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灰銀の戦乙女は、制服を知らない  作者: 最後に残った形


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第3章 第15話:未知の任務


 朝の中庭は、少しざわついていた。


 まだ授業前だというのに、第一校舎へ向かう生徒たちの足取りがいつもより遅い。掲示板の前に人が集まり、何かを見ては互いに顔を寄せ合っている。遠くから聞こえる声には、期待と不安が混ざっていた。


 アルト・レインフォードは、そのざわめきに気づいて足を止めた。


 噂。


 最初に浮かんだ言葉は、それだった。


 第3章に入ってから、噂は何度もアルトの胸を締めつけた。


 リゼと自分の関係。


 左手首の布。


 王宮との関わり。


 見えない言葉は、剣よりも静かに近づいてきて、気づいた時には呼吸を浅くする。


 けれど、今日のざわめきは少し違う。


 好奇心はある。


 しかし、刺すような視線ではない。


 誰かが笑っている。


 誰かが「出る?」と尋ねている。


 誰かが「今年は首席候補が多いらしい」と声を弾ませている。


 アルトは掲示板を見た。


 人垣の隙間から、大きな紙が貼られているのが見える。


 王立アークレイン学園

 第一学年基礎剣術大会開催告知


 その文字を読んだ瞬間、近くでカイ・ロックハートの声がした。


「剣術大会?」


 声量は、少しだけ大きかった。


 すぐにリゼ・グレイスが横から言う。


「声量」


「おっと」


 カイは口元を押さえた。


 だが、目は完全に輝いている。


 朝から眠そうだった顔が一気に覚醒していた。


 ミリア・ファルネーゼは掲示板を見て、小さく笑う。


「今年もこの時期なのね」


「知ってるの?」


 アルトが尋ねる。


「ええ。学園では毎年、一年生向けの基礎剣術大会があるの。正式な武闘大会というより、授業成果の発表に近いけれど、成績評価にも関わるわ」


 カイが前のめりになる。


「出る」


「まだ詳細を読んでいません」


 リゼが言う。


「出る」


「参加条件を確認してから」


「出る」


「カイさん」


 ミリアが呆れた声を出す。


「あなた、まだ何も聞いていないわ」


「剣術大会だろ。出る以外あるか?」


 その単純さに、アルトは思わず笑った。


 笑った瞬間、左手首が淡く温かくなる。


 痛みはない。


 声もない。


 ただ、朝の緊張とは別の、小さな安心の熱。


 リゼが視線だけで確認する。


 アルトは小さく頷いた。


 痛みなし。


 熱少し。


 声なし。


 感情、少し楽しい。


 リゼはほんのわずかに表情を緩めた。


 だが、その穏やかさは長く続かなかった。


 掲示板の少し離れた場所で、白い制服の生徒が二人、教師に何かを渡しているのが見えた。


 生徒会の腕章。


 その後ろから、エレオノーラ・ヴィンスフェルトが記録板を抱えて歩いてくる。


 さらに少し遅れて、ユリウス・エインズワースも現れた。


 ユリウスの表情は硬い。


 剣術大会の告知を見に来た顔ではなかった。


 リゼがすぐに気づく。


「王宮の件ですか」


 ユリウスは周囲を確認し、声を落とした。


「正式文書が届いた」


 空気が変わった。


 アルトの胸の奥が冷える。


 左手首の熱が、今度は別の質へ変わった。


 リゼがすぐに確認する。


「痛みは」


「なし」


「熱は」


「少し上がった」


「声は」


「なし」


 ミリアが静かに尋ねる。


「内容は?」


 ユリウスは短く答えた。


「王宮追加監察官の派遣。到着は明後日午前予定。目的は、アルト君の銀環反応の確認、学園保護体制の評価、王都移送の必要性検討」


 王都移送。


 その言葉に、アルトの左手首がはっきり光った。


 周囲の生徒が何人かこちらを見る。


 リゼが一歩、アルトの左側に立つ。


 隠すためではない。


 人目から少しだけ守るための位置。


 ミリアが自然に話題を遮るように、周囲へ柔らかく微笑んだ。


 カイは拳を握っていたが、何も言わなかった。


 アルトは息を吸う。


 昨日、三人と一緒に作った言葉が胸に浮かぶ。


 本人の意思確認なしの移送には同意しない。


 怖い。


 でも、言葉はある。


 アルトは小さく言った。


「現在地は、学園中庭。朝。リゼさん、ミリアさん、カイ、ユリウス先輩、エレオノーラ先輩がいる。王宮の文書が届いた」


 リゼが頷く。


「感情は」


「怖い。怒ってる。でも、昨日よりは言葉がある」


 ミリアが静かに微笑む。


「ええ。言葉があるわ」


 ユリウスは少し驚いたようにアルトを見た。


 そして、すぐに頷いた。


「学園長、ロウ先生、クラウス卿は、現時点での移送反対をまとめている。君の意思表明も必要になる」


「はい」


 アルトは頷いた。


「僕も、準備します」


 エレオノーラが記録板を抱え直した。


「本人意思確認の必要性、および本人が意思表明準備中であることを記録します。夢の内容、出生名、白鐘礼拝堂関連は記録しません」


「お願いします」


 アルトは答えた。


 そのやり取りを見て、カイが低く言う。


「王宮ってのは、いつも面倒な時に来るな」


「面倒な時を選んでいる可能性もあります」


 リゼが言った。


 ユリウスの表情がさらに硬くなる。


「剣術大会と重なることも、偶然ではないかもしれない」


 カイが眉を寄せる。


「何でだよ。大会とアルトの話、関係あるのか?」


 リゼが答える。


「学園内の注目が集まる時期です。生徒の移動も増え、外部者の出入りも増える。監察官が来ても目立ちにくい」


 ミリアも続ける。


「それに、リゼさんやカイさんが剣術大会へ関われば、護衛体制にも影響が出るわ」


 リゼは掲示板を見た。


 第一学年基礎剣術大会。


 生徒たちは楽しそうに話している。


 学園生活の一部。


 日常。


 だが、その日常に王宮の影が重なる。


 アルトは自分の胸に手を当てた。


 怖い。


 それでも、逃げたくない。


 逃げる場所も、もう誰かに勝手に決められたくない。


 ユリウスは言った。


「今日の放課後、学園長室で対策会議がある。アルト君は直接出席しなくていい。負荷が高いからね。ただ、本人意思を文書で提出できるなら、その方がいい」


「出席しなくていい、ですか」


 アルトは少しだけ聞き返した。


 ユリウスがすぐに言い直す。


「出席するかどうかも、君の意思を確認すべきだった。すまない」


 アルトは少し驚いた。


 そして、頷いた。


「今日は文書にします。直接話すのは、監察官が来た時にしたいです」


「わかった」


 リゼが言う。


「放課後、意思表明文を完成させます」


 カイが頷いた。


「俺も手伝う」


「王宮向け文書にカイさんの直筆案をそのまま使うと危険です」


「何でだよ」


「おそらく一行目が“勝手に連れてくな”になるためです」


「本音だろ」


 ミリアが微笑む。


「本音は大事。でも、整えましょう」


 アルトは小さく笑った。


 左手首の光が少し弱まる。


 怖い話の中でも、笑えた。


 それは、この第3章で何度も学んだことだった。


 恐怖は消えない。


 でも、恐怖だけで全部を決めなくていい。


 午前の授業は、王宮の文書のことで頭がいっぱいだった。


 それでも、授業は進む。


 ロウ教師はいつも通り王国史を語った。


 今日は、王国成立期の誓約制度についてだった。


「誓約とは、支配と保護を同時に含む。王は民を守ると誓い、民は王へ従うと誓う。しかし歴史上、多くの誓約は“守る”という言葉のもとに相手の意思を奪ってきた」


 守るという言葉のもとに、相手の意思を奪う。


 アルトはその一文をノートに書いた。


 昨日の話と重なる。


 友達を守るために遠ざけようとしたこと。


 王宮が自分を守るために移送しようとしていること。


 守る。


 その言葉は優しい。


 でも、使い方を間違えれば、檻になる。


 ロウ教師は教室を見渡した。


 一瞬、アルトと目が合う。


「ゆえに現代の学園教育では、保護と意思確認を分けて考える。守る側の正しさだけでは、守られる側の尊厳は保てない」


 アルトの左手首が淡く光った。


 痛みはない。


 熱は少し。


 声はない。


 リゼが視線だけで確認する。


 アルトは小さく頷いた。


 その言葉を、王宮に言いたいと思った。


 守る側の正しさだけでは、守られる側の尊厳は保てない。


 昼休み、四人は中庭のいつもの席に座った。


 今日は中央寄りでも、隠れた席でもない。


 普通の席。


 カイは売店からパン、スープ、果実水、そして焼き菓子を持ってきた。


「王宮に言う前用」


「まだ提出前です」


 リゼが言う。


「だから前用だろ」


「有効です」


「だろ」


 アルトは焼き菓子を見て、少し笑った。


 昼食を食べながら、四人は意思表明文の骨子を作った。


 ミリアが言葉を整える。


 リゼが必要項目を整理する。


 カイが本音を出す。


 アルトが、自分の言葉として選ぶ。


「まず、僕は今、学園で安定している」


 アルトが言う。


 リゼが記録する。


「銀環反応は継続しているが、現在地確認、友人関係、授業参加、食事、課題会により安定傾向」


 カイが言う。


「あと焼き菓子」


 リゼは一瞬止まり、真面目に書き足した。


「精神安定補助として甘味摂取も有効」


 ミリアが笑いをこらえる。


 アルトも笑った。


「それ、本当に入れるの?」


「医務的観点では有効です」


「王宮に?」


「表現は整えます」


 カイは満足そうだった。


 次に、移送への不安。


「王都へ移送されると、銀環反応がどうなるかわからない。学園で作った安定手順が崩れるのが怖い」


 ミリアが言葉を整える。


「現在構築されている安定環境を変更することは、本人に強い心理的負荷を与える可能性がある」


 リゼが記録する。


 アルトは頷く。


 自分の言葉が、少しずつ王宮へ届く形に整っていく。


 でも、削られてはいない。


 自分が怖いと思っていることが、ちゃんと残っている。


 最後に、本人の希望。


 アルトは少し息を吸った。


「僕は、学園に残りたい。リゼさん、ミリアさん、カイ、先生たちと一緒に、銀環や白鐘礼拝堂のことを知っていきたい。王宮に保護されるとしても、僕抜きで決めないでほしい」


 リゼのペンが止まった。


 ミリアは静かに頷く。


 カイは真顔で言う。


「それはそのまま入れろ」


「王宮向けに整える必要はありますが、内容はそのままです」


 リゼが答える。


 アルトは左手首に触れた。


 熱は少し。


 でも、嫌ではない。


 昼休みの終わり、ティナが遠くから手を振った。


 ノエルも課題用紙を持って来ようとしたが、アルトの前に広がった紙を見て止まった。


「今日は忙しそう?」


 アルトは頷いた。


「うん。今日は課題会、休む」


「わかった。また今度」


「ごめん」


「謝らなくていいよ」


 ノエルはいつものようにそう言った。


 アルトは少しだけ笑った。


「ありがとう」


 課題会。


 昼食。


 友達。


 王宮への文書。


 それらが全部、同じ学園生活の中にある。


 午後の授業後、四人は図書館塔の奥の閲覧席で意思表明文を仕上げた。


 文章は、次のようになった。


 アルト・レインフォード本人意思表明


 一、私は現在、王立アークレイン学園内において、銀環反応への対処手順を形成しつつあります。


 二、現在地確認、体調確認、授業参加、友人との食事、課題会への参加等により、反応は完全ではないものの安定傾向にあります。


 三、王都移送は、現在形成されている安定環境を大きく変更するものであり、強い不安があります。


 四、本人の意思確認なしに移送を決定することには同意しません。


 五、私は現時点で学園に残り、信頼できる教師、関係者、友人と共に、自身の状態と過去について段階的に知ることを望みます。


 六、保護の必要性を否定するものではありません。ただし、保護の名のもとに本人の意思が扱われないことを拒否します。


 七、今後の対応について、私自身への説明と確認を求めます。


 アルトはその文を何度も読んだ。


 少し硬い。


 でも、自分の言葉だった。


 怖い。


 でも、逃げていない。


「これでいい」


 アルトは言った。


 リゼが確認する。


「提出してよいですか」


「うん」


 ミリアが微笑む。


「よく言葉にできました」


 カイが頷く。


「四番と六番がいいな」


「カイらしいね」


「大事だろ」


「うん。大事」


 リゼは文書を丁寧に折り、封筒へ入れた。


「学園長室へ提出します。アルトさんも行きますか」


 アルトは少し迷った。


 文書だけでいいと言われている。


 でも、自分の言葉だ。


 自分で渡したい。


「行く」


「了解しました」


 学園長室の前には、ロウ教師、ユリウス、エレオノーラがいた。


 クラウスも来ていた。


 学園長は室内で王宮文書への返答をまとめているらしい。


 アルトは封筒を持ったリゼから、それを受け取った。


 手が少し震える。


 それでも、自分で持った。


 ロウ教師がアルトを見る。


「提出するか」


「はい」


「これは君の言葉か」


「はい。皆に手伝ってもらいました。でも、僕の言葉です」


 ロウ教師は頷いた。


「なら十分だ」


 アルトは学園長室の扉を叩いた。


 中から入室の声。


 扉を開ける。


 学園長は大きな机の向こうにいた。


 年老いた顔に深い皺が刻まれているが、その目は鋭い。


 アルトは一歩前へ出た。


「アルト・レインフォードです。王宮監察官派遣に関して、本人意思表明を提出します」


 自分の声が、思ったよりはっきり響いた。


 学園長は立ち上がり、両手で封筒を受け取った。


「確かに預かる。王宮への返答文に添える」


「お願いします」


「君の意思は、君のものとして扱う」


 その言葉に、アルトの胸が少し熱くなった。


「ありがとうございます」


 部屋を出ると、左手首が淡く光っていた。


 リゼが問う。


「痛みは」


「なし」


「熱は」


「少し」


「声は」


「なし」


「感情は」


 アルトは少し考えた。


「怖い。でも、提出できた」


 カイが小さく拳を握った。


「よし」


 ミリアが微笑む。


「ええ」


 ユリウスも少し表情を緩めた。


「これは大きい。王宮が無視しづらくなる」


 クラウスは静かに言った。


「よく出した」


 アルトはクラウスを見た。


「僕抜きで決めさせたくないので」


 クラウスは目を伏せた。


「そうだな」


 その声は、少しだけ苦かった。


 夕方。


 四人は中庭へ戻った。


 掲示板の前には、まだ生徒が集まっていた。


 昼間より人は減っているが、剣術大会の告知は目立つ場所に貼られたままだ。


 カイはその前で足を止めた。


 今度はしっかり内容を読んでいる。


 アルトも隣に立って見上げた。


 第一学年基礎剣術大会。


 参加資格。


 一年生。


 基礎剣術履修者。


 希望参加制。


 ただし、成績優秀者および推薦者は教師推薦により出場を求められる場合あり。


 個人戦。


 模擬剣使用。


 安全術式あり。


 首席候補評価対象。


 カイの目が輝いた。


「出る」


「三回目です」


 リゼが言う。


「何回でも言う。出る」


 ミリアが掲示を読みながら言った。


「首席候補評価対象……今年はかなり注目されそうね」


 アルトはその言葉を見る。


 首席候補。


 剣術大会。


 カイが出る。


 それだけではない。


 学園の中で、誰が強いかが見える場。


 そして、リゼ。


 アルトはリゼを見た。


 リゼは掲示を読んでいたが、表情は硬かった。


 教師推薦により出場を求められる場合あり。


 彼女は戦争で活躍した英雄。


 灰銀の戦乙女。


 その実力は、普通の一年生のものではない。


 だが、正体を隠している。


 目立つことは危険だ。


 それでも、学園で剣術大会が行われれば、彼女の実力を見たい者は出るだろう。


 カイが言った。


「グレイス、お前も出ろよ」


 空気が止まった。


 リゼはすぐには答えなかった。


 カイは本気だった。


 彼に悪気はない。


 ただ、強い相手と戦いたい。


 そして、おそらくリゼが強いことを知っている。


 だから言った。


 だが、その言葉はリゼにとって簡単ではなかった。


 ミリアが静かにカイを見る。


「カイさん」


「何だよ。リゼ、強いだろ」


「それはそうだけれど」


 リゼは掲示から目を離した。


「私は目立つべきではありません」


 はっきりした答えだった。


 カイは眉を寄せる。


「でも剣術大会だぞ」


「はい」


「学園の大会だぞ」


「はい」


「出たくねえの?」


 その問いに、リゼはまた少し黙った。


 出たいか。


 出たくないか。


 護衛上の危険。


 正体露見の危険。


 王宮監察官派遣中の注目。


 アルトの安全。


 それらを考えれば、出ないべきだ。


 だが、出たくないのか。


 それは別の問いだった。


 リゼは答えられない。


 アルトはリゼの横顔を見ていた。


 いつも冷静な彼女が、迷っている。


 戦場で英雄と呼ばれた少女。


 でも、今は制服を着た十五歳の生徒。


 リゼ・グレイス。


 自分の友人。


 アルトは思わず言った。


「僕は、リゼさんが戦うところを見てみたい」


 言ってから、はっとした。


 リゼがこちらを見る。


 ミリアも。


 カイは少し得意げな顔になる。


 アルトは慌てて続けた。


「無理に出てほしいって意味じゃない。危ないなら出ない方がいいと思う。でも……僕は、リゼさんのことをまだ知らないことが多いから」


 言葉を探す。


「リゼさんは、僕のことをたくさん見てくれている。体調とか、銀環とか、怖いこととか。でも、僕はリゼさんがどう戦うのか、どういう顔で剣を持つのか、ちゃんと知らない」


 リゼは黙って聞いている。


「知りたいと思った。友達として」


 夕方の風が掲示板の紙を揺らした。


 リゼの灰銀の髪が少しだけ揺れる。


 その目には、驚きと、少しの戸惑いがあった。


 ミリアが静かに言った。


「リゼさん」


「はい」


「すぐ決めなくていいわ」


「はい」


「でも、出るか出ないかも、リゼさん本人の意思を入れましょう」


 それは、今日何度も出た言葉と同じだった。


 本人の意思。


 守る側の正しさだけではなく。


 役割だけではなく。


 リゼ自身がどうしたいのか。


 リゼは掲示を見上げた。


 長い沈黙。


 そして、静かに言った。


「検討します」


 カイが少し笑った。


「それ、出る可能性あるってことだな」


「検討です」


「出ろよ」


「声量」


「今のは小さいだろ」


「内容が大きいです」


 ミリアが笑った。


 アルトも少し笑う。


 その笑いの中で、左手首が淡く光った。


 怖さではない。


 少し先のことを思う光。


 王宮監察官。


 剣術大会。


 白鐘礼拝堂の扉。


 全部が待っている。


 でも、今ここに四人がいる。


 夕鐘が鳴った。


 アルトは目を閉じる。


「痛みなし。熱、少し。声なし」


 リゼが尋ねる。


「現在地は」


「学園中庭。夕方。掲示板前。リゼさん、ミリアさん、カイといる」


 ミリアが聞く。


「感情は」


 アルトは目を開けた。


「怖い。王宮のことも、これからのことも。でも、少し楽しみもある。カイが大会に出ること。リゼさんがどうするのか。学園に、まだ先があること」


 リゼは静かに頷いた。


「良好です」


 カイが拳を握る。


「俺は勝つぞ」


「まだ相手も決まっていません」


 リゼが言う。


「誰でも勝つ」


「その過信は危険です」


「自信だ」


「調整が必要です」


 ミリアが微笑む。


「第4章は、カイさんの声量だけでなく自信の調整も必要そうね」


「何だよそれ」


 アルトは笑った。


 夜。


 男子寮の自室で、アルトは紙片を書いていた。


 王宮から正式文書が届いた。


 追加監察官が来る。


 目的は、銀環反応の確認、学園保護体制の評価、王都移送の必要性検討。


 怖かった。


 でも、昨日作った言葉があった。


 本人の意思確認なしの移送には同意しない。


 今日、皆と一緒に本人意思表明を作った。


 僕は学園に残りたい。


 今ある安定環境を壊されたくない。


 僕抜きで決めないでほしい。


 保護の名のもとに本人の意思が扱われないことを拒否する。


 学園長に自分で提出した。


 手は震えたけど、できた。


 その後、剣術大会の告知を見た。


 カイは出ると言った。


 何度も言った。


 リゼさんにも出ろと言った。


 リゼさんは、目立つべきではないと言った。


 でも、出たいかどうかはすぐ答えなかった。


 僕は、リゼさんが戦うところを見てみたいと言った。


 無理にではない。


 友達として、リゼさんのことをもっと知りたいと思った。


 リゼさんは検討すると言った。


 夕鐘で光った。


 痛みなし。


 熱、少し。


 声なし。


 怖い。


 でも、少し楽しみもある。


 学園に、まだ先がある。


 アルトはペンを止めた。


 今日で、第3章の何かが終わった気がした。


 友達という言葉を受け取ってから、たくさんのことがあった。


 作法がわからなくて悩んだ。


 噂に傷ついた。


 リゼが同じ部屋にいない課題会へ行った。


 エルディアという名をどこに保管するか決めた。


 夢の中で、今はアルトと答えた。


 母がアルトと呼んでいたことを知った。


 友達に言えないことがあると知った。


 守るために遠ざけることが、相手の意思を奪うことにもなると知った。


 そして今日、王宮へ自分の意思を出した。


 アルトは最後に、ゆっくり書いた。


 友達を守ることは、まだよくわからない。


 リゼさんは、未知の任務だと言いそうだ。


 ミリアさんは、任務ではなく関係だと言いそうだ。


 カイは、どっちでもいいから友達を守ると言いそうだ。


 僕は、守られるだけじゃなくて、三人を守りたい。


 でも、一人で決めない。


 ちゃんと話す。


 紙片を折り、引き出しへしまう。


 窓の外には、夜の鐘楼がある。


 王宮監察官は明後日来る。


 剣術大会も近づいている。


 白鐘礼拝堂の扉は、夢の奥でまだ待っている。


 怖いことは減っていない。


 むしろ、増えている。


 それでも、アルトは今夜、少しだけ前を見られた。


 学園に、まだ先がある。


 友達と進む先がある。


 アルトは左手首を胸の上に置いた。


「現在地は、男子寮の自室。夜。僕はアルト。学園に残りたい。友達と、次へ行きたい」


 銀環が淡く光った。


 痛みはなかった。


 その光は、遠くの扉へ引くものではなく、明日の朝へ続く小さな道のように、静かに手首の奥で揺れていた。


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