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灰銀の戦乙女は、制服を知らない  作者: 最後に残った形


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第11章 第12話:ひらくな


 扉へ走るな。


 北棟第二保管層の扉に、二つ目の白鐘文字が浮かんでいた。


 鐘を鳴らすな。


 扉へ走るな。


 白い文字は、黒い臨時保護令の下で揺れている。


 まるで、黒い膜に押し潰されながらも、まだ警告を続けているようだった。


 王都中央鐘の余韻は、倉庫群の石壁に低く残っている。


 臨時保護令は発効した。


 関連対象の保護拘束。


 外部関係線の遮断許可。


 第二保管層、冷却強化。


 その文言が出てから、北棟前の空気はずっと冷えている。


 アルト・レインフォードは、扉の奥で「こえ」と「さむ」を返した。


 最後まで書けないほど、冷えている。


 声が出ない。


 寒い。


 それでも返した。


 その返事を受け取ったからこそ、リゼ・グレイスは扉の前から動けなかった。


 開けたい。


 今すぐ。


 この扉を壊してでも。


 だが、白い文字は言う。


 鐘を鳴らすな。


 扉へ走るな。


 焦って開けることが、救出ではなく罠になる可能性がある。


 リゼは、自分の右手を見た。


 剣を握れば、扉を斬れるかもしれない。


 斬れなくても、傷をつけることはできる。


 しかし、その傷がアルトの銀環へ繋がっていたら。


 第二保管層の黒蔦層が、アルトを扉の一部として扱っているなら。


 扉を傷つけることは、アルトを傷つけることになる。


 リゼは指を握り、開いた。


「扉へ走りません」


 低く、自分に確認するように言う。


 ミリア・ファルネーゼが隣で頷いた。


「確認したわ」


 カイ・ロックハートは、扉の前で苦しそうな顔をしていた。


 彼も走りたい。


 アルトの名前を叫びたい。


 扉を叩きたい。


 だが、足は動かしていない。


 拳も振り上げていない。


 カイは歯を食いしばりながら言った。


「走らない。でも、待つだけじゃない」


 ロウ教師が短く答える。


「そうだ。待つのと止まるのは違う」


 エリアナ・ルクス・ヴェルグラントは香草袋を胸に当て、白い文字を見つめていた。


 顔色は悪い。


 自分の故国の言葉が、黒蔦と王宮記録の間で歪められている。


 それでも、彼女は目を逸らさない。


「白鐘の禁句は、止まれという命令ではないと思います」


 クラウス・ヴァイゼルが測定具を調整しながら問う。


「では、何を禁じていると考えますか」


「急いで扉そのものに従うことです」


 エリアナの声は静かだった。


「扉があるから開ける。鐘があるから鳴らす。血があるから叩く。名前があるから鍵にする。そういう短い道を禁じているのだと思います」


 ミリアが記録板に書く。


「短い道」


 エリアナは頷いた。


「扉へ走るな、は、助けるなという意味ではありません。扉を開けることだけを救いだと思うな、という警告かもしれません」


 リゼは扉を見る。


 黒い膜の下で、白文字が震える。


 鐘を鳴らすな。


 扉へ走るな。


 そして、銀色の薄い痕。


 こえ。


 さむ。


 アルトの声にならない声。


 カイが低く言った。


「じゃあ、どう助けるんですか」


 エリアナはすぐには答えなかった。


 代わりに、香草袋を少し持ち上げる。


「扉を開ける前に、何が扉を閉じているのかを分ける必要があります。白鐘の警告か、黒蔦の拘束か。守る層か、閉じ込める層か」


 クラウスが頷く。


「同意します。現状、内側の白鐘層と外側の黒蔦補助層が絡んでいます。白鐘層まで破れば、銀環が鳴る可能性がある。黒蔦だけを剥がす必要があります」


 カイが言う。


「黒いやつだけ剥がす」


「はい」


「じゃあ、それをやる」


 単純な言葉だった。


 だが、北棟前の全員が、その単純さに少しだけ救われた。


 扉を開けたい。


 けれど、開けないで助ける。


 まず、黒蔦を剥がす。


 ミリアが時計を見る。


「次の呼びかけ、可能よ。短く」


 リゼは頷き、扉へ向かった。


「アルトさん。リゼ・グレイスです。状態確認を行います。あなたは“こえ”“さむ”を伝えました。続きを無理に返さなくていいです。扉に“鐘を鳴らすな”“扉へ走るな”と出ています。私たちは、あなたを鳴らしません。扉へ走りません」


 少し間を置く。


 カイが続ける。


「アルト。カイだ。俺、扉に突っ込まない。でも、ここにいる。名前は呼ぶ。アルト」


 ミリア。


「ミリアです。急いで開けることと、助けることを同じにはしないわ。あなたに負荷をかけない」


 エリアナ。


「エリアナです。白鐘の警告を、あなたを閉じ込める理由にはしません。黒蔦だけを剥がす方法を探しています」


 オルド・ハイマン。


「オルド・ハイマンです。臨時保護令による冷却強化に異議を申し立てています。本人確認なしの処理を保護とは認めません」


 クラウス。


「クラウス・ヴァイゼルです。銀環を鳴らしません。白鐘層を破壊しません。黒蔦補助層を確認します」


 沈黙。


 黒い膜が波打つ。


 王宮の臨時保護令文が、扉の表面に走る。


 外部関係線の遮断。


 冷却強化。


 保護拘束。


 その奥で、銀色が微かに灯った。


 最初は点。


 次に線。


 カイが息を止める。


 ミリアが筆を構える。


 銀色の線は、震えながら文字になった。


 ひ。


 その次に、ら。


 リゼの喉が強張る。


 文字は続く。


 く。


 な。


 ひらくな。


 北棟前の空気が凍った。


 カイが一歩前へ出かけた。


 ロウ教師が腕で制する。


「止まれ」


 カイは止まった。


 だが、顔は真っ青だった。


「開くなって……アルトが?」


 ミリアも息を詰めている。


 エリアナは香草袋を握りしめた。


 リゼは扉の文字を見つめた。


 ひらくな。


 アルトがそう伝えたのか。


 黒蔦が偽装したのか。


 白鐘層の警告なのか。


 それとも、アルトが中で何かを見たのか。


 リゼは即座に言った。


「断定しません」


 声は硬かった。


 だが、崩れていない。


「“ひらくな”を確認。発信元は未確定。アルトさん本人の意思、白鐘警告、黒蔦偽装の可能性があります。内容を断定しません」


 ミリアがすぐに記録する。


 ひらくな。


 銀色表示。


 発信元未確定。


 本人意思、白鐘警告、黒蔦偽装の可能性。


 断定せず。


 カイが苦しそうに言った。


「でも、銀色でしたよね。アルトの字みたいに」


 リゼは頷く。


「はい。銀色です。これまでの本人反応と同系統です」


「じゃあ、アルトが開けるなって言ってるんじゃ」


「可能性はあります」


「助けに来るなってことですか」


 リゼはカイを見た。


「違います」


 その答えは、ほとんど即答だった。


 カイが目を見開く。


 リゼは扉へ向き直る。


「アルトさんは“助けるな”とは書いていません。“ひらくな”と書いています。何を開くな、どの手順で開くな、誰に開かせるな、を確認します」


 ミリアが静かに息を吐いた。


「そうね。第10章で偽の本人意思を見た時と同じ。言葉の表面だけで動かない」


 カイは唇を震わせた。


「何を開くな、か」


「はい」


 エリアナが白文字を見る。


「扉へ走るな、の続きかもしれません」


 クラウスが測定具を確認する。


「“ひらくな”表示直後、冷却の急上昇はありません。むしろ銀環反応は安定しています。ただし、臨時調整室枠が反応を見せています」


 全員が承認板を見る。


 臨時調整室枠が黒く点滅している。


 まるで、「ひらくな」という文字を消すか、利用するか迷っているようだった。


 オルドが低く言う。


「黒蔦偽装であれば、もっと強くこちらを遠ざける文言を出すはずです。“外部干渉停止”“保護継続”のように」


 ユリウスが頷く。


「“ひらくな”は、警告としては曖昧です。だからこそ、黒蔦側が完全には制御できていない可能性がある」


 リゼは扉へ向かって言った。


「アルトさん。“ひらくな”を確認しました。助けるなとは解釈しません。何を開くなか、確認します。無理に返さなくていいです」


 扉の銀色が、かすかに揺れた。


 黒い膜の奥で、細い線が出る。


 しかし、文字にはならない。


 クラウスが測定具を見る。


「反応あり。冷却は高いままですが、急激な悪化なし」


 ミリアが言う。


「返事を求めすぎないで」


 リゼは頷く。


「はい」


 カイは扉を見つめていた。


「アルトが、開けるなって言う理由……」


 エリアナが静かに答える。


「開けた瞬間に、銀環が鳴るからかもしれません」


 カイの顔が強張る。


 クラウスが頷いた。


「ありえます。扉の開放処理が、内側の銀環反応と連動している場合、物理開扉や正式承認開扉がアルト君の銀環を強制的に鳴らす可能性がある」


 リゼが問う。


「つまり、扉を開けること自体が罠」


「可能性があります」


 オルドが承認板を見る。


「三系統承認が揃った場合、扉は“正式に開く”。しかし、その正式開放手順が、臨時調整室によって改変されていれば、開く瞬間に銀環を王都中央鐘へ接続することも考えられる」


 ユリウスの顔が険しくなる。


「救出のつもりで開けた瞬間、アルトが王都中央鐘の鍵にされる」


 カイが息を呑む。


「だから、ひらくな」


 リゼは扉を見つめる。


 アルトは中で何かを見たのかもしれない。


 床に這う黒蔦。


 銀環と扉を繋ぐ線。


 開けば鳴る仕組み。


 それを見て、「ひらくな」と伝えた。


 助けを拒んだのではない。


 罠を知らせた。


 リゼは胸の奥に、痛みと誇りの両方を感じた。


 アルトは声を奪われても、ただ待っているだけではない。


 中から見ている。


 考えている。


 伝えようとしている。


 リゼは言った。


「アルトさんは、内部から危険情報を送っています」


 ミリアが頷く。


「ええ」


 カイは目元をこすらず、扉を見た。


「すごいな、アルト」


 その言葉に、扉の奥の銀色がほんの少し揺れた。


 ミリアが小さく微笑む。


「今のは届いたかもしれないわね」


 カイは息を吐いた。


「断定しません。でも、言ってよかった」


 エリアナは扉の白文字を見ながら、古い言葉を口にした。


「扉へ走ってはいけない。名を呼ぶ声が、名を奪うから」


 彼女は続ける。


「この“扉”は、ただの扉ではないと思います。開ける行為そのものが、名前を鍵にする手順になっている。だから、名前を呼ぶ時も、扉を開けるためではなく、戻るためでなければいけない」


 クラウスが頷く。


「白鐘層は、そこを見分けています。これまでの反応を見る限り、関係確認の声には白鐘層が応じ、銀環を鍵にしようとする動きには冷却または警告を出している」


 リゼが整理する。


「方針を更新します。扉を正式開放しません。物理破壊しません。銀環反応による開放を拒否します。黒蔦補助層だけを剥がし、白鐘層の本来警告を維持します」


 ミリアが記録する。


 方針更新。


 扉正式開放、一時停止。


 物理破壊禁止。


 銀環反応による開放拒否。


 黒蔦補助層剥離優先。


 白鐘本来警告維持。


 カイが言う。


「開けないで助ける」


 リゼは頷いた。


「はい」


 その時、臨時調整室枠が強く黒く光った。


 まるで、その結論に反発するように。


 扉の表面に黒い文字が浮かぶ。


 開放拒否確認。


 保護継続正当化。


 外部救出意思なし。


 カイが怒鳴りかける。


「違うだろ!」


 ミリアが同時に言う。


「記録を捻じ曲げています」


 リゼは黒文字を見る。


 開けない、を救出意思なしに変える。


 ひらくな、を閉じ込め継続の理由にする。


 また、同じ手口だ。


 本人の言葉を切り取り、反対の意味に使う。


 リゼは即座に言った。


「開放拒否ではありません。罠開放の拒否です。保護継続を正当化しません。救出意思あり。方法選択中」


 ミリアが素早く記録する。


「罠開放拒否。救出意思あり。方法選択中」


 カイが扉へ向かって言う。


「アルト! 開けないって、助けないって意味じゃないからな!」


 クラウスが測定具を見る。


「黒蔦層、反発。ですが、銀環反応は安定」


 リゼも続ける。


「アルトさん。あなたの“ひらくな”を、保護継続の理由にしません。救出を継続します。扉ではなく、黒蔦層を外します」


 扉の奥で、銀色が強く揺れた。


 その光が黒文字へ走り、外部救出意思なし、という文字の一部を裂いた。


 カイが拳を握る。


「そうだ、違う!」


 エリアナが香草袋を少し近づける。


「香草を届けます。罠を開くためではなく、戻るために」


 黒い膜の端が白く浮く。


 白鐘の二つの警告が、少し鮮明になった。


 鐘を鳴らすな。


 扉へ走るな。


 そして、その下に、三つ目の白い線がにじむ。


 エリアナが息を止めた。


「また……」


 クラウスが光を調整する。


 白い線は古い文字になる。


 エリアナはゆっくり読み上げた。


「王の血で、扉を叩くな」


 彼女の声がわずかに震えた。


 その瞬間、臨時保護令の分類文が扉に浮かぶ。


 旧ヴェルグラント血統関係者、保護拘束優先度上昇。


 エリアナの香草袋を持つ手が強張る。


 カイが即座に一歩横へ出た。


 エリアナと王宮兵の間に立つように。


 ミリアも彼女の隣へ寄る。


 リゼは扉を見ながら言った。


「エリアナさんの血を鍵にしません」


 エリアナは息を吸う。


 怖い。


 それを隠さない。


 だが、言葉にする。


「私は、王の血で扉を叩きません。叩かされません。私の血を、承認として使いません」


 ミリアが記録する。


 エリアナ本人意思。


 王血使用拒否。


 扉承認への使用拒否。


 カイが言う。


「エリアナはエリアナだ。血の鍵じゃない」


 エリアナはカイを見る。


 少しだけ、頷く。


「はい」


 オルドが臨時保護令の黒文字を見る。


「王宮側は、白鐘本来警告に合わせて分類を強めています。つまり、白鐘の禁句を知っている者が、臨時調整室側にいる」


 ユリウスが顔を険しくする。


「偶然ではない」


 クラウスが頷く。


「はい。鐘、扉、王の血。禁句の順に対応する罠を準備している」


 リゼは扉を見た。


 アルトを孤独な音にする。


 扉を開けさせる。


 エリアナの血を使わせる。


 名前を鍵にする。


 そのすべてを、王宮の臨時保護令が支えている。


 そして、扉の奥からアルトは「ひらくな」と伝えた。


 彼は罠を見ている。


 リゼは言った。


「臨時調整室は、白鐘手順を反転利用しています」


 クラウスが頷く。


「その可能性が高い」


「では、対抗手順を確立します。白鐘禁句を守る形で、黒蔦層を剥がす」


 ミリアが記録しながら言う。


「禁句を守る、というより、意味を取り戻すのね」


 エリアナが頷いた。


「はい。鐘を鳴らさない。扉へ走らない。王の血で叩かない。名前を鍵にしない。孤独な音を一人にしない」


 カイが言う。


「友達を離さない」


 ミリアが少しだけ微笑む。


「その言い方でいいと思うわ」


 北棟前の王宮兵たちは、戸惑いながらその会話を聞いていた。


 セイル・ハルトは、臨時保護令の写しと扉の銀色を見比べている。


 彼の顔には葛藤があった。


 命令に従う兵士としての習慣。


 自分の目で見た現実。


 そして今、エリアナを分類で拘束しようとする文言。


 セイルは小さく言った。


「……旧ヴェルグラント血統関係者という分類だけで、エリアナさんを移動させるのは、本人確認ではありません」


 オルドが彼を見る。


「その通りです」


 ミリアが記録する。


 セイル・ハルト、分類移動への疑義表明。


 リゼはセイルを見た。


「確認しました」


 セイルは少しだけ驚いたように目を伏せた。


 扉の黒膜が、またわずかに剥がれる。


 クラウスが測定具を見る。


「現認者の疑義表明に反応。黒蔦補助層、微弱剥離」


 カイが小さく言った。


「見た人が、ちゃんと見たって言うと効くんだな」


 ミリアが頷く。


「記録の壁には、現実の証言が必要なのね」


 リゼは扉へ向き直る。


「アルトさん。“ひらくな”を確認しました。あなたの言葉を、閉じ込める理由にしません。現在、白鐘禁句の本来意味を確認中です。あなたを鍵にしません。エリアナさんの血を鍵にしません。名前を鍵にしません。救出を継続します」


 扉の奥で、銀色が揺れる。


 黒膜の奥から、また短い線が浮かぶ。


 ミリアが身構える。


 文字は、ゆっくり形になった。


 こわい。


 カイの顔が歪む。


 リゼはすぐに言った。


「“こわい”を確認しました。恐怖を状態として記録します。怖くても、あなたの意思は消えません。怖いことを同意とは扱いません」


 ミリアが続ける。


「怖いと伝えてくれてありがとう。返事を続けなくていいわ」


 カイが低く言う。


「怖いよな。俺も怖い。でも、ここにいる」


 エリアナが香草袋を胸に当てる。


「怖さを、あなたを動かすために使わせません」


 扉の銀色がかすかに揺れた。


 そのすぐ横に、もう一文字。


 でも。


 また、でも。


 リゼは息を止めた。


 アルトは、第10話でも「さむい。でも」と返した。


 そして今、「こわい。でも」と返している。


 続きを、こちらが決めてはいけない。


 リゼは言った。


「“こわい”“でも”を確認しました。続きを断定しません。無理に返さなくていいです」


 銀色は震えた。


 黒蔦が覆おうとする。


 だが、今度は短い線が続いた。


 ひとり。


 そこで途切れる。


 カイが口を開きかける。


 ミリアが手を上げる。


 待つ。


 銀色がまた震える。


 では。


 黒蔦が強く覆う。


 最後の文字が、消えかけながら浮かぶ。


 ない。


 ひとりではない。


 カイが目を伏せた。


 ミリアの筆が震えた。


 エリアナが香草袋を抱きしめるように持った。


 リゼは扉を見つめたまま、声を整えた。


「“こわい。でも、ひとりではない”を確認しました」


 その言葉を口にした瞬間、胸の奥が痛んだ。


 痛みとして認める。


 けれど、崩れない。


「恐怖あり。孤独ではないという本人状態表明あり。記録します」


 ミリアが書いた。


 こわい。


 でも。


 ひとりではない。


 本人状態表明。


 カイが扉へ向けて言った。


「そうだ。ひとりじゃない。怖くても、ひとりじゃない」


 エリアナが続ける。


「孤独な音にはしません」


 オルドが低く言った。


「恐怖を保護同意に変換することを認めません」


 クラウスが測定具を見る。


「黒蔦層、大きく剥離。白鐘層、安定」


 扉の表面で、黒い臨時保護令の文字が一部崩れた。


 開放拒否確認。


 外部救出意思なし。


 その文字は完全に裂け、下から白い警告と銀色の言葉が重なって見えた。


 ひらくな。


 こわい。


 でも。


 ひとりではない。


 リゼは、その全てを見た。


 助けるなではない。


 閉じ込めろでもない。


 怖い。


 でも、一人ではない。


 だから、罠を開けるな。


 正しく助けてほしい。


 アルトの声がない声は、そう言っているようだった。


 リゼは扉へ向けて、深く頷いた。


「確認しました。罠の扉は開きません。あなたを一人にしない方法で、救出します」


 その時、臨時調整室枠の黒い光が急激に縮んだ。


 完全に消えたわけではない。


 だが、初めて弱まった。


 ユリウスが承認板を見て言う。


「臨時調整室枠が揺らいでいます」


 オルドが目を細める。


「本人の“ひらくな”を保護継続に転用できなかった。さらに“こわい。でも、ひとりではない”で、恐怖を保護同意に変換する処理も崩れた」


 クラウスが頷く。


「黒蔦層は、本人反応を都合のよい記録へ変換していました。それが失敗しています」


 リゼは言った。


「なら、次に来ます」


 ロウ教師が短く問う。


「何が」


 リゼは臨時調整室枠を見る。


「本人反応を利用できないなら、外部を切るはずです」


 その言葉が終わる前に、王都中央鐘の余韻が再び低く震えた。


 遠く、王都の中心から新たな命令が流れる気配。


 北棟前の札が黒く光る。


 臨時保護令の文字が更新される。


 関係維持者、分散保護へ移行。


 リゼの瞳が細くなる。


 ミリアが低く言う。


「分散保護」


 カイが叫ぶ。


「散らす気だ!」


 エリアナの香草袋を持つ手に力が入る。


 王宮兵たちが動揺する。


 セイル・ハルトが命令文を見て顔を強張らせる。


 リゼは即座に言った。


「分散保護を拒否します。これは関係遮断です」


 ミリアが記録する。


「分散保護、関係遮断として扱う。拒否」


 カイが扉へ向かって言う。


「アルト! 散らない! 俺たち、散らないからな!」


 エリアナが続ける。


「香草を離しません」


 ミリア。


「記録を切りません」


 リゼ。


「現在地を維持します。あなたを孤独な音にしません」


 扉の奥で、銀色が強く光った。


 ひとりではない。


 その文字が、黒い分散保護の文言の下で、もう一度浮かび上がった。


 王都中央鐘の黒い余韻が、北棟前に重く落ちる。


 だが、誰も動かなかった。


 誰も散らなかった。


 扉はまだ開いていない。


 けれど、開けてはいけない扉が何なのか、少しずつ見えてきていた。


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