表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰銀の戦乙女は、制服を知らない  作者: 最後に残った形


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

71/128

第5章 第10話:包装紙の透かし


 翌朝、カイ・ロックハートは大きな包みを抱えて中庭に現れた。


 包みは昨日までの焼き菓子の袋とは違っていた。平たく、四角く、丁寧に紐で結ばれている。中身が菓子ではないことは、見ただけでわかった。


 カイはいつものベンチの前に立ち、少し得意げに言った。


「包装紙のサンプルだ」


 アルト・レインフォードは、その言葉を聞いた瞬間、左手首に触れた。


 痛みはない。


 熱は少し。


 声はない。


 昨日の名簿確認で、北白蔦紙装商会という名前が出た。


 紙細工装飾。


 白色鐘型吊り飾り。


 蔦模様入り包装紙。


 出店用包装紙サンプル。


 その言葉だけで、左手首は強く熱を持った。


 小さな灯の焼き菓子店では、その商会の包装紙は使わない希望を出した。リーナ準備委員長も、安全確認が終わるまでは配布しないと記録してくれた。


 だから今朝、カイが持ってきたものは、別のもののはずだった。


 小さな灯の焼き菓子店用に、自分たちで選ぶ紙。


 白い鐘でも蔦でもない、自分たちの印を入れるための紙。


 そうわかっているのに、包装紙という言葉だけで、胸の奥が少し緊張する。


 ミリア・ファルネーゼが、カイの包みを見て微笑んだ。


「もう用意したの?」


「昨日の帰りに購買で聞いた。無地の紙なら何種類かあるって言われたから、サンプルをもらってきた」


「許可は?」


 リゼ・グレイスが即座に尋ねる。


 カイは胸を張った。


「取った」


「誰からですか」


「購買担当の先生と、準備委員会の物資管理班。小さな灯の焼き菓子店用に包装紙を独自準備したいって言ったら、確認用ならいいって」


「記録は」


「ある」


 カイは包みの上に挟んでいた小さな紙を見せた。


 包装紙サンプル受領確認。


 王立学園購買部。


 無地紙三種。


 薄茶、白、淡橙。


 受領者、カイ・ロックハート。


 確認者、購買担当教師、物資管理班補佐。


 リゼはその紙を見て、静かに頷いた。


「良好です」


「だろ」


 カイは少し嬉しそうだった。


 ミリアも言う。


「とても良いわ。昨日の今日でここまで動けたのね」


「うちの焼き菓子を変な紙に包むのは嫌だからな」


 カイの声は、昨日と同じように少し硬かった。


 怒りがまだ残っている。


 でも、それを突撃に変えず、許可を取り、確認書を持ち、無地の紙を用意してきた。


 アルトはそれを見て、胸が温かくなった。


「ありがとう、カイ」


「まだ何もできてねえ。紙持ってきただけだ」


「でも、ちゃんと確認してくれた」


「まあな」


 カイは少し照れくさそうに視線を逸らした。


 リゼがアルトへ視線を向ける。


「状態は」


「痛みなし。熱、少し。声なし。現在地は学園中庭。朝。リゼさん、ミリアさん、カイと包装紙サンプルを確認しようとしています」


「感情は」


「緊張。でも、これは自分たちで選ぶ紙だから、見たいです」


「良好です」


 ミリアがベンチの上に布を広げた。


「では、直接地面に置かず、ここで確認しましょう。まず受領確認書。次に紙の種類。最後に印をどう入れるか」


 リゼが頷く。


「触る前に目視確認。異常があれば接触停止。アルトさんは最初は少し距離を置いてください」


「はい」


 アルトはベンチから半歩離れた。


 カイが紐をほどく。


 紙の匂いがふわりと広がった。


 乾いた、何も書かれていない紙の匂い。


 昨日の名簿の紙とは少し違う。


 もっと新しく、軽い。


 まず出てきたのは薄茶色の紙だった。


 焼き菓子に合いそうな、素朴な色。


 次に白い紙。


 清潔だが、少し眩しい。


 最後に淡い橙色の紙。


 小さな灯という店名には、一番合うように見えた。


 アルトの左手首が、淡く温かくなる。


「痛みなし。熱、少し。声なし」


 ミリアが微笑む。


「淡橙、いいわね」


「焼き菓子っぽい」


 カイが言う。


 リゼも紙を確認しながら頷いた。


「視認性、温度感ともに良好です。成分表示の貼付にも適しています」


「成分表示も貼るんだよな」


「はい。小麦、卵、乳、干し果物の種類。保存時間。出店名」


 カイが真剣に頷く。


「書くこと多いな」


「必要です」


「わかってる」


 ミリアが淡橙色の紙を一枚持ち上げ、光に透かした。


「透け方もきれいね。少し薄いけれど、二重にすれば問題ないかしら」


 その瞬間、アルトの左手首がぴり、と熱を持った。


 強くはない。


 しかし、さっきまでの柔らかな熱とは違う。


 刺すような、細い熱。


 アルトは瞬きをした。


「待ってください」


 三人が止まる。


 リゼがすぐにこちらを見る。


「痛みは」


「なし。熱、中。声なし」


「対象は」


「今、ミリアさんが光に透かした時、少し反応しました」


 ミリアは淡橙の紙をそのまま動かさず、静かに机の布の上へ戻した。


「触らない方がいいわね」


「はい」


 リゼが一歩前に出る。


「全員、紙から手を離してください」


 カイもすぐに手を引いた。


 ミリアも頷く。


 アルトは半歩下がったまま、紙を見る。


 淡橙色の紙。


 無地に見える。


 だが、光に透けた時、一瞬、何か線が見えた気がした。


 ただの繊維の模様かもしれない。


 でも、左手首は反応した。


 リゼが言う。


「光に透かして確認します。ただし、アルトさんはさらに半歩下がってください」


「はい」


 アルトが下がる。


 ミリアは布越しに紙の端を持ち、もう一度朝日に透かした。


 淡い橙色の紙の中に、うっすらと線が浮かぶ。


 細い曲線。


 蔦のような線。


 そして、その中心に小さな形。


 鐘。


 アルトの左手首が強く熱くなった。


 痛みが少し走る。


 声はない。


 ただ、胸の奥が冷える。


「痛み、少し。熱、強。声なし」


 カイが低く息を呑んだ。


「何でだよ」


 リゼの声が鋭くなる。


「紙を置いてください」


 ミリアは慎重に紙を布の上へ戻した。


 リゼは紙に近づきすぎず、目視で確認する。


「蔦状の透かし。中央に鐘形。白鐘紙工房類似の可能性」


 アルトの熱がさらに上がる。


 白鐘紙工房。


 予測していても、言葉は刺さる。


「痛み、少し。熱、強。声なし。現在地は学園中庭。朝。包装紙サンプルの淡橙色の紙に、蔦と鐘の透かしのようなものが見えました」


 ミリアがすぐに続ける。


「感情は」


「怖いです。小さな灯の紙だと思っていたのに、似た模様があったから」


 カイの拳が強く握られる。


「無地って言っただろ。無地って確認したのに」


「カイさん」


 リゼがすぐに声をかける。


「突撃しない」


 カイは歯を食いしばった。


「わかってる」


「良好です。今は保全と共有です」


「わかってる」


 カイはもう一度言った。


 声は震えていたが、動かなかった。


 ミリアは紙から距離を取り、受領確認書を見た。


「確認書には、無地紙三種と書かれているわ」


「透かしがある時点で無地ではありません」


 リゼが言う。


「はい」


 ミリアの目が冷静になる。


「つまり、購買部が把握していない紙が混じっているか、透かしを無地扱いにしたか、あるいは途中で差し替えられた」


「差し替え」


 アルトの胸がさらに冷える。


 誰かが、小さな灯の焼き菓子店用の包装紙に、この紙を混ぜた。


 それは偶然なのか。


 それとも。


 アルトは左手首を押さえた。


「僕たちの店に、これを使わせようとしたのかもしれません」


 三人がこちらを見る。


 アルトは声を震わせながら続けた。


「小さな灯の焼き菓子店は、僕たちの戻れる場所です。そこに、白鐘に似た透かしの紙を混ぜた。焼き菓子を包む紙に。僕が触るか、見るか、名前を書くかもしれない紙に」


 言葉にすると、怖さが形になった。


 しかし、同時に、ぼんやりしていた不安が輪郭を持つ。


「誰かが、僕の反応を見ようとしているんだと思います」


 リゼの目が鋭くなる。


「可能性は高いです」


 ミリアも頷く。


「昨日の名簿、旧倉庫の紙片、今日の包装紙。全部が紙と鐘と蔦でつながっている」


 カイが低く言った。


「俺たちの焼き菓子を、そんなことに使うな」


 その声には怒りがあった。


 だが、カイは紙へ手を伸ばさなかった。


 リゼが静かに言う。


「カイさん、良好です」


「何が良好だよ」


「怒りを認識し、接触を止めています」


 カイは息を荒くした。


 しばらくして、深く吐く。


「……今は、触らない」


「はい」


「でも、絶対使わねえ」


「はい。使用不可です」


 ミリアが頷く。


「まず、エレオノーラさんとユリウス先輩に共有しましょう。購買部と物資管理班にも確認が必要です」


 リゼが記録帳を開く。


「保全します。紙には直接触れず、布ごと包みます。受領確認書と一緒に提出」


「はい」


 アルトは少し離れた場所からそれを見ていた。


 淡橙色の紙。


 小さな灯に合うはずだった色。


 そこに、白い鐘と蔦の透かし。


 怖い。


 悔しい。


 自分たちで選ぼうとした紙まで、誰かが触れているかもしれない。


 左手首が熱い。


 でも、声はない。


 今は中庭。


 朝。


 リゼ、ミリア、カイがいる。


 紙には触っていない。


 鳴らしていない。


 見つけた。


 共有する。


 午前の授業前、四人はエレオノーラとユリウスへ包装紙を届けた。


 エレオノーラは保全された紙と受領確認書を見て、すぐに表情を硬くした。


「確認します」


 彼女は紙に直接触れず、薄い保護板に挟んで光に透かした。


 蔦と鐘の透かしが、やはり浮かぶ。


 エレオノーラの記録板に、鋭くペンが走った。


「無地紙として受領された淡橙包装紙に、蔦状および鐘形の透かし。受領確認書上は無地紙三種。記録不一致」


 ユリウスは紙を見つめ、眉を寄せた。


「購買部の在庫に、このような透かし入りの紙があるか確認する。物資管理班にも照合をかける」


 リゼが言う。


「小さな灯の焼き菓子店では、この紙を使用しません」


「当然だ」


 ユリウスは即答した。


「他の出店班に同じ紙が回っていないかも確認する」


 アルトは左手首を押さえた。


「痛み、少し。熱、強。声なし。現在地は第一校舎の準備委員会受付前。ユリウス先輩とエレオノーラ先輩に包装紙を共有しています」


 エレオノーラが尋ねる。


「感情は記録しますか」


「はい。怖いです。あと、怒っています。僕たちの店に入ってきた気がするから」


 エレオノーラは一瞬だけペンを止めた。


 それから静かに頷く。


「記録します。恐怖および怒り。理由、小さな灯の焼き菓子店への介入の可能性」


 怒り。


 自分でそう言ったことに、アルトは少し驚いた。


 怖いだけではない。


 嫌だ。


 怒っている。


 自分たちで選んだ名前と紙に、誰かが勝手に入り込んだかもしれないことが。


 ユリウスがアルトを見た。


「怒っていい」


 短く言った。


 アルトは顔を上げる。


 ユリウスは続けた。


「君たちが作ろうとしている場所に、不明なものが混ざった。それは怒っていいことだ」


 胸の奥が少し震えた。


「はい」


 アルトは頷いた。


 午前の授業では、ロウ教師が「混入と境界」と黒板に書いた。


 カイが小さく呟く。


「早いな」


 ミリアが小さく頷く。


「共有が早いのね」


 ロウ教師は授業を始める。


「学園祭の準備では、多くの物が動く。紙、布、木材、食材、楽器、装飾品。多くの物が動けば、その中に本来ない物が紛れる可能性もある」


 アルトはペンを握った。


 左手首はまだ少し熱い。


 だが、痛みは薄れている。


「混入は、物だけの問題ではない。意図の混入もある。祝うための飾りに、誰かを揺らす意図が混ざる。包むための紙に、誰かを試す意図が混ざる。名前に、所有の意図が混ざる」


 包むための紙。


 誰かを試す意図。


 アルトの胸が少し詰まる。


 リゼが横目で確認する。


 アルトは小さく頷いた。


「境界線は、拒絶のためだけにあるのではない。何を受け取り、何を受け取らないかを決めるためにある。受け取らないと決めることは、相手を攻撃することではない。自分たちの場所を守ることだ」


 カイが真剣にノートを取っている。


 珍しく、字が少し丁寧だった。


「ただし、怒りで燃やすな。怒りは発見の力になるが、証拠を燃やせば道を失う。触らない。壊さない。隠さない。記録して、共有しなさい」


 カイの肩がぴくりと動いた。


 おそらく、包装紙を破り捨てたい気持ちがあったのだろう。


 それをロウ教師に見透かされたような言葉だった。


 授業の最後に、ロウ教師は短く言った。


「君たちの祭りに、何を入れ、何を入れないか。決めるのは君たちだ」


 アルトはその言葉をノートに書いた。


 何を入れ、何を入れないか。


 小さな灯の焼き菓子店には、あの紙は入れない。


 昼休み、四人は中庭に集まった。


 今日は焼き菓子より先に、紙の話だった。


 ミリアが新しい紙を広げる。


「小さな灯の焼き菓子店の包装紙は、完全にこちらで作りましょう。購買部から紙を受け取る場合も、私たち四人と物資管理班の前で開封、確認、記録する」


 リゼが頷く。


「小さな灯の印を手描きで入れる。複製が難しいように、番号と担当者印を追加」


 カイが言う。


「俺が紙を運ぶ。勝手に置かせない」


「単独管理は避けます」


 リゼが即座に言う。


「俺だけじゃ駄目か」


「はい。複数人確認が必要です」


「じゃあ俺と誰か」


「はい」


 ミリアが微笑む。


「私も一緒に行くわ。紙の状態も見たいし」


「頼む」


 アルトは紙を見る。


「僕は、店名と番号を書きます」


 リゼが確認する。


「負荷は」


「小さな灯なら大丈夫です。白い鐘や蔦の模様は使いません」


「はい」


 ミリアが紙の端に、小さな灯の印の案を描いた。


 丸い小さな炎。


 その下に焼き菓子のような丸。


 蔦ではない。


 鐘でもない。


 とても簡単な印。


 でも、温かい。


 アルトの左手首が淡く光った。


「痛みなし。熱、少し。声なし」


 カイがそれを見て言う。


「これならいいな」


「はい」


 アルトは頷く。


「これなら怖くありません」


 ミリアが微笑む。


「決まりね」


 リゼが記録する。


 小さな灯印:鐘・蔦意匠不使用。炎型。出店名と番号を手書き。四名確認。


 カイが少し低い声で言った。


「でも、あの紙がどこから来たのかは調べるんだよな」


「はい」


 リゼが答える。


「ただし、私たちが単独で調査しません。学園側が確認します」


「わかってる。俺は触らない。破らない。燃やさない」


 ミリアが少しだけ目を細める。


「燃やしたかったのね」


「少しな」


「正直で良いです」


 リゼが言う。


「でも燃やしません」


「燃やさない」


 カイは頷いた。


 アルトは左手首に触れた。


 怖かった。


 でも、怒っていいと言われた。


 燃やさず、記録して、使わないと決めて、自分たちの紙を作る。


 それが、今日できる対応だった。


 放課後、購買部と物資管理班から第一報が来た。


 エレオノーラが中庭まで来て、四人に共有した。


「確認結果の途中報告です。購買部の無地紙在庫に、透かし入りの淡橙紙は存在しませんでした」


 空気が硬くなる。


 カイが拳を握る。


「じゃあ混ざったのか」


「可能性が高いです」


 エレオノーラは記録板を見ながら続ける。


「受領確認書では無地紙三種。薄茶、白、淡橙。購買部が用意した淡橙紙と、今朝発見された紙は質感が似ていますが、厚みと繊維が異なります」


 ミリアが静かに言う。


「差し替え」


「または、受け渡し後に追加混入」


 リゼが補足する。


 エレオノーラが頷く。


「物資管理班は、昨日の夕方から今朝までの保管場所と接触者を確認中です」


 アルトの左手首が熱を持つ。


「痛みなし。熱、中。声なし。現在地は学園中庭。夕方。エレオノーラ先輩から、透かし入り包装紙が購買部在庫にはなかったと聞いています」


 ミリアが尋ねる。


「感情は」


「怖い。やっぱり誰かが混ぜたかもしれないと思ったから。でも、確認できてよかったです」


「良好です」


 エレオノーラは少し表情を和らげた。


「今後、小さな灯の焼き菓子店の包装紙は、準備委員会立ち会いのもとで再配布します。問題の紙は保全済みです。他の出店班への混入確認も進めています」


「ありがとうございます」


 アルトが言うと、エレオノーラは頷いた。


「それと、クラウス卿から伝言です。透かしの模様は、白鐘紙工房のものと酷似していますが、完全一致ではないとのことです」


 白鐘紙工房。


 左手首が熱くなる。


 完全一致ではない。


 でも、酷似。


「痛みなし。熱、強。声なし」


 リゼがすぐに確認する。


「現在地は」


「学園中庭。夕方。エレオノーラ先輩、リゼさん、ミリアさん、カイといます。透かしが白鐘紙工房に酷似しているが完全一致ではないと聞きました」


「感情は」


「怖いです。誰かが真似したのかもしれないと思いました」


 エレオノーラは記録する。


「模倣の可能性。本人反応あり」


 カイが低く言う。


「本物じゃなくて、真似かもしれないのか」


「はい」


 リゼが答える。


「誰かが白鐘紙工房に似せた模様を作り、アルトさんの反応を誘発しようとしている可能性があります」


 アルトは胸の奥が冷えるのを感じた。


 本物ではないかもしれない。


 でも、似せている。


 自分を揺らすために。


 名前も、紙も、模様も。


 誰かが、怖いものを真似している。


 それは、本物とは別の怖さだった。


 エレオノーラは最後に言った。


「詳細は引き続き確認します。現時点で、学園祭全体の中止判断は出ていません。ただし、紙材・装飾品・搬入物の確認は強化されます」


「了解しました」


 リゼが答える。


 エレオノーラが去った後、カイはしばらく黙っていた。


 そして、低い声で言った。


「腹立つな」


「はい」


 リゼが答える。


「不快です」


 ミリアも静かに頷く。


「ええ。とても」


 アルトは左手首に触れた。


「僕も、怒っています」


 言うと、三人がこちらを見る。


 アルトは続けた。


「怖いです。でも、それだけじゃないです。小さな灯の焼き菓子店の紙に、勝手に入ってきたことが嫌です」


 リゼの目が少し柔らかくなる。


「はい」


 ミリアが言う。


「では、その怒りで境界線を引きましょう」


「境界線」


「ええ。これは使わない。これは入れない。これは私たちの紙ではない。そう決めること」


 カイが頷く。


「俺たちの紙を作る」


「はい」


 アルトも頷いた。


 夜。


 男子寮の自室で、アルトは机の上に白い紙を置いた。


 今日、問題がなかった方の紙を小さく切ったものだ。


 まだ正式な包装紙ではない。


 ただの試し書き用。


 その上に、アルトはゆっくりと文字を書いた。


 小さな灯の焼き菓子店。


 次に、小さな印を描く。


 丸い炎。


 その下に、焼き菓子のような丸。


 鐘ではない。


 蔦ではない。


 白鐘ではない。


 自分たちの印。


 左手首が淡く光る。


 痛みはない。


 熱は穏やか。


 声もない。


 アルトは紙片を広げ、今日の記録を書き始めた。


 今日は、包装紙の透かしを見つけた。


 朝、カイが包装紙サンプルを持ってきた。


 購買部と物資管理班から許可を取っていた。


 受領確認書には、無地紙三種、薄茶、白、淡橙と書かれていた。


 最初は、自分たちで選ぶ紙を見られると思って少し楽しみだった。


 淡橙色の紙は、小さな灯の焼き菓子店に合いそうだった。


 でも、ミリアさんが光に透かした時、左手首が反応した。


 よく見ると、紙の中に蔦のような線と、小さな鐘の形があった。


 白鐘紙工房に似た透かしだった。


 痛みが少し出た。


 声はなかった。


 怖かった。


 自分たちの店の紙だと思っていたものに、怖い模様が入っていたから。


 僕は、誰かが僕たちの店にこれを使わせようとしたのかもしれないと言った。


 僕が触るか、見るか、名前を書くかもしれない紙に、白鐘に似た透かしを入れたのかもしれない。


 僕の反応を見ようとしているのかもしれない。


 カイは、俺たちの焼き菓子をそんなことに使うなと言った。


 怒っていた。


 でも、触らなかった。


 破らなかった。


 燃やさなかった。


 リゼさんは保全して、ユリウス先輩とエレオノーラ先輩へ共有した。


 ユリウス先輩は、怒っていいと言った。


 君たちが作ろうとしている場所に、不明なものが混ざった。それは怒っていいことだと言った。


 僕は、自分が怒っていると気づいた。


 午前の授業で、ロウ先生は混入と境界の話をした。


 混入は物だけの問題ではなく、意図の混入もある。


 祝うための飾りに、誰かを揺らす意図が混ざる。


 包むための紙に、誰かを試す意図が混ざる。


 境界線は、拒絶のためだけではなく、何を受け取り、何を受け取らないかを決めるためにある。


 怒りは発見の力になるけど、証拠を燃やしてはいけない。


 触らない。


 壊さない。


 隠さない。


 記録して、共有する。


 昼、小さな灯の包装紙を自分たちで作ることにした。


 白い鐘でも蔦でもない、丸い炎の印。


 小さな灯の印。


 カイが紙を運ぶ。


 ミリアさんが紙の状態を見る。


 僕が店名と番号を書く。


 リゼさんが番号を記録する。


 四人で確認する。


 夕方、エレオノーラ先輩から途中報告があった。


 購買部の無地紙在庫には、透かし入りの淡橙紙はなかった。


 問題の紙は、購買部の紙とは厚みと繊維が違う。


 差し替えか、追加混入の可能性がある。


 クラウス卿によると、透かしは白鐘紙工房に酷似しているけれど、完全一致ではないらしい。


 誰かが真似したのかもしれない。


 それも怖い。


 本物ではなくても、僕を揺らすために似せたものなら、それは別の怖さがある。


 でも、僕たちはそれを使わないと決めた。


 小さな灯の焼き菓子店には入れない。


 自分たちの紙を作る。


 自分たちの印を選ぶ。


 アルトはペンを止めた。


 机の上の小さな印を見る。


 丸い炎。


 焼き菓子のような丸。


 不器用だが、怖くない。


 誰かが作った模倣の白鐘ではない。


 アルトたちが選んだ小さな灯だ。


 最後に一行を書く。


 誰かが怖い模様を混ぜても、僕たちはそれを使わないと決められる。


 そして、僕たちの場所に入れる印を、自分たちで選べる。


 紙片を折り、引き出しへしまう。


 左手首を胸の上に置く。


 熱は少し。


 痛みはない。


 声もない。


「現在地は、男子寮の自室。夜。僕はアルト。今日は包装紙の透かしを見つけた。怖かった。怒った。でも、僕たちの紙を作ると決めた」


 銀環は淡く光った。


 その光は、誰かが紛れ込ませた透かしに応えるものではなく、何を受け取らないかを決めた手で、白い紙の端に自分たちの小さな印を灯すように、手首の奥で静かに揺れていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ