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灰銀の戦乙女は、制服を知らない  作者: 最後に残った形


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第10章 第5話:黒札の新型


 黒札は、鳴らなかった。


 以前の黒札は、見るだけで空気が張り詰めるような圧があった。


 銀環を無理に鳴らそうとする。


 反応を引きずり出そうとする。


 熱を生む。


 痛みに近い共鳴を起こす。


 だから、黒札と聞けば、アルト・レインフォードはまず熱を警戒した。


 胸の奥まで焼けるような感覚。


 左手首から腕へ広がる熱。


 自分の内側を勝手に叩かれるような不快感。


 けれど、学園外壁の近くで見つかったそれは違った。


 王立学園保護資料室。


 長机の中央に置かれた封じ板の上。


 黒札は、小さく、薄く、沈黙している。


 白鐘と蔦を崩した紋様。


 白い鐘の輪郭を、黒い蔦が絡め取るような形。


 その紋様を見た瞬間、アルトの左手首は熱くならなかった。


 冷えた。


 痛みはない。


 熱もない。


 声もない。


 ただ、銀環の内側から氷が広がるように、手首が冷たくなる。


「痛みなし。熱なし。冷え中。声なし。現在地、王立学園保護資料室」


 アルトが報告すると、隣のリゼ・グレイスが頷いた。


「確認しました」


 リゼの灰銀の髪は、今日も青いリボンでまとめられている。


 昨日、本人確認会話を作ったばかりだ。


 名義だけでは信じない。


 筆跡だけでは信じない。


 合言葉だけでは足りない。


 関係の中で確認する。


 そして夕方、外壁付近で黒札が見つかった。


 まるで、こちらが関係を守る手順を作ったことを見計らうように。


 ミリア・ファルネーゼはアルトの顔色を見ていた。


 カイ・ロックハートは、保存食の袋を片手で握り、もう片方の手を机につきそうになっては止めている。


 触れない。


 開けない。


 突撃しない。


 エリアナ・ルクス・ヴェルグラントは、香草袋を胸の前で持っていた。


 置かない。


 貸さない。


 彼女のものとして、そこにある。


 学園長、ユリウス・エインズワース、エレオノーラ・ヴィンスフェルト、クラウス・ヴァイゼル、ロウ教師も同席していた。


 部屋の空気は重い。


 だが、混乱してはいない。


 昨日、紙片を開かなかった時と同じように、全員がまず止まっている。


 クラウスは、黒札へ直接触れずに測定具を近づけた。


 測定具の銀針は、わずかに震えたあと、下へ沈むように止まる。


 上へ跳ねない。


 鳴る方向ではない。


 沈む方向。


 クラウスの眉が深くなる。


「これは、以前の強制共鳴型ではない」


 アルトの左手首がさらに冷えた。


「痛みなし。熱なし。冷え少し上昇。声なし。“強制共鳴型ではない”で反応しました」


 リゼがすぐに確認する。


「継続可能ですか」


「はい。怖いですが、見られます」


「確認しました。無理に近づけません」


 クラウスは頷き、説明を続けた。


「以前の黒札は、銀環や封印具へ外側から衝撃を与え、反応を引き出す構造だった。熱、振動、痛みを伴いやすい。だが、これは違う。反応を鳴らすのではなく、沈める。冷やす。周囲の音や関係を遠く感じさせる方向へ設計されている」


 ミリアが低く言う。


「孤独感を作る札、ということですか」


「可能性が高い」


 部屋が静かになった。


 孤独感。


 その言葉は、銀環よりも先に、アルトの胸へ触れた。


 次は、一人で来い。


 東渡り廊下。


 放課後。


 一人で。


 リゼより。


 全部が繋がる。


 熱で無理に開かせるのではなく、冷やして、一人だと思わせる。


 近くにいる人の声を、遠くする。


 伝言をずらす。


 名前を盗む。


 いつの間にか、一人にする。


「怖いです」


 アルトは言った。


 声は少し震えた。


 でも、隠さなかった。


「痛みなし。熱なし。冷え中。声なし。怖いです。でも、隠しません」


 リゼがすぐに頷いた。


「確認しました。反応は情報です。判決ではありません」


 その言葉に、アルトの呼吸が少し戻る。


 第7章から何度も確認してきた言葉。


 反応は情報。


 判決ではない。


 銀環が冷えたから危険人物なのではない。


 黒札を見て怖いから弱いのではない。


 反応は、今起きていることを知るための情報。


 アルトは記録表を開いた。


 黒札新型。


 強制共鳴型ではない。


 冷やす札。


 孤独感誘発可能性。


 痛みなし。


 熱なし。


 冷え中。


 声なし。


 怖い。


 隠さない。


 書き終えると、冷えが少し下がった。


「冷え、中より少し低下。声なし」


 リゼが頷く。


「記録行為により安定傾向。確認しました」


 カイが小さく言う。


「記録、効くんだな」


 アルトは頷いた。


「はい。少し」


 カイは保存食の袋を持ち上げた。


「じゃあ、これもあとで効く」


 ミリアが小さく微笑む。


「ええ。あとでね」


 クラウスは黒札の紋様を拡大して確認する。


「白鐘と蔦の崩し方が、昨日の紙片や伝言板の微細刻線より明確だ。これは単なる誘導補助ではなく、発動札だと見てよい」


 エレオノーラが記録する。


「黒札新型。冷却反応誘発型。白鐘・蔦歪曲紋様。外壁付近に設置」


 ユリウスが問う。


「発見場所は」


 教師が答える。


「東側外壁の内側、蔦棚の影です。生徒の通常導線からは外れていますが、外門へ向かう裏通路に近い位置です」


 リゼの目が鋭くなる。


「東渡り廊下から外門方面へ接続する裏導線があります」


 ユリウスが頷く。


「あります。通常、生徒は使いません」


 カイがすぐに言った。


「でも、誘導されれば行くかもしれない」


 リゼが頷く。


「はい」


 ミリアが黒札を見つめる。


「昨日の紙は、東渡り廊下へ呼び出すものでした。そこに声を届きにくくする術式がありました。そして外壁近くに、この黒札」


 エリアナが続ける。


「人を一人にして、声を遠ざけて、冷やして、歩かせる」


 アルトの左手首が冷える。


「痛みなし。熱なし。冷え少し上昇。声なし。“歩かせる”で反応しました」


 ロウ教師が短く言う。


「現在地」


「王立学園保護資料室」


「名前」


「アルト・レインフォード」


「孤独か」


「いいえ」


「よし」


 リゼが黒札へ視線を戻す。


「敵は、アルトさんを強制的に連れ出すのではなく、本人が移動したように見せる可能性があります」


 学園長の表情が冷たくなる。


「本人意思の偽装ですね」


 昨日までの紙。


 リゼの名を使った呼び出し。


 東渡り廊下。


 一人で。


 そしてこの黒札。


 それは、無理やり引きずるのではない。


 アルト自身の足で行ったように見せるための準備。


 アルトは両手で記録表を持った。


 指先が少し冷えている。


「僕の足で行ったように見せる」


 声に出すと、思ったより怖かった。


「怖いです」


 ミリアがすぐに言う。


「ええ」


「僕が一人で行ったことにされたら、僕の拒否が消えます」


 リゼが低く答える。


「消しません」


 学園長も言う。


「学園は、本人意思を紙や移動経路だけで判断しません」


 エリアナが静かに言った。


「本人の足で歩いたことと、本人の意思で行ったことは同じではありません」


 その言葉に、アルトの胸が少しだけ落ち着いた。


 左手首の冷えも少し下がる。


「冷え少し低下。声なし」


 クラウスは黒札の裏面を確認するため、封じ板ごと角度を変えた。


 直接触れない。


 札は薄いが、裏にも何かが書かれているようだった。


 光を当てると、黒い紙の裏に、かすれた文字が浮かぶ。


 次は、本人の足で来る。


 アルトの左手首が、一瞬で冷えた。


 強く。


 氷水に沈められたように。


「痛みなし……熱なし。冷え強。声なし。“本人の足で来る”で反応しました」


 リゼが即座にアルトの前へ半歩出る。


 だが、黒札を完全に隠しはしない。


 遮断しすぎない。


 反応は情報。


 アルトが見て、報告できる距離を保つ。


 その判断に、ミリアが小さく頷いた。


 リゼは低く言う。


「現在地」


「王立学園保護資料室」


「名前」


「アルト・レインフォード」


「同席者」


「リゼさん、ミリアさん、カイさん、エリアナさん、学園長、ユリウス先輩、エレオノーラ先輩、クラウスさん、ロウ先生」


「孤独ですか」


「いいえ」


「本人意思を確認します。本人の足で来る、という文言に従いますか」


 アルトは左手首を押さえた。


 冷たい。


 怖い。


 でも、答えはある。


「従いません」


「確認しました」


「僕は、一人で行きません。僕の足でも、僕の意思じゃないなら行きません」


 リゼの瞳が静かに揺れた。


「確認しました」


 カイが机を叩きかけて、止めた。


 そして低く言った。


「本人の足とか、勝手に言うな」


 ロウ教師が頷く。


「よく止めた」


 カイは唇を噛む。


「怒っています。でも、叩きません」


「よし」


 エリアナは黒札の紋様を見ていた。


 白鐘が、黒い蔦に絡まれている。


 白鐘は本来、過剰な響きを抑えるものだった可能性がある。


 孤独な音を通さないための手順だった可能性がある。


 それを、孤独を作る札に変える。


 守る静けさを、冷たい孤独へ変える。


 エリアナの声は低かった。


「守る静けさを、孤独の冷たさに変えています」


 クラウスが頷いた。


「その表現が近い。白鐘の“鳴らさない”を、“届かせない”へ、さらに“自分は一人だと思わせる”へ歪めている」


 ミリアが言う。


「でも、孤独だと思わせるだけで、実際に孤独とは限らない」


 リゼが頷く。


「はい。認識誘導と実際の同席者を分けて確認します」


 アルトはその言葉を書いた。


 認識誘導と実際の同席者を分ける。


 冷え強。


 でも孤独ではない。


 本人の足でも、本人意思ではない可能性。


 従わない。


 学園長は黒札を見据えたまま言った。


「この札は、外壁内側にありました。つまり、学園の中へ設置された。外部から投げ込まれたのか、内部に入り込んだ者が置いたのか、まだ不明です」


 ユリウスが続ける。


「外壁内側の蔦棚は、清掃担当と庭園担当以外はあまり近づきません。ただ、東渡り廊下から外門へ向かう裏導線と繋がっています。昨日の偽呼び出しと合わせると、誘導経路である可能性が高い」


 リゼが言う。


「東渡り廊下、声遅延術式。裏導線、黒札新型。目的、アルトさんの単独移動または本人意思偽装」


 エレオノーラが記録する。


 カイが小さく呟く。


「道を作ってる」


 ロウ教師が聞く。


「何の道だ」


 カイは顔を上げた。


「アルトを一人にする道です。紙で呼んで、廊下で声を遅らせて、外壁で冷やして、自分で歩いたみたいにする道」


 部屋が静かになる。


 クラウスが頷いた。


「極めて正しい整理だ」


 カイは一瞬だけ驚いた顔をしたが、今回はすぐ真面目に戻った。


「じゃあ、その道を使わせなきゃいい」


 リゼが答える。


「はい。誘導導線を遮断します。ただし、アルトさんの日常導線は維持します」


 ミリアが頷く。


「全部の道を塞ぐのではなく、敵の道を見つけて止める」


 学園長が決定する。


「東渡り廊下、外壁裏導線、蔦棚周辺を一時閉鎖。授業や食堂、寮への通常導線は維持。連絡板と紙片の確認は継続。黒札はクラウス先生の管理下で解析します」


 アルトは左手首に触れる。


 冷えはまだある。


 だが、強くはない。


「冷え中より下。声なし」


 ミリアが言う。


「少し休憩しましょう」


 学園長も頷く。


「そうしましょう。長時間の札確認は避けます」


 黒札は封じ板ごと遮蔽箱へ入れられた。


 隠すためではない。


 影響を広げないため。


 目的が確認される。


「遮蔽箱への収納。目的、影響遮断と保存。隠蔽ではありません」


 エレオノーラが記録する。


 その言葉を聞いて、アルトは第9章の保護箱を思い出した。


 箱は守るためにも、隠すためにも使える。


 目的を言葉にしないと危ない。


 今回も同じだ。


 黒札を箱へ入れる。


 隠してなかったことにするためではない。


 安全に確認するため。


 保護資料室を出る前に、カイが保存食袋を持ち上げた。


「休憩するなら、今だな」


 ミリアが聞く。


「名前は?」


 カイは黒札が入った遮蔽箱を睨んだまま、少し考えた。


「冷たくされても一人じゃない用」


 アルトの胸が、少し温かくなった。


 リゼが即座に頷く。


「非常に適切です」


 エリアナも言った。


「はい。今日は、それがよいです」


 保護資料室ではなく、隣の休憩室へ移動する。


 閉じすぎないように扉は開けておく。


 教師が廊下にいる。


 ユリウスとエレオノーラは記録整理のため保護資料室へ残った。


 クラウスは黒札の封印処理を続ける。


 休憩室には、アルト、リゼ、ミリア、カイ、エリアナ、ロウ教師がいる。


 カイが包みを開けた。


 小さな焼き菓子と、香草パンの欠け。


 アルトは成分を読み上げる。


「焼き菓子は小麦、卵、乳、林檎、杏。香草パンは小麦、卵、乳、蜂蜜、香草候補二、香草候補三。蜂蜜減量版。香草はエリアナさん調整です」


 エリアナが頷く。


「確認しました」


 アルトは香草パンを口に入れた。


 苦味。


 甘さ。


 乾いた香り。


 左手首の冷えが、少し下がる。


「痛みなし。熱なし。冷え低下。声なし。香草パンで落ち着きました」


 カイが少しだけほっとする。


「効いた」


 ミリアが微笑む。


「ええ」


 エリアナは香草袋を見つめながら言った。


「冷たくされても、一人ではない」


 アルトは頷く。


「はい」


「黒札は、あなたを一人だと思わせようとしているのですね」


「はい。たぶん」


「でも、思わされることと、事実は違います」


 アルトはその言葉をゆっくり受け取った。


 思わされることと、事実は違う。


 銀環が冷える。


 胸が怖くなる。


 誰の声も遠く感じるかもしれない。


 でも、それは事実そのものではない。


 近くにいる人を確認できる。


 現在地を言える。


 名前を言える。


 同席者を言える。


 本人意思を言える。


 リゼが言った。


「今後、冷え反応が出た場合、熱反応とは別手順で確認します」


 ミリアが問う。


「別手順?」


「はい。熱反応は銀環共鳴や危険刺激への反応として記録していました。冷え反応は孤立誘導の可能性があります。そのため、現在地、同席者、実際の声の到達、本人意思を重点確認します」


 ロウ教師が頷く。


「よし」


 カイが手を挙げる。


「俺は何をすればいいですか」


 リゼが答える。


「名前を呼んでください。ただし、大声で混乱させず、届く声で」


 カイは真剣に頷く。


「アルトって呼ぶ。鍵とかじゃなく」


 アルトの胸がまた少し温かくなる。


「はい」


 ミリアが続ける。


「私は、状態と感情を聞くわ。怖い、と言えるように」


 エリアナが言う。


「私は、香草袋を私のものとして持ちます。必要なら香りを近づけます。ただし、銀環を操作する道具として扱いません」


 リゼが頷く。


「全員の役割、確認しました」


 アルトは記録表に書く。


 冷え反応時の確認。


 現在地。


 同席者。


 声の到達。


 本人意思。


 名前で呼ぶ。


 怖いと言う。


 香草はエリアナさんのもの。


 孤独誘導と事実を分ける。


 夕方、黒札の初期解析結果が出た。


 保護資料室へ戻ると、クラウスが遮蔽箱の横に記録紙を置いていた。


「現時点の解析を共有する」


 全員が席に着く。


 アルトは黒札を直接見ない位置に座った。


 遮蔽箱の中にあるため、左手首の反応は弱い。


「痛みなし。熱なし。冷えごく少し。声なし」


 クラウスが説明する。


「この黒札は、銀環を鳴らす札ではない。冷やす札だ。正確には、銀環反応を通じて、対象者の感覚から周囲の存在感を薄くする。声を完全に消すのではなく、届きにくいと感じさせる。距離を実際より遠く感じさせる。孤立感を増幅する」


 エレオノーラが記録を読み上げる。


「黒札新型、冷却・孤立誘導型。強制共鳴型とは異なる。白鐘手順の抑制概念を反転し、安心ではなく孤立を生成する可能性」


 エリアナが唇を結ぶ。


「守る静けさを、孤独の冷たさに変えている」


 クラウスが頷いた。


「はい」


 リゼが問う。


「物理的な危険は」


「直接の破壊力は低い。ただし、誘導と組み合わせると危険だ。対象が自分で移動したように見せられる可能性がある」


 アルトは左手首に触れる。


 冷えごく少し。


 声なし。


 怖い。


 でも、書ける。


 聞ける。


「僕は、自分で歩いたように見せられることが怖いです」


 学園長が頷いた。


「学園は、今後、アルト君の移動事実と本人意思を分けて記録します」


 リゼも言う。


「歩いたことと、同意したことを同一視しません」


 ミリアが静かに続ける。


「怖がったことと、従ったことも違うわ」


 アルトは頷いた。


「はい」


 カイが机の下で拳を握っている。


「つまり、アルトが歩いたって言われても、まず本人に聞く」


 リゼが頷く。


「はい。本人確認会話を行います」


 エリアナが言った。


「本人が話せない時は」


 部屋が少し静かになる。


 それは、誰もが考えたくない可能性だった。


 声が届かない。


 本人が答えられない。


 黒布。


 黒札。


 冷え。


 孤独。


 リゼは少しだけ息を吸い、答えた。


「本人が話せない場合、直前の本人意思、同席者の証言、状態記録、銀環反応記録、敵誘導痕を照合します。紙上の意思だけでは判断しません」


 学園長が頷く。


「その通りです」


 アルトはその言葉を記録表に書いた。


 本人が話せない場合でも、紙だけで決めない。


 直前の本人意思。


 同席者。


 状態記録。


 敵誘導痕。


 紙だけでは決めない。


 その時、遮蔽箱の中の黒札が、かすかに音を立てた。


 紙が乾いて反ったような、小さな音。


 全員の視線が向く。


 アルトの左手首が冷えた。


「痛みなし。熱なし。冷え少し。声なし」


 クラウスが測定具を確認する。


「自発反応ではない。遮蔽環境に馴染む過程で札の張力が変化しただけだ」


 カイが小さく息を吐く。


「びっくりした」


 ミリアが言う。


「言えてよかったわ」


 リゼも頷く。


「確認しました」


 学園長は、黒札を見ずに言った。


「今後、外壁、東渡り廊下、連絡板、鐘塔周辺を重点確認します。黒札は一枚とは限りません」


 鐘塔。


 その言葉に、アルトの左手首がごくわずかに冷える。


「痛みなし。熱なし。冷えごく少し。声なし。“鐘塔”で反応しました」


 リゼが記録する。


「鐘塔方向、継続警戒」


 ミリアがアルトを見る。


「今、怖さは」


「少しあります。でも、今は保護資料室で、みんながいます」


 カイが言う。


「いる」


 エリアナも。


「います」


 リゼが頷く。


「孤独ではありません」


 アルトは深く息を吐いた。


 夜。


 寮へ戻る前に、五人は中庭へ寄った。


 黒札の発見後、中庭への立ち入りを完全に止めるかどうかが検討されたが、学園長は通常導線を維持することを選んだ。


 ただし、単独では通らない。


 確認しながら通る。


 中庭の噴水は、夕暮れの光を受けて鈍く光っていた。


 鐘塔の影は長い。


 蔦は風で揺れている。


 アルトは左手首に触れる。


 痛みなし。


 熱なし。


 冷えなし。


 声なし。


 昨日よりも、少しだけ見られる。


 リゼが隣で言った。


「現在地」


「王立学園中庭」


「同席者」


「リゼさん、ミリアさん、カイさん、エリアナさん」


「孤独ですか」


「いいえ」


 ミリアが微笑む。


「良好ね」


 カイが保存食袋の残りを見せる。


「冷たくされても一人じゃない用、残り少し」


 エリアナが静かに言った。


「明日も、何か名前が必要になりそうですね」


 カイは頷く。


「作る」


 アルトは少し笑った。


 中庭の向こう、外壁の方では教師たちが確認を続けている。


 黒札があった場所は封鎖されている。


 東渡り廊下も一時閉鎖。


 連絡板には新しい手順の掲示。


 学園は少しずつ変わっている。


 でも、食堂の匂いも、鐘の音も、友人の声も残っている。


 日常は消えていない。


 寮へ戻ると、アルトは記録表を開いた。


 第10章五日目。


 黒札新型。


 冷却・孤立誘導型。


 強制共鳴ではない。


 本人の足で来る、の文言。


 従わない。


 歩いたことと同意したことは違う。


 本人が話せない場合でも紙だけで決めない。


 冷え反応時は、現在地、同席者、声の到達、本人意思を確認する。


 冷たくされても一人じゃない用。


 そう書いてから、左手首に触れた。


 痛みなし。


 熱なし。


 冷えなし。


 声なし。


 机の上には、紙はない。


 窓の外に黒い蔦も見えない。


 それでも、外壁の向こうに何かがいる気配は、消えない。


 アルトは小さく言った。


「怖いです。でも、隠しません」


 扉の外から、リゼの声が返る。


「確認しました」


 少し遅れて、カイの声。


「あと、一人じゃない」


 ミリアの声。


「ええ。今も届いているわ」


 エリアナの静かな声。


「冷たさは、事実そのものではありません」


 アルトは記録表の最後に、一行を足した。


 冷えた時ほど、現在地と名前を確認します。


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