第6章 第11話:白い小鐘
白い小鐘飾り。
その言葉が小講義室の空気に落ちた瞬間、アルト・レインフォードの左手首は熱を帯びた。
痛みは中より少し下。
熱は強に近い。
声はある。
だが、遠い。
鳴らすな。
来るな。
その断片は、深い水の底から泡のように浮かび上がってくる。
はっきり聞こえるわけではない。
それでも、そこにあるとわかる。
アルトは椅子に座ったまま、左手首を押さえていた。
布の下の銀環が、まだわずかに光っている。
小講義室の外では学園祭が続いている。
ただ、その音はさっきまでとは違っていた。
鈴の音が消えている。
舞台袖の金属小道具も止められた。
出店に吊るされていた鐘形の飾りが外され、紙と布の飾りへ差し替えられている。
金属の軽い音が一つずつ消えた中庭は、同じ賑わいのはずなのに、少し輪郭が変わっていた。
声は残っている。
人の足音も残っている。
焼き菓子の甘い匂いも、扉の隙間からかすかに届く。
けれど、音の中から小さな金属のきらめきだけが抜き取られていた。
それが、今はありがたかった。
「現在地」
リゼ・グレイスが確認する。
その声は、さっきから何度も繰り返されている。
けれど、アルトにはその繰り返しが必要だった。
「小講義室。小さな灯の焼き菓子店の近く」
「名前」
「アルト・レインフォード」
「周囲」
「リゼさん、ミリアさん、カイ、ユリウス先輩、クラウスさん」
「痛み」
「中より少し弱い」
「熱」
「強に近いです」
「声」
「あります。でも遠いです」
「内容」
「鳴らすな。来るな。はっきりではありません」
「感情」
「怖いです。でも、ここにいます」
「良好です」
リゼは記録帳に書く。
灰銀の髪が肩口でわずかに揺れた。
彼女は椅子に座るアルトの真正面ではなく、少し左に立っている。
アルトの視界を塞がない位置。
扉も見える位置。
必要ならすぐ動ける位置。
それでも、彼女は剣に手を置いていなかった。
ミリア・ファルネーゼはアルトの右側にいる。
水の入った杯と、布に包まれた小さな焼き菓子の欠けを机の端に置いている。
押しつけない。
手渡しもしない。
アルトが自分で取れる場所に置く。
その距離の取り方が、今はとても助かる。
カイ・ロックハートは扉近くの壁際に立っていた。
小さな灯の焼き菓子店が気になるのだろう。
何度か外を見たい顔をして、それでもアルトの方へ戻ってくる。
店を見たい。
でも、今はここにいる。
その迷いごと、彼はここに立っていた。
ユリウス・エインズワースは廊下側から連絡を受け、必要なものだけを室内へ持ち込んでいる。
クラウス・ヴァイゼルは少し離れた場所に立ち、腕を組まず、手を見せたまま待機していた。
現物は持っていない。
白い小鐘飾りも、黒変した紙片の残滓も、ここにはない。
それだけで、アルトの呼吸は少しだけ保たれていた。
廊下の外で、連絡員の声がもう一度響いた。
「鐘楼裏の小鐘飾り、旧倉庫の記録にない白鐘飾りと形状一致! ロウ先生が現物保全を継続中です!」
アルトの左手首が熱くなる。
声がわずかに近づく。
……鳴らすな。
しかし、すぐにカイの声が重なった。
「こっちの声聞いとけ」
ぶっきらぼうで、短い。
だが、その言葉は強かった。
アルトはカイを見る。
カイは真剣な顔でこちらを見ていた。
「白い何とかの声より、今は俺らの声だ」
「はい」
アルトは頷く。
左手首の熱は強い。
けれど、声の輪郭は少し遠ざかった。
リゼが記録する。
「カイさん発言により、声への集中低下。安定補助あり」
「それ、書くのか」
カイが少しだけ顔をしかめる。
「書きます。非常に有効です」
「じゃあ書け」
「はい」
ミリアが小さく笑った。
ほんのわずかな笑いだったが、その音で小講義室の空気が少しだけ戻る。
ユリウスが室内に戻ってきた。
手には記録板がある。
だが、アルトからは見えない角度にしている。
「共有していいか」
彼はまず尋ねた。
アルトは左手首を押さえたまま、頷く。
「はい。現物の絵や詳しい形は見せないでください」
「もちろん」
ユリウスは記録板を伏せた。
「鐘楼裏で発見された白い小鐘状の飾りは、旧倉庫に保管されていた未登録の白鐘飾りと形状が一致した。第5章の準備期間中、旧倉庫で確認された古い飾り群の中に、記録にないものが一つ残っていた可能性がある」
アルトは息を吸った。
第5章。
旧倉庫。
白い鐘飾り。
昨夜の銀環の淡い光。
あれは、夢ではなかったのかもしれない。
「痛み中。熱強。声遠い。旧倉庫という言葉で反応しています」
リゼが即座に確認する。
「現在地」
「小講義室」
「周囲」
「リゼさん、ミリアさん、カイ、ユリウス先輩、クラウスさん」
「感情」
「怖いです。昨日の夜の光と繋がった気がします」
「良好です」
ユリウスは続ける。
「旧倉庫側では、立入禁止札の裏返りと記録不一致があった。つまり、誰かが旧倉庫周辺の管理記録へ入り込み、未登録の白鐘飾りを鐘楼裏へ移動させた可能性がある」
ミリアが静かに言った。
「記録の中に入り込み、物を移動させ、鐘楼で鳴らした」
「その可能性が高い」
カイが低く唸る。
「祭りの中で、そんなことしてたのかよ」
リゼが記録する。
「推定経路。旧倉庫未登録品、鐘楼裏へ移動。記録偽装により確認手順を通過した可能性」
アルトの左手首がまた熱を帯びる。
鳴らすな。
声が近づく。
アルトはすぐに言った。
「声が少し近いです」
リゼが反応する。
「現在地」
「小講義室」
「名前」
「アルト・レインフォード」
「役割」
「小さな灯の焼き菓子店の店員。今は休憩中」
「声の内容」
「鳴らすな。来るな」
「命令として処理しますか」
「しません。情報として記録します」
「良好です」
ミリアが机の上の杯を少しだけ近づける。
「飲める?」
「はい」
アルトは右手で杯を取った。
手は少し震えたが、水はこぼさなかった。
冷たさが喉を通る。
左手首の熱と、水の冷たさが分かれる。
アルトは息を吐いた。
「痛み少し下がりました。熱は強。声は遠いです」
「良好です」
クラウスが静かに口を開いた。
「私から補足する。必要最低限に留める」
アルトは頷く。
「はい」
「小鐘飾りは、人に聞かせるための音具ではない。通常の祭具を改造したか、祭具に似せた術具だ。音量は小さい。だが、内側に貼りついていた黒変紙片の残滓が、特定の反応を持つ者へ届かせる役割を果たしている可能性がある」
アルトは左手首を押さえる。
「痛み中。熱強。声遠い」
リゼがすぐに問う。
「中止しますか」
「まだ聞けます」
クラウスは一拍置いて続けた。
「黒い札そのものではない。以前見た強制共鳴札とは違う。だが、思想は似ている。名前、記憶、音、場所、感情。それらを結び、銀環の反応を誘導する」
ミリアが顔を伏せる。
「測定印で反応を見て、小鐘で音を届かせた」
「可能性としては高い」
クラウスは苦く言った。
「ただし、今は断定しない。現物解析が必要だ」
カイが言う。
「断定しなくても、やったことは最悪だろ」
「その評価は間違っていない」
クラウスは答えた。
その声には、王宮側の冷たさではなく、個人としての嫌悪があった。
アルトは少しだけクラウスを見る。
この人は、かつて自分を王宮へ移そうとした。
でも今は、小鐘を止める側にいる。
王宮という言葉の中にも、一枚ではないものがある。
それは安心ではない。
しかし、全部を同じにしないためには必要な確認だった。
「現物は」
アルトは慎重に聞いた。
「僕は、見ない方がいいですか」
リゼが即座に言う前に、クラウスが答えた。
「見ない方がいい」
その言い方ははっきりしていた。
「少なくとも今は。声が残っている状態で視覚刺激を加える必要はない」
アルトは少しだけ息を吐いた。
「見ません」
リゼが頷く。
「本人意思、現物視認拒否。良好です」
ミリアも言う。
「見ない判断も、大事な選択よ」
「はい」
外から、また別の音が聞こえた。
人々を誘導する声だ。
リーナ・カルヴェル準備委員長の声だった。
「鐘形装飾のある区域は一時確認中です! 展示棟へ向かう方は、青い布の案内に沿ってお進みください!」
明るさを保とうとする声。
でも、緊張も混じっている。
学園祭を止めないために、彼女も走っているのだろう。
ミリアが窓の方を見る。
「中庭は、どうなっていますか」
ユリウスが答える。
「大きな混乱はない。ただ、一部区域を閉鎖したことで来場者導線が変わっている。出店区域は縮小運営。鐘楼と旧倉庫側は完全に立入制限。舞台は金属小道具のない演目のみ継続予定」
「正門は」
「閉鎖はしていない。いま閉じると外へ出る人と中に残る人で混乱する。入場は一時制限へ切り替えた」
リゼが記録する。
「学園祭運営状況。鐘楼、旧倉庫、舞台裏一部閉鎖。出店区域縮小。金属音源撤去。正門入場制限」
カイが小さく言う。
「店は?」
全員が一瞬、カイを見る。
カイは少しだけ視線を落とした。
「いや、今すぐ開けるって意味じゃなくて。小さな灯は、今どうなってるかって」
ユリウスが答える。
「一時休止中。警備補助とリリアさんが周辺を見ている。S-四は触れられていない。焼き菓子の籠もそのまま。看板も無事だ」
アルトの左手首の熱が、少しだけ変わった。
痛みではない。
安心に近い反応。
「痛み中から少し下がっています。熱強から中へ少し。声遠い。店が無事と聞いて、安心しました」
リゼが記録する。
「小さな灯の状態共有により安定補助」
カイが息を吐いた。
「よかった」
ミリアも小さく頷く。
「看板も無事なのね」
「うん」
ユリウスは少しだけ表情を和らげた。
「看板裏の文言も、そのままだ」
戻ってこい。
アルトはその言葉を口には出さなかった。
でも、胸の中で読んだ。
戻ってこい。
まだ、戻る場所はある。
そこへ今すぐ戻れるかはわからない。
でも、消えてはいない。
その時、廊下の向こうから声が聞こえた。
冷えた礼儀を持った声。
「学園長、これ以上の継続は危険です。保護対象を王宮管理下へ移すべきでしょう」
オルド・ハイマンの声だった。
アルトの左手首が強く熱を持つ。
痛みが少し戻る。
声も近づきかける。
「痛み中。熱強。声遠いけど、近づきそうです。オルド監察官の声が聞こえました」
リゼがすぐに言う。
「扉を閉めます」
扉は閉まっていたが、リゼはさらに隙間を確認し、廊下側の会話が入りにくいよう位置を調整した。
ユリウスの顔が険しくなる。
「僕が対応する」
「待って」
ミリアが静かに言った。
ユリウスが振り向く。
ミリアはアルトを見た。
「今、廊下の会話は負荷が高いわ。アルトさんをここに置いたまま、王宮移送の話を近くで続けるのは避けるべきです」
リゼも頷く。
「同意します。廊下側会話の移動を要請してください」
ユリウスはすぐに頷いた。
「わかった」
彼は扉を開け、廊下へ出る。
外の声は少しだけ聞こえた。
「監察官殿、この場所はアルト君の休憩室に近すぎます。協議は学園長室、または生徒会室でお願いします」
オルドの声が低く返る。
「危険の中心を離れて協議する余裕がありますか」
ユリウスの声は冷静だった。
「本人の身体反応を悪化させる場所で協議することは、危険管理ではありません」
少し間があった。
学園長の声が入る。
「ユリウスの言う通りだ。協議場所を移す。監察官殿、こちらへ」
足音が遠ざかる。
アルトは長く息を吐いた。
「痛み少し下がりました。熱中から強の間。声遠い」
ミリアが頷く。
「良かった」
カイが小さく悪態をつく。
「店にまで来て、今度は廊下でそれかよ」
リゼが静かに言う。
「オルド監察官は、今回の異常を王宮移送の根拠として利用する可能性があります」
クラウスが苦い顔をした。
「その可能性は高い」
カイが睨む。
「クラウスさんも王宮の人だろ」
「そうだ」
クラウスは否定しなかった。
「だからこそ言う。王宮へ移せば安全、とは限らない。今回の術式は、王宮式の知識や旧王家系統の知識と無関係ではない可能性がある。まだ断定できないが、王宮の管理下に置くことが、必ずしも危険を減らすとは言えない」
リゼが記録する。
「クラウス卿見解。王宮管理下移送による安全性、未保証」
ミリアが静かに言った。
「その言葉は、記録に残すべきですね」
「残してくれ」
クラウスは頷いた。
アルトは左手首を押さえながら、クラウスを見た。
「王宮の中にも、知っている人がいるかもしれないんですか」
クラウスは慎重に答えた。
「可能性はある。あるいは、王宮の古い記録に触れた者。旧王家系の封印知識を持つ者。白鐘系の記録を利用できる者。いずれにせよ、単純に学園の外から来た商人だけの仕業とは言い切れない」
「北白蔦紙装商会」
ミリアが呟く。
「紹介状の偽装。透かし。記録改ざん。小鐘飾り。黒変紙片。測定印。王宮監察官の来訪」
並べると、息苦しくなる。
アルトの熱もまた少し上がる。
ミリアはすぐに言葉を変えた。
「ごめんなさい。整理は必要だけれど、今ここで全部を並べるには負荷が高いわね」
「いえ」
アルトは首を横に振った。
「少し怖いです。でも、わからないままよりは、少しずつ聞きたいです」
リゼが記録する。
「本人、段階的情報共有希望」
カイが言う。
「じゃあ、少しずつだ。まとめて殴られるみたいに聞かなくていい」
「はい」
アルトは頷いた。
その時、扉がまた叩かれた。
今度は落ち着いた重いノック。
「ロウだ」
リゼが扉を開ける。
ロウ教師が入ってきた。
黒い外套に、鐘楼側の埃が少しついている。
彼はまずアルトの顔を見た。
「状態」
リゼが答えるより先に、アルトは自分で言った。
「痛み少し。熱中から強の間。声あり。でも遠いです。内容は、鳴らすな、来るな。現在地は小講義室。小さな灯の焼き菓子店の近くです」
ロウ教師は短く頷いた。
「言えているな」
「はい」
「よし」
それだけで、少し安心した。
ロウ教師は室内の全員を見る。
「現物を見せるつもりはない。要点だけ言う。白い小鐘は、旧倉庫の未記録品と一致した。誰かが移動させた。大鐘ではない。銀環へ届くように調整されていた。以上だ」
短い。
必要な情報だけ。
アルトにはその短さがありがたかった。
ロウ教師は続ける。
「アルト。声は命令ではない。少なくとも、今は命令として扱うな」
「はい」
「鳴らすな、というなら、鳴らすなと言っている理由がある。だが、それを聞いたお前が一人で背負う理由はない」
アルトの胸が少し熱くなる。
「はい」
「来るな、というなら、どこへ来るななのか、誰に来るななのか、なぜ来るななのかを分けろ。言葉を丸呑みするな」
「分ける」
「そうだ。音、場所、人、意図。分けろ。分けられないなら、今は記録だけにしろ」
リゼが頷く。
「記録します」
ロウ教師はリゼを見た。
「しすぎるな。今は本人を戻す方が先だ」
「了解しました」
リゼが少しだけ記録帳を下げる。
ロウ教師はカイを見る。
「ロックハート」
「はい」
「お前は店を気にしすぎて、戻る場所ごと背負おうとするな」
カイが少し顔を上げる。
「でも」
「店は大事だ。だからこそ一人で守るな。見張りも記録も生徒会も使え」
「……はい」
「焼き菓子は武器じゃない。だが、戻るための道具にはなる。使い方を間違えるな」
カイは唇を引き結んでから頷いた。
「はい」
次にロウ教師はミリアを見る。
「ファルネーゼ」
「はい」
「お前は場を整えられる。だからこそ、整えるために自分の疲労を隠すな」
ミリアが一瞬、言葉を失った。
それから静かに頷く。
「はい」
最後に、ロウ教師はリゼを見る。
「グレイス」
「はい」
「行きたいか」
リゼは沈黙した。
小講義室の空気が止まる。
鐘楼へ。
旧倉庫へ。
白い小鐘のある場所へ。
原因へ。
敵へ。
リゼは行きたい。
誰もがわかっていた。
リゼはゆっくり答えた。
「はい」
「なら、なぜここにいる」
「現在の主担当が出店班およびアルトさんの状態確認だからです」
「違う」
ロウ教師の声は厳しかった。
リゼの瞳がわずかに揺れる。
ロウ教師は言った。
「お前がここにいたいと選んだからだ。役割だけに逃げるな」
リゼは息を止めた。
アルトも、ミリアも、カイも黙る。
ロウ教師の声は低い。
「役割は理由になる。だが、お前自身の意思も理由にしろ。そうでなければ、また誰かに役割を変えられた時、お前は持っていかれる」
リゼの手が、記録帳の端を押さえる。
強く。
それから、力を抜いた。
「私は」
リゼは静かに言った。
「ここにいたいです」
アルトの左手首が淡く温かくなる。
痛みが少し下がった。
声が遠ざかる。
「私は、アルトさんの状態確認のためだけではなく、小さな灯の焼き菓子店の一員として、ここにいたいです」
ロウ教師は頷いた。
「それでいい」
カイが小さく笑った。
「リゼも言えたな」
リゼは少しだけカイを見る。
「はい」
ミリアの目が柔らかく細まる。
アルトは左手首を押さえたまま言った。
「痛み少し。熱中。声遠い。リゼさんがここにいたいと言って、少し安心しました」
リゼは一瞬だけ目を伏せ、それから記録帳に書いた。
リゼ、ここにいたいと発言。
カイが覗こうとして、リゼに視線で止められる。
「見てない」
「良好です」
その時、廊下の遠くから、再び人のざわめきが大きくなった。
学園祭の声とは違う。
誘導の声。
制止の声。
誰かが「通行止めです」と言っている。
ユリウスが扉へ向かう。
外の連絡員が駆けてきた。
「中庭東側、休憩所へ向かう導線上に、不審な業者風の人物を確認! 紙細工の飾りを所持! 登録証の提示を求めていますが、北白蔦紙装商会を名乗っています!」
空気が一瞬で張り詰めた。
アルトの左手首が熱くなる。
痛みは中へ上がる。
声は、また少し近づく。
北白蔦紙装商会。
紙細工の飾り。
登録証。
中庭東側。
休憩所への導線。
ここへ近い。
カイが歯を食いしばる。
ミリアの表情が硬くなる。
リゼの灰銀の瞳が冷えた。
ロウ教師が低く言う。
「グレイス、剣を抜くな。まず人を下げろ」
「了解しました」
ユリウスが即座に指示を出す。
「警備班を回せ。来場者を離す。登録証確認は教師立会い。セレナさんに術式確認を依頼。紙細工には触れるな」
アルトは椅子の縁を握る。
左手首が熱い。
でも、現在地は言える。
「小講義室」
自分から言った。
「小さな灯の焼き菓子店の近く。リゼさん、ミリアさん、カイ、ユリウス先輩、クラウスさん、ロウ先生がいます。声はあります。でも、命令ではありません」
リゼが頷く。
「良好です」
しかし、廊下の向こうから、知らない男の声がかすかに聞こえた。
低く、薄く、紙を擦るような声。
「鍵は響いた」
アルトの銀環が、強く光った。




