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灰銀の戦乙女は、制服を知らない  作者: 最後に残った形


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第12章 第15話:同意していません


 黒い三点印が、アルト・レインフォードの銀環へ触れた。


 触れた瞬間、王の鐘の白い光が黒く濁った。


 音は鳴らない。


 けれど、王宮深部封印区画全体が沈むように震える。


 石台。


 白布。


 灰色封箱。


 母の筆跡。


 白鐘の古文字。


 学園の青い記録線。


 そのすべてが、黒い一点へ引き込まれるように軋んだ。


 アルトは息を止めた。


 左手首が、痛い。


 冷たいだけではない。


 熱い。


 焼けるように熱く、凍るように冷たい。


 銀環の痕が、皮膚の下で開こうとしている。


 黒い線がそこへ入り込む。


 王の鐘の呼び声とは違う。


 もっと近い。


 耳元ではない。


 頭の中でもない。


 自分の声の場所へ、直接手を入れられるような感覚。


 同意すれば、皆を守れる。


 声がした。


 臨時調整室長の声。


 けれど、もう遠くの人影からではない。


 銀環の内側から聞こえる。


 同意すれば、王宮は整う。


 同意すれば、学園への分類命令は止まる。


 同意すれば、リゼ・グレイスは灰銀確保対象から外れる。


 同意すれば、カイ・ロックハートは泣かずに済む。


 同意すれば、ミリア・ファルネーゼは記録線を切られない。


 同意すれば、エリアナ・ルクス・ヴェルグラントは血を狙われない。


 同意すれば、誰もこれ以上傷つかない。


 黒い三点印は、言葉を選んでいる。


 命令ではない。


 脅迫でもない。


 まるで、優しい提案のような形をしていた。


 でも、その優しさは冷たい。


 アルトは白布を掴もうとした。


 指が動かない。


 黒い線が、左手首から肩へ、胸へ、喉へと上がってくる。


 口元の黒布はずれている。


 声は出せるはずだ。


 けれど、喉が重い。


 同意、という言葉が喉の奥へ押し込まれている。


 言えば楽になる。


 頷けば終わる。


 自分が王の鐘になれば、みんなが助かる。


 王都が静まる。


 学園が攻撃されない。


 リゼさんがこれ以上傷つかない。


 カイが泣かない。


 母の記録も、もう汚されない。


 本当に?


 アルトは、胸の奥で問い返した。


 本当に、そうなのか。


 僕が消えれば、みんなは助かるのか。


 それとも、みんなの名前も、僕と一緒に王の鐘へ統合されるのか。


 学園の声は、危険源として分類されていた。


 エリアナの血は、鍵にされそうになった。


 リゼさんの灰銀は、王宮の剣に戻されそうになった。


 カイの声は、外部声刺激と呼ばれた。


 ミリアさんの記録は、関係維持として遮断されそうになった。


 僕が同意すれば、それらが本当に守られるのか。


 それとも、僕が同意した、という紙を使って、全部が終わったことにされるのか。


 黒い線が、胸の中で囁く。


 怖いのでしょう。


 苦しいのでしょう。


 早く終わらせたいでしょう。


 なら、同意しなさい。


 恐怖を、同意へ。


 優しさを、同意へ。


 帰りたい気持ちを、保護下整理へ。


 アルトという名前を、王の鐘の登録名へ。


 アルトは、息を吸った。


 喉が痛い。


 黒い線が声を塞ぐ。


 その時、遠くからリゼの声が届いた。


「アルトさん」


 細い。


 けれど、まっすぐだった。


「三点印が直接接続しています。怖いことと、同意したことは違います。守りたいことと、消えることへの同意は違います。あなたの答えを、こちらで書きません」


 その声に、アルトの胸が震えた。


 こちらで書きません。


 そう言われるたび、アルトは自分の中に戻れる。


 次に、カイの声。


「アルト! 同意しなくていい! 皆を守りたいって思っても、鐘にならなくていい!」


 カイは泣いている。


 でも、名前を呼んでいる。


 走っていない。


 扉へ走っていない。


 それが、アルトにはわかった。


 ミリアの声。


「本人への圧力を確認しています。外部は同意を要求しません。未回答でも、不同意でも、恐怖でも、記録します」


 エリアナ。


「孤独な音にしません。あなた一人に答えを背負わせません」


 学園の青い線が揺れる。


 遠くの声が届く。


 同意しなくていい。


 帰ってきて。


 待ってる。


 食堂、開けておく。


 寮、確認しておく。


 名前、残しておく。


 それらの声は、ばらばらだった。


 王の鐘のように一つの大きな答えにはならない。


 けれど、そのばらばらさが、アルトを包んでいた。


 黒い三点印が苛立つように脈打つ。


 外部関係線、過剰。


 本人判断、遅延。


 情緒反応、利用不可。


 直接同意誘導、継続。


 アルトの目の前に、王都の光景がさらに濃く映る。


 布告板の前で混乱する人々。


 怪我をした兵。


 王宮本会議で倒れた椅子。


 中央塔で黒い札を剥がすガレンたち。


 学園正門で震える下級生。


 医務室の前で包帯を握る生徒。


 その光景が、アルトの胸を責める。


 君が拒むから。


 君が帰りたいと言うから。


 君がアルトでいたいと言うから。


 みんなが危ない。


 アルトは、吐き気を覚えた。


 自分が悪いのかもしれない。


 そう思う心は、完全には消えない。


 でも、そこに別の声が重なる。


 リゼの声。


 あなたが存在することは、誰かがあなたを利用してよい理由にはなりません。


 母の筆跡。


 この子を、孤独な音にしないでください。


 白鐘の古文字。


 名は、帰るために呼ぶ。


 カイの声。


 お前が消えて終わるやつは、俺、嫌だからな。


 アルトは、口を動かした。


 声は出ない。


 黒い線が喉を押さえる。


 なら、指。


 指先を動かす。


 白布の上へ。


 黒い線が手首を締める。


 痛い。


 冷たい。


 熱い。


 それでも、動かす。


 ぼ。


 指が止まる。


 黒い三点印が、銀環から手の甲へ伸びる。


 同意。


 同意。


 同意。


 その文字が、白布の上に勝手に浮かぼうとする。


 アルトは、必死に指先を押し返した。


 ぼ。


 く。


 僕。


 そこまで書いた瞬間、外側でミリアが声を上げた。


「“ぼく”を確認。本人筆跡、継続」


 黒い同意の文字が、白布の上で揺れる。


 リゼの声。


「アルトさん。あなたの“ぼく”を確認しました。三点印の同意文字と分離します」


 分離。


 そうだ。


 黒い文字は、僕の文字ではない。


 勝手に浮かぶ同意は、僕の同意ではない。


 アルトは、指を動かした。


 同。


 黒い線が喜ぶように震える。


 同意。


 その言葉を書かせようとしている。


 でも、アルトは次の文字を変えた。


 意。


 し。


 て。


 い。


 ま。


 せ。


 ん。


 僕は、同意していません。


 銀色の文字が、白布の上に浮かんだ。


 黒い三点印が激しく震えた。


 王の鐘の白い光が乱れる。


 外側で、誰かが息を呑む。


 ミリアの声が、震えながらもはっきり届いた。


「“僕は、同意していません”を確認。本人不同意、直接記述」


 カイが叫んだ。


「よく言った、アルト!」


 リゼの声は低く、強かった。


「確認しました。本人不同意、確認。三点印の直接同意誘導を拒否します」


 しかし、三点印は止まらない。


 黒い線が、アルトの文字を覆おうとする。


 同意していません。


 その「いません」を削り、「同意」だけを残そうとする。


 ミリアがすぐに叫ぶ。


「削除発生! 不同意文の末尾削除を確認!」


 リゼ。


「拒否します。“同意していません”を全文として保全」


 エレオノーラの青い記録線が強く光る。


 本人不同意文、全文保全。


 部分切除拒否。


 “同意”単語のみの抽出禁止。


 学園長。


「本校は、不同意文の一部抽出を本人意思として認めません」


 黒い線が弾かれる。


 アルトは荒く息を吸った。


 まだ終わらない。


 三点印は、別の書類を浮かべた。


 王宮保護移送、正式完了。


 本人意思確認済。


 アルト・レインフォード、保護下移送に同意。


 その黒い文が、アルトの銀色文字へ重なる。


 室長の声。


「移送同意は記録済みです」


 アルトは、喉を動かした。


 声で。


 文字だけではなく。


 言う。


 痛い。


 苦しい。


 でも、言う。


「……ぼく……は……」


 黒布が口元で震える。


 声が掠れる。


「……移送に……」


 王の鐘が強く震える。


 室長の黒い線が喉を押さえる。


 アルトは、白布を握る。


「……同意して……いません……」


 声は小さかった。


 だが、深部の石に響いた。


 外縁門の前にも届いた。


 ミリアが記録する。


「アルト・レインフォード、音声反応。“僕は、移送に同意していません”確認」


 ユリウスが即座に言う。


「保護移送完了記録への本人不同意。法的異議として記録します」


 カイが涙声で叫ぶ。


「そうだ! 同意してない!」


 黒い紙片、保護移送正式完了に亀裂が入る。


 だが、すぐに別の黒い文が浮かぶ。


 第二保管層。


 冷却安定化処理。


 外部確認不要。


 保管対象、銀環反応者。


 室長の声。


「保管は保護です」


 アルトは、身体を震わせた。


 第二保管層。


 寒かった。


 声が出なかった。


 黒布で口を塞がれた。


 白い棚。


 灰色封箱。


 さむい。


 こえ。


 ここ。


 ひとりではない。


 あの場所で書いた文字が胸に戻る。


 保管は保護ではない。


 少なくとも、自分は同意していない。


 アルトは口を開く。


「……ぼくは……」


 喉が裂けるように痛む。


 でも、続ける。


「……保管に……同意して……いません……」


 ミリアの筆が走る。


「“僕は、保管に同意していません”確認」


 リゼ。


「確認しました。第二保管層保管処理への本人不同意」


 レアナの声が震える。


「封印管理室として記録します。人を保管対象として扱った処理に本人不同意あり」


 オルド。


「監察局異議として記録します」


 黒い保管処理票が割れる。


 だが、三点印はさらに深く銀環へ食い込む。


 王の鐘が白く黒く明滅する。


 次の紙。


 王の鐘接続。


 王宮統一。


 孤独音、適性あり。


 本人同意、保護下整理予定。


 室長の声が、今度は優しくなる。


「君が鳴れば、皆を守れる」


 アルトの胸がまた揺れる。


 守りたい。


 その気持ちは消えない。


 皆を危険にしたくない。


 リゼさんを傷つけたくない。


 カイに泣いてほしくない。


 ミリアに無理をしてほしくない。


 エリアナを血の鍵にしたくない。


 学園を危険源にしたくない。


 王都の人たちを怖がらせたくない。


 それは本当だ。


 だから苦しい。


 黒い線が、その苦しみを掴む。


 守りたいなら、同意しなさい。


 アルトは、涙が出そうになった。


 冷えで目は熱いのに、涙は出ない。


 母の筆跡が、白布児記録の奥で光る。


 この子を、孤独な音にしないでください。


 母は、守れと言ったのではない。


 孤独な音にするな、と願った。


 自分を消せとは願っていない。


 アルトは息を吸った。


 声が震える。


「……守り……たい……」


 黒い線が強く反応する。


 室長が囁く。


「ならば」


 アルトは続けた。


「……でも……僕が……消えて……守るのは……違う……」


 外側で、カイが泣きながら声を上げる。


「違う!」


 ミリアが記録する。


「“守りたい”“でも”“僕が消えて守るのは違う”確認」


 リゼ。


「確認しました。守りたい意思と消去拒否の併存」


 アルトは、王の鐘を見た。


 白く、黒く、深く震える鐘。


 そこへ自分の銀環が引かれている。


 アルトは言った。


「……僕は……王の鐘に……なることに……同意していません……」


 その言葉が響いた瞬間、王の鐘の三本の黒い記録柱が大きく割れた。


 戦後処理未整理記録。


 白鐘接続記録。


 臨時調整室仮保護記録。


 そこに絡んでいた三点印が、一部剥がれ落ちる。


 クラウスが叫んだ。


「強制接続圧、大幅低下!」


 エリアナが白鐘文字を見る。


「白鐘層、反応しています!」


 白い古文字が深部に浮かぶ。


 孤独な音を、王の鐘にしてはならない。


 その下に、アルトの声を受けるように新たな一行が現れる。


 本人不同意は、鐘を止める音。


 ミリアが息を呑む。


「本人不同意は、鐘を止める音……」


 リゼが頷く。


「確認しました」


 しかし、三点印の核はまだ消えない。


 むしろ、残った黒が一点へ圧縮されていく。


 室長の声が歪む。


「不同意は、王宮秩序の破壊です」


 アルトは、石台の上で息を荒げていた。


 もう声がほとんど残っていない。


 喉が痛い。


 体が冷たい。


 頭がぼんやりする。


 それでも、まだ言わなければならない。


 リゼたちが待っている。


 外側は、アルトの答えを勝手に書かない。


 だから、自分で言う。


 アルトは白布を掴み、掠れた声を出した。


「……僕は……」


 黒い三点印がまた伸びる。


 同意しろ。


 皆を守れ。


 王宮を救え。


 学園を守れ。


 リゼを守れ。


 カイを泣かせるな。


 アルトは、その全てを聞いた。


 聞いた上で、言った。


「……アルトとして……帰りたい……です……」


 その言葉は、第12話で言ったものと同じだった。


 しかし、今度は三点印が銀環に触れている中での言葉だった。


 直接同意を迫られている中での、帰還意思だった。


 ミリアの声が、涙をこらえて震えた。


「アルト・レインフォード、本人意思再確認。“アルトとして帰りたいです”」


 リゼの声。


「確認しました。あなたの帰還意思を受け取りました」


 カイ。


「帰ろう! 絶対帰ろう!」


 エリアナ。


「帰る音です。王の鐘ではありません」


 学園の青い線から、無数の声が返る。


「待ってる」


「帰ってきて」


「アルト君」


「食堂、開けてる」


「寮、確認してる」


「名前、残してる」


 その声が、アルトの周囲を包む。


 黒い三点印の線が、少しずつ銀環から剥がれていく。


 室長の声が、低く、冷たく変わった。


「本人不同意、多数。直接同意誘導、失敗」


 黒い核が、王の鐘の奥で歪む。


 だが、次の瞬間、その黒が一気に外側へ広がった。


 クラウスが悲鳴に近い声を上げる。


「三点印中核、崩壊を拒否! 王の鐘の記録焼却手順へ移行しています!」


 ユリウスが顔を上げる。


「記録焼却?」


 レアナが青ざめる。


「王の鐘の防衛手順です。継承記録が敵に奪われる危険がある時、記録層を焼いて封じる旧式の最終手段……」


 ナイルが叫ぶ。


「そんなものを使えば、王宮深部の記録だけでは済まない!」


 クラウスが測定具を見ながら早口で言う。


「中央記録鐘、学園記録線、北棟残留反応、白布児記録、アルト君の銀環記録まで巻き込まれる可能性があります!」


 室長の声が、黒い核から響いた。


「不同意ごと記録を焼く」


 空気が凍った。


 カイが怒鳴る。


「ふざけんな!」


 ミリアが記録板を抱える。


「本人不同意記録の焼却を拒否!」


 エレオノーラの青い線が大きく揺れる。


 学園記録室より緊急。王の鐘側から記録焼却波。学園記録線、防御展開。


 学園長。


「全員、名前と現在地を再確認。焼かせるな。自分の名前を持ちなさい」


 学園中から、また名前が上がる。


 王宮側からも、セイル、ガレン、メイナ、ベルクの声が続く。


 ナイルとレアナが本会議と封印管理室の線を繋ぐ。


 オルドが監察局異議を重ねる。


 ユリウスが学園抗議文を開く。


 エリアナが白鐘旧語を唱える。


 カイがアルトの名前を呼ぶ。


 ミリアが本人不同意を記録する。


 リゼは、王の鐘の奥にいるアルトへ向けて、静かに言った。


「アルトさん。あなたの不同意を焼かせません」


 アルトは、石台の上でかすかに目を開けた。


 黒い光が迫ってくる。


 白布児記録の箱が震える。


 母の筆跡が黒い炎に触れそうになる。


 王の鐘が、今度こそ鳴ろうとしている。


 音ではなく、焼却として。


 アルトは、最後の力で白布に指を動かした。


 同意していません。


 帰りたいです。


 アルト。


 その三つの文字列が、銀色に光る。


 黒い焼却波が、それを呑み込もうと広がる。


 リゼは青いリボンに触れた。


 戻るための目印。


 そして、剣ではなく、名前で言った。


「本人不同意、確認。救出を継続します」


 王の鐘の奥で、黒い三点印が砕けながら叫んだ。


「ならば、不同意ごと記録を焼く」


 白い鐘室が、黒い光に包まれた。


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