第5章 第12話:二重封の木箱
翌朝、カイ・ロックハートは木箱を見ていた。
正確には、木箱の絵を見ていた。
紙の上に大きく描かれた四角い箱。上に「小さな灯」と書かれ、側面には丸い炎の印。その横には、番号欄、受領者欄、確認者欄、開封日時欄まである。
カイの字で書かれたそれは、少し斜めだったが、意図は明確だった。
小さな灯の焼き菓子店専用物資箱。
アルト・レインフォードは、中庭のベンチに座ってその紙を見つめた。
「すごいね」
「だろ」
カイは少し得意げに頷いた。
「昨日の夜、考えた。包装紙が混ざるなら、箱からわかるようにする。小さな灯の印。番号。誰が受け取ったか。誰が開けたか。いつ開けたか」
「かなりしっかりしています」
リゼ・グレイスが紙を確認しながら言った。
「ただし、箱の管理は出店班単独ではなく、準備委員会の物資番号と併用する必要があります」
「わかってる。だからここ」
カイは紙の端を指差した。
準備委員会番号。
そこだけ、少し字が小さい。
ミリア・ファルネーゼが微笑んだ。
「カイさん、昨日の照合会からずっと考えていたのね」
「考えるだろ」
カイは少し眉を寄せた。
「記録にない紙が入ってたんだぞ。なら、記録にある箱を作る」
その言葉に、アルトの左手首が淡く温かくなった。
痛みはない。
声もない。
記録にある箱。
自分たちの印。
誰かが記録の外から入れてきたものに対して、記録の中へ置き直す。
それは、昨日アルトが夜に書いたことと近かった。
「痛みなし。熱、少し。声なし。現在地は、学園中庭。朝。リゼさん、ミリアさん、カイと、小さな灯の物資箱案を見ています」
リゼが尋ねる。
「感情は」
「少し安心しています。箱にも印を付けると、僕たちのものだとわかるから」
「良好です」
カイは紙を見ながら続けた。
「木箱は準備委員会から借りられるんだよな?」
ミリアが頷く。
「ええ。物資管理班に申請すれば、出店ごとに小さな箱を貸してもらえるはずよ」
「じゃあ今日聞く」
「放課後、物資置き場で再確認があるわ。昨日の混入を受けて、全出店班の物資箱を見直すそうだから」
ミリアは準備委員会からの連絡紙を取り出した。
物資管理再確認
本日放課後 旧倉庫横仮置き場
対象:物資管理班、出店班代表、準備委員会、警備補助班
内容:物資箱、包装材、装飾品、紙材の再点検
旧倉庫横仮置き場。
その文字を見て、アルトの左手首が少し熱を持つ。
旧倉庫。
白い鐘飾り。
蔦模様の紙片。
触れず、鳴らさず、記録して離れた場所。
今日はその近くの仮置き場へ行く。
「痛みなし。熱、中より少し弱い。声なし」
アルトは自分で言った。
ミリアがすぐに聞く。
「現在地は」
「学園中庭。朝。連絡紙に旧倉庫横仮置き場と書いてあります」
「感情は」
「緊張しています。旧倉庫の近くだから。でも、仮置き場の確認で、旧倉庫の中には入らないとわかっています」
リゼが頷く。
「本日の確認範囲は、旧倉庫横仮置き場まで。旧倉庫内部には入りません。中止条件は昨日までと同様です」
「はい」
カイが即座に言った。
「触らない。勝手に開けない。二重に変なことがあっても突撃しない」
リゼが少しだけ眉を動かす。
「二重に変なこと、とは」
「いや、何となく」
カイは少し気まずそうに紙を見た。
「箱とか、封とか。そういうの」
リゼは一拍置いて頷いた。
「有効な警戒です」
「そうなのか」
「はい。包装紙混入が発生した以上、箱や封の確認も必要です」
カイは少し驚いた後、真剣に頷いた。
「じゃあ見る」
「ただし、触る前に報告です」
「わかってる」
午前の授業で、ロウ教師は黒板に「封と信頼」と書いた。
生徒たちの間に、少しざわめきが走る。
学園祭準備に関わる授業が続いているせいで、教室全体がどこか自分たちのこととして聞くようになっていた。
ロウ教師は淡々と話し始めた。
「封とは、中身を守るためのものだ」
アルトはペンを取った。
「箱に封をする。手紙に封をする。扉に封をする。封は、開けていないことを示す印であり、開ける時には責任が生じることを知らせる印でもある」
リゼのペンが静かに動く。
カイも真剣にノートを取っている。
「しかし、封があるから安全とは限らない。偽の封もある。二重の封もある。外側の封で安心させ、中に別の意図を隠すこともある」
二重の封。
アルトの左手首が少し熱くなる。
痛みはない。
声もない。
今朝カイが言った言葉が、黒板の前で形を持ったようだった。
「封を見る時は、壊す前に確認しなさい。誰が封をしたか。いつ封じたか。封の上に別の封が重なっていないか。開ける権限は誰にあるか」
アルトはノートに書いた。
誰が封をしたか。
いつ封じたか。
別の封が重なっていないか。
開ける権限。
ロウ教師は続ける。
「開けたいと思う時ほど、開けるな。怒りで封を破れば、証拠も責任も壊れる。怖いから開けない、だけでも足りない。開けるなら、立会人を置き、記録を残し、開ける理由を明確にしなさい」
カイが少しだけ肩を縮めた。
リゼが横目で見る。
カイは小さく頷いた。
わかっている、という合図だった。
ロウ教師の声は低く、教室に落ちる。
「封は、信頼の印にもなる。正しく封じ、正しく開けることは、相手を疑うためだけではない。自分たちの物を、自分たちの物として扱うための手順だ」
自分たちの物を、自分たちの物として扱う。
小さな灯の物資箱。
アルトはその言葉をノートに強く書いた。
昼休み、四人は中庭で小さな灯の物資箱について相談した。
ミリアが申請書の下書きを広げる。
「出店物資箱を一つ申請。用途は包装紙、成分表示札、看板用小物、当日販売用小物の保管」
リゼが補足する。
「食材は衛生管理上、別管理です。焼き菓子本体および材料は調理担当教師の管理下」
「焼き菓子は別箱か」
カイが言う。
「はい。食品と紙材を同じ箱に入れない方が良いです」
「わかった」
アルトは自分の紙に小さな灯の印を描いた。
「この印を箱に付けるんですよね」
「ええ」
ミリアが頷く。
「でも、偽造防止を考えるなら、印だけでは足りないわ。アルトさんの字で番号、リゼさんの記録番号、カイさんの受領印、私の飾り印。四つを合わせるのはどうかしら」
カイが首を傾げる。
「飾り印って何だ?」
「小さなリボンの結び方を決めるの。同じ色でも、結び方を変えればわかるでしょう?」
リゼが頷く。
「有効です。物理的封印として機能する可能性があります」
「リボンが封になるのか」
カイが感心したように言う。
「なるわ」
ミリアは少し得意そうに微笑んだ。
「社交でも、贈り物の結び方で誰が包んだか分かることがあるのよ」
「社交って本当に怖いな」
「便利と言ってほしいわね」
アルトは少し笑った。
左手首は穏やかだ。
自分たちの印、自分たちの番号、自分たちの結び方。
それらを合わせると、ただの箱が少しずつ自分たちの物になる。
リゼが確認する。
「本日の仮置き場確認では、小さな灯の物資箱申請と、紙材保管位置の確認を行います。旧倉庫内部には接近しません」
「はい」
アルトは頷いた。
カイが焼き菓子を出す。
「物資箱申請前用」
ミリアが笑う。
「今日はちゃんと箱に入れる前の焼き菓子ね」
「食べる用だからな」
リゼが真面目に言う。
「食品保管基準としては、現在の布包みは短時間の携帯用です。販売用とは別です」
「今食うから問題ない」
「はい。問題ありません」
カイは満足そうに焼き菓子を配った。
放課後、旧倉庫横仮置き場には、すでに多くの木箱が並べられていた。
昨日まで物資管理班が使っていた保管場所の一部を移し、旧倉庫の外側に仮設の管理台が置かれている。
旧倉庫の扉は閉じられていた。
鍵もかかっている。
その前には立入禁止の札があり、生徒会の白い制服を着た上級生が立っていた。
アルトはそこへ近づきながら、左手首に触れた。
「痛みなし。熱、中。声なし。現在地は旧倉庫横仮置き場。放課後。リゼさん、ミリアさん、カイと物資管理再確認に来ています。旧倉庫の扉は閉じています」
ミリアがすぐに聞く。
「感情は」
「緊張。旧倉庫の近くだから。でも、今日は中には入りません」
リゼが頷く。
「良好です」
ユリウスとエレオノーラが管理台の前にいた。
リーナ準備委員長もいる。
物資管理班の生徒たちは、箱の番号を確認しながら記録を取っていた。
エレオノーラが四人に気づき、軽く頷く。
「小さな灯の焼き菓子店ですね。物資箱申請を受け付けます」
ミリアが申請書を出す。
「包装紙、成分表示札、看板小物用の物資箱を一つ希望します。食品は別管理です」
エレオノーラは申請書を確認する。
「出店独自印、番号、受領印、リボン封。詳細も記載されていますね」
リーナが覗き込んで微笑んだ。
「いいね。小さな灯らしい」
カイが少し胸を張る。
「記録にある箱にします」
「うん。とても大事」
エレオノーラは物資管理班へ指示した。
「小型木箱を一つ。未使用、内部確認済みのものを」
物資管理班の上級生が、積まれた箱の中から一つを持ってくる。
リゼがすぐに確認する。
「箱番号は」
「仮番号、B-十七です」
エレオノーラが記録する。
「小さな灯の焼き菓子店仮物資箱。B-十七。内部確認前。開封立会い、準備委員会、物資管理班、出店班四名」
カイが小声で言う。
「開けるのも記録するんだな」
「はい」
リゼが答える。
「開ける時ほど記録です」
ロウ教師の授業と同じだ。
誰が封をしたか。
いつ封じたか。
開ける権限は誰にあるか。
木箱には簡単な紙封が貼られていた。
物資管理班の上級生が言う。
「これは未使用箱をまとめて保管していた封です。今から開けて中を確認します」
エレオノーラが記録する。
「封状態、異常なし。開封者、物資管理班。立会いあり」
紙封が切られる。
アルトの左手首は、少しだけ熱を持った。
箱が開く。
中は空だった。
木の匂いがする。
白い鐘も、蔦も、紙片もない。
アルトは息を吐いた。
「痛みなし。熱、少し。声なし。箱の中は空です」
リゼが頷く。
「良好です」
カイは箱の中を覗き込み、少し嬉しそうに言った。
「これがうちの箱か」
「まだ仮登録です」
リゼが言う。
「でも、うちの箱になる」
「はい」
ミリアがリボンを取り出した。
淡い橙色の細いリボン。
小さな灯の色。
「後で正式に結びましょう。今日は仮結びだけ」
アルトは箱の側面に貼るための小さな札を取り出した。
小さな灯の焼き菓子店。
B-十七。
その横に、小さな灯の印。
自分で書いた字。
貼る前に、リゼが確認する。
「紙質、異常なし。透かしなし。蔦・鐘意匠なし」
「はい」
ミリアも確認する。
「問題なし」
カイが確認する。
「怖くない」
アルトは少し笑った。
「はい。怖くないです」
札が箱に貼られる。
小さな灯の焼き菓子店の物資箱。
まだ空の箱。
でも、自分たちの印がある。
その瞬間、左手首が淡く温かくなった。
「痛みなし。熱、少し。声なし」
ミリアが微笑む。
「良い反応ね」
「はい」
アルトは頷いた。
その時だった。
仮置き場の奥で、カイがふと足を止めた。
彼は小さな灯の箱ではなく、別の木箱を見ている。
積まれた箱の一つ。
少し古い。
外側には装飾紙材と書かれた札が貼られている。
だが、その札の上に、さらに別の紙封が重ねられていた。
カイの顔が変わる。
「リゼ」
声は低かった。
「何ですか」
「この箱、封が二重じゃないか」
空気が止まった。
リゼが即座に言う。
「触らないでください」
「触ってねえ」
カイは両手を少し上げた。
確かに、箱には触れていない。
ただ、見つけた。
エレオノーラがすぐに近づく。
ユリウス、リーナ、物資管理班も集まる。
アルトは少し離れた位置で、左手首に熱が上がるのを感じた。
「痛みなし。熱、中。声なし。現在地は旧倉庫横仮置き場。カイが二重封の木箱を見つけました」
ミリアが隣に来る。
「感情は」
「緊張。怖いです。でも、まだ箱は開いていません」
リゼが頷く。
「良好です。距離を維持します」
エレオノーラが箱を確認する。
「箱番号は」
物資管理班の上級生が顔を硬くする。
「C-三十一。装飾紙材。旧倉庫から移動予定だった学園備品の一部です」
「記録上の封は」
「学園備品封、一つのはずです」
エレオノーラが箱を見つめる。
「外側に追加封があります。記録にありません」
記録にない。
アルトの左手首が熱くなる。
昨日の言葉が戻る。
記録にないもの。
空白。
二重封。
カイが低く言う。
「また記録にないやつか」
ユリウスがすぐに指示する。
「全員、距離を取る。開封は教師と生徒会立ち会いで行う。アルト君は下がって」
アルトは頷いた。
「はい」
リゼが半歩前に立つ。
「アルトさん、現在地」
「旧倉庫横仮置き場。放課後。二重封の木箱から距離を取っています。リゼさん、ミリアさん、カイが近くにいます」
「痛みは」
「なし」
「熱は」
「中から強」
「声は」
「なし」
「中止しますか」
アルトは箱を見た。
二重封。
装飾紙材。
旧倉庫から移動予定だった学園備品。
怖い。
でも、今は距離がある。
開けるかどうかは自分が決めることではない。
先生と生徒会が判断する。
「ここで距離を取って見ます。無理なら下がります」
「了解しました」
ロウ教師も呼ばれた。
彼は到着すると、まずカイを見た。
「触ったか」
「触ってません」
「よし」
それだけ言って、箱を見る。
「開封理由は」
エレオノーラが答える。
「記録にない追加封の確認。箱番号C-三十一。装飾紙材。旧倉庫由来備品。記録上は封一つ。現物は二重封」
「立会人」
「ロウ教師、ユリウス先輩、エレオノーラ、物資管理班、準備委員長。クラウス卿へは現在連絡中」
「よし。外側の封から確認する。切る前に記録」
ロウ教師の声は淡々としていた。
怒りも焦りもない。
だからこそ、周囲の生徒たちも少し落ち着いた。
外側の封は、白っぽい紙だった。
表には何も書かれていない。
だが、光の角度でうっすら線が見える。
アルトの左手首が強く熱を持つ。
「痛みなし。熱、強。声なし」
ミリアがすぐに言う。
「一歩下がりましょう」
「はい」
一歩下がる。
カイも一緒に下がる。
リゼはアルトの前に立つが、箱に近づきすぎない。
エレオノーラが外側封を保護板越しに確認する。
「微細な模様あり。蔦状かどうか不明。鐘形は目視では確認できません」
外側封を切る。
中には、元の学園備品封があった。
こちらは学園の正式封。
記録と一致する。
外側だけが記録にない。
ロウ教師が言う。
「外側封は保全。内側の正式封を開ける」
アルトは胸の奥が冷えるのを感じた。
箱が開く。
中には、古い紙飾りの束が入っていた。
白い紙。
銀色の縁取り。
祭り用の吊り飾りらしい。
そして、その下に、何か黒っぽい紙片が見えた。
小さい。
焦げたような、黒く変色した紙片。
アルトの左手首が一気に熱くなった。
痛みが走る。
声は、まだない。
だが、耳の奥が一瞬だけ遠くなる。
「痛み、少し。熱、強。声なし。耳が少し遠い」
リゼが即座に言う。
「撤退を提案します」
アルトは頷こうとした。
その瞬間、胸の奥に、黒い札の記憶がよぎった。
以前、自分を揺らした黒い札。
名前、記憶、場所、感情を刺激するもの。
それと同じではない。
でも、似た質感。
「黒い札に、似ています」
アルトが言うと、周囲の空気が凍った。
クラウスがちょうど到着し、その言葉を聞いて表情を変えた。
「下がれ」
彼の声は鋭かった。
「全員、箱から距離を取れ。触るな」
リゼがアルトを誘導する。
「アルトさん、後退」
「はい」
ミリアが横につき、カイが反対側で歩幅を合わせる。
三歩。
四歩。
箱から離れる。
熱はまだ強い。
痛みは少し。
声はない。
「現在地は、旧倉庫横仮置き場の外側。箱から離れています。リゼさん、ミリアさん、カイといます」
ミリアが聞く。
「感情は」
「怖いです。黒い札を思い出しました。でも、同じものかはわかりません」
リゼが頷く。
「良好です。判断は専門者へ」
クラウスが箱の中を保護術式越しに確認している。
直接触れてはいない。
ロウ教師とユリウスも距離を保ちながら立ち会う。
しばらくして、クラウスが低く言った。
「強制共鳴札そのものではない」
アルトは少し息を吐いた。
しかし、クラウスの声は硬いままだった。
「だが、近い思想で作られている。残滓か、試作品か、模倣品か。少なくとも、普通の紙飾りではない」
強制共鳴札。
近い思想。
残滓。
試作品。
模倣品。
アルトの左手首がまだ強く熱い。
「痛み、少し。熱、強。声なし」
リゼが言う。
「撤退します」
今度はアルトも頷いた。
「はい。撤退します」
ユリウスがすぐに指示を出す。
「アルト君たちは中庭へ。リゼ、付き添いを。ミリア、状態記録。カイ、物資には触れず一緒に移動」
「はい」
リゼが答える。
「わかった」
カイも答えた。
旧倉庫横仮置き場から離れる間、アルトは何度も息を整えた。
黒い紙片。
同じではない。
でも似ている。
自分を揺らすためのものに似ている。
箱の中にあった。
二重封。
外側の記録にない封。
古い紙飾りの下。
誰が入れたのか。
いつ。
何のために。
考えようとすると、左手首が熱くなる。
リゼが短く言う。
「今は考えすぎないでください。現在地優先」
「はい」
「現在地は」
「学園中庭へ向かう通路。夕方。リゼさん、ミリアさん、カイと歩いています」
「痛みは」
「少し」
「熱は」
「強から中へ下がっています」
「声は」
「なし」
「良好です」
中庭へ着くと、いつものベンチに座った。
ミリアが水筒を差し出す。
「少し飲みましょう」
「はい」
水は冷たかった。
喉を通る感覚で、少しだけ体が戻ってくる。
カイは隣でじっと拳を握っていた。
触らなかった。
開けなかった。
燃やさなかった。
見つけて、報告した。
でも、顔は険しい。
「俺が見つけた箱に、また変なのが入ってた」
彼は低く言った。
リゼが即座に答える。
「カイさんが見つけたことは有効です。接触しなかったことも非常に良好です」
「でも、アルトが痛くなった」
「開封判断は教師と生徒会が行いました。あなたの責任ではありません」
カイは唇を噛む。
アルトは水筒を持ったまま、カイを見た。
「カイが見つけなかったら、当日誰かが触っていたかもしれません」
「……そうかもしれねえけど」
「触らずに言ってくれて、よかったです」
カイはしばらく黙った。
それから、小さく頷いた。
「なら、よかった」
ミリアが包みを取り出した。
「二重封確認後用」
カイが少し驚いて顔を上げる。
「それ、いつ用意したんだ」
「今日は何があっても、物資確認後には必要だと思って」
ミリアは静かに微笑んだ。
「でも、名前は今決めたわ」
「すごいな」
「必要でしょう?」
「必要だな」
リゼが頷く。
「必要です」
焼き菓子を一つずつ受け取る。
アルトは、まだ少し震える指でそれを持った。
布に包まれた普通の焼き菓子。
記録にあるもの。
ミリアが用意したもの。
白い鐘も、蔦も、黒い紙片もない。
アルトは一口食べた。
甘さが、熱を少しずつ下げていく。
「痛み、ほぼなし。熱、中。声なし。現在地は学園中庭。夕方。いつものベンチ。リゼさん、ミリアさん、カイといます」
ミリアが聞く。
「感情は」
「怖かったです。黒い札に似ていたから。でも、同じものではないと聞きました。まだ怖いです」
リゼが頷く。
「良好です。怖さは妥当です」
しばらくして、ユリウスが中庭へ来た。
表情は硬いが、落ち着いている。
「状態は?」
アルトは答えた。
「痛みほぼなし。熱、中。声なし。現在地は中庭です」
「よし」
ユリウスは少し頷き、四人へ共有した。
「二重封の木箱について、現時点での対応を伝える。箱は封鎖。中の黒変紙片はクラウス卿とロウ先生、生徒会管理で保全。学園長へ報告済み。旧倉庫横仮置き場は一時閉鎖。物資確認は別場所へ移す」
リゼが記録する。
「黒変紙片の分類は」
「強制共鳴札そのものではない。だが、類似の術式思想を持つ可能性がある。詳細解析は学園側とクラウス卿が行う。アルト君の前では行わない」
「了解しました」
ミリアが尋ねる。
「学園祭は中止になりますか」
その問いに、四人の空気が変わった。
学園祭。
中止。
アルトは左手首に触れた。
熱が少し上がる。
ユリウスは慎重に答えた。
「現時点では、即時中止判断は出ていない。ただし、学園長は警備と物資管理の大幅強化を検討している」
カイが低く言う。
「中止じゃないのか」
「中止する理由はある。だが、中止すれば敵に学園全体を揺らされた形にもなる。もちろん、安全が確保できないと判断されれば中止になる」
リゼが静かに言った。
「開催継続には、危険管理の強化が必要です」
「その通りだ」
ユリウスは頷く。
「君たちには、今日はこれ以上の確認を求めない。特にアルト君は休むこと。明日、学園長から正式な方針が出る」
「はい」
アルトは頷いた。
ユリウスはカイを見る。
「ロックハート君」
「はい」
「二重封を見つけ、触れずに報告したことは重要だった。記録しておく」
カイは少しだけ目を見開いた。
「……はい」
ユリウスが去ると、カイはしばらく黙っていた。
それから、小さく言った。
「記録されるの、悪いことばっかじゃないんだな」
ミリアが微笑む。
「ええ」
リゼも頷く。
「良好行動も記録されます」
カイは照れくさそうに焼き菓子を食べた。
夜。
男子寮の自室で、アルトは机に向かった。
左手首はまだ少し熱い。
痛みはない。
声もない。
だが、黒い紙片のことを思い出すと、胸の奥が冷える。
二重封の木箱。
装飾紙材。
記録にない外側封。
中の黒変紙片。
強制共鳴札そのものではない。
でも、近い思想で作られている。
アルトは紙片を広げた。
今日は、二重封の木箱が見つかった。
朝、カイが小さな灯の物資箱案を持ってきた。
記録にある箱を作ると言った。
小さな灯の印、番号、受領者、確認者、開封日時。
記録にない紙が入ってきたから、記録にある箱を作る。
その考え方は、とてもカイらしくて、でもとても大事だと思った。
午前の授業で、ロウ先生は封と信頼の話をした。
封は、中身を守るもの。
開けていないことを示す印。
でも、封があるから安全とは限らない。
偽の封もある。
二重の封もある。
外側の封で安心させ、中に別の意図を隠すこともある。
開けたいと思う時ほど、開けるな。
開けるなら、立会人を置き、記録を残し、開ける理由を明確にする。
放課後、旧倉庫横仮置き場で物資確認をした。
小さな灯の焼き菓子店用の物資箱を申請した。
箱番号はB-十七。
中は空だった。
小さな灯の札を貼った。
怖くなかった。
その後、カイが別の木箱を見つけた。
C-三十一。
装飾紙材。
旧倉庫由来の学園備品。
記録では封は一つのはずだった。
でも、外側にもう一つ封があった。
二重封だった。
カイは触らなかった。
すぐに報告した。
ロウ先生、ユリウス先輩、エレオノーラ先輩、物資管理班、準備委員長、クラウス卿が確認した。
外側の封は記録にないものだった。
箱を開けると、古い紙飾りの下に、黒く変色した紙片があった。
僕の左手首は強く熱くなった。
痛みが少し出た。
耳が少し遠くなった。
黒い札に似ていると思った。
クラウス卿は、強制共鳴札そのものではないと言った。
でも、近い思想で作られている可能性があると言った。
残滓か、試作品か、模倣品かもしれない。
僕は撤退した。
中庭へ戻って、二重封確認後用の焼き菓子を食べた。
カイは、自分が見つけた箱にまた変なのが入っていたと言っていた。
でも、触らずに報告したことはとても大事だった。
ユリウス先輩も、それを記録すると言った。
カイは、記録されるのは悪いことばかりじゃないんだなと言った。
その通りだと思った。
学園祭は、まだ中止にはなっていない。
でも、物資管理と警備は強化される。
明日、学園長から方針が出るらしい。
怖い。
白い鐘。
蔦の紙。
記録にない包装紙。
二重封の木箱。
黒い札に似た紙片。
全部、学園祭の準備の中に入ってきている。
でも、今日は見つけた。
触らなかった。
勝手に開けなかった。
記録した。
離れた。
戻った。
アルトはペンを止めた。
左手首を見下ろす。
銀環は布の下で、まだわずかに熱を持っている。
怖さは残っている。
けれど、それだけではない。
小さな灯の物資箱B-十七。
自分たちの印が貼られた、空の箱。
怖いものが見つかった日でも、同時に自分たちの箱ができた日だった。
アルトは最後に一行を書いた。
記録にない封が怖いものを隠していても、僕たちは触らず、開ける理由を確認し、見つけて、戻ることができた。
そして、自分たちの物には、自分たちの印を付けられる。
紙片を折り、引き出しへしまう。
左手首を胸の上に置いた。
熱は少し。
痛みはない。
声もない。
「現在地は、男子寮の自室。夜。僕はアルト。今日は二重封の木箱を見た。怖かった。でも、戻った。小さな灯の箱もできた」
銀環は淡く光った。
その光は、二重に閉ざされた箱の奥へ引きずり込むものではなく、自分たちの印を貼った空の木箱の内側に、これから安全にしまうものを待つ小さな灯のように、手首の奥で静かに揺れていた。




