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灰銀の戦乙女は、制服を知らない  作者: 最後に残った形


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第12章 第1話:王宮深部封印区画


 白い鐘の余韻は、王都の空にまだ残っていた。


 勝利の音ではなかった。


 終わりを告げる音でもなかった。


 王宮の奥に隠されていた空白が、ついに人前へ現れたことを知らせる音だった。


 王宮中央塔の上部から響いたその鐘は、王都の布告板に浮かんだ黒い文字を震わせ、未承認の臨時保護令に白い取消線を走らせた。


 王都の門衛たちは、手元の台帳と布告板を見比べて立ち尽くしている。


 役所街では、王宮正式印の横にあった三点印が黒く滲み、紙面から剥がれかけていた。


 王宮兵の一部はまだ命令を信じ、別の一部は停止確認を求めて足を止めている。


 中央記録鐘は誤同期を止めた。


 しかし、王都は静まっていない。


 むしろ、止めたことで、隠されていた亀裂が見えるようになった。


 リゼ・グレイスは王宮中央塔の階段を下りていた。


 右腕は冷えている。


 黒蔦を受けた箇所が、まだ氷を抱えたように重い。


 指は動く。


 握力は、低下軽度。


 行動継続可能。


 耳奥の圧迫感は弱まったが、完全には消えていない。


 感情。


 怒り、焦燥、恐怖。


 判断。


 継続可能。


 リゼは自分の状態を確認しながら歩いた。


 前にはロウ教師。


 横にはミリア・ファルネーゼ。


 後ろにはユリウス・エインズワースとオルド・ハイマン。


 連絡役が二人、北棟と中央塔の間を走っている。


 中央記録局警備隊のガレン・トール、メイナ・ロッサ、ベルク・ハウエルは、塔内に残り、使用許可記録なしと誤同期停止の現認を記録している。


 彼らはもう、ただ中央記録局表示に従う兵ではなかった。


 自分の名前で、見たことを見たと言った。


 それだけで、黒い記録の壁は揺らいだ。


 だが、アルト・レインフォードはまだ戻っていない。


 その事実が、リゼの足を速めようとする。


 彼女は意識して歩幅を整えた。


 走らない。


 焦って罠へ入らない。


 鐘を鳴らすな。


 扉へ走るな。


 王の血で扉を叩くな。


 白鐘の警告は、中央記録鐘を止めた今も消えていない。


 むしろ、次の場所でさらに深く意味を持つはずだった。


 中央塔の監察門を抜けると、王都の空気が騒がしかった。


 白い鐘のあと、街は一斉に目を覚ましたようにざわついている。


 遠くの布告板の前には人だかりができ、誰かが声を上げている。


「未承認って、どういうことだ」


「臨時保護令は取り消しなのか」


「王宮兵がさっきまで通れと言っていたぞ」


「中央記録鐘が止まったなら、どっちの命令に従えばいい」


 王都は混乱している。


 だが、その混乱の中に、無理に従わされる冷たさは薄れていた。


 人々が、自分の目で確認しようとしている。


 それは危険でもあり、希望でもあった。


 リゼたちは足を止めなかった。


 目的地は北棟。


 王都旧封印管理倉庫群、北棟第二保管層。


 アルトのいた場所。


 そして、彼が王宮深部封印区画へ移送された痕跡が残る場所。


 東門へ戻る途中、王宮外縁警備隊の兵たちが道の脇で言い争っていた。


「灰銀確保命令は取消線が入った」


「だが、臨時調整室から継続命令が来ている」


「中央記録鐘の同期は止まった。継続命令はどこから来た」


「知らん。だが三点印が――」


 ミリアが足を止めずに小さく言った。


「まだ命令が残っているわ」


 ユリウスが頷く。


「中央記録鐘からの全域同期は止まった。しかし、各所に残った札や人員が、局所的に命令を継続している」


 オルドが低く言った。


「臨時調整室側は、中央記録鐘を失っても完全には止まりません。深部封印区画へ移ったなら、そこに別の中核があるはずです」


 リゼは王宮の奥を見た。


 高い壁の向こう。


 中央塔より低く、しかし重く沈む王宮深部。


 そこにアルトがいる。


 声は届いている。


 きこえてる。


 第11章の最後、彼はそう返した。


 声を奪われたまま、冷やされながら、それでも聞こえていると伝えた。


 その文字を思い出すだけで、胸の奥が痛む。


 リゼは痛みを記録した。


 痛み、胸部内側。


 感情由来。


 行動継続可能。


 ミリアが隣で言った。


「状態」


「右腕冷却、軽度継続。胸部違和感、感情由来。判断継続可能」


「良好ではないけれど、継続可能ね」


「はい」


「北棟へ戻ったら、カイさんが多分泣くわ」


「予測します」


「その時、報告を先にしすぎないで」


「確認しました」


 リゼは少しだけミリアを見る。


 ミリアの横顔にも疲労があった。


 中央塔で、彼女はずっと記録を取り続けた。


 リゼが分類語に飲まれそうになるたび、名前を記録した。


 アルトの言葉を、勝手に完成させないように守った。


 今も、彼女の指先は黒い冷気で少し赤くなっている。


 リゼは言った。


「ミリアさんの状態を確認します」


 ミリアは一瞬目を瞬き、それから小さく笑った。


「寒いわ。疲れている。でも、記録は続けられる」


「休憩が必要です」


「北棟で短く取るわ。あなたも」


「はい」


 ロウ教師が前から言った。


「二人とも、言ったな。北棟で三分休め」


 ミリアが苦笑する。


「三分ですか」


「今はそれで十分だ。倒れるな」


 リゼは頷いた。


「了解しました」


 王都旧封印管理倉庫群の東門へ戻ると、門前の空気は出発時と変わっていた。


 黒く光っていた札の多くには白い取消線が走っている。


 だが、完全に消えてはいない。


 ところどころ、三点印の影がまだ残っている。


 門衛たちは混乱していたが、リゼたちを見ると道を開けた。


 その中に、先ほど名前を確認した兵、ルド・カレンがいた。


 彼はリゼを見ると、少し緊張した顔で言った。


「中央記録鐘の停止、布告板で確認しました」


 ミリアが即座に記録しようとする。


 ルドは続けた。


「臨時保護令の未承認表示も確認しました。現場通行を妨害しません」


 リゼは頷く。


「ルド・カレンさん。確認しました」


 ルドは自分の名前を呼ばれ、少しだけ表情を引き締めた。


「北棟前は、まだ冷気があります。ですが、黒い札の光は弱まっています」


「情報提供、感謝します」


 リゼたちは門を通った。


 北棟へ続く石畳には、黒蔦の焦げたような痕が残っている。


 中央記録鐘停止の白い波を受けて、黒蔦の一部が剥がれたのだろう。


 だが、剥がれた痕は痛々しい。


 まるで、建物そのものが長く病んでいたことを今さら露わにしたようだった。


 北棟が見えた瞬間、カイ・ロックハートの声が飛んできた。


「リゼ!」


 大きい。


 けれど、以前のような無制御な叫びではない。


 北棟扉に向ける声とは別に、こちらへ向けた声だ。


 カイは走りかけ、途中で止まった。


 単独で突っ込まない。


 扉前の位置を離れすぎない。


 彼はそれを守りながら、こちらへ半歩だけ近づいた。


「戻ったんだな」


 リゼは頷いた。


「戻りました。リゼ・グレイス、中央記録鐘誤同期停止を確認。右腕冷却軽度。行動継続可能」


 カイの顔が歪んだ。


「それ、最初に言うのかよ」


 ミリアが横から静かに言う。


「報告癖ね」


 リゼは一瞬考え、訂正した。


「戻りました」


 それだけ言った。


 カイは唇を引き結び、頷いた。


「おかえり」


 その言葉に、リゼの胸の違和感が少し変わった。


 痛みではなく、温度に近いものになる。


「ただいま戻りました」


 エリアナ・ルクス・ヴェルグラントは扉の近くにいた。


 香草袋を胸の前に持ったまま、顔色は白い。


 だが、倒れてはいない。


 彼女はリゼを見ると、少しだけ肩の力を抜いた。


「おかえりなさい、リゼさん」


「戻りました。エリアナさんの状態を確認します」


「怖いです。寒いです。でも、香草袋は持っています」


「確認しました」


 クラウス・ヴァイゼルは、扉の前で測定具をいくつも並べていた。


 彼は振り返るなり、早口ではなく、慎重に言った。


「中央記録鐘停止により、黒蔦補助層は七割以上剥離しました。冷却強化は停止。白鐘層は維持。ただし、第二保管層奥側から王宮深部封印区画へ伸びる旧移送線が起動し、アルト君の銀環反応はそちらへ移動しています」


 リゼは扉を見た。


 北棟第二保管層の扉。


 第11章でずっと向き合った扉。


 黒い膜は薄くなっている。


 王宮保護移送、正式完了。


 対象者、到着済。


 外部確認不要。


 その文字は、ほとんど崩れていた。


 白鐘の警告は残っている。


 鐘を鳴らすな。


 扉へ走るな。


 王の血で、扉を叩くな。


 そして、銀色の痕。


 ここ。


 ひとりではない。


 なまえ。


 きこえてる。


 だが、銀色はもう扉の表面では強く光っていない。


 奥へ伸びる細い線になっている。


 アルトの反応は、この扉の向こうからさらに遠くへ移った。


 リゼは胸の奥が冷えるのを感じた。


「アルトさんは、現在この第二保管層内にはいませんか」


 クラウスは慎重に答える。


「完全にいないとは断定できません。残留反応があります。ただし、主反応は深部へ移動済みです」


 カイが悔しそうに言った。


「扉、あと少しで開けられそうだったんだ。黒いやつ剥がれて、クラウスさんが、罠も見えたって。でも、アルトは奥へ行った」


 彼は拳を握る。


「いや、連れていかれた」


 リゼは頷いた。


「移送と呼びません。王宮深部封印区画への再誘拐、または誘拐継続です」


 ミリアが記録する。


「再誘拐、または誘拐継続。救出未完了」


 カイが深く頷いた。


「そうだ。まだ終わってない」


 セイル・ハルトが扉前の記録板を持って立っていた。


 王宮封印管理兵としての外套は乱れているが、彼は逃げていない。


 ミリアが戻るまでの間、現場記録補助をしていたのだろう。


 セイルは少し緊張した様子で言った。


「リゼ・グレイスさん。中央記録鐘停止後、第二保管層扉の冷却低下を現認しました。また、扉奥の銀色反応が王宮深部方向へ移動したことを、クラウスさんの測定とともに記録しています」


 ミリアが微かに頷く。


「ありがとうございます。セイルさん、記録を確認します」


 セイルは記録板を差し出す。


 文字はやや硬いが、正確だった。


 冷却低下。


 黒蔦剥離。


 白鐘層維持。


 銀色反応移動。


 カイ・ロックハート、名前呼称継続。


 エリアナ・ルクス・ヴェルグラント、香草反応維持。


 クラウス・ヴァイゼル、測定継続。


 アルト・レインフォード、移送線遠隔反応。


 リゼはその記録を見て、セイルへ向き直った。


「セイル・ハルトさん。現場記録、確認しました」


 セイルは胸を張るほどではないが、少しだけ姿勢を正した。


「はい」


 ロウ教師が言った。


「三分休め」


 ミリアが目を瞬く。


「今ですか」


「今だ。次に行く前だ」


 リゼは反射的に扉を見た。


 アルトの反応は奥へ移っている。


 休んでいる時間が惜しい。


 だが、ここで倒れれば追えない。


 ミリアがリゼを見る。


「三分。守るわよ」


 リゼは頷いた。


「了解しました」


 北棟前の石段に、簡易布が敷かれた。


 ミリアが座る。


 リゼも隣に座る。


 カイは立ったままそわそわしていたが、ロウ教師に睨まれて座った。


 エリアナも香草袋を胸に抱えたまま腰を下ろす。


 クラウスは測定具を置きたがらなかったが、ミリアに「手だけでも休ませて」と言われて、渋々片手を下ろした。


 三分。


 王都が割れ、アルトが深部へ移され、王宮の奥で何かが動いている中での三分。


 それでも、その三分は必要だった。


 カイが小声で言った。


「アルトに、中央記録鐘止めたって言ったら、“きこえてる”って出たんだ」


 リゼは頷く。


「確認しました」


「すげえ小さい文字だった。でも、あった」


「はい」


「だから、まだ聞こえてる」


「はい」


「でも、遠くなった」


 カイの声が震えた。


 怒りではない。


 恐怖だった。


「リゼ。遠くなったんだ」


 リゼは、すぐに安心させる言葉を出さなかった。


 遠くなったことは事実だ。


 それを否定してはいけない。


 リゼは言った。


「はい。遠くなりました」


 カイは歯を食いしばる。


 リゼは続ける。


「ですが、途切れていません」


 カイが顔を上げる。


「途切れていない反応を追います。遠くなったことと、失ったことは違います」


 カイはしばらく黙ってから、頷いた。


「うん。違う」


 エリアナが香草袋を握る。


「香草反応も、薄くですが残っています。王宮深部方向へ流れています」


 クラウスが測定具を再び見ようとして、ロウ教師に睨まれ、視線だけで説明した。


「白鐘層も、深部方向へ連続しています。第二保管層は枝です。本体は深部封印区画にある可能性が高い」


 オルドが頷いた。


「王宮深部封印区画は、王宮内でも最も古い保管区画です。王家記録、継承儀礼、旧封印具、戦後処理で封じられた未公開文書が保管されています」


 ユリウスが言う。


「王宮本会議の直轄では?」


「本来はそうです。しかし戦後、臨時調整室が一部区画の整理権限を持ちました。名目は、危険記録の仮保護です」


 カイが顔をしかめる。


「また仮とか臨時とか」


 ミリアが静かに言う。


「責任を曖昧にする言葉ね」


 オルドは目を伏せた。


「はい」


 リゼは問う。


「深部封印区画への進入条件は」


 オルドは答えた。


「王宮本会議印、封印管理室長印、王族直轄印の三系統が必要です。通常なら、部外者は入れません」


 カイが言う。


「通常なら、ですよね」


「はい」


 オルドは北棟扉を見る。


「しかし、三点印はすでに深部へ入っています。アルトさんも移送された。つまり、正規手順ではない経路が使われています」


 クラウスが頷く。


「第二保管層から伸びる旧移送線です。戦後処理期に、危険封箱や封印具を深部へ送るために使われた可能性があります」


 リゼの視線が鋭くなる。


「灰色封箱」


 クラウスは頷いた。


「はい。第10章から追っていた灰色封箱と同じ系統の移送線です。白布児記録や個人記録類が含まれていた可能性がある」


 エリアナが息を呑む。


「白布児記録……」


 カイが問う。


「何ですか、それ」


 エリアナは少し言葉を選んだ。


「私の知る範囲では、白鐘礼拝堂に保護された子ども、または白布で記録を包まれた子どもの記録を指す言葉かもしれません。完全にはわかりません」


 リゼは頷く。


「断定しません」


 ミリアが記録する。


 白布児記録、深部封印区画に存在可能性。


 断定せず。


 リゼは問う。


「アルトさんとの関連可能性は」


 クラウスが答える。


「高いです。第二保管層内部でアルト君が見た可能性のある灰色封箱、白布児記録の札、そして王宮深部への移送線。繋がります」


 カイが低く言った。


「アルトの昔の記録が、奥にあるってことか」


 ユリウスが頷く。


「出生記録、白鐘関連記録、銀環記録。王宮が隠してきた何かがあるはずです」


 リゼは青いリボンに触れた。


 ミリアが結び直した目印。


 中央塔へ行き、戻った。


 次は深部へ行く。


 また戻るために。


 三分が終わる前に、扉がかすかに光った。


 全員が顔を上げる。


 北棟第二保管層の扉。


 銀色ではない。


 白い文字。


 これまでの禁句と同じ、古い白鐘文字が扉の中央に浮かび始めた。


 エリアナが立ち上がりかける。


 ロウ教師が短く言う。


「ゆっくり」


 エリアナは頷き、香草袋を持ったまま、扉へ近づきすぎない位置へ移動した。


 白い線が形になる。


 古い文字。


 エリアナは息を整え、読んだ。


「孤独な音を……」


 文字は震えながら続く。


「王の鐘にしてはならない」


 北棟前に沈黙が落ちた。


 王の鐘。


 その言葉は、これまで出ていなかった。


 中央記録鐘とは違う。


 白鐘とも違う。


 もっと古く、もっと深いもの。


 エリアナの顔が白くなる。


「王の鐘……」


 クラウスが低く言った。


「王宮深部封印区画の中核かもしれません。中央記録鐘より古い、王権と記録の封印装置」


 オルドの表情も強張る。


「王宮最奥に、王家継承記録の鐘があるという記述は見たことがあります。しかし、それは儀礼的な表現だと思っていました」


 ミリアが記録する。


「王の鐘。深部封印区画中核可能性」


 カイが扉を見たまま言った。


「孤独な音って、アルトのことだよな」


 リゼは答えた。


「敵は、そう扱おうとしています」


「王の鐘にするなって、つまり」


 カイの声が低くなる。


「アルトを、王宮の鐘にする気か」


 誰もすぐには否定できなかった。


 白い文字が、扉の上で細く光っている。


 孤独な音を、王の鐘にしてはならない。


 アルトを孤独な音にしようとした者たち。


 彼を第二保管層へ閉じ込め、声を奪い、冷やし、本人意思を完了記録で上書きした者たち。


 その目的は、ただ保管することではなかった。


 もっと深い場所で、もっと大きな鐘に繋ぐため。


 王宮が割れた今、王の鐘で一つにするため。


 リゼは立ち上がった。


 三分は終わっていない。


 だが、休憩は終わった。


 ロウ教師も何も言わなかった。


 リゼは扉へ向かって、深く、静かに言った。


「アルトさん。白鐘文字を確認しました。“孤独な音を、王の鐘にしてはならない”。あなたを王の鐘にしません。あなたを孤独な音にしません。王宮深部封印区画へ追跡を継続します」


 扉の奥へ伸びる細い銀色が、かすかに揺れた。


 文字にはならない。


 遠い。


 だが、途切れていない。


 カイが続ける。


「アルト! 王の鐘とか知らねえ! お前はアルトだ! 俺、名前呼ぶからな!」


 ミリアがすぐに補う。


「短く。でも、良いわ」


 カイは頷いた。


「アルト!」


 銀色が、少しだけ強くなる。


 エリアナが香草袋を持ち上げた。


「アルトさん。香草はここにあります。王の鐘へ行くためではなく、戻るための匂いです」


 クラウスが測定具を見る。


「銀環反応、微弱上昇。深部方向で受信されています」


 リゼは頷いた。


「追跡可能ですか」


「細いですが、可能です。ただし、深部へ進むほど白鐘層と王宮記録層が複雑に絡みます。力で進むと、アルト君の銀環へ負荷がかかる」


 リゼは即答した。


「鳴らしません」


 クラウスは頷く。


「はい。慎重に進む必要があります」


 オルドが地図を広げる。


 王宮深部封印区画への正式経路。


 王宮本会議門。


 封印管理室門。


 王族直轄門。


 すべてを通るには時間がかかる。


 そして、今は王宮内の命令系統が割れている。


 どの門が誰の命令で動くかわからない。


 一方で、旧移送線は第二保管層から深部へ伸びている。


 だが、そこは物を送るための線だ。


 人が通る通路ではない。


 カイが地図を見て言う。


「この旧移送線は通れないんですか」


 クラウスが首を横に振る。


「危険です。封箱や封印具用です。人が入れば圧縮封印に巻き込まれる可能性があります」


 カイは顔をしかめる。


「じゃあ、アルトは」


「アルト君は、銀環反応と黒布によって“保管物”として扱われ、移送線に乗せられた可能性があります」


 カイの拳が震えた。


「ふざけんな」


 ミリアが静かに言う。


「怒っていいわ。でも、言葉を崩さないで」


 カイは息を吸う。


「アルトを物として運んだことを、認めません」


 リゼは頷いた。


「記録します」


 ミリアが書く。


 アルトを保管物として旧移送線に乗せた可能性。


 本人意思未確認。


 物扱いを拒否。


 エリアナが地図の深部に指を近づけた。


 触れない。


 見るだけ。


「王の鐘があるなら、白鐘の禁句はまだ続くはずです」


 リゼが問う。


「エリアナさん、思い出せる範囲を共有してください」


 エリアナは目を伏せる。


「断片です」


「断片で構いません」


 エリアナは香草袋を胸に当て、静かに言った。


「鐘を鳴らしてはいけない。白い朝が割れるから。扉へ走ってはいけない。名を呼ぶ声が、名を奪うから。王の血で扉を叩いてはいけない。扉を開けるのは、王の血ではない。扉を開けるのは、孤独な音。孤独な音はよく響く。けれど、孤独なままでは砕ける」


 何度も聞いた言葉。


 しかし、王の鐘という文字を見た後では、意味がさらに重くなった。


 孤独な音はよく響く。


 だから、王の鐘に接続しやすい。


 だから、敵はアルトを孤独にしようとした。


 声を奪い、友人を遠ざけ、本人意思を紙で上書きし、冷やして反応だけを残す。


 孤独な音として、王宮全体へ響かせるために。


 リゼは言った。


「対抗手順は継続です。アルトさんを孤独な音にしない。名前を鍵にしない。声を切らさない。扉へ走らない。王の血を使わない」


 エリアナが頷く。


「はい」


 オルドが言う。


「深部封印区画へ向かうには、王宮本会議筋の協力が必要です。中央記録鐘停止で、穏健派は動けるようになったはずです」


 ユリウスがすぐに連絡文を書く。


「学園長、王宮本会議協力者、封印管理室へ同時伝達します。王の鐘、深部封印区画、アルト君移送、白鐘警告を共有」


 ミリアが補足する。


「“孤独な音を王の鐘にしてはならない”は引用としてそのまま。解釈を混ぜないで」


「わかっています」


 カイが手を挙げた。


「俺はどうしますか」


 リゼはカイを見る。


 カイは行きたがっている。


 深部へ。


 アルトのところへ。


 しかし、扉前で名前を呼ぶ役割も大きい。


 リゼは即答しなかった。


 ミリアがカイを見る。


「カイさんは、深部へ行きたい?」


「行きたい」


「扉前で名前を呼ぶことも必要よ」


「わかってる。でも、今度はもっと奥で呼ばないと、届かなくなるかもしれない」


 カイの声は震えているが、筋は通っていた。


 クラウスが測定具を見て言う。


「深部方向へ移るなら、カイ君の名前呼称は有効です。ただし、危険区域です」


 ロウ教師が言った。


「行くなら、俺の指示を聞け。突撃しない。単独で走らない。叫びすぎない」


 カイは即答した。


「はい」


 リゼは頷いた。


「カイさん、同行してください。役割は、名前呼称と日常記憶維持です」


 カイの顔が引き締まる。


「はい」


 リゼはエリアナを見る。


「エリアナさん」


「同行します」


 即答だった。


「王の血を使わせないためにも、白鐘の意味を戻すためにも、私は行きます。香草袋は私のものとして持ちます」


 リゼは頷いた。


「本人意思、確認しました」


 ミリアが書く。


 エリアナ、同行意思。


 血を鍵として使用拒否。


 香草袋を本人所有として保持。


 クラウスが言う。


「私は深部の白鐘層と黒蔦層の分離が必要です。同行します」


 ユリウスも頷く。


「文書と法的対抗が必要です。同行します」


 オルドは言った。


「王宮深部の案内と、臨時調整室への責任追及のため、同行します」


 ミリアがリゼを見る。


「私は記録を続けるわ」


 リゼは言った。


「危険です」


「知っているわ」


「関係維持者として分類される可能性があります」


「もうされています」


「はい」


「だから、ミリア・ファルネーゼとして行くの」


 リゼは頷いた。


「確認しました」


 ロウ教師が全員を見渡した。


「行く者が多い。だが、今回はそれでいい。敵は分散を狙っている。なら、関係線を持って進め。ただし、隊列を崩すな」


 セイルが一歩前へ出た。


「私は北棟に残ります」


 リゼが見る。


 セイルは続けた。


「王宮封印管理兵として、ここで第二保管層の状態と残留反応を記録します。深部への移送線が再起動した場合、伝えます」


 ミリアが頷く。


「重要な役割です」


 セイルは少し緊張しながら言った。


「はい。セイル・ハルトとして、記録します」


 扉の白い文字が、かすかに光った。


 孤独な音を、王の鐘にしてはならない。


 その下で、銀色の細い線が深部へ伸びている。


 リゼは扉へ向き直った。


「アルトさん。これより王宮深部封印区画へ向かいます。同行者を確認します。リゼ・グレイス。ミリア・ファルネーゼ。カイ・ロックハート。エリアナ・ルクス・ヴェルグラント。クラウス・ヴァイゼル。ユリウス・エインズワース。オルド・ハイマン。ロウ先生。セイル・ハルトさんは北棟で記録を維持します。あなたを孤独な音にしません」


 カイが続ける。


「アルト。俺も行く。名前、近くで呼ぶ。アルト」


 ミリア。


「記録を繋ぐわ。あなたの言葉を勝手に完成させない」


 エリアナ。


「香草を持っていきます。王の鐘へではなく、帰る道へ」


 クラウス。


「銀環を鳴らしません。反応を追跡します」


 オルド。


「王宮の空白を確認します。あなたを分類だけで扱う記録を認めません」


 しばらく、反応はなかった。


 遠い。


 深い。


 黒い移送線の向こう。


 それでも、全員は待った。


 押しつけない。


 急かさない。


 そして、扉の奥へ伸びる銀色が、ほんのわずかに揺れた。


 文字にはならない。


 だが、確かに光った。


 リゼは頷く。


「反応確認。無理に返さなくていいです。追跡を開始します」


 ユリウスの連絡文が各所へ走る。


 学園長へ。


 王宮本会議協力者へ。


 封印管理室へ。


 中央記録局現認者へ。


 北棟に残るセイルへ。


 王都の命令系統が割れる中、細いが確かな記録線が伸びていく。


 リゼたちは北棟を離れた。


 今度の行き先は中央塔ではない。


 王宮のさらに奥。


 深部封印区画。


 石畳の上に、黒蔦の焦げ痕と白い鐘の光が交互に残っている。


 王宮の方角からは、まだざわめきが聞こえる。


 兵の声。


 門の開閉音。


 遠くの布告板に集まる民の声。


 王都は揺れている。


 だが、リゼの歩みはまっすぐだった。


 アルトは王の鐘ではない。


 銀環反応対象ではない。


 孤独な音でもない。


 アルト・レインフォードだ。


 リゼは青いリボンに触れ、現在地を確認する。


 北棟から王宮深部封印区画へ移動開始。


 目的、アルト・レインフォード誘拐事件の追跡と本人救出。


 注意、鐘を鳴らさない。


 扉へ走らない。


 王の血で叩かない。


 名前を鍵にしない。


 孤独な音にしない。


 王宮の奥へ向かう通路の入口で、白い古文字が壁に浮かんだ。


 孤独な音を、王の鐘にしてはならない。


 その文字の下に、黒い三点印がひとつ、ゆっくりと滲んだ。


 リゼは足を止めずに言った。


「確認しました。進みます」


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