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灰銀の戦乙女は、制服を知らない  作者: 最後に残った形


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第13章 第7話:ミリアの記録帳


 ミリア・ファルネーゼの記録帳は、厚くなっていた。


 最初は、学園生活の予定を書き留めるための小さな帳面だった。


 授業。


 寮の当番。


 茶葉の残量。


 制服の採寸日。


 リゼ・グレイスがカーテンの揺れを警戒した回数。


 カイ・ロックハートが食堂で焼き菓子を増やしすぎた日。


 アルト・レインフォードの銀環反応と体調。


 エリアナ・ルクス・ヴェルグラントの香草袋の所在。


 そうした日常の細い記録は、いつの間にか王宮の空白と向き合うための記録になった。


 本人意思。


 現在地。


 恐怖。


 未完文。


 不同意。


 帰還名。


 白鐘本来手順。


 そして、救出後の医務室記録。


 ミリアは、王立学園記録室の長机にそれらを並べていた。


 青い記録線は、今は穏やかに光っている。


 王の鐘の焼却波を受け止めた時のような激しさはない。


 窓の外では、卒業式の準備が少しずつ再開されている。


 校庭の青印は片付けられ、講堂の椅子が戻され、庭の隅にはエリアナが植えた香草の花壇がある。


 まだ芽は出ていない。


 でも、土は湿っている。


 ミリアは一冊目の記録帳を開いた。


 最初の頁には、まだ事件の気配が薄い。


 リゼ・グレイス、制服の着方を確認。


 カーテンの揺れを危険視。


 茶に対する反応、良好。


 友達という語への理解、未確定。


 ミリアは、その文字を見て小さく笑った。


 その時、記録室の扉が静かに開いた。


 リゼが入ってくる。


 歩幅はいつも通り正確だが、右腕の動きは少し硬い。


 医務室からの移動許可は出ている。


 ただし、長時間の警戒姿勢は禁止。


 リゼ自身にも、休息指示が出されていた。


「ミリアさん。入室します」


「もう入っているわ」


「確認が遅れました」


「大丈夫」


 リゼは長机の記録帳を見た。


 表情はほとんど変わらない。


 だが、視線が一冊目の頁に止まった。


「私の記録ですか」


「ええ。あなたの記録もあるわ」


「閲覧可能ですか」


 ミリアは少しだけ首を傾けた。


「本人に関する記録だから、あなたが望むなら見せるわ。ただし、私的記録も含まれているから、私が説明しながら」


 リゼは頷いた。


「確認します。見たいです」


 ミリアは椅子を示す。


「座って」


「警戒姿勢を維持した方が」


「座って警戒して」


「可能です」


「では、実行」


 リゼは素直に座った。


 その動きが、初めて会った頃より自然になっていることに、ミリアは気づく。


 命令されたから座るのではなく、友人に促され、必要性を確認し、座る。


 小さな変化。


 でも、確かな変化。


 ミリアは一冊目をリゼの方へ向けた。


「これは、あなたが学園に来て間もない頃」


 リゼが読む。


 リゼ・グレイス、制服袖の余りを戦闘時危険要素として報告。


 食堂の席選択において、退路、窓、入口、アルトの位置を優先。


 ミリアの茶を摂取。味覚反応、良好。ただし本人は「温度、香り、覚醒効果が良好」と報告。


 友達という語を、当初「任務関係外の協力者」と解釈。


 リゼはしばらく黙っていた。


 そして、言った。


「私は、友達を任務関係外の協力者と解釈していましたか」


「していたわ」


「誤りです」


 ミリアは微笑む。


「今ならね」


 リゼは記録帳を見つめた。


 そこに書かれている自分は、確かに自分だ。


 しかし、少し遠い。


 理解できる。


 だが、同じ位置にはいない。


「私は、変化していますか」


 ミリアは即答しなかった。


 記録帳を閉じずに、リゼを見る。


「ええ。とても」


 リゼは瞬きをした。


「変化の内容を確認したいです」


「いいわ」


 ミリアは二冊目を開いた。


 そこには、アルトの本人意思確認が増え始めた頃の記録がある。


 僕は、学園に残りたいです。


 銀環反応は情報であって、判決ではありません。


 怖いです。でも、隠しません。


 リゼ・グレイス、アルトの恐怖申告を異常ではなく情報として扱う。


 リゼ・グレイス、護衛対象の本人意思を優先する発言。


 あなたが存在することは、誰かがあなたを利用してよい理由にはなりません。


 リゼは、その一文を見た。


 自分が言った言葉。


 アルトへ向けた言葉。


 王宮の大人たちへ向けた言葉。


 そして、後に自分自身にも返ってきた言葉。


 ミリアは言った。


「最初のあなたは、危険と安全を中心に世界を見ていたわ。もちろん、それは今も大事。でも途中から、本人意思、恐怖、帰りたい場所、名前、そういうものを安全の一部として扱うようになった」


 リゼは静かに聞いていた。


 ミリアは頁をめくる。


 第10章の記録。


 これは通信遮断ではありません。関係遮断です。


 アルトさんを囮にしません。


 安全室は、安全という名称だけでは安全になりません。


 僕を守るために、一人にしないでください。


 リゼ・グレイス、保護案が孤立導線に近づいた可能性を自己申告。


 リゼはその記録を見て、右手を少し握った。


「この時、私は誤りかけました」


「ええ」


「安全室が安全ではない可能性を、アルトさんの言葉で確認しました」


「そして、修正したわ」


 リゼは記録帳を見たまま言う。


「修正できたことは、良好ですか」


「とても」


 ミリアは、声を少し柔らかくした。


「間違えない人になる必要はないわ。間違えた時、本人の声を聞いて、修正できる人でいることの方が大事よ」


 リゼは、その言葉を長く考えた。


 王宮は間違いを正式完了で覆った。


 臨時調整室は空白で逃げた。


 中央記録鐘は誤った同期を流した。


 王の鐘は不同意ごと焼こうとした。


 それらと違うのは、修正できること。


 本人の声で止まれること。


 リゼは頷いた。


「記録します。間違いを修正可能な状態は重要」


 ミリアが少し笑う。


「それは私が記録しておくわ」


 その時、扉が軽く叩かれた。


 ミリアが答える。


「どうぞ」


 入ってきたのはアルトだった。


 カイが車椅子の後ろを押している。


 医師の許可を得た短時間移動だ。


 アルトの膝には薄い毛布がかかっている。


 喉の布はさらに薄くなっていたが、まだ長く話すことはできない。


 カイは、いつになく慎重に車椅子を押していた。


 壁にも机にもぶつけない。


 扉の段差では一度止まり、医師から教わった通りにゆっくり越える。


 リゼは立ち上がりかけた。


 ミリアが言う。


「座ったまま」


「しかし」


「アルトさんも座っているわ」


 リゼは一瞬考え、座り直した。


「了解しました」


 カイが小声で言う。


「すごい。ミリア、リゼを座らせたままにできる」


「カイさんも声量良好」


「ありがとうございます」


 アルトは記録帳を見て、少し目を丸くした。


「……たくさん……」


 ミリアは頷く。


「ええ。たくさんあるわ」


 アルトは、少し不安そうに視線を落とす。


「……僕の……ことも……?」


「あるわ」


 ミリアはすぐに続けた。


「でも、勝手に提出しない。勝手に読ませない。今ここで見たいところだけ、あなたに見せる」


 アルトは少しだけ息を吐いた。


「……はい」


 カイが車椅子をリゼの隣に止めた。


 アルトはリゼとミリアを見る。


「……記録って……怖いものだと……思ってました」


 部屋が静かになる。


 それは当然だった。


 アルトの人生を何度も脅かしたのは、紙だった。


 本人意思確認済。


 王宮保護移送、正式完了。


 外部確認不要。


 第二保管層。


 王の鐘接続準備。


 記録は、彼を閉じ込めるものだった。


 ミリアは、その言葉を急いで否定しなかった。


「そうね。怖い記録はあるわ」


 アルトが顔を上げる。


 ミリアは続ける。


「人を閉じ込める記録。声を聞かない記録。後で同意したことにする記録。空白のまま誰かを運ぶ記録。そういうものは、怖い」


 カイが唇を結ぶ。


 リゼも黙って聞く。


「でも、記録には別の使い方もあると思うの」


 ミリアは、アルトの頁を開いた。


 ここ。


 さむい。


 こえ。


 ぼく。


 ひとりではない。


 まってる。


 きこえてる。


 僕は、移送に同意していません。


 僕は、保管に同意していません。


 僕は、王の鐘になることに同意していません。


 僕は、アルトとして帰りたいです。


 アルトは、その文字を見た。


 自分の言葉。


 黒蔦に削られそうになった言葉。


 王の鐘に焼かれそうになった言葉。


 それが、ミリアの記録帳に残っている。


 丁寧に。


 途中を補われず。


 勝手に直されず。


 アルトは小さく言った。


「……僕の言葉……残っていたんですね」


 ミリアは頷く。


「残したわ」


「……勝手に……変えなかった……?」


「変えなかった」


「……“でも”の続きを……書かなかった……?」


「書かなかったわ」


 アルトの目が揺れる。


 ミリアは静かに言った。


「勝手には完成させなかった。あなたが言ったところまでを記録した。あなたが後で言えた時、続きを記録した」


 アルトは頁を見つめた。


 医務室での記録もある。


 ここ、学園?


 帰ってきた。


 聞きたいです。でも、今は怖いです。


 後で聞きます。僕の声で。


 学園に残りたいです。


 焼き菓子、帰ってきた味がします。


 アルトは、少しだけ笑った。


「……焼き菓子まで……」


 カイが誇らしげに胸を張りかけたが、車椅子の後ろなので控えた。


「重要だからな」


 ミリアが頷く。


「重要よ」


 リゼも言う。


「友達の焼き菓子です」


 カイが嬉しそうにする。


「リゼが覚えてる」


「記録しました」


「それでも嬉しいです」


 アルトの表情がまた少し柔らかくなる。


 記録室の空気は、王宮の記録庫とは違っていた。


 紙はたくさんある。


 文字もたくさんある。


 だが、それらはアルトを棚へ戻すためのものではない。


 ここへ戻ってくるための道筋だった。


 ミリアは記録帳を閉じずに、手を置いた。


「記録は、人を閉じ込めるためではなく、戻すためにあるの」


 その言葉は、静かだった。


 けれど、記録室の青い線が少しだけ明るくなった。


 リゼはミリアを見た。


「その言葉は、エレオノーラさんも言っていました」


「ええ。記録室の方針ね。でも、私自身もそう思う」


 ミリアは指先で帳面の角を撫でる。


「疲れたわ。正直に言うと、とても疲れた。間違えられないと思ったし、書かなかったら消されると思ったし、でも書きすぎたら誰かを傷つけるかもしれないとも思った」


 リゼが尋ねる。


「記録は疲れますか」


「疲れるわ」


 ミリアは笑わずに答えた。


「でも、忘れさせないために必要だった。アルトさんが“同意していません”と言ったこと。リゼさんが“灰銀ではなくリゼ・グレイスとして”と言ったこと。エリアナさんが“私の血を鍵にしません”と言ったこと。カイさんが、叫びたいのを我慢して名前を呼んだこと。忘れさせないために」


 カイが少し照れたように目を伏せる。


「俺のも入ってるんですね」


「もちろん」


「叫びたいのを我慢って記録されてるんですか」


「されているわ」


「恥ずかしいけど、まあ……いいです」


 ミリアは小さく笑った。


 アルトは、記録帳へそっと手を伸ばした。


 触れる前に、ミリアを見る。


「……触っても……いいですか」


「もちろん」


 アルトは記録帳の端に触れた。


 紙の感触を確かめるように。


 怖いものではないか、確かめるように。


 指先は少し震えていた。


 だが、引っ込めなかった。


「……冷たく……ないです」


 リゼはその言葉に胸の奥が痛んだ。


 第二保管層の白い棚。


 冷却安定化。


 王宮の紙。


 それらは冷たかった。


 ミリアの記録帳は、人の手の温度が残っている。


 ミリアは言った。


「私が持っていたからかしら」


 アルトは小さく頷く。


「……はい」


 リゼは、記録帳の一冊へ視線を落とした。


 青いリボンに関する頁がある。


 ミリアはそれに気づいた。


「見る?」


「はい」


 ミリアは頁を開く。


 青いリボン。


 ミリア・ファルネーゼよりリゼ・グレイスへ。


 用途、戻るための目印。


 リゼ、当初は戦場識別布に近いものとして解釈。


 後に、友人から渡された本人帰還目印として理解更新。


 中央塔出発時、結び直し。


 王宮深部前、維持。


 王の鐘焼却波時、目印継続。


 救出後も着用。


 リゼは自分の髪のリボンに触れた。


 指先で布を確認する。


 何度も結び直され、少し端が柔らかくなっている。


 まだそこにある。


 ミリアが言った。


「これは、あなたが戻るための記録よ」


 リゼはリボンに触れたまま、記録帳を見た。


「私は、戻りましたか」


 ミリアは問い返す。


「あなたは、どう思う?」


 リゼはすぐには答えなかった。


 王宮深部から学園へ戻った。


 アルトを救出した。


 医務室にいる。


 卒業審査の文書もある。


 だが、戻るとは場所だけではない。


 灰銀ではなく、リゼ・グレイスとして。


 王宮の剣ではなく、学園の生徒として。


 その確認は、まだ完全には終わっていない。


「戻りつつあります」


 リゼは答えた。


 ミリアは嬉しそうに頷く。


「良い答えね」


「完了ではありません」


「ええ」


「ですが、戻る導線は維持されています」


「そうね」


 アルトが小さく言った。


「……僕も……戻りつつ……あります」


 リゼはアルトを見る。


「はい。確認しました」


 カイが言う。


「俺も、待てるようになりつつあります」


 ミリアが微笑む。


「それは大きな成長ね」


「“つつ”がついてるので、まだ途中です」


「よろしい」


 記録室の扉が再び開いた。


 エリアナが入ってくる。


 香草袋を持っている。


 外から戻ってきたらしく、靴の先に少し土がついていた。


「すみません。遅れました」


 ミリアが言う。


「香草の様子を見ていたの?」


「はい。芽はまだです」


 カイが真剣に頷く。


「まだですか」


「まだです」


「わかりました。待ちます」


 エリアナは記録帳に気づき、少し足を止めた。


「私の記録もありますか」


「あるわ」


 ミリアはエリアナに椅子を勧めた。


 エリアナは座り、香草袋を膝に置かず、両手で持ったまま記録を見る。


 エリアナ・ルクス・ヴェルグラント。


 怒っています。でも、怒りで犯人を作りません。


 私の血を鍵にしないでください。


 白は、守る色にも、隠す色にもなります。


 知る範囲で話します。知らないことは断定しません。


 白鐘は、一人の声だけで完成しません。


 学園庭園に香草を植える。


 エリアナは静かにその文字を読んだ。


「私も、ずいぶん怒っていますね」


 カイが言う。


「怒っていいやつです」


 ミリアが笑う。


「それも記録する?」


 カイは少し考えた。


「してもいいです」


 エリアナは少し笑った。


「では、お願いします」


 ミリアは短く書く。


 カイ・ロックハート、エリアナの怒りを正当なものとして確認。


 カイが満足そうに頷いた。


 ミリアは全員を見渡した。


 リゼ。


 アルト。


 カイ。


 エリアナ。


 記録帳の中にいた人たちが、今、同じ部屋にいる。


 紙の中ではなく、ここに。


 それが何より重要だった。


「王宮から、一部記録の提出要請が来ているわ」


 ミリアが言った。


 空気が少し引き締まる。


 リゼが問う。


「提出範囲は」


「本人不同意に関わる公式記録は提出する。でも、私的記録は本人確認なしには出さない」


 アルトが静かに聞いている。


 ミリアは一人ずつを見る。


「アルトさんの恐怖申告、母記録に関する“聞きたい。でも怖い”、医務室での言葉。リゼさんの状態記録、右腕冷却や自己責任化兆候。カイさんの感情反応。エリアナさんの香草や怒りの申告。これらは、王宮の空白を埋めるためにそのまま渡すものではないわ」


 リゼは頷いた。


「記録を、人で埋めない」


「そう」


 アルトが、小さく言った。


「……僕の言葉……必要なところは……使ってください」


 ミリアは彼を見る。


「どの言葉を?」


 アルトは少し考えた。


「……同意していません、は……使ってください」


 ミリアが頷く。


「ええ」


「……学園に残りたい、も」


「はい」


「……母さんのことは……まだ……」


「出さないわ」


 アルトは、ほっとしたように息を吐いた。


 ミリアが記録する。


 アルト・レインフォード、提出許可範囲。


 本人不同意、学園残留意思は提出可。


 母記録関連の私的発言は現時点で提出不可。


 リゼも言った。


「私の状態記録について。王宮が灰銀戦時戦力再使用の分析に使う可能性があるものは提出不可です。ただし、灰銀記録の本人不同意、王宮剣としての再使用拒否は提出可です」


 ミリアが記録する。


 カイは少し困った顔で言う。


「俺の泣いた記録は……必要ですか」


 ミリアが微笑む。


「王宮には不要ね」


「よかった」


「ただし、友達の名前呼称が銀環安定に寄与した記録は必要かもしれない」


「それなら使ってください。泣いた量は削ってください」


 リゼが言う。


「泣いた量の定量化は未実施です」


「しなくていいです」


 エリアナが小さく笑う。


「私の白鐘に関する発言は、知る範囲での証言として提出できます。ただし、香草袋の私的意味や、怖かった時の細かい記録は、今は出さないでください」


 ミリアは頷く。


「わかったわ」


 こうして、一つずつ提出範囲が決まっていく。


 記録はある。


 けれど、全部を誰かに渡すわけではない。


 本人が確認する。


 境界を決める。


 それが、王宮の記録と学園の記録の違いだった。


 ミリアは最後の帳面を開いた。


 そこには、まだほとんど書かれていない。


 新しい記録帳。


 表紙の内側に、一行だけある。


 帰ってきた人たちの記録。


 アルトがそれを読む。


「……帰ってきた人たち……」


「ええ」


 ミリアはペンを持つ。


「これは終わりの記録じゃないわ。戻ってきた人たちが、ここから歩く記録よ」


 リゼはその言葉を聞いた。


 終わりではない。


 正式完了ではない。


 後で確認すること。


 少しずつ食べること。


 芽が出るのを待つこと。


 卒業式。


 卒業証書。


 在学意思確認。


 これからも記録は続く。


 ただし、人を閉じ込めるためではなく。


 戻るために。


 歩くために。


 ミリアは新しい頁に書いた。


 王立学園記録室。


 現在地、良好。


 リゼ・グレイス、記録閲覧。


 アルト・レインフォード、記録帳に触れ、「冷たくない」と発言。


 カイ・ロックハート、待機と声量制御を継続。


 エリアナ・ルクス・ヴェルグラント、香草の発芽を待つ。


 全員、未完。


 全員、ここにいる。


 リゼはその最後の一行を見た。


 全員、未完。


 全員、ここにいる。


 完了していない。


 だが、ここにいる。


 それでよかった。


 アルトが、かすれた声で言った。


「……その記録……好きです」


 ミリアは微笑んだ。


「ありがとう」


 カイが言う。


「俺も好きです」


 エリアナも頷く。


「私も」


 リゼは少し考えた。


「私も、好きだと思います」


 ミリアは目を細める。


「“思います”なのね」


「はい。ですが、かなり確度は高いです」


 カイが笑いをこらえきれず、少し吹き出した。


 アルトも小さく笑う。


 エリアナも笑った。


 ミリアも、記録帳を閉じながら笑った。


 その笑い声は、青い記録線の中へ静かに溶けていく。


 王宮の鐘ではない。


 命令の音ではない。


 記録室に残る、柔らかい人の声だった。


 窓の外で、卒業式の準備を知らせる小さな鐘が鳴った。


 アルトの肩がわずかに揺れる。


 リゼはすぐに確認する。


「アルトさん、鐘への反応」


 アルトは少し息を吸い、吐いた。


「……怖いです。でも……ここにいます」


 ミリアが記録する。


 怖い。


 でも、ここにいる。


 カイが小さく言う。


「俺もいる」


 エリアナ。


「私も」


 リゼ。


「私もここにいます」


 ミリアは新しい記録帳の最後に、もう一行だけ書き足した。


 鐘が鳴った。


 誰も、王の鐘にはならなかった。


 記録室の青い光は、静かに揺れていた。


 紙の上に閉じ込めるためではなく、帰ってきた人たちがまた歩き出すために。


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