表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰銀の戦乙女は、制服を知らない  作者: 最後に残った形


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

44/201

第3章 第14話:友達を遠ざける理由


 朝、アルト・レインフォードは中庭へ向かう足を少し遅らせた。


 男子寮から第一校舎へ続く石畳の道は、いつもと同じだった。朝露を含んだ芝生が淡く光り、花壇の白い花が風に小さく揺れている。鐘楼は朝日を受けて静かに立ち、まだ次の鐘を待っていた。


 何も変わっていない。


 けれど、アルトの胸の中だけが昨日から変わらず重かった。


 友達を、扉に近づけてはいけない。


 夢の中で聞いた声。


 母かもしれない影の言葉。


 来てはいけない。


 鐘を鳴らさないで。


 そして、友達を近づけるな。


 昨日の夕方、三人には話した。


 話せた。


 言えないまま抱えているより、少し楽になった。


 でも、楽になったからといって、答えが出たわけではない。


 もし、あの夢が本当に母の残響だったなら。


 もし、白鐘礼拝堂の奥の扉が、本当に危険なものなら。


 もし、リゼやミリアやカイが、自分のせいでそこへ近づくことになるなら。


 自分は、どうすればいいのだろう。


 アルトは左手首の布を押さえた。


 朝の鐘ではすでに一度反応していた。


 痛みはない。


 熱は少し。


 声はない。


 けれど、胸の奥にはずっと重い熱が残っている。


 現在地は、学園中庭へ向かう道。


 朝。


 これから三人に会う。


 言うことがある。


 言いたくないことがある。


 でも、昨日、隠している方が苦しいとわかった。


 アルトは噴水の近くに立つ三人を見つけた。


 リゼ・グレイスは、いつものように左側の位置を空けている。灰銀の髪が朝の光に淡く輝いていた。表情はいつもより少し硬い。昨日の夢の話を受けて、彼女も考えていたのだろう。


 ミリア・ファルネーゼは穏やかに立っているが、目はアルトの顔色をすぐに捉えた。


 カイ・ロックハートは腕を組んでいない。両手を腰に当て、何かを我慢しているような顔をしていた。


 アルトは三人の前で立ち止まった。


「おはよう」


「おはようございます」


 リゼが答える。


 一拍。


「体調は」


 いつもの問い。


 アルトは少しだけ息を吸った。


「眠れた。夢は見たけど、白鐘礼拝堂じゃなかった。中庭で三人が遠くにいる夢だった。朝鐘で少し光った。痛みなし、熱少し、声なし。朝食はパン一つ、スープ半分。気分は……昨日のことを考えてる」


「友達を扉に近づけてはいけない、という夢の言葉ですね」


 リゼが確認する。


 アルトは頷いた。


「うん」


 ミリアが静かに言う。


「今日は、その話をする日ね」


「うん」


 カイが低い声で言った。


「離れるとか言うなよ」


 アルトは心臓を掴まれたような気がした。


 言おうとしていたことを、先に言われた。


 カイはまっすぐ見ている。


 怒っている。


 でも、その怒りはアルトに向いているだけではない。


 夢の言葉に。


 アルトを一人で背負わせる何かに。


 きっと、そういうものにも向いている。


 アルトは目を伏せた。


「少し、考えた」


 カイの眉が寄る。


 ミリアが手でそっと制した。


 今は聞く。


 そういう合図だった。


 アルトは言葉を探した。


「僕と一緒にいると、三人は危ない。噂の時もそう思った。でも、その時は三人が離れないって言ってくれた。だから、僕も離れない方がいいって思えた」


 左手首が淡く光る。


「でも、今回は夢の中で言われた。友達を扉に近づけるなって。もし、本当に母の残響だったら。もし、本当に警告だったら。僕が三人を遠ざけないといけないのかもしれないって」


 リゼはすぐに否定しなかった。


 ミリアも黙って聞いている。


 カイだけが拳を握ったが、まだ黙っていた。


 アルトは続けた。


「三人といると安心する。離れたくない。でも、三人が危険になるのは嫌だ。だから……少し距離を置いた方がいいのかもしれないって思った」


 言った瞬間、胸が痛んだ。


 言いたくなかった。


 でも、言った。


 昨日、言えなかったことを言ったように。


 今日も、逃げずに言った。


 リゼが静かに尋ねる。


「距離を置く、とは具体的にどの程度ですか」


 アルトは困った。


 そこまで具体的には考えられていなかった。


「昼食を毎日一緒に食べるのをやめるとか。課題会も、リゼさんたちが近くにいない形にするとか。白鐘礼拝堂や銀環の話を、三人にあまりしないようにするとか」


「情報共有を減らし、接触頻度を下げる」


「うん」


「その目的は、私たちを危険から遠ざけるため」


「うん」


 リゼは一拍置いた。


「効果は不明です」


 アルトは顔を上げた。


 リゼはいつもの冷静な声で続ける。


「距離を置くことで、私たちが白鐘礼拝堂の扉から遠ざかる可能性はあります。しかし同時に、アルトさんが孤立し、銀環反応が不安定化する可能性が高い。敵が孤立化を狙っている場合、その行動は敵の目的に沿う可能性があります」


「でも、夢が警告なら」


「警告である可能性はあります」


 リゼは否定しなかった。


「しかし、警告の解釈をアルトさん一人で決定するのは危険です」


「僕一人で?」


「はい。あなたは私たちを守ろうとして距離を置く。しかし、その決定に私たちの意思が含まれていません」


 アルトは言葉を失った。


 ミリアが静かに続ける。


「それは、王宮があなたにしたことと少し似ているわ」


 胸に鋭い痛みが走った。


 王宮。


 守るために隠す。


 危険だから知らせない。


 本人抜きで決める。


 アルトがずっと嫌だったこと。


「僕は、そんなつもりじゃ」


「わかっているわ」


 ミリアはすぐに言った。


「あなたは私たちを守ろうとしている。優しさから考えている。でも、優しさでも、相手の意思を聞かずに遠ざけるなら、似た形になってしまう」


 アルトは唇を噛んだ。


 自分が王宮と同じことをしようとしている。


 その可能性に、胸が冷たくなる。


「僕は、三人を道具みたいに扱いたくない」


「ええ」


「でも、危険に巻き込みたくもない」


「それもわかるわ」


 ミリアは優しく言った。


「だから、話し合うの」


 カイが我慢できなくなったように言った。


「勝手に守ろうとして、勝手に遠ざけるな」


 声は低い。


 でも、強かった。


 周囲の生徒が少しこちらを見たが、カイは構わなかった。


「俺は馬鹿だから、難しい術式とか白鐘礼拝堂とか、正直まだ半分もわかってねえ」


「カイ」


「でも、友達が勝手に自分だけ危ない方へ行こうとしてるのはわかる」


 カイの拳が震えている。


「守りたいなら、言え。危ないなら、危ないって言え。俺が行くか行かないかは、俺が決める」


 アルトは息を止めた。


 俺が決める。


 それは、自分がずっと言いたかったことと同じだった。


 自分抜きで決めないでほしい。


 知らないまま扱わないでほしい。


 なのに、自分は三人に対して、それをしようとしていた。


「ごめん」


 アルトの声は小さかった。


「謝罪より、再発防止が必要です」


 リゼが言った。


 あまりにリゼらしい言葉に、アルトは泣きそうな顔のまま少し笑ってしまった。


「うん。リゼさんらしい」


「はい」


 リゼは真面目に頷いた。


「本件の再発防止として、危険情報は一人で判断せず共有する。距離を置く必要があると感じた場合も、即実行せず相談する。夢の警告は重要情報として扱うが、命令として即時採用しない」


 ミリアが微笑む。


「とてもよい整理ね」


 カイも頷く。


「つまり、勝手に離れるな」


「はい」


 リゼが答える。


「そういうことです」


 朝の鐘がもう一度鳴った。


 アルトの左手首が光る。


 いつもより少し強い。


「痛みなし。熱、中。声なし」


 リゼが尋ねる。


「現在地は」


「学園中庭。朝。リゼさん、ミリアさん、カイといる」


「感情は」


 ミリアが聞く。


 アルトは目を閉じた。


「怖い。申し訳ない。でも、少し安心した」


「良好です」


 リゼが言った。


 アルトは目を開ける。


「離れないって、今は言っていい?」


 ミリアが頷く。


「ええ」


「僕は、怖いから三人を遠ざけたいと思った。でも、勝手にはしない。危ないことがあったら話す。離れた方がいいと思った時も、まず話す」


 カイが言った。


「それでいい」


 リゼも頷く。


「確認しました」


 朝の中庭に、少しだけ穏やかな空気が戻った。


 ただし、問題が解決したわけではない。


 夢の警告は残っている。


 扉の危険も、鐘の意味も、母の残響の正体も、まだわからない。


 だから、昼にロウ教師へ報告することになった。


 午前の授業は、アルトにとって不思議なくらい普通に進んだ。


 白鐘礼拝堂の夢。


 友達を遠ざけようとしたこと。


 朝の中庭で言われた言葉。


 それらが胸の奥に残っているのに、授業は進む。


 ロウ教師は王国史を語り、魔術教師は課題を出し、ノエルは見出しでまた悩み、ティナは果実水の濃さについて話し、カイは前列で眠気と戦っていた。


 普通の学園生活は、重い秘密の隣にある。


 それが、今のアルトには少し救いだった。


 休み時間、ティナがアルトの席へ来た。


「今日、顔色ちょっと悪いけど大丈夫?」


 以前なら、アルトは困ったかもしれない。


 どこまで話すか。


 心配をかけるか。


 でも、今日は少しだけ答えられた。


「昨日、あまり眠れなかった。でも、今は大丈夫」


「そっか。無理しないでね」


「うん」


 それだけで終わった。


 全部を話さなくても、嘘ではない。


 昨日学んだことが、少し役に立った。


 昼休み、四人はロウ教師の資料室へ向かった。


 今日はクラウスはいない。


 まずはロウ教師に、夢の警告と朝の話し合いを報告するためだった。


 資料室には、いつもの紙と魔術インクの匂いがした。


 ロウ教師は四人を見て、すぐに言った。


「昨日の夢の続きか」


 アルトは頷いた。


「はい。母かもしれない影が、友達を扉に近づけてはいけないと言いました」


 ロウ教師の表情が硬くなる。


 リゼが事前にまとめた記録を机へ置いた。


「夢の内容。夜明け前発生。白鐘礼拝堂。鐘は初期沈黙、後に鳴動。母親らしき影が警告。文言は、来てはいけない、鐘を鳴らさないで、友達を扉に近づけてはいけない」


 ロウ教師は記録に目を通す。


「銀環反応は」


「夢内で痛みあり。覚醒後、強光。現在は安定傾向。ただし、本日朝の会話時に熱中程度」


 リゼが答える。


 ロウ教師はアルトを見る。


「君は、その夢をどう受け取った」


 アルトは少し緊張したが、答えた。


「最初は、三人から離れた方がいいのかもしれないと思いました」


 カイがわずかに動く。


 でも黙っている。


「でも、朝に話して、それを僕一人で決めるのは違うと言われました」


 ロウ教師は頷いた。


「その通りだ」


「夢が警告なら、無視していいんですか」


「無視してはいけない」


 ロウ教師は即答した。


「だが、従うべき命令として扱うのも危険だ」


「どういうことですか」


「夢の声が何であるか、まだ不明だからだ」


 ロウ教師は机の上に白鐘礼拝堂の簡略図を広げた。


「可能性は複数ある。一つ、本当に母親の残響による警告。二つ、銀環術式が危険を象徴化したもの。三つ、王の影側、あるいは旧いものに仕える者が、君を孤立させるために夢へ干渉したもの。四つ、君自身の恐怖が、母の姿を借りて言葉になったもの」


 アルトは左手首に触れた。


「どれか、わからない」


「今はな」


 ロウ教師は続ける。


「だから、内容は重要な警告として記録する。しかし、行動決定は現実側の情報と照合して行う」


 リゼが頷く。


「夢の文言を命令化しない」


「そうだ」


 ミリアが静かに言う。


「アルトさんが三人を遠ざけようとしたことも、敵の狙いに合ってしまう可能性があるのですね」


「大いにある」


 ロウ教師の声は厳しかった。


「孤独な鍵ほどよく響く、という記述があった。君たちが得ている情報から見ても、孤立化は敵の基本方針だ。友人を遠ざける行動は、敵にとって都合がいい」


 アルトの胸が少し冷たくなる。


 自分が三人を守ろうとして、敵の望む形に近づいていたかもしれない。


 リゼが即座に言った。


「アルトさんの責任ではありません。敵がそのように誘導している可能性があります」


 アルトはリゼを見る。


 彼女はまっすぐこちらを見ていた。


「自責ではなく、対策へ進むべきです」


 ミリアも頷く。


「ええ。気づけたのだから、ここから変えればいいの」


 カイが言う。


「離れない。以上」


「それだけでは不十分です」


 リゼが言う。


「でも基本だろ」


「基本です」


 カイは満足そうに頷いた。


 ロウ教師は少しだけ口元を緩めた。


「単純だが、重要だ」


 アルトは少しだけ笑った。


 その笑いで左手首の熱が少し下がった。


 ロウ教師は白鐘礼拝堂の図を指した。


「今後、扉に関する夢が出た場合、三点を確認しなさい。鐘が鳴っているか。扉が開いているか。君が一人か、誰かがいるか」


「夢の中で?」


「できればだ。難しければ覚醒後に記録するだけでいい」


「はい」


「そして、夢の中で友人を遠ざけろと言われた場合、こう返せ」


 ロウ教師は静かに言った。


「それは自分一人では決めない、と」


 アルトは息を止めた。


 夢の中で返す言葉。


 今はアルト。


 前にそう答えられた。


 今度は。


 それは、自分一人では決めない。


 アルトはゆっくり頷いた。


「言ってみます」


「言えなくても構わない。覚えておくだけでも違う」


 リゼは記録する。


 ミリアはアルトの表情を見ている。


 カイは小声で言った。


「夢の中でも俺たちの意見聞けってことだな」


「その表現は乱暴ですが、概ねそうです」


 リゼが答える。


「なら覚えやすいだろ」


 アルトは笑った。


「うん。覚えやすい」


 昼休みの終わり、資料室を出る前に、アルトはロウ教師へ尋ねた。


「僕が三人を守りたいと思うことは、悪いことですか」


 ロウ教師は立ち止まった。


「悪いことではない」


「でも、遠ざけようとしました」


「守りたい気持ちと、相手の意思を奪う行動は別だ」


 ロウ教師は短く言った。


「前者は大事にしろ。後者は疑え」


 アルトはその言葉を胸に刻んだ。


 午後の授業後、王宮からの使者が学園へ来ているという噂が流れた。


 最初に気づいたのはリゼだった。


 第一校舎の廊下で、教師たちの動きがいつもより固い。通信塔の方へ向かう白い制服が増えている。生徒会の上級生が数人、掲示板近くで何かを確認している。


 ユリウス・エインズワースが廊下の向こうから歩いてきた。


 表情は硬い。


 隣にはエレオノーラ・ヴィンスフェルトが記録板を持っている。


「レインフォード君、グレイスさん」


 ユリウスは声を抑えて言った。


「まだ正式通知ではないが、王宮から追加監察官が派遣される見込みだ」


 空気が変わった。


 アルトの左手首が淡く光る。


 リゼが即座に問う。


「目的は」


「アルト君の状態確認、および学園での保護体制の再評価」


 ミリアの表情が硬くなる。


「移送検討ですか」


 ユリウスは一瞬黙った。


「可能性はある」


 カイが低く言った。


「またかよ」


 エレオノーラが補足する。


「現時点では決定ではありません。監察官の到着予定は明後日以降。正式文書はまだ学園長預かりです」


 リゼが問う。


「クラウス卿は」


「反対意見を出している。ロウ先生と学園長も、現状維持を主張する予定だ」


 アルトは左手首を押さえた。


 王宮。


 移送。


 監察。


 自分がまた、誰かの判断材料になる。


 胸が冷える。


 だが、今朝の話が胸に残っていた。


 一人で決めない。


 一人で抱えない。


「僕の意思は、聞かれますか」


 アルトはユリウスを見て尋ねた。


 ユリウスはすぐに頷いた。


「聞かせる。少なくとも、僕はその場に君の意思を入れるよう主張する」


「聞かせる、ですか」


「聞かれなければ、聞かせる」


 その言い方に、アルトは少しだけ驚いた。


 ユリウスも変わってきている。


 第2章で通信を閉じた先輩。


 今は、本人の意思を入れると言っている。


「ありがとうございます」


 アルトは言った。


 ユリウスは少し苦笑した。


「礼を言われるほど、僕はまだ何もしていないよ」


「でも、言ってくれたので」


 エレオノーラが記録板に短く書き、そしてアルトを見た。


「この件も、記録範囲を確認します」


 アルトは頷いた。


「僕の意思を確認する必要がある、ということは記録していいです。夢の詳細は、まだ書かないでください」


「承知しました」


 リゼがアルトを見る。


「状態は」


「痛みなし。熱、中。声なし。感情は、怖い。でも、怒ってもいる」


「王宮に対して?」


「うん。僕抜きで決めないでほしい」


 ミリアが静かに頷いた。


「その怒りは、大事にしましょう」


 ユリウスは真剣な顔で言った。


「君自身の言葉を、準備しておくといい。監察官が来た時、何を望み、何を拒むのか」


「はい」


 ユリウスとエレオノーラは去っていった。


 廊下に残った四人は、しばらく黙っていた。


 カイが最初に言った。


「昼飯の次は王宮かよ」


「夕方です」


 リゼが訂正する。


「そういう話じゃねえ」


 ミリアが小さく笑ったが、すぐに真剣な顔に戻る。


「でも、今日の朝に話しておいてよかったかもしれないわね」


「何が?」


 アルトが聞く。


「守るために遠ざけること、本人抜きで決めないこと。王宮が来る前に、私たちの中で確認できた」


 リゼが頷く。


「はい。王宮対応にも適用されます」


 アルトは息を吸った。


「僕は、学園にいたい」


 三人がこちらを見る。


「今すぐ王宮へ行きたくない。白鐘礼拝堂のことも、母のことも、銀環のことも怖い。でも、ここで、三人と一緒に考えたい」


 左手首が光る。


 痛みはない。


「それを、ちゃんと言葉にしたい」


 リゼは頷いた。


「意思表明文を作成しましょう」


 カイが顔をしかめる。


「また文か」


「王宮相手には必要です」


 ミリアが言う。


「ええ。でも、アルトさんの言葉で作るのが大事ね」


「うん」


 アルトは頷いた。


 夕方、四人は噴水横のベンチに座った。


 今日の空は薄い橙色だった。


 風は弱く、噴水の水音が穏やかに聞こえる。


 アルトはベンチに座り、紙を広げた。


 王宮監察官へ伝えること。


 リゼが見出しを書いた。


 一、現在の体調。


 二、学園での安定要因。


 三、移送への不安。


 四、本人の希望。


 五、情報共有と意思確認の要望。


 アルトはそれを見つめた。


 王宮へ、自分の言葉を出す。


 怖い。


 でも、必要だ。


 カイが隣から覗き込む。


「最初に、勝手に連れてくなって書け」


「そのままでは強すぎます」


 リゼが言う。


「でも本音だろ」


「本音を王宮用に整える必要があります」


 ミリアが微笑む。


「“本人の意思確認なしの移送には同意しません”くらいかしら」


「それがいい」


 アルトは頷いた。


 リゼが記録する。


 本人の意思確認なしの移送には同意しない。


 その文字を見た時、アルトの胸が少し震えた。


 強い言葉。


 でも、自分の言葉だった。


 夕鐘が鳴った。


 アルトの左手首が光る。


 今日は一日、何度も反応した。


 でも、今の光は少し穏やかだった。


「痛みなし。熱、少し。声なし」


 リゼが尋ねる。


「現在地は」


「学園中庭。夕方。噴水横。リゼさん、ミリアさん、カイといる」


 ミリアが聞く。


「感情は」


「怖い。疲れた。でも、離れないって決められた。王宮にも、僕の意思を言いたい」


 カイが頷く。


「言え」


 リゼも言った。


「支援します」


 ミリアが微笑む。


「一緒に整えましょう」


 アルトは三人を見た。


 朝、自分は三人を遠ざけようとしていた。


 夜を迎える今、自分は三人と一緒に王宮へ伝える言葉を考えている。


 同じ守りたい気持ちでも、形が違う。


 一人で抱えて遠ざけるのではなく、一緒に危険を見て、言葉にする。


 それが、今の自分たちの答えなのかもしれない。


 夜。


 男子寮の自室で、アルトは紙片を書いた。


 今日は、三人から距離を置いた方がいいかもしれないと話した。


 夢で、友達を扉に近づけるなと言われたから。


 三人を守りたかった。


 でも、リゼさんは、それを僕一人で決めるのは危険だと言った。


 ミリアさんは、守るために相手を遠ざけるのは王宮と同じ形になるかもしれないと言った。


 カイは、勝手に守ろうとして、勝手に遠ざけるなと言った。


 僕は、三人を遠ざける前に話すと決めた。


 ロウ先生にも夢のことを報告した。


 夢の言葉は警告として扱う。


 でも、命令としてそのまま従わない。


 夢の中でまた言われたら、それは自分一人では決めない、と返す。


 王宮から追加監察官が来るらしい。


 移送の可能性もある。


 怖い。


 でも、僕は学園にいたい。


 本人の意思確認なしの移送には同意しない。


 その言葉を、三人と一緒に作った。


 夕鐘で光った。


 痛みなし。


 熱、少し。


 声なし。


 怖い。


 疲れた。


 でも、離れないと決められた。


 アルトはペンを止めた。


 最後に、ゆっくりと書いた。


 友達を守りたいなら、友達の意思も聞く。


 それを忘れない。


 紙片を折り、引き出しへ入れる。


 窓の外には、夜の鐘楼がある。


 いつか、夢の中でまた白鐘礼拝堂に立つかもしれない。


 あの影が、また友達を近づけるなと言うかもしれない。


 その時、自分は答えられるだろうか。


 それは、一人では決めない。


 まだ自信はない。


 でも、言葉は持った。


 アルトは左手首を胸の上に置いた。


「現在地は、男子寮の自室。夜。僕はアルト。友達を遠ざけるかどうかは、僕一人で決めない」


 銀環は淡く光った。


 痛みはなかった。


 その光は、遠くの扉ではなく、今いる場所へ戻るための小さな灯のように、静かに手首の奥に残った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ