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灰銀の戦乙女は、制服を知らない  作者: 最後に残った形


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第5章 第11話:記録にない納品物


 翌朝、アルト・レインフォードは、白い紙に小さな灯の印を描いていた。


 丸い炎。


 その下に、小さな焼き菓子のような丸。


 蔦ではない。


 鐘ではない。


 白鐘ではない。


 自分たちで選んだ印。


 線はまだ少し不格好だった。ミリア・ファルネーゼが描いた案の方がずっと整っている。カイ・ロックハートが描いたものはもっと勢いがあって、火というより突撃している焼き菓子に見えた。


 けれど、アルトはこの小さな印を見るたび、左手首の熱が穏やかになるのを感じた。


 痛みはない。


 声もない。


 怖くない。


 昨日見つかった包装紙の透かしとは違う。


 淡橙色の紙の中に隠れていた、蔦と鐘の透かし。白鐘紙工房に酷似しているが、完全一致ではない模様。誰かが似せたかもしれない模様。


 小さな灯の焼き菓子店の紙に、それが紛れ込んでいた。


 怖かった。


 そして、怒った。


 ユリウス・エインズワースは、怒っていいと言ってくれた。


 リゼは、使わないと記録してくれた。


 ミリアは、境界線を引こうと言った。


 カイは、自分たちの焼き菓子をそんなことに使うなと言った。


 だから今日は、自分たちの紙を作る準備をする日になるはずだった。


 アルトは左手首に触れ、小さく確認する。


「痛みなし。熱、少し。声なし。現在地は、男子寮の自室。朝。僕はアルト。今日は、小さな灯の印を描いている」


 紙の上の小さな炎は、まだ頼りない。


 でも、確かに自分たちのものだった。


 中庭へ行くと、カイがすでにベンチの前に立っていた。


 今日は焼き菓子も包装紙も持っていない。代わりに、昨日よりもさらに分厚い物資管理用の紙束を持っている。


 顔が険しい。


 リゼもミリアもすでに来ていた。


 リゼは記録帳を開き、ミリアは昨日の包装紙に関する共有記録を確認している。


「おはようございます」


 アルトが声をかけると、三人が振り向いた。


「おはようございます」


 リゼが答える。


「おはよう、アルト」


 ミリアの声は柔らかいが、目は少し真剣だった。


 カイはすぐに言った。


「昨日の紙、記録にないかもしれない」


 アルトの左手首が、すぐに熱を持った。


 痛みはない。


 声もない。


 だが、胸の奥に昨日の冷たさが戻る。


「痛みなし。熱、中。声なし」


 リゼがすぐに尋ねる。


「現在地は」


「学園中庭。朝。いつものベンチ前。リゼさん、ミリアさん、カイといます。昨日の透かし入り包装紙が記録にないかもしれないと聞きました」


「感情は」


「怖いです。でも、聞けています」


「良好です」


 ミリアが静かに補足した。


「エレオノーラさんから、朝一番で簡単な共有があったの。購買部の受領記録、物資管理班の保管記録、準備委員会の仮配布記録を照合しているけれど、問題の淡橙紙だけ、記録上の所在が合わないみたい」


 カイが紙束をぎゅっと握る。


「無地紙三種は記録にある。でも、透かし入りの紙はない。なのに、俺の包みの中に入ってた」


 リゼが記録帳に書き込む。


「記録にない物品の混入。対象、小さな灯の焼き菓子店向け包装紙サンプル。状態、透かし入り淡橙紙。保全済み」


 アルトは左手首に触れる。


 昨日の紙は、もう自分たちの手元にはない。


 保全され、エレオノーラとユリウス、生徒会、クラウスの確認対象になっている。


 それでも、まるでまだ近くにあるように熱が残っている。


「記録にないものが、僕たちの紙の中に入っていたんですね」


 アルトが言うと、カイが低く答えた。


「そういうことになる」


「誰かが、入れた」


「まだ決まってねえ。でも、そう考えた方がいい」


 カイは唇を噛んだ。


 怒りが見える。


 でも、昨日と同じように、彼は動かなかった。


 ミリアが言った。


「今日の放課後、エレオノーラさんが物資記録の照合会を開くそうよ。私たちも関係者として参加を求められているわ」


「物資記録の照合会」


 アルトは繰り返した。


 リゼが頷く。


「購買部、物資管理班、準備委員会、出店班の記録を照合します。小さな灯の焼き菓子店の受領物も確認対象です」


「僕も行きます」


 言ってから、アルトは自分で少し驚いた。


 怖い。


 だが、自分たちの店に関わることだ。


 自分の反応を使われたかもしれない。


 だから、見ないままにしたくない。


 ミリアはすぐに尋ねた。


「無理はしない?」


「はい。途中で休憩します。でも、行きたいです」


 リゼが確認する。


「本日の中止条件。痛み強、声あり、現在地不明瞭、本人中止希望。加えて、記録にない物品への直接接触は禁止」


「はい」


 カイが言う。


「俺も触らない。破らない。燃やさない」


 リゼはカイを見る。


「良好です」


「今日は先に言った」


「非常に良好です」


 ミリアが少し笑った。


 その笑いで、朝の空気がほんの少しだけ緩んだ。


 午前の授業で、ロウ教師は黒板に「記録と空白」と書いた。


 カイが小さく息を吐く。


「また直撃だ」


 リゼが静かに答える。


「必要な授業です」


 ロウ教師はチョークを置き、生徒たちを見渡した。


「記録とは、何があったかを書くものだ。だが、同じくらい重要なのは、何が書かれていないかを見ることだ」


 アルトはペンを取った。


 左手首は少し熱い。


 痛みはない。


「物資記録なら、届いた物、数、受け取った者、置いた場所、移動した時間が書かれる。名簿なら、来る者の名、所属、目的が書かれる。だが、そこにないものが現場にある時、記録の空白が生まれる」


 記録の空白。


 アルトはノートに書く。


 昨日の透かし入り包装紙。


 受領確認書には無地紙三種。


 だが、透かし入りの淡橙紙があった。


 記録にないもの。


「記録にないものは、偶然紛れた場合もある。人の手違い、古い在庫、分類の誤り。だが、誰かが意図して記録の外へ置いた場合もある」


 カイの拳が机の上で少し握られる。


 しかし、すぐに開いた。


 突撃しない。


 触らない。


 壊さない。


 燃やさない。


 ロウ教師は続ける。


「怒るなとは言わない。記録の外から何かが入り込んだ時、怒りは自然な反応だ。だが、怒りで空白を塗りつぶすな。空白は空白として残し、何がないのかを確認しなさい」


 アルトはその言葉を強く書いた。


 怒りで空白を塗りつぶさない。


 何がないのかを確認する。


「そして、記録を扱う者には責任がある。書く責任、残す責任、消さない責任、勝手に加えない責任。学園祭の準備は、楽しいだけではない。誰かを迎えるために、記録を正しく扱う訓練でもある」


 ミリアが真剣にノートを取っている。


 リゼはいつものように整った字で書いている。


 カイは、少し不器用な字で「空白を燃やすな」と書いていた。


 アルトはそれを見て、少しだけ笑いそうになった。


 ロウ教師は授業の最後に言った。


「記録にないものを見つけた時、自分が疑われることを恐れて黙る者がいる。叱られることを恐れて隠す者がいる。だが、隠した空白は、後で必ず誰かを傷つける。見つけたら、共有しなさい」


 見つけたら、共有する。


 それは、昨日の自分たちがしたことだった。


 昼休み、四人は中庭で照合会へ向けた手順を確認した。


 ミリアが紙を広げる。


「今日の目的は、犯人探しではなく、記録の不一致を確認すること」


 カイがすぐに言う。


「でも、誰が入れたかは知りたい」


「もちろん。でも、いきなり決めつけない」


「わかってる」


 カイは少し悔しそうに頷いた。


 リゼが項目を書き出す。


 一、購買部の在庫記録。


 二、物資管理班の受領記録。


 三、準備委員会の配布記録。


 四、カイさんの受領確認書。


 五、実際のサンプル内容。


 六、問題紙の保全記録。


 七、接触可能者。


 八、保管場所。


 九、他出店班への同種混入有無。


「多いな」


 カイが言う。


「記録照合には必要です」


「わかってる。多いけど、やる」


 ミリアがカイを見る。


「カイさんは、自分が受け取った時のことを正確に思い出しておいて。誰から受け取ったか、どこで受け取ったか、包みは開けたか、途中で誰かに預けたか」


 カイは顔をしかめた。


「疑われるのか?」


「確認されるの」


 ミリアは柔らかいが、はっきりと言った。


「カイさんを疑っているわけではない。でも、カイさんが受け取った物の中に混入があった以上、カイさんの動きも記録に必要なの」


 カイはしばらく黙った。


 それから、ゆっくり頷く。


「わかった。ちゃんと言う」


 アルトはカイの顔を見た。


 少し傷ついたように見える。


 自分が悪いわけではない。


 でも、自分が持ってきた包みの中に問題の紙があった。


 それを確認されるのは、きっと嫌だ。


 アルトは静かに言った。


「カイが持ってきてくれたから、見つけられたんだと思う」


 カイがこちらを見る。


「もし、当日までわからなかったら、僕が触っていたかもしれない。店名を書いていたかもしれない。だから、昨日見つけられてよかったです」


 カイは目を逸らした。


「でも、俺が持ってきた」


「はい。でも、カイが許可を取って、確認書も持ってきたから、記録をたどれます」


 リゼが頷く。


「その通りです。受領確認書があるため、照合可能です。カイさんの行動は有効でした」


 カイは少しだけ息を吐いた。


「なら、よかった」


 ミリアが微笑む。


「ええ。とても」


 カイは包みから焼き菓子を出した。


「照合会前用」


「今日は自分用でもありますね」


 リゼが言う。


「そうだな」


 カイは珍しく素直に認めた。


「俺が落ち着く用でもある」


 アルトは焼き菓子を受け取った。


 少し固めの焼き菓子。


 噛むと、甘さがゆっくり広がる。


 照合会前用。


 落ち着く用。


 それは、今日とても必要だった。


 放課後、第二会議室には、いつもより多くの記録紙が並べられていた。


 机の上には、購買部の在庫台帳、物資管理班の受領表、準備委員会の仮配布記録、小さな灯の焼き菓子店の受領確認書、問題の包装紙の保全記録が置かれている。


 エレオノーラ・ヴィンスフェルトは、記録板を手に、会議室の中央に立っていた。


 ユリウスもいる。


 リーナ準備委員長、物資管理班の上級生、購買担当教師、そしてクラウス・ヴァイゼルも同席していた。


 アルトたち四人が入ると、エレオノーラが静かに言った。


「本日の照合は、事実確認です。発言は記録されます。不明な点は不明と答えてください。推測と事実を分けます」


 カイが小さく息を吸う。


 ミリアが隣で頷いた。


 アルトは左手首に触れた。


「痛みなし。熱、少し。声なし。現在地は第二会議室。放課後。物資記録照合会。リゼさん、ミリアさん、カイといます。机の上に包装紙の記録があります」


 リゼが尋ねる。


「感情は」


「緊張。怖いです。でも、確認したいです」


「良好です」


 エレオノーラはまず購買担当教師へ確認した。


「購買部が用意した包装紙サンプルについて、記録をお願いします」


 購買担当教師は台帳を開いた。


「小さな灯の焼き菓子店向けに、無地包装紙三種を確認用として用意しました。薄茶、白、淡橙。いずれも購買部通常在庫。透かし入り紙は含まれていません」


 エレオノーラが記録する。


「購買部在庫に透かし入り淡橙紙なし。無地紙三種のみ」


 次に物資管理班の上級生が答える。


「購買部から受け取った時点では、包装紙は三束でした。外側に種類名を書いた紙札が付いていました。私は中身を一枚ずつ透かしては確認していません」


 リゼが静かにメモする。


 中身の詳細確認なし。


 エレオノーラが問う。


「保管場所は」


「準備委員会の物資棚です。鍵はかけていませんでしたが、会議室内で、準備委員が出入りする場所です」


「接触可能者は」


「準備委員、物資管理班、出店相談に来た生徒、購買部担当者。正確な人数は確認中です」


 カイの拳が握られる。


 だが、彼は黙っている。


 エレオノーラはカイへ視線を向けた。


「カイ・ロックハートさん。包装紙サンプル受領時の状況を説明してください」


 カイは背筋を伸ばした。


 いつもの勢いとは違う、少し緊張した姿勢だった。


「昨日の帰り、購買部で小さな灯の焼き菓子店用の包装紙を相談しました。無地紙三種類を見せてもらえることになって、物資管理班の人と一緒に準備委員会の物資棚へ行きました。包みは、その時点で紐で結ばれていました」


「中身は確認しましたか」


「上から見ました。薄茶、白、淡橙があるのは見ました。でも、一枚ずつ透かしては見てません」


「受領後、どこへ持って行きましたか」


「男子寮の自室です。途中で誰にも預けてません」


「包みを開けましたか」


「開けてません。今朝、中庭で初めて開けました」


「自室で誰かが触れる可能性は」


 カイの顔が少し強張った。


「ない、と思います。机の上に置いてました。部屋には同室のやつがいるけど、触ってないと思う」


「確認します。不明として記録します」


 カイは一瞬何か言いかけたが、飲み込んだ。


「……はい」


 アルトはカイを見る。


 嫌な確認だ。


 でも、必要な確認。


 ミリアが静かに言う。


「不明は、責める言葉ではないわ」


 カイは小さく頷いた。


「わかってる」


 エレオノーラは次に問題の包装紙の保全記録を読み上げた。


「本日朝、中庭にて淡橙包装紙を光に透かした際、蔦状および鐘形の透かしを発見。アルト・レインフォードさんに銀環反応あり。痛み少、熱強、声なし。紙には直接接触せず、布ごと保全。準備委員会へ提出」


 アルトは左手首に触れた。


 昨日の熱が少し戻る。


「痛みなし。熱、中。声なし」


 リゼがすぐに聞く。


「現在地は」


「第二会議室。放課後。エレオノーラ先輩が包装紙発見時の記録を読み上げています」


「感情は」


「怖いです。でも、今は紙に近づいていません」


「良好です」


 クラウスが問題の紙を保護板越しに確認していた。


「透かしは、白鐘紙工房の旧透かしに酷似している。だが、完全一致ではない。線の太さ、蔦の巻き方、鐘の輪郭が違う」


 アルトの左手首が強く熱を持つ。


 白鐘紙工房。


 旧透かし。


 酷似。


 模倣。


「痛みなし。熱、強。声なし」


 ミリアがすぐに尋ねる。


「現在地は」


「第二会議室。放課後。クラウス卿が、透かしは白鐘紙工房に酷似しているけれど完全一致ではないと説明しています」


「感情は」


「怖いです。真似されている感じがします」


 クラウスは少し視線を落とした。


「その感覚は、おそらく間違っていない。これは古い透かしを知る者か、資料を見た者が、意図して似せた可能性がある」


 会議室の空気が冷える。


 リーナが低く言った。


「つまり、偶然の模様ではない可能性が高い」


「高い」


 クラウスは答えた。


 ユリウスが記録を見ながら言う。


「現時点で確認できた事実。購買部に該当紙なし。受領確認書に該当紙なし。物資棚での保管中、または受領後に混入した可能性。透かしは白鐘紙工房に酷似するが完全一致ではない」


 エレオノーラが続ける。


「他出店班の包装紙サンプルにも同種の紙が混入していないか確認中です。現時点では、小さな灯の焼き菓子店向けの包みにのみ確認されています」


 その言葉が、一番重かった。


 アルトの左手首が熱を持つ。


 小さな灯の焼き菓子店向けの包みにのみ。


 自分たちの店。


 自分たちの戻る場所。


 そこだけに。


「痛み、少し。熱、強。声なし」


 リゼが即座に言う。


「休憩を提案します」


 アルトは頷いた。


「はい」


 ユリウスも頷く。


「五分休憩にしよう」


 会議室の端へ移動し、アルトは深く息を吐いた。


 ミリアがそっと尋ねる。


「現在地は」


「第二会議室の端。放課後。休憩中。リゼさん、ミリアさん、カイといます」


「感情は」


「怖いです。僕たちの店だけだったと聞いて、狙われた気がしました」


 リゼが静かに言う。


「その可能性はあります」


 カイが低い声で言った。


「腹立つ」


「はい」


 アルトも頷いた。


「僕もです」


 カイはアルトを見た。


 少し驚いたような顔をして、それから頷いた。


「だよな」


「はい」


 ミリアが言う。


「怒りはある。でも、証拠は残っている。記録もある。カイさんが確認書を持っていたから、今こうして照合できている」


 カイは自分の手を見る。


「俺、ちゃんとできてたのか」


「はい」


 リゼが即答した。


「受領確認書、未開封状態、発見時共有、接触停止。全て有効です」


 カイは少しだけ顔を歪めた。


「なら、よかった」


 休憩後、照合会は続いた。


 ミリアが紹介状の確認に移った。


「北白蔦紙装商会の紹介状原本を見せていただけますか」


 エレオノーラが保護板に挟んだ紹介状を出す。


 ミリアはそれを慎重に見た。


 アルトは少し距離を置く。


 北白蔦。


 紙装商会。


 その名前だけでも熱が出る。


 だが、今日は見る必要がある。


「痛みなし。熱、中。声なし」


 自分で言う。


 ミリアが頷き、紹介状を読み始めた。


「紹介者は王都文化局補佐官名義。ただ、肩書きが古い。現在は“王都文化局資料保存課補佐官”のはずですが、ここでは“王都文化局文物補佐官”となっています。これは十年以上前の古い部署名に近い表記です」


 エレオノーラが記録する。


「肩書き不一致。旧表記」


 ミリアはさらに続ける。


「印章の押し方も少し古いわ。今は名前の右下へ押すのが一般的ですが、これは中央寄り。旧式の公文書に似せている」


 クラウスが頷く。


「旧王家系の古い文書形式を模した可能性がある」


 旧王家。


 アルトの左手首が熱くなる。


「痛みなし。熱、中から強。声なし」


 リゼが記録する。


 ミリアは眉を寄せたまま言った。


「文字も少し変です。丁寧すぎるのに、商会名だけが古い。紹介文の文体と商会名の古さが合っていない」


 ユリウスが問う。


「偽造の可能性は」


「あります。ただし、断定はできません。本物の古い紹介状を流用した可能性もあります」


 エレオノーラが記録する。


 紹介状:偽造または古文書流用の可能性。要照会。


 カイが小さく言う。


「ミリア、すげえな」


 ミリアは少し苦笑した。


「こういうところを見る練習をしてきただけよ」


「社交って怖いな」


「ええ。時々ね」


 リゼが静かに言った。


「ミリアさんの確認により、紹介状の不一致が明確になりました」


 ミリアは少しだけ目を伏せた。


「役に立ったならよかったわ」


 照合会の最後、ユリウスが結論をまとめた。


「現時点の対応。北白蔦紙装商会の搬入予定品は全て保留。紹介状は王都文化局へ正式照会。包装紙の混入経路を調査。小さな灯の焼き菓子店には、別途確認済み包装紙を準備委員会立ち会いで配布。他出店班の紙材も再点検。旧倉庫紙片との照合は、アルト君の負荷を考慮し、本人不在で実施」


 リーナが頷く。


「準備委員会としても、物資管理を強化します。鍵付き保管箱を使い、出店ごとの物資札を発行します」


 カイがすぐに言う。


「小さな灯の札は、俺たちで作りたいです」


 リーナは少し考え、それから頷いた。


「出店独自札として認めます。ただし、準備委員会の管理番号も併記してね」


 リゼが記録する。


「了解しました」


 エレオノーラが最後に言った。


「本日の照合記録は、学園長、ロウ教師、生徒会、準備委員会管理とします。王宮側への共有は、学園祭物資管理上の不一致として抽象化します。アルトさんの詳細反応は、本人確認なしに提出しません」


 アルトは少し息を吐いた。


「ありがとうございます」


 エレオノーラは静かに頷いた。


 会議室を出る頃には、夕方になっていた。


 廊下の窓から入る光が長く伸びている。


 カイはしばらく黙っていた。


 そして、中庭に出たところで、ようやく口を開いた。


「俺、疑われるの嫌だった」


 その声は、小さかった。


 アルトはカイを見た。


 リゼもミリアも足を止める。


 カイは握った拳を見下ろしている。


「俺が持ってきた包みだから、俺が何かしたみたいに聞かれるの、嫌だった。でも、聞かれないとわからないのもわかった」


 ミリアが静かに頷いた。


「ええ」


「不明って言われるのも嫌だった」


「そうね」


「でも、不明は責める言葉じゃないんだよな」


 カイはミリアを見た。


 ミリアは優しく頷いた。


「ええ。不明は、まだ確認が必要という意味よ」


 カイは深く息を吐いた。


「なら、ちゃんと確認する」


 リゼが言う。


「良好です」


 カイは少し笑った。


「今日はその良好、ありがたいな」


「はい」


 アルトは左手首に触れた。


「カイが確認書を持っていたから、記録をたどれました。僕は、すごく助かりました」


 カイは照れたように目を逸らした。


「そっか」


「はい」


 中庭のいつものベンチに座ると、ミリアが小さな包みを取り出した。


「記録照合後用」


 カイが目を丸くする。


「今日は俺じゃないのか」


「今日は私が用意したかったの」


 ミリアは微笑んだ。


「記録をたどった後には、戻るものが必要でしょう」


 カイは少しだけ笑った。


「必要だな」


 リゼも頷く。


「必要です」


 焼き菓子を一つずつ受け取る。


 アルトはそれを手の中で見つめた。


 包装は、普通の布。


 何も透けていない。


 白い鐘も、蔦もない。


 ただ、ミリアの選んだ淡い布に包まれている。


 それだけで、少し安心する。


 リゼが今日の記録を読み上げる。


「本日の確認事項。透かし入り淡橙紙は購買部在庫に存在しない。受領記録に該当なし。物資棚保管中または受領後の混入可能性あり。他出店班では現時点で同種混入なし。小さな灯の焼き菓子店向け包みにのみ確認。北白蔦紙装商会の紹介状に旧表記、印章位置不一致、文体不一致。搬入予定品全保留。包装紙は再配布、立ち会い確認。独自札作成許可」


 カイが唸る。


「多い」


「はい」


「でも、進んだんだよな」


「はい。空白が一部明確になりました」


 アルトは焼き菓子を食べた。


 甘さが、会議室の緊張を少しずつほどいていく。


「空白が明確になるって、少し変な言い方ですね」


 アルトが言うと、リゼが頷いた。


「はい。しかし、記録にないという事実も重要です」


 ミリアが静かに言う。


「ないことがわかったから、次に探せるのよ」


 カイは焼き菓子を食べながら、少しだけ遠くを見た。


「俺、これからは受け取った物、全部ちゃんと確認する」


「はい」


 リゼが頷く。


「ただし、一人で全部確認しないでください」


「複数人だろ」


「はい」


「わかってる」


 アルトは中庭を見た。


 学園祭の準備は進んでいる。


 遠くで装飾班が布を運び、舞台班が木材の長さを測り、来場者案内班が地図を見ながら話している。


 明るい準備の中に、記録にない紙が紛れ込んだ。


 それでも、準備は止まっていない。


 ただ、確認の線が増えた。


 境界線が増えた。


 自分たちの場所を守るために。


 夜。


 男子寮の自室で、アルトは今日の紙片を広げた。


 机の上には、小さな灯の印を描いた試し紙がある。


 その横に、今日の照合会で許可された範囲のメモ。


 透かし入り淡橙紙:購買部在庫なし。


 受領記録なし。


 物資棚保管中または受領後混入可能性。


 小さな灯向け包みにのみ確認。


 紹介状旧表記、不一致。


 搬入保留。


 独自札作成許可。


 アルトは左手首に触れた。


 熱は少し。


 痛みはない。


 声もない。


 紙片に書き始める。


 今日は、記録にない納品物について確認した。


 昨日見つかった透かし入りの淡橙包装紙は、購買部の在庫にはなかった。


 受領確認書にも書かれていなかった。


 物資管理班の記録にも、準備委員会の配布記録にも、透かし入りの紙はなかった。


 記録にないものが、僕たちの包装紙サンプルの中に入っていた。


 午前の授業で、ロウ先生は記録と空白の話をした。


 記録は、何があったかを書くもの。


 でも、何が書かれていないかを見ることも重要。


 記録にないものが現場にある時、記録の空白が生まれる。


 怒りで空白を塗りつぶしてはいけない。


 空白は空白として残して、何がないのかを確認する。


 カイは、受け取った時のことを確認された。


 誰から受け取ったか。


 どこで受け取ったか。


 包みを開けたか。


 誰かに預けたか。


 自室で誰かが触れる可能性はあったか。


 カイは嫌そうだった。


 でも、ちゃんと答えた。


 不明は責める言葉ではなく、まだ確認が必要という意味だとミリアさんが言った。


 カイが受領確認書を持っていたから、記録をたどることができた。


 それは、とても大事だった。


 クラウス卿は、透かしが白鐘紙工房の旧透かしに酷似しているけれど、完全一致ではないと言った。


 誰かが古い透かしを知っているか、資料を見て、意図して似せた可能性がある。


 怖かった。


 真似されている感じがした。


 他の出店班には、今のところ同じ紙は見つかっていない。


 小さな灯の焼き菓子店向けの包みにだけ確認された。


 それを聞いた時、狙われた気がして怖かった。


 でも、怖いだけではなく、怒っていた。


 北白蔦紙装商会の紹介状も確認した。


 ミリアさんは、肩書きが古いこと、印章の位置が旧式に似ていること、文体と商会名の古さが合っていないことに気づいた。


 紹介状は偽造か、古い文書の流用かもしれない。


 北白蔦紙装商会の搬入予定品は全て保留になった。


 小さな灯の焼き菓子店の包装紙は、準備委員会立ち会いで再配布される。


 独自札も作っていいことになった。


 夕方、中庭で記録照合後用の焼き菓子を食べた。


 ミリアさんが用意してくれた。


 布で包まれていて、白い鐘も蔦もなかった。


 それだけで安心した。


 リゼさんは、記録にないという事実も重要だと言った。


 ミリアさんは、ないことがわかったから次に探せると言った。


 カイは、これからは受け取った物を全部ちゃんと確認すると言った。


 でも、一人で全部確認しない。


 複数人で確認する。


 アルトはペンを止めた。


 小さな灯の印を見る。


 昨日よりも、その印が大事に思える。


 誰かが記録にないものを混ぜても、自分たちは記録を残す。


 誰かが似せた模様を入れても、自分たちは自分たちの印を選ぶ。


 誰かが空白を作っても、その空白を見つけることができる。


 最後に、一行を書く。


 記録にないものが僕たちの場所へ入ってきても、記録し直して、境界線を引いて、自分たちの印を残すことはできる。


 紙片を折り、引き出しへしまう。


 左手首を胸の上に置いた。


 熱は少し。


 痛みはない。


 声もない。


「現在地は、男子寮の自室。夜。僕はアルト。今日は、記録にない紙のことを確認した。怖かった。でも、空白を見つけた」


 銀環は淡く光った。


 その光は、記録の外から紛れ込んだ影に引かれるものではなく、空白の行へ小さく印を付け、自分たちの場所をもう一度書き直すための灯のように、手首の奥で静かに揺れていた。


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