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灰銀の戦乙女は、制服を知らない  作者: 最後に残った形


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第10章 第7話:偽造された本人意思


 本人意思。


 その言葉は、王立学園へ戻ってから何度も確認されてきた。


 行くか。


 行かないか。


 見るか。


 見ないか。


 扉の前まで進むか。


 開けずに戻るか。


 安全室に入るか。


 授業へ出るか。


 食堂で食べるか。


 休むか。


 本人意思は、アルト・レインフォードが「鍵」でも「銀環」でもなく、アルト本人であることを守るための言葉だった。


 だからこそ、その言葉が偽造された時、保護資料室の空気は、黒札を見た時とは別の冷たさを持った。


 王立学園男子寮。


 朝の確認後。


 アルトの部屋の扉には異常がなかった。


 窓にも異常はない。


 机の上に不審な紙もない。


 前夜、廊下で聞こえた紙のような音は、掲示布が風で擦れただけだった。


 それを確認して、アルトは少しだけ安心していた。


 だが、朝食へ向かう廊下の途中、寮監が一枚の紙を持って待っていた。


 紙は直接持たれていない。


 透明な保護板の上に置かれている。


 寮監の顔は、いつもより硬かった。


「アルト君。君の部屋の前ではなく、男子寮の掲示棚の下に置かれていた」


 アルトの左手首が、すぐに冷えた。


 痛みはない。


 熱もない。


 声もない。


 ただ、薄い冷たさが手首の内側に広がる。


「痛みなし。熱なし。冷え少し。声なし。現在地、王立学園男子寮廊下」


 リゼ・グレイスが即座に頷く。


「確認しました。紙には接触しません」


 紙は、前回のように「一人で」とだけ書かれているわけではなかった。


 保護板越しに見える表面には、丁寧な文字が並んでいる。


 アルトは、その文字を見た瞬間、息が止まりかけた。


 自分の字に似ていた。


 少し丸く、少し右に傾く癖。


 「僕」の縦線が少し長くなるところ。


 「確認」の「認」が詰まりがちなところ。


 記録表で何度も書いてきた、自分の字。


 それに、よく似ていた。


 リゼが半歩前に出る。


 だが、完全には隠さない。


 遮断しすぎず、報告できる距離を残す。


「状態は」


 アルトは左手首を押さえた。


「痛みなし。熱なし。冷え中へ上昇。声なし。筆跡が僕に似ています」


 ミリア・ファルネーゼが隣に立ち、紙を見つめる。


 カイ・ロックハートは拳を握りかけ、昨日と同じように自分で止めた。


 エリアナ・ルクス・ヴェルグラントは、香草袋を手元に持っている。


 寮監は静かに言った。


「開封はしていない。表に見えている部分だけで判断した」


 その表に、こう書かれていた。


 僕は、自分で確認に行きます。


 誰もついてこないでください。


 これは僕の本人意思です。


 アルト・レインフォード


 冷えが、強くなった。


「痛みなし……熱なし。冷え強。声なし。“本人意思”で反応しました」


 リゼの声が低くなる。


「現在地」


「王立学園男子寮廊下」


「名前」


「アルト・レインフォード」


「同席者」


「リゼさん、ミリアさん、カイさん、エリアナさん、寮監の先生」


「孤独ですか」


 アルトは息を吸う。


「いいえ」


「本人意思を確認します。この紙を書きましたか」


「書いていません」


「この内容に同意していますか」


「していません」


「確認しました」


 そのやり取りだけで、冷えが少し下がった。


 紙はまだそこにある。


 自分の字に似ている。


 自分の名前がある。


 本人意思という言葉もある。


 でも、自分ではない。


 アルトはもう一度言った。


「これは、僕が書いたものではありません」


 ミリアが頷く。


「ええ」


 カイが低く言った。


「アルトは、そんな書き方しない」


 寮監は紙を保護板ごと封筒に入れる。


 リゼが指示する。


「保護資料室へ移動します。単独移動なし。紙片は開封せず、外側文字のみ確認済みとして扱います」


 エリアナが静かに言う。


「本人意思という言葉を、本人から離して使っています」


 その言葉は、リゼの「灰銀」や「リゼより」と同じ線上にあった。


 名前が本人から離れる。


 言葉が本人から離れる。


 意思が本人から離れる。


 それは、名前を盗まれるよりもさらに深い場所へ手を伸ばす行為だった。


 保護資料室へ向かう廊下で、アルトは歩く自分の足を意識した。


 右足。


 左足。


 自分で歩いている。


 本人の足で来る。


 そう書かれた黒札の文字が胸をかすめる。


 だが、今は違う。


 自分で、みんなと一緒に、保護資料室へ向かっている。


 リゼが隣で確認する。


「足に違和感はありますか」


「ありません。自分で歩いています。痛みなし、しびれなし。冷え少し。声なし」


「確認しました」


 カイが後ろから言う。


「今のは本人の意思で歩くやつだな」


 アルトは頷いた。


「はい」


 その言葉でも、少し落ち着いた。


 保護資料室には、学園長、ユリウス・エインズワース、エレオノーラ・ヴィンスフェルト、クラウス・ヴァイゼル、ロウ教師がすでに集められていた。


 寮監からの連絡が先に届いていたらしい。


 保護板に挟まれた紙が机に置かれる。


 学園長は紙を一瞥し、すぐにアルトを見た。


「アルト君。確認します。この紙を書きましたか」


「書いていません」


「内容に同意していますか」


「していません」


「この紙を本人意思として扱うことを拒否しますか」


「拒否します」


 学園長は深く頷いた。


「確認しました。この紙は、本人意思ではありません。本人意思を装った偽造文書として扱います」


 その宣言に、アルトの左手首の冷えがまた下がった。


「冷え中より下。声なし」


 リゼが記録する。


「本人意思偽造文書。本人否定済み」


 エレオノーラも記録板に書き込む。


 クラウスは紙を開かず、まず外側から確認した。


「紙質は昨日の偽呼び出し紙とは異なる。これは学園内紙に似せている。だが、繊維が少し硬い。王都系統の紙の可能性もある。詳細は後ほど」


 アルトの左手首が冷える。


「痛みなし。熱なし。冷え少し。声なし」


 ミリアが紙面を見る。


「筆跡は、かなり似せていますね」


 アルトは紙を見た。


 自分の字のようで、自分の字ではない。


 それが気持ち悪い。


 まるで、自分の声を薄く伸ばして、知らない人が喉の外で喋っているようだった。


「怖いです」


 アルトは言った。


「僕の字みたいです。でも、僕の言葉ではありません」


 リゼが頷く。


「確認しました」


 ミリアは机の上の写しではなく、アルトの顔を見て言った。


「どこが違うと思う?」


 アルトは、しばらく紙を見つめた。


 怖い。


 でも、見る。


 開けないまま、見える範囲を見る。


 僕は、自分で確認に行きます。


 誰もついてこないでください。


 これは僕の本人意思です。


 アルト・レインフォード


「まず、状態がありません」


 アルトは言った。


 エレオノーラの筆が止まり、すぐにまた動き出す。


「僕なら、痛み、熱、冷え、声を書きます。あと、現在地も書きます」


 リゼが頷く。


「はい」


「それから、誰もついてこないでください、とは書かないと思います」


 カイがすぐに言った。


「だよな」


 アルトは頷く。


「僕は、近くにいてほしい人を書きます。誰も、ではなくて」


 ミリアの目元が少し柔らかくなる。


「そうね」


 アルトは続ける。


「あと、これは僕の本人意思です、という書き方も少し変です。僕なら、本人意思、と書く時は、何を拒否するか、何を希望するかを分けます」


 リゼが記録を読み上げるように言った。


「拒否、単独移動。希望、同行確認」


「はい」


「この紙には拒否と希望の区別がありません」


「はい」


 クラウスが頷いた。


「重要だ。偽造者は本人意思の形式を知っているが、運用を理解していない」


 カイが紙を睨みながら言う。


「アルトなら、“誰も来るな”じゃなくて、“誰に来てほしい”って書く」


 アルトはカイを見る。


 その言葉で、胸の奥が温かくなった。


「はい」


 エリアナが静かに言った。


「孤立するための本人意思にされています」


 リゼの声が低くなる。


「本人意思の偽造は、本人の声を奪う行為です」


 その言葉は、保護資料室の壁に重く響いた。


 声を奪う。


 白鐘の静けさとは違う。


 守るために抑えるのではない。


 本人の言葉を本人から切り離し、紙の上で勝手に動かす。


 学園長は静かに言った。


「本人意思という言葉を、今後さらに厳格に扱います。本人がその場で確認できない本人意思は、本人意思として扱いません」


 ユリウスが頷く。


「本人不在の本人意思確認済み表記は、すべて無効とします」


 エレオノーラが記録する。


 本人不在の本人意思確認済み表記、無効。


 アルトはその文字を見て、息を吐いた。


 紙の上の自分が、自分を連れていくことはできない。


 そう決めてもらえることが、こんなに安心につながるとは思わなかった。


 クラウスは紙片の外側に光を当てる。


「微細刻線あり。昨日の偽呼び出し紙、黒札新型と同系統だが、強度は弱い。おそらく、見た者に“これは本人が書いたものだ”という納得を促す程度の補助術式」


 ミリアが眉をひそめる。


「納得を促す」


「そうだ。強制ではない。だが、疑問を少し鈍らせる。特に筆跡が似ている場合、効果は強まる」


 アルトの左手首が冷える。


「痛みなし。熱なし。冷え少し。声なし」


 カイが言った。


「だから、開けなかったの正解だな」


 クラウスが頷く。


「正解です」


 エリアナが紙を見つめる。


「紙は、残すためにも使えます。奪うためにも使えます」


 ミリアが静かに応じた。


「ええ。だから、目的を確認するのね」


 リゼが頷く。


「目的確認。本人意思を守るため」


 学園長は、紙を開封するかどうかを検討した。


 最終的に、開封はしないことになった。


 外側だけで十分危険性が確認されている。


 開くことで誘導術式が発動する可能性がある。


 開けないことを成果とする。


 地下扉と同じだ。


 紙も扉になる。


 アルトはその決定を聞いて、左手首に触れた。


「痛みなし。熱なし。冷え低下。声なし。開けないことに安心しています」


 リゼが頷いた。


「開けなかったことを成果として記録します」


 カイが小さく言った。


「見つけても開けない用、また必要だったな」


 ミリアが微笑む。


「今日は、別の名前があるのでは?」


 カイは真剣に考え込んだ。


「ある。けど昼までに整える」


 ロウ教師が短く言う。


「急がなくていい」


「はい」


 偽造文書への対応として、学園内の本人意思記録手順が即時変更された。


 第一。


 本人意思は、紙のみで成立しない。


 第二。


 本人がその場で状態、現在地、目的、同席者、拒否または希望を言えること。


 第三。


 本人が話せない場合は、直前記録、同席者証言、敵誘導痕、銀環反応、身体状態を照合し、紙面は補助資料に留めること。


 第四。


 本人意思を示す文書には、記録担当者と同席者を明記すること。


 第五。


 「誰もついてこない」「単独で」「自分で確認に行く」など、孤立を伴う文言は警戒対象とすること。


 アルトはそれを書き写しながら、少しずつ呼吸を整えた。


 リゼが隣で問う。


「負荷は」


「あります。でも、手順になると少し落ち着きます」


「確認しました」


 ミリアが言う。


「手順は、縛るためだけではなく、奪われないためにもあるわ」


 アルトは頷いた。


「はい」


 昼食は食堂で取ることになった。


 偽造文書が出たからといって、すべての生活を止めない。


 ただし、食堂への移動前に本人確認会話を行う。


 リゼが言う。


「アルトさん。昼食へ向かいます。目的は通常食事と、本人意思偽造後の日常導線確認。単独移動はありません。同行者は私、ミリアさん、カイさん、エリアナさん。反応があれば情報として扱い、危険があれば戻ります。参加可能ですか」


 アルトは答える。


「参加可能です。現在地は保護資料室。痛みなし、熱なし、冷えなし、声なし。昼食へは一人で行きません。怖くなったら言います。僕の本人意思は、食堂でみんなと食べることです」


 リゼの瞳がわずかに揺れた。


「本人意思、確認しました」


 食堂へ向かう廊下で、アルトは何人かの生徒の視線を感じた。


 また何かあったのか。


 昨日の黒札のことか。


 今朝の紙のことか。


 噂は速い。


 けれど、今日は少し違っていた。


 連絡板の前には教師が一人立ち、不審な伝言が貼られないよう確認している。


 生徒たちは、掲示を見る前に教師へ声をかけている。


 面倒だ。


 でも、人を守るための面倒。


 アルトは記録表にその言葉を思い出しながら歩いた。


 食堂の席に着くと、カイがついに包みを出した。


 ミリアが聞く。


「名前は決まった?」


 カイは力強く頷いた。


「本人意思を勝手に紙にしない用」


 リゼが即座に頷く。


「非常に適切です」


 エリアナも言った。


「はい。今日は、それがよいです」


 アルトは包みを見て、少し笑った。


「長いですが、わかります」


 カイは真面目に言う。


「長くても大事ならいい」


 包みを開ける。


 小さな焼き菓子と香草パンの欠け。


 アルトは成分を読み上げた。


「焼き菓子は小麦、卵、乳、林檎、杏。香草パンは小麦、卵、乳、蜂蜜、香草候補二、香草候補三。蜂蜜減量版。香草はエリアナさん調整です」


 エリアナが頷く。


「確認しました」


 香草パンを噛む。


 苦味。


 甘さ。


 今日は、紙の味ではなく、人の手で作られた味がした。


 それだけで、少し落ち着く。


 カイがアルトを見る。


「本人意思、確認していいか」


 アルトは少し驚いてから、頷いた。


「はい」


「今、食う意思あるか」


 ミリアが小さく笑った。


 リゼは真面目に聞いている。


 アルトは答えた。


「あります。現在地は食堂。痛みなし、熱なし、冷えなし、声なし。本人意思として、カイさんの保存食を食べます」


 カイは満足げに頷いた。


「確認した」


 リゼが記録する。


「日常時の本人意思確認。食事。良好」


 アルトは少し笑った。


 本人意思は、危険な時だけのものではない。


 食べたい。


 行きたい。


 休みたい。


 見たくない。


 一緒にいたい。


 そういう小さな意思も、本人のものだ。


 それを確認することが、偽造への抵抗になる。


 午後、偽造文書の筆跡確認が行われた。


 保護資料室の机に、アルト本人の記録表の写しと、偽造紙の表面写しが並べられる。


 原本ではない。


 写しだけだ。


 それでも、並べると似ている。


 アルトは自分の字と、自分ではない字を見比べた。


 リゼが隣で問う。


「負荷は」


「少しあります。冷えはありません。怖いですが、見られます」


「確認しました」


 エレオノーラが説明する。


「字形は似ていますが、項目順が違います。アルトさんの記録は通常、痛み、熱、冷え、声、現在地、感情または本人意思の順に近い。偽造文書は最初から行動宣言になっています」


 ミリアが頷く。


「言葉の温度も違うわ」


 クラウスが問う。


「温度?」


「アルトさんは、怖い時ほど状態を先に言うの。自分の意思だけを急いで出さない。この紙は、急に“行きます”から始まっている。まるで、読み手に行動だけ見せたいみたい」


 カイが言う。


「本人っぽく見せたいけど、アルトが怖い時にどう書くか知らないんだ」


 エリアナが静かに続ける。


「恐怖の扱い方を知らないのですね」


 アルトはその言葉に少し驚いた。


 恐怖の扱い方。


 自分は怖さを隠さないようにしてきた。


 痛み。


 熱。


 冷え。


 声。


 怖い。


 孤独ではない。


 近くにいてほしい人。


 そう書いてきた。


 偽造文書には、それがない。


 怖さがない。


 だから、本人の言葉ではない。


「怖い、がないです」


 アルトは言った。


「僕なら、怖いなら怖いと書きます。行くなら、怖いけど行く、とか、行きたくないけど確認したい、とか書くと思います。この紙は、怖さがないです」


 リゼが頷いた。


「重要です」


 エレオノーラが記録する。


 偽造文書には状態・恐怖・拒否希望の分離が欠落。


 本人文体における感情記録なし。


 本人意思偽造と判断。


 学園長は静かに言った。


「この紙は、アルト君を模倣していますが、アルト君を理解していません」


 アルトはその言葉を受け取った。


 模倣している。


 でも、理解していない。


 その違いは、怖いけれど、少しだけ救いでもあった。


 敵は、字を真似できる。


 名前を真似できる。


 本人意思という言葉も真似できる。


 でも、アルトが誰に近くにいてほしいか。


 怖い時どう記録するか。


 カイの保存食名の意味をどう受け取るか。


 リゼの確認をどう聞くか。


 ミリアの声でどう落ち着くか。


 エリアナの香草袋をどう扱うか。


 そこまでは、まだ盗めていない。


 夕方、本人意思偽造文書は遮蔽保管されることになった。


 目的は保存と解析。


 本人意思としての効力はなし。


 隠蔽ではない。


 奪うための箱ではない。


 確認するための保管。


 それが記録された。


 学園長はアルトへ言った。


「今日の件で、君の本人意思記録はさらに重要になります。ただし、重荷にしません。書けない時は、書けないことも意思です」


 アルトは頷いた。


「はい」


 リゼが続ける。


「書けない場合、声で報告。声が難しい場合、同席者確認。紙だけで判断しません」


「はい」


 ミリアが優しく言う。


「完璧に記録しなくても、あなたの意思は消えないわ」


 アルトは少しだけ目を伏せた。


「はい」


 夜、寮へ戻る前に、状態確認が行われた。


 アルト。


「痛みなし。熱なし。冷えなし。声なし。僕の筆跡に似た紙が怖かったです。でも、僕の言葉ではないと確認できました。本人意思を勝手に紙にされることを拒否します」


 リゼ。


「身体異常なし。疲労あり。感情、重い。本人意思偽造は本人の声を奪う行為です。紙のみで判断しません」


 ミリア。


「身体異常なし。全員、形式ではなく言葉の温度と関係で偽造を見抜けました。怖さがない紙は、アルトさんの紙ではありません」


 カイ。


「身体異常なし。怒りあり。保存食数、減少。本人意思を勝手に紙にしない用、残り少し。アルトなら、誰も来るなじゃなくて誰に来てほしいかを書く」


 エリアナ。


「身体異常なし。疲労あり。怒りあり。本人意思という言葉を本人から切り離すことに怒っています。断定ではなく、確認で返します」


 リゼが頷く。


「全員、確認しました」


 寮の部屋へ戻ると、アルトは机に向かった。


 机の上には何もない。


 だが、今日見た紙の文字が目の奥に残っている。


 僕は、自分で確認に行きます。


 誰もついてこないでください。


 これは僕の本人意思です。


 アルト・レインフォード


 違う。


 これは自分ではない。


 アルトは記録表を開いた。


 第10章七日目。


 本人意思偽造文書。


 筆跡模倣。


 内容、僕は自分で確認に行きます。誰もついてこないでください。これは僕の本人意思です。


 本人否定。


 同意なし。


 拒否。


 状態記録なし。


 現在地なし。


 怖さなし。


 拒否と希望の分離なし。


 僕なら、近くにいてほしい人を書く。


 本人意思は紙だけでは成立しない。


 そう書いて、左手首に触れる。


 痛みなし。


 熱なし。


 冷えなし。


 声なし。


 それから、もう一行を書く。


 僕の本人意思は、僕から確認してください。


 扉の外から、カイの声がした。


「アルト、いるか」


 アルトは顔を上げる。


「います」


 リゼの声が続く。


「本人確認会話を行います。夜の確認です。目的は、偽造文書後の状態確認。単独移動はありません。扉は開けなくても構いません。状態を報告してください」


 アルトは深く息を吸った。


「痛みなし。熱なし。冷えなし。声なし。現在地、男子寮自室。怖さは少しあります。でも、孤独ではありません」


 ミリアの声が聞こえる。


「良好よ」


 エリアナの静かな声。


「あなたの言葉は、届いています」


 アルトは記録表の最後に、もう一行足した。


 僕は、誰もついてこないでください、とは言いません。今は、近くにいてください。


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