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灰銀の戦乙女は、制服を知らない  作者: 最後に残った形


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第8章 第10話:消えた手帳


 王宮封印管理室から届いた返答は、薄い封筒一つだった。


 白い封筒ではない。


 学園長宛の正式回答にしては、紙も封蝋も簡素だった。だが、そこに押された印は確かに王宮封印管理室のものだった。


 机の上に置かれた封筒を見て、アルト・レインフォードは左手首に触れた。


 痛みはない。


 熱は少し。


 声はない。


 けれど、その薄さが嫌だった。


 灰色封箱。


 個人記録類小型封箱。


 個人手帳類三。


 その重さに対して、返ってきた封筒はあまりにも薄い。


 まるで、何かが入っていないことを最初から示しているようだった。


「痛みなし。熱少し。声なし。現在地、生徒会室」


 アルトが小さく言うと、隣のリゼ・グレイスが頷いた。


「確認しました」


 リゼの声は静かだった。


 しかし、その指は記録帳の端を強く押さえている。


 灰色封箱を王都南門管理口まで護送した外装確認補助。


 灰銀一七。


 それが自分の戦時識別符号であると、リゼは前回確認した。


 中身は知らなかった。


 だが、運んだ。


 その事実は消えない。


 そして今日、その中身の一部だったかもしれない個人手帳類三の所在について、王宮から返答が来ている。


 エリアナ・ルクス・ヴェルグラントは、机の向こうで封筒を見ていた。


 淡い亜麻色の髪は整えられ、制服にも乱れはない。


 だが、薄紫の瞳は硬く、顔色はいつもより少し白い。


 母の手帳。


 そう断定してはいけない。


 何度も確認してきた。


 個人手帳類三。


 誰かの手帳三冊。


 その中に、エリアナの母のものがあった可能性がある。


 ただの可能性。


 けれど、人を苦しめるには十分すぎる可能性だった。


 ミリア・ファルネーゼは、エリアナの斜め横に座っている。


 カイ・ロックハートは両手を膝に置いたまま、いつもより口数が少ない。


 ユリウス・エインズワースは封筒の横に、学園側が出した照会文の控えを並べた。


 エレオノーラ・ヴィンスフェルトは記録板を持っている。


 クラウス・ヴァイゼルは窓際ではなく、今日は机のすぐそばに座っていた。


 返答内容によっては、封印管理室の内部手順を確認する必要があるからだ。


 ロウ教師はいつも通り窓際に立っている。


 生徒会室の空気は静かだった。


 ユリウスが口を開く。


「開封前に確認する。これは王宮封印管理室から、学園長宛に届いた限定回答だ。照会項目は、灰色封箱護送後の受領記録、個人記録類小型封箱の目録登録、個人手帳類三点の現所在、開封・閲覧・移管履歴」


 アルトの左手首が少し熱を持つ。


 痛みなし。


 声なし。


 ユリウスは続ける。


「返答内容は、エリアナさん、リゼ、アルト君のいずれにも負荷が高い可能性がある。途中停止可能。全文を今日読む必要はない」


 エリアナが小さく息を吸った。


「聞きます」


 声は静かだった。


 ミリアが柔らかく確認する。


「状態は」


「身体異常なし。感情、怖いです。怒りもあります。ですが、聞きたいです」


 エレオノーラが記録する。


 リゼも言った。


「身体異常なし。感情、重い。灰色封箱関連の確認を継続したいです」


 アルトは左手首を押さえた。


「僕も聞きます。反応が出たら言います」


 ユリウスは頷いた。


「では、開封する」


 封筒の口が開かれる音は小さかった。


 紙が一枚。


 添付が一枚。


 それだけだった。


 ユリウスはまず自分で目を通した。


 最初の数行で、彼の眉がわずかに動く。


 エレオノーラのペンが止まる。


 クラウスの表情も硬くなった。


 ユリウスは紙を置き、部屋を見渡す。


「要点から読む。表現は硬いが、不適切な分類語は今のところない」


 少しだけ、全員が息をつく。


 だが、それは安心ではない。


 嵐の前に、どの方向から来るか確認しただけだった。


 ユリウスは読み上げた。


「灰色封箱護送記録について。王都南門管理口到着記録あり。外装封印異常なし。封印管理室臨時受領符号あり」


 リゼの指が、記録帳の端を押さえる。


 前回と一致する。


 王都には届いていた。


 少なくとも、外装上は異常なく。


 ユリウスは続ける。


「正式目録登録。灰色封箱五点のうち、封印関連資料箱二、地方記録紙束箱一、儀礼物品箱一は登録確認。個人記録類小型封箱一については、仮受領記録あり。ただし正式目録登録は未確認」


 生徒会室の空気が、冷えた。


 エリアナの指が硬くなる。


 アルトの左手首が熱を持つ。


 痛みはない。


 声はない。


「痛みなし。熱中より弱い。声なし。“正式目録登録未確認”で反応しました」


 リゼがすぐに確認する。


「継続可能ですか」


「はい」


 エリアナは何も言わない。


 ミリアがそっと声をかける。


「エリアナさん」


「身体異常なし」


 エリアナは自分で答えた。


「感情、強い緊張。続けてください」


 ユリウスは頷き、次を読んだ。


「個人手帳類三点について。旧目録上、個人手帳類三の記載あり。現行目録に該当三点の所在記録なし。移管記録未確認。廃棄記録なし。閲覧履歴、一部確認不能」


 紙の音が、やけに遠く聞こえた。


 現行目録に、所在記録なし。


 移管記録未確認。


 廃棄記録なし。


 閲覧履歴、一部確認不能。


 消えた。


 その言葉は書かれていない。


 だが、紙の空白がそう言っていた。


 エリアナの唇が、ほんの少し震えた。


「所在記録なし」


 小さく繰り返す。


「母の手帳かもしれないものが」


 そこで彼女は止まった。


 断定しない。


 今まで何度も守ってきた手順。


 しかし、今日の言葉は彼女の手の中で崩れそうだった。


 ミリアが静かに言う。


「誰かの手帳三冊が、現行目録にない」


 エリアナは目を伏せた。


「はい」


 声が細い。


「誰かの手帳三冊が、ありません」


 その言い直しが痛かった。


 母の手帳、と叫びたいはずなのに。


 断定できないから、誰かの手帳と言う。


 でも、その誰かが、母かもしれない。


 リゼは資料を見ていた。


 灰銀の瞳が、深く沈みかけている。


 アルトはすぐに声をかけた。


「リゼさん」


「はい」


「現在地」


「王立学園、生徒会室」


「名前」


「リゼ・グレイス」


「今は」


「王立学園の生徒です。灰色封箱の記録を確認しています」


「全部持たないでください」


 リゼの呼吸が止まり、すぐに戻った。


「はい」


 エリアナがそのやり取りを聞いていた。


 彼女はリゼを見た。


 怒り。


 痛み。


 そして、危うくリゼへ向かいそうになるものを、自分で押しとどめている顔だった。


「あなたが」


 エリアナは言いかけた。


 そして、目を閉じた。


 沈黙。


 息を吸う音。


 次に出た声は、少し低かった。


「あなたが運んだ箱は、王都に届きました」


 リゼは頷く。


「はい」


「外装封印に異常はありませんでした」


「はい」


「個人記録類小型封箱は、仮受領されました」


「はい」


「その後、正式目録にありません」


「はい」


 エリアナの指が震えた。


「だから、現時点で、あなたが消した証拠ではありません」


 リゼの瞳が大きく揺れた。


 エリアナは続ける。


「でも、あなたが運んだ箱から、誰かの手帳が消えた可能性があります」


「はい」


「私は、怒っています」


「はい」


「あなたにだけではありません。王宮に。記録に。仮受領という言葉に。所在記録なしという返答に。全部に、怒っています」


 ミリアが静かに頷く。


 エレオノーラが記録する。


 エリアナは机の上の紙を見た。


「母の言葉を、誰が持っていったのですか」


 その声は、静かだった。


 静かすぎる怒りだった。


 生徒会室の空気が痛いほど張りつめる。


 カイが唇を噛んでいる。


 アルトの左手首は熱い。


 痛みはない。


 声もない。


 でも、胸の奥が痛い。


「痛みなし。熱中。声なし。エリアナさんの言葉で胸が痛いです」


 エリアナがアルトを見る。


 アルトは首を横に振った。


「エリアナさんのせいではありません」


「でも」


「反応は情報です。判決ではありません」


 エリアナは少しだけ目を伏せた。


「はい」


 リゼが静かに言った。


「私も、確認したいです」


 エリアナの視線がリゼへ戻る。


 リゼは続けた。


「私が運んだ箱から、誰かの手帳が消えた可能性があります。私は外装確認者でした。中身は知りませんでした。王都到着後の扱いは、まだ知りません」


 彼女は一度、息を吸った。


「だから、確認したいです。私の罪を確定するためではなく、誰かの手帳を消えたままにしないために」


 エリアナはリゼを見ていた。


 長い沈黙。


「はい」


 ようやく、彼女は言った。


「確認してください」


 リゼは深く頷いた。


「はい」


 クラウスが返答紙の添付を確認する。


「ここからが厄介だ」


 ユリウスが頷く。


「閲覧履歴の一部確認不能について、添付があります」


 エレオノーラがペンを構える。


 ユリウスは慎重に紙を読んだ。


「旧閲覧台帳に欠損あり。該当期間の閲覧印が一部摩耗、または削損。判読可能な範囲では、封印管理室臨時閲覧印、王宮文書院整理印、監察局補助室照会印が確認される」


 監察局補助室。


 その言葉で、部屋の空気が変わった。


 アルトの左手首が強く熱を持つ。


 痛みは少し。


 声はない。


 エリアナの瞳も鋭くなる。


 カイが低く言った。


「またかよ」


 ロウ教師が即座に言う。


「断定するな」


「……疑いとして」


 カイは歯を食いしばるように言い直した。


「疑いとして、またです」


 ロウ教師は頷いた。


「それでいい」


 クラウスが添付を見ている。


「監察局補助室照会印があるなら、少なくとも照会はしている。直接閲覧したか、資料の要約を求めたかは不明だ」


 ミリアが問う。


「照会印の年代は?」


 ユリウスが紙面を確認する。


「戦後三年目。現在よりかなり前だ」


「オルド・ハイマン本人の時期とは限らないわね」


「限らない」


 クラウスが頷く。


「ただし、ハイマン家が監察局補助室に関わっていた時期と重なる可能性はある」


 エリアナが小さく言った。


「ハイマン」


 その名前は、まだ確定ではない。


 オルド・ハイマン。


 第6章でリゼを灰銀の戦乙女として使おうとした王宮監察官。


 しかし、彼本人がこの閲覧印に関わったとはまだ言えない。


 ミリアがエリアナを見る。


「王宮全部を同じ箱に入れない」


 エリアナは目を閉じた。


「はい」


「ハイマンの名も、まだ断定しない」


「はい」


「でも、怒りは消さない」


 エリアナは目を開けた。


「はい。消しません」


 エレオノーラが記録する。


「監察局補助室照会印あり。直接閲覧か要約照会か不明。時期、戦後三年目。ハイマン家との関連は可能性として扱う。断定しない」


 クラウスはさらに紙面を指した。


「旧閲覧台帳の欠損が問題だ。摩耗というより、意図的に削った可能性がある」


 室内がさらに重くなる。


 ユリウスが確認する。


「根拠は」


「印の端だけが不自然に消えている。紙の他の部分は摩耗していない。湿気や経年劣化なら周囲も傷む」


 リゼが静かに言った。


「削損」


 エレオノーラが記録する。


「閲覧台帳の印部分に意図的削損の可能性」


 カイが低く言う。


「誰かが名前を消したのか」


 ロウ教師が言う。


「可能性だ」


 カイは頷いた。


「可能性として」


 アルトは左手首を押さえた。


 名前が消える。


 地名が消える。


 手帳が消える。


 閲覧印が削られる。


 消えることばかりが増えていく。


「痛み少し。熱中。声なし。消えたものが多くて怖いです」


 ミリアが静かに言う。


「現在地」


「王立学園、生徒会室」


「名前」


「アルト・レインフォード」


「今、見えているものは」


 アルトは机の上を見る。


 返答紙。


 添付。


 記録板。


 みんなの手。


「消えた記録についての返答と、ここにいる人たちです」


 ミリアは頷いた。


「良好」


 エリアナがアルトを見ていた。


 それから、自分の手を見た。


「私も、消えたものばかりを見ていました」


 小さな声だった。


 ミリアが言う。


「今、見えているものは」


 エリアナは机を見た。


「返答紙。所在記録なし。閲覧印の欠損。リゼさんの記録帳。アルトさんの手。カイさんの膝の上の手。ミリアさん。ユリウス先輩。エレオノーラ先輩。クラウスさん。ロウ先生」


 カイが少しだけ眉を上げる。


「俺の手?」


「はい。動きそうで動かないので」


 カイは少し気まずそうに手を開いた。


「突撃しないようにしてます」


 エリアナは、ほんの少しだけ目元を緩めた。


「確認しました」


 その小さなやり取りで、部屋の空気がわずかに戻った。


 だが、返答紙の内容は変わらない。


 個人手帳類三点の所在記録なし。


 閲覧履歴、一部確認不能。


 監察局補助室照会印。


 意図的削損の可能性。


 ユリウスが静かに言う。


「次の照会を組む」


 ミリアが頷く。


「まず、個人記録類小型封箱の仮受領後の流れ。正式目録未登録の理由。台帳欠損箇所の原本確認。閲覧印の高精度写し」


 クラウスが続ける。


「封印管理室臨時閲覧印、王宮文書院整理印、監察局補助室照会印。それぞれの担当者名と日付。削損前の補助記録があるか」


 エレオノーラが書く。


 リゼが言った。


「灰色封箱五点のうち、個人記録類小型封箱のみ正式目録未確認です。他の四点は登録されています。この差の理由を照会してください」


 ユリウスが頷く。


「入れる」


 エリアナが静かに言った。


「個人手帳類三点が、現行目録にないことを、紛失として扱うのですか」


 クラウスが少し考える。


「王宮文書上は、まだ紛失とは言わないだろう。“所在未確認”か“目録未照合”だ」


 カイが眉を寄せる。


「また便利な言葉」


「そうだ」


 ロウ教師が言う。


「便利な言葉を使うなら、何を隠しているか見ろ」


 ミリアがエリアナへ向く。


「学園側の記録では、“所在未確認”としつつ、“消えた可能性”を併記しましょう」


 エリアナは頷いた。


「はい。消えた可能性を、消さないでください」


 エレオノーラが記録する。


「学園側記録表現。現行目録上、個人手帳類三点は所在未確認。消失可能性あり。紛失断定は保留」


 リゼが静かに言った。


「私は、その消失可能性を確認します」


 エリアナがリゼを見る。


「私も確認します」


 アルトも言った。


「僕も」


 エリアナはアルトへ首を横に振りかけた。


 彼を巻き込みたくない、という反応だったのだろう。


 しかし、途中で止める。


 アルトは言った。


「僕の銀環を、鍵にしないでください。でも、僕の声を外さないでください」


 エリアナは少しだけ目を伏せた。


「はい。外しません」


 カイが言う。


「俺も確認します。難しい言葉で逃げてないか見る係」


 ユリウスが頷く。


「頼む」


 カイは真面目に頷いた。


「はい」


 ロウ教師が資料を見て、短く言った。


「今日はここまでだ」


 エリアナが返答紙を見る。


 まだ見たい。


 まだ読める。


 そんな顔ではない。


 ただ、紙から目を離したら本当に手帳が消えてしまうように感じているのかもしれなかった。


 ミリアが静かに言う。


「紙はここに残るわ。閉じても、なくならない」


 エリアナの指が少し緩む。


「はい」


 リゼも資料を見ていた。


 アルトが声をかける。


「リゼさん」


「はい」


「閉じても、逃げることではありません」


 リゼは少しだけ目を伏せた。


「はい」


 ユリウスが返答紙を丁寧に封入し直す。


 エレオノーラが記録板を閉じる。


 クラウスが添付の写しを慎重にまとめる。


 紙の音が、静かに部屋へ戻った。


 生徒会室を出ると、廊下には夕方の光が差していた。


 窓の外で、青い布が揺れている。


 鐘は鳴らない。


 それでも、廊下の向こうから生徒たちの声が聞こえる。


 日常は続いている。


 消えた手帳の話をしていても。


 誰かの記録が目録からなくなっていても。


 廊下には、今日の授業を終えた生徒たちの足音がある。


 アルトは左手首に触れた。


「痛みなし。熱少し。声なし。確認終了後」


 リゼが続ける。


「身体異常なし。感情、重い。灰色封箱内の個人記録類小型封箱について、正式目録未確認。個人手帳類三点、所在未確認。確認を継続したいです」


 エリアナも言った。


「身体異常なし。疲労あり。感情、怒り、怖さ、喪失感。母の手帳かもしれないものが消えた可能性を確認したいです。断定はしません」


 ミリアが頷く。


「良好よ」


 カイが布包みを取り出した。


 ミリアが尋ねる。


「名前は?」


 カイはしばらく考えた。


 今日の名前は、簡単には出なかった。


 廊下の窓の外を見て、机の上にあった薄い封筒を思い出すように眉を寄せる。


 そして、言った。


「消えたって決めない。でも、消えたかもしれないことを消さない用」


 長かった。


 けれど、誰も笑わなかった。


 エリアナはその言葉を受け取るように、ゆっくり頷いた。


「はい。今日は、それがよいです」


 リゼも頷く。


「非常に適切です」


 カイは少しだけ照れたように布包みを開いた。


 小さな焼き菓子と、香草パンの欠け。


 アルトは成分を読み上げた。


「焼き菓子は小麦、卵、乳、林檎、杏。香草パンは小麦、卵、乳、蜂蜜、香草候補二、香草候補三。蜂蜜減量版です」


 エリアナが頷く。


「確認しました」


 五人は廊下の窓辺で、少しずつ食べた。


 香草パンは硬い。


 けれど、噛むとまだ香りが出る。


 甘く、少し苦い。


 エリアナはそれを口に入れ、ゆっくり飲み込んだ。


「次は」


 彼女は小さく言った。


「私が香草を砕きます」


 カイが頷く。


「急がずに」


「はい。急がずに」


 リゼが静かに言う。


「手帳の記録も、急がずに確認します」


 エリアナはリゼを見る。


「でも、止めないでください」


「止めません」


 アルトも言った。


「僕も、見ます」


「はい」


 エリアナは頷いた。


「ただし、あなたの銀環を箱の鍵にはしません」


「はい」


 ミリアが微笑む。


「線を引きながら、続けましょう」


 カイが焼き菓子を食べながら言った。


「便利な言葉で逃げてないかも見る」


 リゼが真面目に頷く。


「重要です」


 エリアナが窓の外を見た。


 青い布が揺れている。


 鐘は鳴らない。


 彼女は静かに言った。


「母の手帳かもしれないものは、今、目録の中にありません」


 誰も訂正しなかった。


 断定しすぎていない。


 逃げてもいない。


 エリアナは続ける。


「でも、私の中からまで、消しません」


 リゼが答えた。


「はい。消しません」


 アルトは左手首に触れた。


 痛みなし。


 熱少し。


 声なし。


 消えたかもしれない手帳。


 削られたかもしれない閲覧印。


 所在のない三冊。


 それらはまだ戻っていない。


 けれど、消えた可能性を消さないための記録が、今ここに残り始めていた。


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