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灰銀の戦乙女は、制服を知らない  作者: 最後に残った形


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第5章 第9話:招待客名簿


 翌朝、掲示板の前には、また新しい紙が貼られていた。


 学園祭準備委員会

 招待客・外部業者名簿確認会

 本日放課後 第二会議室

 対象:準備委員会、来場者案内班、物資管理班、出店班代表、警備補助班


 アルト・レインフォードは、その文字を見た瞬間、左手首に触れた。


 痛みはない。


 熱は少し。


 声はない。


 外部業者。


 招待客。


 名簿。


 名前が並ぶ紙。


 昨日の地図の鐘印と旧倉庫の白い鐘飾りを思い出す。


 誰かが地図に印を書き足した。


 旧倉庫には白い鐘の飾りがあり、蔦模様の紙片があった。


 白鐘紙工房に似た透かし。


 その調査は、学園側で進められている。


 まだ答えは出ていない。


 それなのに今日は、また名前の一覧を見る。


 人の名前。


 商会の名前。


 業者の名前。


 その中に何かが紛れているかもしれない。


 そう思っただけで、胸の奥が少し冷える。


 けれど、名簿は見なければならない。


 学園祭は外へ門を開く行事だ。


 誰が来るのか。


 何が入るのか。


 知らないままでは、怖さは大きくなる。


 アルトはゆっくり息を吸った。


「痛みなし。熱、少し。声なし。現在地は、学園中庭。朝。掲示板前。招待客と外部業者の名簿確認会の連絡を見ています」


 隣にいたリゼ・グレイスが、すぐに尋ねる。


「感情は」


「緊張。名前の一覧を見るのが少し怖いです。でも、確認した方がいいと思っています」


「良好です」


 リゼは静かに頷いた。


 彼女は昨日の旧倉庫確認以降、いつもより少しだけ周囲への注意が鋭くなっている。


 ただし、それは以前のような「すべてを自分で処理する」鋭さとは少し違っていた。


 危険を見つける。


 共有する。


 報告する。


 対応を分ける。


 昨日の合同確認と旧倉庫確認で、リゼはそれを何度も実践した。


 今朝も、彼女は掲示板の紙を確認しながら、自分の記録帳に短く書いている。


 招待客・外部業者名簿確認。


 出店班代表として参加。


 警備補助範囲:情報確認、報告。単独調査不可。


 ミリア・ファルネーゼは、掲示を見た瞬間から表情を少し引き締めていた。


 金色の髪を朝の光に揺らし、紙の文字を一つ一つ追っている。


「招待客名簿」


 彼女は小さく呟いた。


 カイ・ロックハートが尋ねる。


「名簿って、来るやつの名前が並んでる紙だろ?」


「ええ。保護者、卒業生、商会、業者、来賓。いろいろあるはずよ」


「それを見るだけで何かわかるのか?」


「わかることもあるわ」


 ミリアの声はいつもより少し低い。


「貴族名、商会名、紹介者、地域表記、古い家名の使い方。違和感があれば、そこから気づけることがある」


 カイは少し驚いたように眉を上げた。


「ミリア、そういうの詳しいのか」


「少しだけね」


 ミリアは微笑んだ。


 しかし、その微笑みは柔らかいだけではなかった。


 社交の場で相手の言葉や家名を読み取る力。


 貴族の娘として身につけてきたもの。


 普段は紅茶やリボンや会話の温度を整えるために使われているその力が、今日は名簿を読むための目になる。


 リゼが言った。


「本日の確認では、ミリアさんの知識が重要になる可能性があります」


 ミリアは軽く息を吐いた。


「そうね。見るわ」


 カイが拳を握りかけ、途中でやめた。


「俺は何を見る?」


「出店に関係する物資、包装、材料、紙、商会名」


 リゼが答える。


「焼き菓子に関係あるところか」


「はい」


「任せろ」


 アルトは左手首に触れたまま、掲示板を見た。


 自分は何を見るのだろう。


 名前。


 旧領北部。


 白鐘。


 紙細工。


 怖い言葉が出るかもしれない。


 でも、すぐに隠してもらうのではなく、手順を作って見る。


「僕は、反応を記録します」


 アルトは言った。


 ミリアがこちらを見る。


「無理はしないでね」


「はい。でも、どの名前に熱くなるか、僕たちが先に知る必要があると思います」


 リゼが静かに頷いた。


「はい。敵ではなく、私たちが先に知る」


 クラウスが言った言葉。


 それをリゼが繰り返した。


 アルトの胸に、少しだけ力が戻る。


 怖い。


 でも、一人で見ない。


 今日も四人で見る。


 午前の授業は、どこか名簿のことを意識しながら過ぎた。


 ロウ教師は、黒板に「名簿と門」と書いた。


 アルトは思わずリゼを見る。


 リゼも同時にこちらを見ていた。


 カイが小声で言う。


「絶対知ってるよな」


 ミリアが小さく笑う。


「たぶんね」


 ロウ教師は教室を見渡した。


「学園祭では、門を開く。門を開く時、誰を迎えるかを決めるために名簿が作られる」


 アルトはペンを取った。


「名簿は便利だ。来る者の名、所属、紹介者、目的、搬入物。それらが並ぶ。名簿があれば、門番は誰を通すべきか判断しやすい」


 黒板に、ロウ教師は短い線を引いた。


 名。


 所属。


 紹介者。


 目的。


 物。


「だが、名簿に名前があるから安全とは限らない。名は借りられる。所属は偽れる。紹介状は古いものを流用できる。目的は飾れる。物は箱の中で入れ替わる」


 カイが真剣に顔を上げた。


 物は箱の中で入れ替わる。


 昨日の搬入口。


 旧倉庫。


 白い鐘の飾り。


 紙片。


 アルトの左手首が少し熱くなる。


 痛みはない。


 声もない。


 リゼが横目で確認する。


 アルトは小さく頷いた。


 ロウ教師は続ける。


「だから名簿を見る時は、文字だけでなく、文字の使われ方を見る。古すぎる表記。不自然な紹介者。目的と搬入物の不一致。地域名のずれ。丁寧すぎる文言。逆に雑すぎる記録」


 ミリアが静かにノートを取っている。


 その横顔は、普段より少し大人びて見えた。


「疑うことは、相手を敵と決めつけることではない。確認することだ。確認は礼を欠く行為ではない。門を開く側の責任だ」


 アルトはノートに書いた。


 疑うことは、敵と決めつけることではない。


 確認すること。


 門を開く側の責任。


 ロウ教師の視線が一瞬、アルトたちの方へ来たような気がした。


「そして、名簿を読む者も一人で背負うな。貴族名を知る者、商会名を知る者、物資を見る者、体調反応を記録する者、それぞれの目を重ねなさい」


 アルトはペンを止めた。


 今日の自分たちの役割そのものだった。


 ミリアは名を見る。


 カイは物を見る。


 リゼは導線と安全を見る。


 アルトは反応を見る。


 それぞれの目を重ねる。


 授業の終わりに、ロウ教師は短く言った。


「名簿は人を疑うためだけの紙ではない。迎えるための紙だ。だが、迎えるためには、何を通すかを知れ」


 昼休み、四人は中庭のベンチで今日の確認手順を作った。


 ミリアが紙を広げる。


「まず、名簿を全部一気に読むのは避けましょう。区分ごとに見る」


 リゼが頷く。


「保護者、卒業生、商会、業者、王都関係者、王宮関係者。区分ごとに反応確認」


 カイが尋ねる。


「俺は商会と業者を見るんだよな」


「はい」


 リゼが答える。


「特に、包装紙、紙細工、材料、搬入物、出店に関係する物品」


「紙細工」


 アルトの左手首が少し熱くなる。


「痛みなし。熱、少し。声なし」


 自分で言う。


 ミリアがすぐに続ける。


「現在地は?」


「学園中庭。昼。いつものベンチ。リゼさん、ミリアさん、カイと名簿確認の手順を作っています」


「感情は」


「緊張。紙細工という言葉に少し反応しました。でも、大丈夫です」


「良好ね」


 リゼが記録する。


 紙細工:熱少、痛みなし、声なし。


 カイは少し眉を寄せる。


「紙細工って、普通なら飾りだよな」


「ええ」


 ミリアが答える。


「学園祭では装飾に使われることも多いわ。だから、全部を危険とは言えない」


「でも、白鐘紙工房がある」


 カイは少し間を置いてから言った。


 アルトの左手首がまた熱くなる。


 だが、今度は少し予測していた。


「痛みなし。熱、中より少し弱い。声なし」


 カイがすぐに言う。


「急だったか?」


「少し。でも、大丈夫です。今は中庭です」


 リゼが確認する。


「現在地は」


「学園中庭。昼。みんなといます。白鐘紙工房という言葉を確認しました」


「感情は」


「怖い。でも、記録できています」


「良好です」


 カイは少しほっとした顔をした。


「言う前に一呼吸置いた」


「はい。わかりました」


「ならよし」


 ミリアが優しく言う。


「午後の名簿確認では、白鐘に似た言葉、旧領北部の商会名、紙工房、礼拝堂、鐘、蔦、この辺りは事前確認しながら進めましょう」


「はい」


 アルトは頷いた。


「僕が中止と言ったら止めてください」


「もちろん」


 ミリアが答える。


 リゼも言う。


「中止条件。痛み強、声あり、現在地不明瞭、本人中止希望。加えて、熱強が連続する場合も休憩」


「はい」


 カイが焼き菓子の包みを出した。


「名簿確認前用」


 ミリアが笑う。


「今日は早めね」


「必要だろ」


「必要ね」


 リゼも頷いた。


 四人で焼き菓子を一つずつ食べた。


 甘さは少し控えめだった。


 午後へ向かう前には、ちょうどよかった。


 放課後、第二会議室には、準備委員会の関係者が集まっていた。


 大きな机の上に、いくつもの名簿が置かれている。


 保護者名簿。


 卒業生名簿。


 来賓予定名簿。


 認可商会一覧。


 外部業者搬入予定。


 紹介状確認表。


 物資搬入予定表。


 紙の匂いがする。


 アルトは部屋に入った瞬間、少しだけ左手首が熱くなるのを感じた。


 名簿。


 名前の束。


 自分の知らない人たちの名前が並ぶ紙。


 怖さが、胸の奥に静かに広がる。


「痛みなし。熱、少し。声なし」


 自分で言う。


 ミリアが隣で頷く。


「現在地は?」


「第二会議室。放課後。名簿確認会。リゼさん、ミリアさん、カイといます。机の上に招待客と業者の名簿があります」


「感情は?」


「緊張。名前が多いから。でも、手順通り見ます」


「良好です」


 リーナ準備委員長が前に立っていた。


 ユリウスとエレオノーラもいる。


 クラウスも奥の席に座っていた。


 彼がいるということは、王宮や旧領関係の確認も必要なのだろう。


 リーナは全員へ説明する。


「今日は、招待客と外部業者の名簿確認を行います。これは相手を疑うためではなく、学園祭当日に混乱なく迎えるための確認です。不明点や違和感があれば、必ず記録してください。個人で直接問い合わせることは禁止です」


 ロウ教師と同じ考え方。


 確認。


 共有。


 報告。


 リゼは静かに頷いていた。


 エレオノーラが続ける。


「名簿は区分ごとに確認します。保護者・卒業生、来賓、商会、業者、搬入物。記録はすべて会議室内で行い、持ち出しは禁止です。必要な写しは生徒会が作成します」


 カイが小声で言う。


「持ち出し禁止か」


「情報管理です」


 リゼが答える。


「なるほど」


 最初は保護者・卒業生名簿だった。


 アルトは少し緊張していたが、ここでの反応は弱かった。


 知らない名字。


 見覚えのある学園関係者の家名。


 同級生たちの親族らしい名前。


 怖くはない。


 ただ、名前が多いと少し疲れる。


「痛みなし。熱、少し。声なし。疲労、少し」


 リゼが頷く。


「休憩を挟みますか」


「まだ大丈夫です」


 次に来賓予定名簿。


 王都文化局。


 教育審議会。


 王宮儀礼局補佐官。


 オルド・ハイマン監察官。


 その名前を見た瞬間、アルトの左手首が強く熱を持った。


 痛みはない。


 声もない。


 だが、胸が冷える。


「痛みなし。熱、中から強。声なし」


 ミリアがすぐに尋ねる。


「現在地は」


「第二会議室。放課後。名簿確認会。来賓予定名簿を見ています。オルド・ハイマン監察官の名前があります」


「感情は」


「嫌です。怖いです。でも、名前を見ただけです。ここに本人はいません」


 リゼが静かに言う。


「良好です」


 カイが名簿を睨むように見る。


「やっぱ来るのか」


 ユリウスが少し離れた席から答えた。


「来場予定だ。ただし、学園長および生徒会が対応する。一般生徒が単独対応する必要はない」


 アルトは頷いた。


「はい」


 ミリアが小声で言う。


「オルド監察官の名前は、別紙で管理しましょう。学園祭当日の動線確認が必要ね」


 リゼが記録する。


 オルド・ハイマン:熱中強、痛みなし、声なし。本人不在。学園側対応予定。


 次に、認可商会一覧。


 ここから、ミリアの目が変わった。


 穏やかな表情はそのままだが、視線の動きが早い。


 商会名。


 代表者名。


 紹介者。


 地域。


 取扱品目。


 一つずつ、彼女は読み進める。


「王都中央菓子材料組合。問題なし」


 カイが身を乗り出す。


「それ、うち関係ある?」


「干し果物や砂糖の仕入れ元候補ね。正式には学園購買経由だけれど」


「覚えた」


「王都南区木工組合。看板や舞台材。問題なさそう」


 リゼが頷く。


「木材搬入。搬入口確認対象」


「王都花飾り商会。装飾用。紹介者は学園長夫人。問題なし」


 ミリアは次々に確認していく。


 その時、彼女の指が一つの名前で止まった。


 北白蔦紙装商会。


 アルトの左手首が熱を持った。


 白。


 蔦。


 紙。


 北。


 言葉が重なる。


 痛みはない。


 しかし、熱は強めだった。


「痛みなし。熱、中から強。声なし」


 ミリアがすぐに手を止める。


「現在地は」


「第二会議室。放課後。商会名簿を確認中。北白蔦紙装商会という名前を見ました」


「感情は」


「怖い。白鐘ではないけど、白と蔦と紙が重なって怖いです」


 リゼが記録する。


「北白蔦紙装商会。反応あり」


 カイが眉を寄せる。


「何の商会だ」


 ミリアは名簿を確認する。


「紙細工装飾。包装紙、吊り飾り、招待状用封筒、出店用包装材のサンプル提供」


「包装紙」


 カイの声が低くなる。


「うちの店にも関係あるじゃねえか」


 リゼが頷く。


「はい。小さな灯の焼き菓子店の包装材候補に入る可能性があります」


 アルトの左手首がさらに少し熱くなる。


 ミリアは商会名の横の紹介者欄を見た。


「紹介者は……王都文化局の補佐官名義。けれど」


 彼女は眉をわずかに寄せた。


「表記が古いわ」


「古い?」


 カイが尋ねる。


「今は“紙装商会”という言い方はあまりしないの。王都では“紙工装飾商会”か“装飾紙材商会”の方が一般的。北白蔦という名前も、少し旧領北部の古い地名表記に近い」


 旧領北部。


 アルトの左手首が熱を増す。


「痛みなし。熱、強。声なし」


 ミリアがすぐに言葉を止めた。


「休憩しましょう」


「はい」


 アルトは頷いた。


 リゼが現在地確認を促す。


「現在地は」


「第二会議室。放課後。名簿確認会。北白蔦紙装商会を見て、旧領北部の古い表記に近いと聞きました」


「感情は」


「怖いです。白鐘紙工房に近いかもしれないと思ったから。でも、まだ確定ではありません」


「良好です」


 クラウスが席を立ち、名簿を確認した。


 彼の表情は硬くなる。


「北白蔦」


 その言葉だけで、アルトの左手首が少し反応する。


 クラウスはすぐにアルトを見た。


「すまない。続けてよいか」


 アルトは深く息を吸った。


「はい。短くお願いします」


「この表記は、旧領北部でかつて使われた地名・意匠の組み合わせに似ている。ただし、白鐘紙工房そのものの名ではない」


 白鐘紙工房。


 また熱が上がる。


 でも、予測していた。


「痛みなし。熱、強。声なし」


 リゼが記録する。


 クラウスは続ける。


「北、白、蔦、紙。偶然でもあり得るが、今の状況では確認対象だ」


 ユリウスが頷く。


「この商会については、学園側で登録実態を確認する。直接連絡は生徒から行わない」


 エレオノーラが記録する。


 北白蔦紙装商会:確認対象。旧領北部表記類似。紙細工・包装材提供予定。登録実態確認。


 カイが低く言う。


「包装紙、使わねえ方がいいんじゃないか」


 ミリアが慎重に答える。


「まだ断定はできないわ。でも、小さな灯の焼き菓子店では、この商会の包装材は使わない方向で希望を出しましょう」


「出す」


 カイは即答した。


「うちの焼き菓子を変な紙に包むのは嫌だ」


 その声は、怒りを含んでいた。


 でも、カイは立ち上がらなかった。


 名簿を奪おうともしなかった。


 拳を握って、座っていた。


 リゼが静かに言う。


「カイさん、良好です」


「何が」


「怒りを保持したまま、突撃していません」


「……おう」


 カイは少し照れくさそうに視線を逸らした。


 ミリアは名簿確認を続けた。


 他にもいくつか商会名が出たが、アルトの反応は大きくなかった。


 ただ、北白蔦紙装商会だけは、紙の上で浮いて見えた。


 ミリアの指が、もう一度その行に戻る。


「搬入予定品目」


 彼女は読み上げる前に、アルトを見た。


「読みます。大丈夫?」


「はい」


「紙細工装飾、白色鐘型吊り飾り、蔦模様入り包装紙、招待状用封筒、出店用包装紙サンプル」


 アルトの左手首が強く光った。


 痛みが少し走る。


 声はない。


 でも、胸の奥に冷たいものが落ちる。


 白色鐘型吊り飾り。


 蔦模様入り包装紙。


 昨日の旧倉庫。


 白い鐘飾り。


 蔦模様の紙片。


 同じではないかもしれない。


 でも、近い。


「痛み、少し。熱、強。声なし」


 リゼが即座に言った。


「休憩します」


 アルトは頷いた。


 ミリアが名簿を閉じる。


 カイが焼き菓子の包みを出しかけ、会議室内で食べられないことを思い出して止めた。


「あとで食う」


 小さく言う。


 アルトは少し笑いそうになった。


 緊張の中で、その言葉が少しだけ助けになった。


 ユリウスが周囲へ指示する。


「北白蔦紙装商会の搬入品は、一時保留。すでに届いているサンプルがないか確認する。物資管理班、準備委員会の紙材保管場所を確認してほしい」


 エレオノーラが記録する。


「確認します」


 クラウスは低い声で言った。


「旧倉庫の紙片との照合も必要だ」


「はい」


 リゼが言う。


「ただし、アルトさんの前で直接照合しない方がよいと思われます」


 クラウスは頷いた。


「同意する」


 ミリアが名簿を見つめたまま言った。


「この紹介者名義も確認が必要です。王都文化局補佐官の表記が、現在の正式肩書と少し違うわ。古い紹介状を写したか、誰かが昔の形式を使った可能性があります」


 ユリウスの表情がさらに硬くなる。


「紹介状の原本を確認する」


 エレオノーラが追加で記録する。


 紹介状表記不一致。原本確認。


 アルトは左手首を押さえた。


 怖い。


 でも、情報が形になっている。


 北白蔦紙装商会。


 紙細工装飾。


 白色鐘型吊り飾り。


 蔦模様入り包装紙。


 出店用包装紙サンプル。


 紹介状表記不一致。


 旧倉庫紙片との照合。


 怖いものが、ただ怖いままではなく、確認項目になっていく。


 それは少しだけ、呼吸をしやすくした。


 名簿確認会は、その後も続いた。


 アルトは一度休憩を挟み、熱が中まで下がってから戻った。


 ミリアは無理にすべてを読み上げず、必要な部分だけを確認するように変えた。


 リゼはアルトの反応を記録し、カイは紙材や包装に関係する行を重点的に見た。


 いくつかの装飾業者や楽団名には弱い反応があったが、北白蔦ほどではなかった。


 王宮関係者の名簿には、オルドのほかに数名の補佐官が載っていた。


 アルトの熱は少し上がったが、声はない。


 痛みも出なかった。


 最後に、エレオノーラが確認内容をまとめた。


「本日の要注意項目。北白蔦紙装商会。旧領北部表記類似。紙細工装飾、白色鐘型吊り飾り、蔦模様入り包装紙、包装紙サンプル。紹介状表記不一致。搬入予定品保留。登録実態確認。旧倉庫紙片との照合。以上です」


 リーナは真剣な顔で頷いた。


「準備委員会として、紙材関係のサンプルは一度すべて確認します。出店班には、包装紙を配布する前に必ず確認を入れます」


 カイがすぐに言った。


「小さな灯の焼き菓子店は、その商会の包装紙は使いません」


 リーナは頷く。


「希望として記録します。安全確認が終わるまでは配布しません」


 ミリアが静かに付け加えた。


「こちらで独自の包装紙を用意する方向で進めます」


「わかった。申請書に追記しておいて」


 リゼが記録する。


 小さな灯の焼き菓子店:包装紙は独自準備希望。北白蔦紙装商会の紙材は使用保留。


 アルトは少しほっとした。


 自分たちの焼き菓子が、白い鐘や蔦模様の紙に包まれる想像は怖かった。


 でも、今、使わないと言えた。


 カイが言ってくれた。


 ミリアが整えてくれた。


 リゼが記録してくれた。


 ユリウスとエレオノーラが管理に入れてくれた。


 怖いものに、境界線を引けた。


 会議室を出ると、夕方の光が廊下に差し込んでいた。


 アルトは少し疲れていた。


 名前を読み続けることは、思ったより負荷が大きい。


 左手首はまだ少し熱い。


 だが、痛みはもうない。


 カイがすぐに言った。


「外で食うぞ」


「何をですか」


 リゼが尋ねる。


「名簿確認後用」


 カイは当然のように焼き菓子の包みを見せた。


 ミリアが微笑む。


「今日は本当に必要ね」


 四人は中庭へ向かった。


 いつものベンチに座ると、アルトは深く息を吐いた。


 中庭の噴水の音が聞こえる。


 会議室の紙の匂いが、少しずつ遠ざかっていく。


 カイは焼き菓子を配った。


「名簿確認後用。あと、変な紙に包ませない用」


「用途が具体的ですね」


 リゼが言う。


「今日は必要だろ」


「はい。必要です」


 アルトは焼き菓子を受け取る。


 手の中の焼き菓子は、紙ではなく布に包まれていた。


 普通の布。


 白い鐘も、蔦模様もない。


 それだけで少し安心した。


 ミリアが静かに言う。


「北白蔦紙装商会は、確認対象になったわ」


「はい」


 アルトは頷く。


「白鐘ではないけど、似ていて怖かったです」


「ええ」


「でも、ミリアさんが気づいてくれてよかったです」


 ミリアは少しだけ目を伏せた。


「私も、役に立ててよかったわ」


 カイが言う。


「名前だけじゃなくて、紹介者の書き方とか、肩書きとか、見てたよな」


「そういうところに違和感が出ることがあるの」


「俺には全然わからなかった」


「カイさんは包装と搬入物を見てくれたでしょう」


「それは見た」


「それで十分よ」


 リゼが頷く。


「それぞれの目を重ねることができました」


 アルトは焼き菓子を一口食べた。


 甘さが広がる。


 名簿の中の名前たちが、少しずつ遠ざかる。


「僕は、反応を見るだけでした」


「だけではありません」


 リゼが即座に言った。


「アルトさんの反応は重要情報です。北白蔦紙装商会の名前と搬入品目に対し、反応が上がったことで確認優先度が高まりました」


「でも、僕が反応するせいで」


「あなたが存在することは、誰かがあなたを利用してよい理由にはなりません」


 リゼは以前と同じ言葉を、静かに言った。


 アルトは息を止める。


 リゼは続けた。


「あなたが反応したことは、悪いことではありません。反応を利用しようとする者がいるなら、問題はそちらにあります」


 カイが頷く。


「そうだ。変な名前つけたり変な紙持ち込むやつが悪い」


 ミリアも言う。


「そして、私たちはそれに気づけるようになっている」


 アルトは左手首に触れた。


 熱は少し。


 痛みなし。


 声なし。


「現在地は、学園中庭。夕方。いつものベンチ。リゼさん、ミリアさん、カイといる。名簿確認が終わって、焼き菓子を食べています」


 ミリアが尋ねる。


「感情は」


「疲れました。怖かったです。でも、少し安心しています。僕たちの店の包装紙を、自分たちで選べるから」


 カイが力強く頷いた。


「小さな灯の紙、作るぞ」


「はい」


 リゼが言う。


「偽造防止、成分表示、出店名、番号管理が必要です」


「また大変そうだな」


「必要です」


「やる」


 カイは即答した。


 ミリアが微笑む。


「明日は包装紙の案を考えましょう。白い鐘でも蔦でもない、私たちの印」


 アルトは少し考えた。


「小さな灯の印」


「ええ」


 リゼが頷く。


「小さな灯の印。物資管理札にも使用可能です」


 カイが言う。


「焼き菓子も守れるな」


「はい」


 アルトは左手首の熱が少し穏やかになるのを感じた。


 怖い紙がある。


 でも、自分たちで選ぶ紙も作れる。


 それは、とても大事なことだった。


 夜。


 男子寮の自室で、アルトは今日の名簿確認の記録を書いた。


 机の上には、地図と、名簿確認会で許可された範囲のメモがある。


 北白蔦紙装商会。


 紙細工装飾。


 白色鐘型吊り飾り。


 蔦模様入り包装紙。


 出店用包装紙サンプル。


 紹介状表記不一致。


 それらの文字を見ると、左手首が少し熱くなる。


 でも、痛みはない。


 声もない。


 アルトは深く息を吸い、紙片に書き始めた。


 今日は、招待客と外部業者の名簿確認をした。


 朝、掲示板で連絡を見た時から緊張した。


 名簿は、名前がたくさん並ぶ紙だから少し怖い。


 でも、誰が来るのか、何が入るのかを知るためには必要だった。


 午前の授業で、ロウ先生は名簿と門の話をした。


 名簿は人を疑うためだけの紙ではなく、迎えるための紙。


 でも、迎えるためには、何を通すかを知る必要がある。


 名は借りられる。


 所属は偽れる。


 紹介状は古いものを流用できる。


 目的は飾れる。


 物は箱の中で入れ替わる。


 だから、文字だけでなく、文字の使われ方を見る。


 古すぎる表記。


 不自然な紹介者。


 目的と搬入物の不一致。


 地域名のずれ。


 午後、第二会議室で名簿を見た。


 保護者と卒業生の名簿は、少し疲れたけれど大きな反応はなかった。


 来賓名簿に、オルド・ハイマン監察官の名前があった。


 熱が中から強になった。


 怖かった。


 でも、本人はいなかった。


 王宮関係者は学園長と生徒会が対応する。


 その後、認可商会一覧を見た。


 ミリアさんの目がいつもと違っていた。


 貴族名や商会名や紹介者の書き方を、すぐに見ていた。


 北白蔦紙装商会という名前があった。


 白、蔦、紙、北。


 その言葉が重なって、左手首が熱くなった。


 白鐘ではないけれど、怖かった。


 ミリアさんは、その商会名が旧領北部の古い地名表記に近いと言った。


 クラウス卿も、確認対象だと言った。


 搬入予定品目には、紙細工装飾、白色鐘型吊り飾り、蔦模様入り包装紙、招待状用封筒、出店用包装紙サンプルとあった。


 その時、少し痛みが出た。


 声はなかった。


 昨日の旧倉庫の白い鐘飾りと、蔦模様の紙片を思い出した。


 北白蔦紙装商会は確認対象になった。


 登録実態確認。


 紹介状原本確認。


 旧倉庫紙片との照合。


 搬入予定品は保留。


 小さな灯の焼き菓子店では、その商会の包装紙は使わない希望を出した。


 カイが、うちの焼き菓子を変な紙に包むのは嫌だと言った。


 ミリアさんは、独自の包装紙を用意する方向にすると言った。


 リゼさんは記録してくれた。


 名簿確認後、中庭で焼き菓子を食べた。


 カイは、名簿確認後用、あと変な紙に包ませない用と言った。


 僕は、白鐘ではないけど似ていて怖かったと言った。


 ミリアさんは、気づけてよかったと言った。


 リゼさんは、僕の反応は悪いことではないと言った。


 反応を利用しようとする者がいるなら、問題はそちらにあると言った。


 前にも言ってくれた。


 僕が存在することは、誰かが僕を利用していい理由にはならない。


 今日は、それをまた思い出した。


 明日は、包装紙の案を考えるかもしれない。


 白い鐘でも蔦でもない、僕たちの印。


 小さな灯の印。


 怖い紙があるなら、使わないと言える。


 そして、自分たちで選ぶ紙を作れる。


 それが少し嬉しい。


 アルトはペンを止めた。


 北白蔦紙装商会の文字をもう一度見る。


 左手首は少し熱くなる。


 だが、今は中庭ではなく自室だ。


 夜。


 机に向かっている。


 これは記録。


 明日、必要な範囲で共有できる。


 アルトは最後に一行を書いた。


 誰かが怖い名前や紙を用意しても、僕たちは気づいて、使わないと決めて、自分たちの印を選ぶことができる。


 紙片を折り、引き出しへしまう。


 左手首を胸の上に置いた。


 熱は少し。


 痛みはない。


 声もない。


「現在地は、男子寮の自室。夜。僕はアルト。今日は名簿を見た。怖い名前もあった。でも、小さな灯の紙を作ろうと思えた」


 銀環は淡く光った。


 その光は、名簿の奥から知らない名前に呼ばれるためのものではなく、自分たちで選ぶ印をまだ白い紙の上に灯す前の、小さな温かな点のように、手首の奥で静かに揺れていた。


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