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灰銀の戦乙女は、制服を知らない  作者: 最後に残った形


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第10章 第11話:安全室の白布


 安全室は、学園の中で最も守られた部屋の一つだった。


 厚い扉。


 二重の鍵。


 内側からも外側からも開閉記録が残る仕組み。


 窓は高く、小さい。


 外から侵入しにくく、内側の声は廊下へ届くように、扉の下部には細い通気口がある。


 非常時、生徒を一時的に避難させる場所。


 毒煙、暴動、外部侵入、封印具の暴走。


 そうした時に、短時間だけ使われる部屋。


 安全のための部屋。


 けれど今、アルト・レインフォードにとって、その言葉は少し怖かった。


 安全室。


 安全な部屋。


 でも、一人で入れば、孤独な部屋になる。


 昨日、王宮保護移送馬車の入構予定が門衛台帳に差し込まれていた。


 存在しない馬車。


 登録番号なし。


 東門。


 明日午後第二時限後。


 確認済欄に残る削損線と三点印の痕。


 東門周辺に配置された黒蔦状刻線。


 記録から入る術式。


 その対策として、学園長は今日、アルトの安全確保手順を再確認することにした。


 ただし、最初から安全室に入れるのではない。


 安全室を使うなら、孤独な部屋にしない。


 扉を閉じる前に目的を言う。


 誰が近くにいるか確認する。


 いつ出るかを決める。


 本人意思を確認する。


 それが、昨日までの結論だった。


 朝の保護資料室。


 長机の上には、今日の予定表が置かれている。


 午前第一時限、保護資料室で状態確認。


 午前第二時限、通常授業一つ。


 午後第二時限後、東門の存在しない馬車入構予定時刻。


 その時間帯、アルトは東門から最も遠い西棟休憩室にいる予定だった。


 安全室ではない。


 だが、状況が悪化すれば、近くの安全室を使う可能性がある。


 アルトは予定表を見ながら、左手首に触れた。


 痛みはない。


 熱もない。


 冷えもない。


 声もない。


「痛みなし。熱なし。冷えなし。声なし。現在地、王立学園保護資料室」


 隣のリゼ・グレイスが頷いた。


「確認しました」


 リゼの灰銀の髪には、青いリボン。


 制服はいつも通り整っている。


 だが、彼女の視線は予定表の中の「安全室使用可能性」という文字で止まっていた。


 自分が最初に提案しかけた場所。


 守るために、入れようとした場所。


 その提案が、敵の孤立誘導と重なる可能性があると、昨日確認したばかりだ。


 リゼは静かに言った。


「本日、安全室は第一選択肢ではありません。退避場所です」


 ミリア・ファルネーゼが頷く。


「ええ。孤独な部屋にしないことが条件ね」


 カイ・ロックハートは保存食袋を膝に置き、真剣な顔で言う。


「安全室に入るなら、飯も声も届くようにする」


 リゼは即座に頷いた。


「重要です」


 エリアナ・ルクス・ヴェルグラントは香草袋を両手で包んでいた。


「香草袋は私のものとして持ちます。安全室に置きません。必要なら、私が近くで持ちます」


 リゼが頷く。


「確認しました」


 学園長は全員を見渡した。


「午後第二時限後の東門警戒中、アルト君を囮にすることはありません。君は西棟側で過ごします。ただし、もし黒札反応や記録干渉が西棟へ波及した場合、短時間、安全室を使う可能性があります。その場合でも、本人確認会話を行い、単独収容はしません」


 アルトは頷いた。


「確認しました」


 ロウ教師が壁際から低く言う。


「安全という言葉を信用しすぎるな。安全にするのは部屋ではなく、手順だ」


 リゼが頷いた。


「はい」


 その時、保護資料室の扉が短く叩かれた。


 ユリウス・エインズワースが入ってくる。


 表情は険しい。


 後ろにはエレオノーラ・ヴィンスフェルトがいる。


 彼女の手には、透明な保護板があった。


 その上に、小さな白い布が乗っている。


 アルトの左手首が、すぐに冷えた。


 痛みなし。


 熱なし。


 声なし。


 冷え、ごく少し。


 白い布。


 鳴らさぬ谷の石柱。


 白鐘北礼拝堂跡の扉前。


 布掛け梁。


 白鐘の守る手順。


 その記憶が一瞬で戻る。


「痛みなし。熱なし。冷えごく少し。声なし。白布で反応しました」


 リゼが問う。


「発見場所は」


 ユリウスが答える。


「西棟安全室付近の廊下です。扉の横、壁の継ぎ目に挟まっていました」


 部屋の空気が変わった。


 安全室付近。


 白布。


 アルトの左手首がさらに冷える。


「冷え少し。声なし」


 ミリアがすぐに言った。


「現在地は」


「王立学園保護資料室」


「孤独?」


「いいえ」


 冷えは少し下がる。


 クラウス・ヴァイゼルが保護板に乗った布を確認するため、身を乗り出した。


 白い布。


 指二本分ほどの小さな切れ端。


 端はきれいに切られている。


 古布ではない。


 新しい。


 けれど、布の中央には黒い刺繍があった。


 白鐘と蔦を歪めた紋様。


 昨日の黒札と似ている。


 ただし、紙ではなく布に刺繍されている。


 白い布に、黒い蔦。


 エリアナの声が低くなった。


「白布を、黒く縫っています」


 クラウスは頷いた。


「触れないでください。術式が縫い込まれている可能性があります」


 エレオノーラが記録する。


 白布切れ端。


 西棟安全室付近。


 黒刺繍。


 白鐘・蔦歪曲紋様。


 未接触保護。


 アルトは白布を見た。


 鳴らさぬ谷の白布は、境界だった。


 ほどかない。


 触れない。


 鐘を鳴らさないための意思。


 白鐘北礼拝堂跡の扉前では、布は音を抑える手順だった可能性がある。


 過剰な響きを抑え、孤独な音を通さないためのもの。


 それなのに、今ここにある布は、違う。


 白いのに、黒い。


 守る布の形をしているのに、冷たい。


 クラウスが小さな測定具を布へ近づける。


 銀針が下へ沈む。


 鳴らす方向ではない。


 沈める。


 冷やす。


 クラウスの表情が硬くなる。


「これは、静かにする布ではない」


 エリアナが顔を上げる。


 クラウスは続けた。


「声を外へ出さない布だ」


 アルトの左手首が強く冷えた。


「痛みなし。熱なし。冷え中。声なし。“声を外へ出さない布”で反応しました」


 リゼが即座に問う。


「現在地」


「王立学園保護資料室」


「名前」


「アルト・レインフォード」


「同席者」


「リゼさん、ミリアさん、カイさん、エリアナさん、学園長、ユリウス先輩、エレオノーラ先輩、クラウスさん、ロウ先生」


「孤独ですか」


「いいえ」


 冷えは少し下がった。


 だが、布の意味は消えない。


 安全室付近に、声を外へ出さない布。


 もし、アルトが安全室へ入っていたら。


 扉が閉じていたら。


 声が外へ届かなくなっていたかもしれない。


 本人確認会話が途切れたかもしれない。


 冷えが起きても、誰にも届かなかったかもしれない。


 黒札が孤独感を作り、白布が声を遮る。


 安全室が、孤独な部屋になる。


 アルトは息を吸った。


「一人の安全室は、やっぱり怖かったです」


 ミリアがすぐに頷く。


「ええ。言えてよかったわ」


 リゼの表情がわずかに崩れた。


 ほんの一瞬。


 だが、確かに。


「私は、安全室移動を提案しました」


 声は静かだった。


「守るための提案でした。しかし、敵の孤立誘導と重なる可能性がありました」


 ミリアがリゼを見た。


「提案したことと、罠にかかったことは違うわ」


 リゼはミリアを見る。


「はい」


「気づいて戻したなら、それは罠に従ったことではない」


「確認しました」


 ミリアの声は優しかったが、曖昧ではなかった。


 リゼは少しだけ息を吐く。


「修正します。今後、安全室は使用前に布、扉、通気口、声の到達を確認します。単独使用禁止。声が外へ出ることを確認してから使用します」


 クラウスが頷く。


「必要です。今回の布は、扉周辺へ仕込まれていた。おそらく、安全室の遮音構造を利用し、外への声をさらに弱める設計です」


 エリアナが香草袋を握る。


「白布は、本来、鐘を鳴らさないためのものだったかもしれません」


「はい」


「声を外へ出さないためではありません」


「はい」


「また、意味を反転させています」


 クラウスは頷いた。


「白鐘手順の反転、または模倣です」


 カイが低く言った。


「安全って書いた部屋に、声を出さない布を置くなよ」


 ロウ教師が見る。


 カイは息を吸って続けた。


「怒っています。でも、叫びません」


「よし」


 学園長は静かに命じた。


「全安全室の緊急点検。白布、黒刺繍、黒札、微細刻線の有無を確認。点検完了まで安全室は使用禁止。ただし、代替休憩室を複数確保し、扉開放、声の到達確認を行う」


 エレオノーラが記録する。


 安全室一時使用禁止。


 全室点検。


 声到達確認。


 代替休憩室確保。


 単独収容禁止。


 リゼが言う。


「本日午後第二時限後、アルトさんの待機場所を変更します。西棟安全室付近ではなく、開放型の講師控室を使用します。窓と扉を確認し、廊下に複数名配置。安全室を使いません」


 学園長が頷く。


「承認します」


 アルトは左手首に触れた。


 冷えは少しずつ下がっている。


「冷え少し。声なし」


 ミリアが問う。


「待機場所の変更、どう感じる?」


「安心します。安全室ではなく、声が届く部屋がいいです」


 リゼが頷く。


「本人意思、確認しました」


 白布は遮蔽箱へ入れられた。


 目的は保存と影響遮断。


 隠蔽ではない。


 奪うための箱ではない。


 確認するための箱。


 それが記録された。


 午前第二時限の授業は、予定通り一つだけ参加することになった。


 ただし、教室へ向かう前に、安全室付近の廊下へは近づかない経路が選ばれた。


 本人確認会話。


 リゼが言う。


「アルトさん。午前第二時限の授業へ参加します。目的は日常導線維持。安全室付近の廊下は通りません。単独移動はありません。同行者は私、ミリアさん、カイさん、エリアナさん。反応があれば情報として扱い、危険があれば戻ります。参加可能ですか」


 アルトは答える。


「参加可能です。現在地は保護資料室。痛みなし、熱なし、冷え少し、声なし。授業へは一人で行きません。安全室には入りません。怖くなったら言います」


 リゼが頷く。


「本人意思、確認しました」


 廊下を歩きながら、アルトは何度か声を出して確認した。


「声、届いていますか」


 カイがすぐ答える。


「届いてる」


 ミリアも。


「届いているわ」


 エリアナも。


「聞こえています」


 リゼが記録する。


「声到達、良好」


 最初は少し恥ずかしかった。


 だが、声が届くと確認するたび、白布の冷たさが薄くなる。


 安全室の扉が見えない道を通って、教室へ入る。


 授業中、教師の声はいつも通り聞こえた。


 窓の外の鳥の声も、近くの生徒の筆記音も。


 アルトは左手首に触れる。


 痛みなし。


 熱なし。


 冷えなし。


 声なし。


 声が届く。


 そのことが、今日はとても大事だった。


 授業後、休憩室でカイが保存食の包みを出した。


 ミリアが聞く。


「今日の名前は?」


 カイは白布のことを思い出したように、少し険しい顔で言った。


「安全な部屋を一人の部屋にしない用」


 アルトは大きく頷いた。


「それがいいです」


 リゼも即座に頷く。


「非常に適切です」


 エリアナが静かに言う。


「はい。今日は、それがよいです」


 包みを開く。


 小さな焼き菓子と香草パンの欠け。


 アルトは成分を読み上げる。


「焼き菓子は小麦、卵、乳、林檎、杏。香草パンは小麦、卵、乳、蜂蜜、香草候補二、香草候補三。蜂蜜減量版。香草はエリアナさん調整です」


 エリアナが頷く。


「確認しました」


 香草パンを噛む。


 苦味。


 甘さ。


 今日は、香草の匂いが声のように感じられた。


 そこにある。


 届いている。


 押し込めるためではなく、戻るための匂い。


 カイが言った。


「安全室って名前がついてても、中で声が届かなくなったら安全じゃないよな」


 ミリアが頷く。


「ええ。名前だけでは足りないの」


 リゼが続ける。


「目的と状態確認が必要です」


 エリアナが香草袋を見つめる。


「白布も同じです。白いから守る布とは限りません。目的を見なければなりません」


 アルトは記録表に書いた。


 安全室は名前だけでは安全ではない。


 白布は色だけでは守る布ではない。


 声が届くことを確認する。


 午後第二時限後。


 東門に存在しない馬車が来る予定時刻。


 アルトたちは、予定通り開放型の講師控室にいた。


 西棟。


 東門から遠い。


 扉は開いている。


 廊下には教師二名。


 室内にはリゼ、ミリア、カイ、エリアナ。


 少し離れたところにロウ教師。


 学園長、ユリウス、エレオノーラ、クラウスは東門と管理部の確認に回っている。


 時計の針が、午後第二時限後を示す。


 アルトの左手首が冷えた。


 痛みなし。


 熱なし。


 声なし。


 冷え、少し。


 リゼがすぐに問う。


「現在地」


「西棟講師控室」


「同席者」


「リゼさん、ミリアさん、カイさん、エリアナさん、ロウ先生、廊下に教師二名」


「孤独ですか」


「いいえ」


 カイが言う。


「声、届いてるか」


「届いています」


 ミリアが尋ねる。


「足は」


「自分で動かせます。東門へ向かう感じはありません」


 エリアナが香草袋を少し近づける。


「香りは届いていますか」


「届いています」


 冷えは下がった。


「冷え低下。声なし」


 遠くで、鐘は鳴らなかった。


 警報もない。


 廊下の向こうから、通常の足音がするだけ。


 だが、全員が耳を澄ませていた。


 しばらくして、ユリウスが控室へ戻ってきた。


 表情は固い。


「馬車は来ませんでした」


 カイが眉をひそめる。


「来なかった?」


 ユリウスは頷く。


「東門には何も現れなかった。ただし、門衛台帳の該当行が、予定時刻を過ぎた直後に“入構済”へ変化しようとしました」


 アルトの左手首が冷えた。


「痛みなし。熱なし。冷え中。声なし。“入構済”で反応しました」


 リゼが問う。


「馬車は来ていない」


 ユリウスが頷く。


「来ていない。だが、記録だけが進もうとした。クラウス先生とエレオノーラが直前に封じたため、完全な書き換えは阻止」


 ロウ教師が低く言った。


「やはり、記録から入るか」


 アルトは記録表を握る。


 存在しない馬車。


 実際には来ない。


 でも、紙の上では入構済になろうとした。


 もし、そうなっていたら。


 その次は、移送準備完了。


 乗車済。


 出構済。


 そうやって、紙の上で連れていかれるのだろうか。


 本人がここにいても。


 声が届いていても。


 紙の上では、外へ出たことにされる。


「僕は、ここにいます」


 アルトは言った。


 すぐにリゼが頷く。


「確認しました」


「馬車には乗っていません」


「確認しました」


「東門へ行っていません」


「確認しました」


「僕は、ここにいます」


 ミリアが静かに言った。


「ええ。ここにいるわ」


 カイも。


「ここにいる」


 エリアナも。


「ここにいます」


 冷えが下がる。


「冷え低下。声なし」


 ユリウスは続けた。


「もう一つ。安全室付近で見つかった白布と同じ刺繍片が、東門の台帳小机の裏にもありました。声を外へ出さない布ではなく、記録の確認声を鈍らせる用途だった可能性があります」


 リゼの表情が鋭くなる。


「声を届かせない布が、記録確認にも使われた」


 クラウスがいないため、ユリウスは慎重に言った。


「詳細は解析待ち。ただ、同じ黒刺繍です」


 エリアナが静かに怒りを込めて言った。


「白布を、記録を黙らせるために使ったのですね」


 カイが低く言う。


「守る布じゃない」


 アルトは左手首に触れた。


 痛みなし。


 熱なし。


 冷え少し。


 声なし。


 午後の危険時刻は過ぎた。


 馬車は来なかった。


 しかし、記録は進もうとした。


 安全室には白布があった。


 東門にも白布があった。


 声を外へ出さない布。


 確認を鈍らせる布。


 守る静けさではない。


 黙らせる静けさ。


 夕方、保護資料室で正式な報告が行われた。


 学園長は疲れた顔をしていたが、声は明確だった。


「存在しない馬車は、物理的には来ませんでした。しかし、門衛台帳上で入構済へ変更されかけました。記録干渉は実在します。安全室付近および東門台帳机裏から、白布黒刺繍片を確認。全安全室は引き続き使用停止。東門記録は封鎖。今後、本人の所在確認は紙記録だけでなく、目視、声、同席者記録で行います」


 アルトは頷いた。


 リゼが言う。


「アルトさん本人は、午後第二時限後、西棟講師控室にいました。東門へ行っていません。馬車に乗っていません。全員で確認しました」


 エレオノーラが記録する。


 アルト所在。


 西棟講師控室。


 同席者あり。


 声到達確認。


 足異常なし。


 東門移動なし。


 馬車乗車なし。


 学園長はアルトを見た。


「紙の上で入構済になりかけた記録は、君の事実を上書きしません」


 アルトは深く息を吸った。


「はい」


 夜の状態確認。


 アルト。


「痛みなし。熱なし。冷えなし。声なし。安全室の白布が怖かったです。存在しない馬車が来なかったのに、入構済になりかけたことも怖かったです。でも、僕は西棟講師控室にいました。声は届いていました」


 リゼ。


「身体異常なし。疲労あり。感情、怒り、警戒。安全室付近の白布は、保護手順を孤立へ反転させる罠でした。私は保護と隔離を混同しません」


 ミリア。


「身体異常なし。全員、声の到達確認を継続できました。安全な部屋を一人の部屋にしない、という確認が必要です」


 カイ。


「身体異常なし。怒りあり。保存食数、減少。安全な部屋を一人の部屋にしない用、残りなし。馬車が来てないなら、来たことにするな」


 エリアナ。


「身体異常なし。疲労あり。怒りあり。白布を声や記録を黙らせるために使うことに怒っています。白布の意味を、勝手に奪わせません」


 リゼが頷く。


「全員、確認しました」


 寮の部屋に戻り、アルトは記録表を開いた。


 第10章十一日目。


 西棟安全室付近。


 白布黒刺繍片。


 白鐘・蔦歪曲紋様。


 声を外へ出さない布。


 安全室使用停止。


 安全室は名前だけでは安全ではない。


 午後第二時限後。


 存在しない馬車、物理的には来なかった。


 門衛台帳が入構済へ変化しかけた。


 東門台帳机裏にも白布黒刺繍片。


 僕は西棟講師控室にいた。


 馬車に乗っていない。


 東門へ行っていない。


 声は届いていた。


 そこまで書いて、アルトは左手首に触れた。


 痛みなし。


 熱なし。


 冷えなし。


 声なし。


 扉の外から、リゼの声がする。


「夜間本人確認会話を行います。目的は、安全室白布確認後の状態確認。単独移動はありません。扉は開けなくても構いません。状態を報告してください」


 アルトは答える。


「痛みなし。熱なし。冷えなし。声なし。現在地、男子寮自室。怖さは少しあります。でも、声は届いています。孤独ではありません」


 ミリアの声。


「届いているわ」


 カイの声。


「聞こえてる」


 エリアナの声。


「白布は、あなたの声を消せませんでした」


 アルトは机の上の記録表に、最後の一行を書いた。


 安全な場所は、声が届く場所であってほしいです。


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