下げろ。剣は最後だ」


「了解しました」


 その声と同時に、ユリウス・エインズワースが廊下へ出た。


「警備班、来場者を中庭中央から離せ! 登録証未確認の業者風人物を発見。紙細工には触れるな!」


 廊下の外で足音が走る。


 誘導の声が広がる。


「こちらは通行止めです!」


「展示棟へ向かう方は青い布の案内に沿ってください!」


「走らず、ゆっくり進んでください!」


 学園祭の明るい声が、少しずつ警戒の声に変わっていく。


 だが、悲鳴はまだない。


 大きな混乱もない。


 それは、準備委員会と生徒会がこの数日ずっと導線を作ってきたからだった。


 ミリア・ファルネーゼがアルトの横に立つ。


 その顔には緊張があった。


 だが、声は柔らかい。


「アルトさん、私を見て」


 アルトはミリアを見る。


 金色の髪。


 淡い橙のリボン。


 焦げ茶色の瞳。


 ここにいる。


「今聞こえた男の声と、銀環の声を分けましょう」


 ミリアは言った。


「男の声は外から。銀環の声は内側から。どちらも、あなたへの命令としては扱わない」


 アルトは頷こうとして、左手首の熱に顔をしかめた。


「痛み、中から強。熱強。声、近いです」


 カイ・ロックハートが一歩近づいた。


 近すぎない位置で止まる。


「勝手に鍵にされるな」


 その声は低い。


 怒っている。


 だが、怒りがアルトへ向いているのではないとわかる。


「お前、鍵だけじゃねえって言っただろ」


 アルトは息を呑んだ。


 小さな灯。


 看板係。


 記録係。


 店員。


 友人。


 鍵だけではない。


「はい」


 声が震える。


 だが、出た。


「僕は、鍵だけではありません」


 言葉にした瞬間、銀環の熱がわずかに形を変えた。


 痛みはまだある。


 声もある。


 だが、男の言葉がそのまま内側へ入ってくる感じが少し弱まった。


 リゼが記録する。


「アルトさん、私は鍵だけではありませんと発言。反応、熱強継続、痛み中から強、現在地維持」


 ロウ教師が頷く。


「よし。言葉を上書きしたな」


 廊下の向こうから、また男の声が聞こえた。


「孤独にしなければ、扉は開かない」


 アルトの左手首が強く光った。


 痛みが走る。


 強い。


 声が近い。


 ……友達を、近づけるな。


 今度は、はっきり近づいた。


 アルトは思わず息を止めた。


 友達。


 近づけるな。


 この部屋にいる人たち。


 リゼ。


 ミリア。


 カイ。


 ユリウス。


 みんな危険なのではないか。


 自分のせいで。


 自分が鍵だから。


 自分が響いたから。


 アルトは椅子から立ち上がりかけた。


 離れなければ。


 自分が離れれば。


 その瞬間、リゼの声が鋭く響いた。


「停止」


 命令ではなく、手順の言葉。


 アルトの体が止まる。


「現在地」


「小講義室……」


「立ち上がる理由」


「僕が離れた方が」


「誰から」


「みんなから」


「理由」


「友達を近づけるなって、声が」


 言いながら、胸が苦しくなる。


 ミリアがすぐに言った。


「アルトさん、その声は警告かもしれない。でも、あなたを一人にする方法でしか守れないとは限らないわ」


 カイが声を上げた。


「勝手に孤独になるな!」


 廊下の外の声より大きかった。


 だが、アルトを責める声ではない。


 引き戻す声。


「お前が一人になったら、相手の思う壺だろうが!」


 アルトの足が止まる。


 左手首が熱い。


 痛い。


 でも、カイの声が熱の中へ割って入る。


 孤独にしなければ、扉は開かない。


 男はそう言った。


 なら、自分が一人になれば。


 それは、扉を開く条件になる。


 アルトは震えながら椅子に座り直した。


「僕は」


 声が掠れる。


「僕は、孤独ではありません」


 リゼがすぐに頷いた。


「はい」


 ミリアも言う。


「ええ」


 カイが続ける。


「そうだ」


 ロウ教師が廊下側へ視線を向ける。


「言葉で孤立を誘導している。記録しろ」


 リゼが記録帳を握る。


「男の発言。孤独にしなければ扉は開かない。アルトさん、離脱衝動あり。カイさんの呼びかけにより停止。アルトさん、僕は孤独ではありませんと発言」


 小講義室の外で、セレナ・アイゼンベルグの声がした。


「術式反応があります。紙細工です」


 その声はいつも通り静かだった。


 だが、内容は鋭い。


 ユリウスが応じる。


「紙細工に触れるな! 距離を取れ!」


 カイが扉の方へ一歩出かける。


 リゼが見た。


 カイは止まった。


「行かない」


 自分で言った。


「俺はここ。いや、退避路を見る」


 カイは扉側へ移動した。


 突撃ではない。


 扉の外へ飛び出すのではない。


 アルトたちが小講義室からさらに奥へ退く必要が出た時、道を確保する位置。


 彼はそこに立った。


 リゼが短く言う。


「非常に良好です」


「後ででいいって」


「今記録します」


「今かよ」


 そのやり取りのほんの少しの滑稽さが、アルトの呼吸を戻した。


 外で男の声が続く。


「鍵は、響くべき場所へ戻らなければならない」


 クラウス・ヴァイゼルが低く言った。


「古い白鐘系の言葉を使っている。だが、完全ではない。混ぜ物だ」


 ロウ教師が問う。


「本物か?」


「末端だろう。知識を与えられているが、理解しているとは限らない」


 リゼが記録する。


「実行犯、白鐘系語彙使用。ただし知識不完全の可能性」


 アルトは左手首を押さえた。


 痛みは強。


 熱も強。


 声はある。


 鳴らすな。


 来るな。


 友達を近づけるな。


 その声と、男の声が混じりそうになる。


 混じらせてはいけない。


 男の声は外。


 銀環の声は内側。


 どちらも命令ではない。


「現在地」


 リゼがまた言う。


「小講義室」


「名前」


「アルト・レインフォード」


「役割」


「小さな灯の焼き菓子店の店員。休憩中。友達といます」


「声の扱い」


「命令ではなく情報」


「男の発言の扱い」


「敵の誘導」


「良好です」


 ミリアが少しだけ顔を上げた。


「外の来場者は」


 ユリウスの声が廊下から返る。


「誘導中。中庭東側を空けている。リーナが一般客を遠ざけている」


 窓の外から、リーナ・カルヴェルの声が聞こえた。


「こちらは準備確認中です! 青い布の案内に従って、展示棟側へお願いします!」


 明るい。


 けれど必死だ。


 彼女は祭りの言葉で、人を危険から離している。


 ミリアは息を吸った。


「私も外へ」


「駄目だ」


 ロウ教師が即座に言った。


 ミリアは動きを止める。


「お前はここでアルトの社会的現在地を保て。外はリーナとユリウスがいる」


 ミリアは少しだけ唇を噛んだ。


 それから頷く。


「はい」


 リゼが見た。


「ミリアさん」


「大丈夫。私も、全部持たない」


 ミリアはそう言って、アルトへ微笑んだ。


 その笑みは少し疲れている。


 でも、確かだった。


「今はここにいるわ」


 アルトは頷いた。


「はい」


 廊下の外で、紙が擦れる音がした。


 しゃら、と。


 紙なのに、金属に似た冷たさを持つ音。


 アルトの左手首が反応する。


 痛みが鋭くなる。


「痛み強。熱強。声あり。紙の音で反応しました」


 セレナの声が外から聞こえる。


「紙飾りに微細な白線。測定印と同じ系統です。破裂型の散布術式があります」


 ユリウスが即座に叫ぶ。


「警備班、距離を取れ! 風下を空けろ!」


 男が笑った。


 薄い声。


「鍵が響けば、紙は道を覚える」


 ミリアの表情が硬くなる。


「道を覚える?」


 クラウスが低く言う。


「反応経路を記録する比喩かもしれない」


 アルトの胸が重くなる。


 また、測る。


 また、記録する。


 自分の反応の道を、紙に覚えさせる。


 嫌だ。


 気持ち悪い。


「僕は、測られるためにここにいるんじゃありません」


 アルトは震えながら言った。


 リゼが頷く。


「はい。あなたは測定対象ではありません」


 カイが扉側から言う。


「紙にも何にも、勝手に覚えさせるな」


 ロウ教師が低く命じる。


「アイゼンベルグ、術式を切れるか」


 セレナの声は静かだった。


「完全解除は時間がかかります。散布前に焼き切るなら、今です」


 ユリウスが答える。


「許可する。ただし来場者側へ火を飛ばすな」


「了解」


 直後、廊下の向こうで空気が揺れた。


 魔力が動く感覚。


 セレナの剣は抜かれていないかもしれない。


 しかし、彼女の足元から伸びる精密な魔力が、紙細工の周囲を囲むのが、アルトにも何となくわかった。


 左手首が反応する。


 痛みは強。


 熱は強。


 だが、声は少し遠ざかった。


 敵の術式に対して、別の誰かが動いている。


 一人ではない。


 外で男が低く言う。


「近づけるなと言われたはずだ」


 アルトの心臓が跳ねる。


 友達を近づけるな。


 声が内側で重なる。


 自分のせいで、セレナが危ない。


 ユリウスが。


 リーナが。


 みんなが。


 離れなければ。


 リゼが一歩近づく。


「アルトさん」


 アルトは顔を上げる。


 リゼは剣を抜いていない。


 その手は記録帳を持っている。


 だが、声は鋼のようだった。


「あなたは危険そのものではありません」


 その言葉が、胸の奥に届いた。


「危険を仕掛けている者がいます。あなたが存在することは、周囲が危険にさらされてよい理由ではありません。あなたが孤独になる理由でもありません」


 アルトは震える。


「でも、声が」


「声は情報です。命令ではありません」


「友達を近づけるなって」


「友達を遠ざけて、あなたを孤独にすることが敵の条件です」


 リゼの瞳が真っ直ぐだった。


「私たちは、その条件を成立させません」


 ミリアがアルトの右側で言う。


「守ることと、遠ざけることは同じではないわ」


 カイが言う。


「危ないなら、一緒に下がる。一人で消えるな」


 アルトは左手首を押さえる力を緩めた。


 痛みは強い。


 でも、現在地はある。


「僕は」


 息を吸う。


「僕は、孤独ではありません」


 声は震えていた。


 だが、今度は少し強く言えた。


「僕は、鍵だけではありません」


 左手首の熱が、強いまま一瞬だけ澄んだ。


 声がざらつく。


 鳴らすな。


 来るな。


 友達を——


 その途中で、外の空気が裂けた。


 セレナの声。


「切ります」


 直後、紙細工が破裂した。


 音は大きくなかった。


 破裂というより、乾いた紙束を一斉に裂いたような音。


 しゃあっ、と白い紙片が舞う。


 廊下の向こうから、白いものが流れ込む気配がした。


 リゼが即座に動く。


「扉を閉めます!」


 カイが扉を押さえる。


 ユリウスが外で叫ぶ。


「風下を空けろ! 紙片に触れるな!」


 ミリアがアルトの前へ立ち、視界を遮りすぎない位置で白い紙片が見えないよう身体の角度を変える。


「アルトさん、私を見て」


 アルトはミリアを見る。


 金色。


 淡橙。


 ここ。


 でも、扉の隙間から白い紙片が一枚、床へ滑り込んできた。


 白い。


 薄い。


 そこに、細い線が見えた気がした。


 アルトの左手首が焼けた。


「痛み強。熱強。声——」


 声が来る。


 遠くない。


 すぐ耳元ではないのに、骨の中で響く。


 扉へ来るな。


 その言葉が、はっきり聞こえた。


 アルトは息を呑んだ。


 視界が揺れる。


 扉。


 どこの扉。


 白鐘礼拝堂か。


 銀環室か。


 旧倉庫か。


 それとも、今この小講義室の扉か。


 わからない。


 わからないまま、声が続く。


 扉へ来るな。


 鐘を鳴らすな。


 友達を近づけるな。


 アルトは立ち上がりかけた。


 離れなければ。


 友達を近づけてはいけない。


 扉へ行ってはいけない。


 でも、ここにいたらみんなが——


「現在地!」


 リゼの声が強く響いた。


 アルトの体が止まる。


「小講義室……」


「名前」


「アルト・レインフォード」


「周囲」


「リゼさん、ミリアさん、カイ、ロウ先生、クラウスさん。ユリウス先輩とセレナさんは外」


「声の内容」


「扉へ来るな。鐘を鳴らすな。友達を近づけるな」


「扱い」


 アルトは歯を食いしばった。


 扱い。


 命令ではない。


 情報。


 警告かもしれない。


 でも、自分を孤独にする形では従わない。


「命令ではなく、情報です」


「良好です」


 扉の外で、男の声が低く笑う。


「扉を知っているのか、鍵よ」


 その声に、カイが扉越しに怒鳴った。


「鍵じゃねえ!」


 廊下に響くほどの声。


「アルトだ!」


 アルトの胸が強く震えた。


 左手首の痛みが、一瞬だけ遠のく。


 カイは続ける。


「看板係で、記録係で、俺らの店員だ! 勝手に鍵って呼ぶな!」


 ミリアの目が潤んだ。


 リゼの灰銀の瞳が、冷たい怒りで澄んだ。


 アルトは椅子の縁から手を離した。


 震えている。


 でも、離した。


「僕は」


 声が掠れる。


 それでも言う。


「僕は、鍵だけではありません」


 外の男の声が止まった。


 ほんの一瞬。


 その一瞬を、ユリウスが逃さなかった。


「警備班、前へ! 紙飾りは床へ固定! 実行犯を確保!」


 足音。


 布が擦れる音。


 誰かが低く制止する声。


 男が何かを呟く。


 聞き取れない。


 セレナの声が静かに響く。


「右足の逃げ道、塞ぎます」


 そして、別の声。


 若いが落ち着いた声。


「そこまでです」


 ラウル・ヴァレンシュタインの声だった。


 廊下の向こうで、剣を抜く澄んだ音がした。


 正統派の騎士剣。


 まっすぐな刃が、逃げ道を塞ぐ音。


 男の紙の擦れる音が止まる。


 次に、短いもみ合い。


 警備班の声。


「確保!」


 ユリウスが叫ぶ。


「口元と手元を確認! 術式発動に注意!」


 その直後、男が低く笑った。


「孤独にしなければ、開かぬものを」


 何かが弾ける音。


 小さく、乾いた音。


 そして、男の身体が崩れるような気配。


「意識低下!」


 セレナの声。


「口封じの術式です。紙ではなく、袖口」


 クラウスが即座に外へ出る。


「触るな。封を確認する」


 ロウ教師が扉の内側から低く言った。


「終わっていない。だが、第一波は止まった」


 アルトは左手首を押さえた。


 痛みは強から中へ下がりかけている。


 熱はまだ強い。


 声は残っている。


 扉へ来るな。


 でも、少し遠くなった。


 ミリアが尋ねる。


「現在地は?」


「小講義室」


「名前は?」


「アルト・レインフォード」


「あなたは?」


 アルトは息を吸った。


 喉が痛い。


 でも、言う。


「鍵だけではありません」


 カイが扉からこちらを見た。


「そうだ」


 リゼが頷く。


「良好です」


 ミリアが微笑んだ。


「戻ってきているわ」


 外では、白い紙片が一枚一枚保全されている気配がした。


 触れるな。


 記録しろ。


 風を止めろ。


 人を下げろ。


 そうした声が廊下を行き交う。


 学園祭の明るい声とは違う。


 だが、それもまた、学園を守るための声だった。


 しばらくして、ユリウスが扉の外から声をかけた。


「入っていいか」


 リゼがアルトを見る。


 アルトは頷く。


「はい」


 扉が少し開く。


 ユリウスは中へ入りすぎず、入口で止まった。


 白い制服に、紙片が一つ付いていた。


 彼はそれを自分で触らず、外の警備班に取らせてから報告した。


「実行犯は確保した。ただし、口封じの術式で意識を失っている。紙細工は大部分をセレナさんが焼き切った。残った紙片は保全中。来場者の大きな被害は今のところない」


 アルトは息を吐いた。


 来場者に、大きな被害はない。


 その言葉で、少しだけ熱が下がる。


「痛み中。熱強から中へ少し。声あり、遠いです」


 リゼが確認する。


「声の内容」


「扉へ来るな、が残っています。でも、少し遠いです」


 ユリウスは頷いた。


「もう一つ、共有がある。負荷が高いかもしれない」


 アルトは怖くなった。


 だが、自分のことだ。


「聞きます」


「実行犯の袖口から、封印片が見つかった。古い王宮式に似ている」


 王宮式。


 その言葉で、左手首がまた熱を持つ。


 痛みは中。


 声は遠いが、揺れた。


 リゼが即座に言う。


「現在地」


「小講義室」


「周囲」


「リゼさん、ミリアさん、カイ、ロウ先生、ユリウス先輩」


「感情」


「怖いです。でも、聞きました」


 ユリウスはそれ以上言わなかった。


「詳細は後でいい。今は、ここまで」


 ロウ教師が頷く。


「十分だ」


 カイが低く言う。


「王宮式って、またかよ」


 ミリアが静かに答える。


「今は断定しない。でも、記録する」


 リゼが記録帳を開いた。


 手は少しだけ震えていた。


 それでも、文字は崩れなかった。


 紙細工の男、確保。


 北白蔦紙装商会を名乗る。登録証なし。


 発言、鍵は響いた。孤独にしなければ扉は開かない。


 紙細工に術式反応。白紙片散布。


 アルトさん、声あり。内容、扉へ来るな、鐘を鳴らすな、友達を近づけるな。


 アルトさん、鍵だけではありませんと発言。


 カイさん、鍵じゃねえ、アルトだと発言。


 実行犯、口封じ術式により意識喪失。


 袖口より古い王宮式に似た封印片。


 アルトはその記録を見ていなかった。


 だが、リゼが書いていることはわかった。


 記録は怖いものではない。


 記録は奪うものではない。


 今ここにあったことを、誰かに勝手に書き換えられないように残すものだ。


 アルトは左手首に触れた。


 痛みは中から少し下がる。


 熱は中。


 声は遠い。


 扉へ来るな。


 まだある。


 だが、その上に、別の言葉が乗っている。


 鍵じゃねえ。


 アルトだ。


 アルトは小さく息を吸った。


「僕は、アルトです」


 誰に向けて言ったのか、自分でもわからなかった。


 けれど、リゼが頷いた。


「はい」


 ミリアも頷く。


「ええ」


 カイが扉に背を預けたまま言った。


「知ってる」


 その言い方があまりに普通で、アルトは少しだけ笑った。


 小講義室の外では、白い紙片がまだ舞い残っている。


 鐘は止められた。


 紙細工の男は倒れた。


 でも、扉という言葉と、王宮式の封印片が、次の不安として残っている。


 それでも今、アルトはここにいた。


 小さな灯の焼き菓子店の近く。


 友達の声が届く場所に。


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