表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰銀の戦乙女は、制服を知らない  作者: 最後に残った形


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

114/167

第8章 第5話:白布の少女


 白い布の話をすると、部屋の空気は少しだけ冷たくなる。


 それは布そのものの色のせいではない。


 白という色が、王立学園では清潔や祝福や制服の襟を思わせるのに、今この生徒会室では、荷車の上で誰かが抱えていたものとして語られているからだ。


 顔のない子ども。


 名前のない未成年者。


 荷車六台の二台目、後方寄り。


 白い布を抱えていた、小柄な子。


 リゼ・グレイスは、その子の顔を覚えていない。


 その事実を、昨日、彼女ははっきり言った。


 覚えているふりはしない。


 罪悪感で誰かの過去を作らない。


 だが、見なかったことにもしない。


 その確認の続きとして、今日は白布についての照合が行われる。


 アルト・レインフォードは、生徒会室の机の端に置かれた白い布片の写しを見て、左手首に触れた。


 痛みはない。


 熱は少し。


 声はない。


 布片そのものは原本ではない。王国軍接収物記録に添付されていた模写だ。


 紙の上に描かれた、白布の端。


 そこに、細い蔦と小さな鐘のような刺繍が写されている。


 線は不完全だ。


 擦れている。


 だが、アルトの銀環はその形に反応した。


「痛みなし。熱少し。声なし。白布の刺繍写しで反応しました」


 隣に座っていたリゼが頷く。


「確認しました」


 その声は静かだが、昨日より少し低い。


 今日の主題は、彼女の記憶に直接触れる。


 白布を抱えた子ども。


 その顔を覚えていないこと。


 それを認めること。


 認めた上で、探すこと。


 エリアナ・ルクス・ヴェルグラントは、机の向こうで白布の写しを見ていた。


 淡い亜麻色の髪を、いつもより少し低い位置で結んでいる。


 薄紫の瞳は紙面に向けられ、指先は机の縁に触れている。


 硬い。


 でも、逃げてはいない。


 ミリア・ファルネーゼはエリアナの斜め横に座り、視線と呼吸を確認している。


 カイ・ロックハートは、今日は最初から静かだった。


 布包みは椅子の横に置いてある。


 まだ出さない。


 重い話の前に出すものではないと、彼なりにわかっているのだろう。


 ユリウス・エインズワースは資料を整理している。


 エレオノーラ・ヴィンスフェルトは記録板を持つ。


 クラウス・ヴァイゼルは白鐘紙工房の透かし資料を持参していた。


 ロウ教師は窓際に腕を組んで立っている。


 授業ではない。


 だが、今日も彼は必要な時だけ言葉を挟むためにいる。


 ユリウスが確認した。


「本日の確認対象。戦時輸送記録に含まれる“白布を抱えた未成年者”に関するリゼの記憶、接収物記録に残る白布端刺繍、旧ヴェルグラント母方記録との照合。個人名は未確認。推定で名をつけない。エリアナさんの親族との関連は可能性として扱う」


 エレオノーラが続けて読む。


「記録範囲。リゼさんの記憶は本人確認のうえ記録。エリアナさんの母方家族記憶は本人許可範囲。白布刺繍と白鐘紙工房透かしの比較は技術記録として扱う」


 エリアナが静かに頷いた。


「はい」


 リゼも頷く。


「了解しました」


 アルトは左手首に触れる。


「聞けます」


 ユリウスはまず、昨日のリゼの発言を書き写した紙を机の中央に置いた。


 荷車二台目、後方寄り。


 白い布を抱えた小柄な未成年者。


 顔、名前、性別、年齢は不明。


 布端に蔦のような刺繍を見た可能性あり。


 記憶不確実。


 アルトはその最後の行を見た。


 記憶不確実。


 この言葉は冷たいようでいて、今は大事だった。


 曖昧なものを曖昧なまま置く。


 それが誰かを守ることもある。


 ユリウスがリゼへ向く。


「リゼ。昨日の記憶確認から、追加で思い出したことはあるか」


 リゼはすぐには答えなかった。


 目を伏せるのではなく、机の上の紙を見ている。


 呼吸は浅くない。


 だが、身体の奥に力が入っている。


「状態」


 アルトが小さく声をかける。


 リゼは答える。


「身体異常なし。感情、緊張。記憶確認による負荷あり。継続可能です」


 ロウ教師が低く言った。


「戦場に戻りすぎるな。現在地」


「王立学園、生徒会室」


「名」


「リゼ・グレイス」


「役割」


 リゼは一拍置いた。


「王立学園の生徒です。記憶を確認しています」


「よし」


 リゼは静かに息を吸った。


「追加で思い出したことがあります」


 生徒会室が静かになる。


「白布を抱えた子どもは、荷車の内側ではなく、縁に近い位置に座っていました。布を胸に抱え、外へ見せないようにしていたと思います」


 エレオノーラが記録する。


 リゼは続けた。


「隣に成人女性がいたかもしれません。ですが、顔は覚えていません。声も覚えていません」


 エリアナの指が、机の縁を強く押した。


 ミリアが静かに見る。


 エリアナは首を横に振る。


 止めなくていい、という合図だった。


 リゼはさらに言った。


「その子が泣いていたかどうかも、覚えていません」


 その言葉で、エリアナの表情が揺れた。


 泣いていたかどうか。


 そこまで覚えていない。


 リゼは自分を許すために言っているのではない。


 覚えていない範囲を正確に切り分けている。


 エリアナが静かに言った。


「泣いていたことにしないでください」


 リゼは頷いた。


「はい」


「泣いていなかったことにもしないでください」


「はい」


「覚えていない、としてください」


「はい」


 エレオノーラが記録する。


「泣いていたか否か不明。記憶なし」


 カイが小さく息を吐いた。


「覚えてないって言うの、きついな」


 ロウ教師が答える。


「覚えているふりをする方が楽な時もある。だが、楽な補完は他人の過去を奪う」


 カイは真剣に頷いた。


「はい」


 ユリウスは次に、接収物記録の白布端刺繍写しを中央へ寄せた。


「こちらが、王国軍接収物一覧に残っていた白布端の模写。白布包み三のうち、一つの端に刺繍があったとされる。模写の精度は高くない」


 クラウスが資料を重ねる。


「こちらが白鐘紙工房の透かし資料。第6章で確認した半盾、白鐘、蔦の意匠」


 紙の上に、二つの意匠が並ぶ。


 一つは布端の刺繍模写。


 もう一つは紙に透かされた白鐘と蔦。


 完全には同じではない。


 だが、蔦の曲線と、鐘の下部の形が似ている。


 アルトの左手首が熱を持つ。


 痛みはない。


 声なし。


「痛みなし。熱少し上昇。声なし。白鐘紙工房の意匠との比較で反応しました」


 クラウスが頷く。


「反応は参考として記録。ただし一致判定には使わない」


 エレオノーラがすぐに記録する。


 エリアナは二つの模様を見つめている。


「似ています」


 声は小さい。


「母の手帳の裏表紙にも、似た印がありました。白鐘と蔦。ただし、母のものはもう少し蔦が多かったと思います」


 ユリウスが尋ねる。


「記録していいか」


 エリアナは少し考えた。


「はい。ただし、“母の手帳の裏表紙の記憶による”としてください。原本確認ではありません」


「了解した」


 エレオノーラのペンが走る。


 ミリアが柔らかく言う。


「母方の親族に、白布を儀礼用に保管していた家があったのよね」


 エリアナは頷く。


「はい。白鐘を覆うための布です。鐘を鳴らさない祝祭の時に使うものだと、母が言っていました」


「布は、何か特別な扱いをされていた?」


 エリアナは少し目を伏せた。


「湿気を避けるため、香草と一緒に保管していました。白布に香りを移すためでもあったと思います。灯皿、香草束、白布は同じ箱に入れない。けれど、近くに置く。そう言っていました」


 アルトの左手首が淡く温かくなる。


 白布。


 香草。


 灯皿。


 同じ箱に入れない。


 その言葉に、少しだけ胸が動いた。


 ミリアも気づいたように微笑む。


「同じ箱には入れないのね」


 エリアナは一瞬、言葉の重なりに気づいた顔をした。


「はい。湿気や香りの関係です。でも……」


「でも?」


「今は、その言葉が少し違って聞こえます」


 リゼが静かに言う。


「情報も、同じ箱に入れない」


 エリアナは頷いた。


「はい」


 カイが小さく呟く。


「白布も香草も灯皿も、近くに置くけど同じ箱には入れない」


 ロウ教師が低く言った。


「今日の要点の一つだな」


 カイが驚いて顔を上げる。


「え、今のですか」


「そうだ。違うものを一緒くたにせず、しかし離しすぎもしない。儀礼も記録も人間関係も同じだ」


 カイは少し得意げになりかけ、ミリアの視線に気づいて姿勢を直した。


「はい」


 クラウスが意匠の比較へ戻る。


「布端の刺繍と白鐘紙工房の透かしは、同一ではないが系統は近い。白鐘儀礼に関わる地域意匠と見るのが妥当だ。ただし、白鐘紙工房そのものが布を作ったとは限らない」


 エレオノーラが記録する。


「同一ではない。意匠系統近似。布作成元は未確定」


 エリアナが小さく言った。


「母方の家では、紙と布を別の家が管理していました」


 クラウスが顔を上げる。


「別の家?」


「はい。紙は記録を残す家。布は鐘を覆う家。香草は灯と一緒に扱う家。正確には、母がそう話していました」


 生徒会室の空気が変わる。


 紙、布、香草、灯。


 それぞれを扱う家。


 白鐘儀礼は、鐘だけではない。


 複数の家が、複数の役割を持っていた。


 ミリアが言う。


「記録管理家族三戸」


 エリアナが顔を上げる。


「はい」


 リゼも資料を見る。


「接収記録にあった三戸は、紙、布、香草または灯の管理家族だった可能性があります」


 クラウスが頷く。


「あり得る。白布を持つ子どもは、布を管理する家の子だった可能性がある」


 エリアナの指が硬くなる。


「私の母方の従姉妹に、布の家へ養子に入った子がいました」


 その言葉で、全員が止まった。


 エリアナはすぐに付け加える。


「断定はできません。私は幼かったので、名前もうろ覚えです。会ったのも一度か二度です」


 ユリウスが静かに問う。


「話せる範囲でいい。覚えていることは」


 エリアナは目を伏せた。


「白い髪飾りをしていました。布の端を指で撫でる癖がありました。母は、あの子は布の家へ行くから、と言っていました」


 リゼの表情が痛みに沈みかける。


 アルトはすぐに見た。


 しかし、リゼは自分で戻った。


 エリアナが言う。


「年齢は、私より少し上かもしれません。少し下かもしれません。名前は……たぶん、リナか、リネに近かったと思います。でも、確信はありません」


 エレオノーラが記録前に確認する。


「仮名として記録しますか。それとも未記録にしますか」


 エリアナは長く黙った。


 名前らしきもの。


 でも、不確実。


 間違った名前をつける危険。


 名前を残さない痛み。


 その間で、彼女は息を整える。


「“リナまたはリネに近い音の名を持つ可能性”としてください。名前としては確定しないでください」


「了解しました」


 アルトは胸が苦しくなった。


 名前が戻りそうで、まだ戻らない。


 呼びたいのに、間違えるのが怖い。


 それも、名前を消された人を探す時の痛みなのだと思った。


 リゼは静かに言った。


「私は、その子の髪飾りを覚えていません」


 エリアナがリゼを見る。


「はい」


「布の端を撫でる癖も覚えていません」


「はい」


「私が覚えているのは、白布を抱えていたことと、布端の蔦のような刺繍の可能性だけです」


「はい」


 エリアナは少しだけ目を閉じた。


「覚えていないことが多いのですね」


「はい」


「それが、悔しいです」


「はい」


「でも、覚えていないと言ってくれていることは、受け取ります」


 リゼの瞳がわずかに揺れる。


「ありがとうございます」


「感謝されることではありません」


「はい。それでも、受け取ります」


 何度目かのやり取り。


 だが、今日のそれは少し違った。


 エリアナはリゼを責めるだけではない。


 リゼの正確さを、必要なものとして受け取っている。


 それは許しではない。


 でも、調査を一緒に進めるための細い橋だった。


 ユリウスが確認する。


「現時点で白布の子どもについて言えることを整理する」


 エレオノーラが記録板を新しい紙に替えた。


 ユリウスは一項目ずつ読み上げる。


「一、民間移送護衛任務の荷車列に、白布を抱えた小柄な未成年者がいたとリゼが記憶している」


 リゼが頷く。


「はい。ただし記憶不確実です」


「二、顔、名前、性別、年齢、泣いていたか否かは不明」


「はい」


「三、布端に蔦のような刺繍があった可能性」


「はい。不確実です」


「四、接収物記録の白布端模写に、白鐘と蔦に近い意匠がある」


 クラウスが頷く。


「はい。同一断定不可、系統近似」


「五、エリアナさんの母方記憶に、布の家へ行った親族がいる可能性。名前はリナまたはリネに近い音かもしれないが未確定」


 エリアナが頷く。


「はい。未確定です」


「六、白布の少女がその親族である可能性はあるが、現時点では断定しない」


 全員が頷いた。


 ロウ教師が言う。


「よし。ここで止めろ」


 カイが少し驚く。


「もうですか」


「今止める。名前が戻りかけている時ほど、急ぐな」


 エリアナが小さく息を吐いた。


 急ぐな。


 香草を強く潰すな。


 また、その言葉が戻ってくる。


 リゼも頷いた。


「了解しました」


 だが、エリアナは机の上の白布写しから目を離せなかった。


 ミリアが静かに声をかける。


「エリアナさん」


「はい」


「状態は」


 エリアナは少し時間をかけて答えた。


「身体異常なし。疲労あり。感情、混乱。少し、泣きたい感じがあります。でも、泣くかどうかはわかりません」


 ミリアは頷く。


「言えたわ」


「はい」


 カイが小さく言った。


「泣いてもいいと思います」


 エリアナはカイを見る。


 カイは慌てて付け足す。


「泣かなくてもいいです」


 ミリアが柔らかく笑った。


「そうね」


 エリアナは少しだけ目元を緩めた。


「ありがとうございます。今は、泣きません」


「はい」


 リゼが言う。


「泣くか否かは本人意思です」


 カイが小さく笑った。


「それ、なんかリゼっぽいな」


「はい」


 エリアナもほんの少し口元を動かした。


 重い空気の中に、小さな隙間ができる。


 ユリウスは資料をまとめた。


「次に必要な照会。布の家に関する旧ヴェルグラント母方記録。接収物白布三点の詳細。荷車二台目の搭乗者名簿。臨時保護集積所の受領記録」


 エレオノーラが記録する。


 クラウスが少し苦い顔をした。


「王宮接収資料庫に触れる必要が出てくるな」


 ミリアの表情が引き締まる。


「出す情報と求める情報を分けましょう」


「そうだ」


 クラウスは頷く。


「こちらから白布の少女の可能性を出しすぎると、王宮はアルトやエリアナの白鐘反応と結びつけるだろう」


 アルトの左手首が少し熱を持つ。


 痛みなし。


 声なし。


 リゼが静かに言った。


「白布の少女を、アルトさんの鍵情報にしないでください」


 エリアナがリゼを見る。


 リゼは続ける。


「エリアナさんの親族可能性を、白鐘反応実験の材料にしません」


 アルトも頷いた。


「僕も、それは嫌です」


 エリアナの瞳が揺れる。


「ありがとうございます」


 カイが低く言う。


「人の名前探してるのに、また実験とか対象とかにされたら最悪だろ」


「ええ」


 ミリアが静かに頷いた。


「だから手順を作るの」


 エレオノーラが記録した。


「白布の未成年者調査は、個人特定および記録回復を目的とする。白鐘反応実験またはアルトさんの鍵情報補強として扱わない」


 その文を聞いて、アルトは少し息を吐いた。


 白布の少女。


 彼女はまだ名前がない。


 でも、少なくとも今この部屋では、誰かの反応を測る材料ではなく、名前を探すべき一人として扱われている。


 それが大事だった。


 資料が閉じられると、部屋の緊張が少し緩んだ。


 だが、全員の疲れははっきりしていた。


 エリアナは指先を一度開き、また閉じた。


 リゼは記録帳を閉じる前に、最後の一文を書いた。


 顔を覚えていない。


 名前を覚えていない。


 白布を抱えていた可能性。


 探す。


 アルトには、最後の「探す」という文字が見えた。


 リゼの字は、いつもより少し強かった。


 生徒会室を出ると、廊下の空気は少し温かった。


 午後の授業が終わった直後らしく、遠くから生徒たちの声が聞こえる。


 誰かが笑い、誰かが廊下を走りかけて注意されている。


 その日常の音が、今は少し眩しい。


 アルトは左手首に触れた。


「痛みなし。熱少し。声なし。確認終了後」


 リゼが続ける。


「身体異常なし。感情、重い。白布の子どもの顔と名前は覚えていません。探します」


 エリアナも言った。


「身体異常なし。疲労あり。感情、混乱。リナ、またはリネに近い名前かもしれない子について、確認したいです。ただし、確定しません」


 ミリアが頷く。


「良好よ」


 カイが布包みを持ち上げた。


 ミリアが尋ねる。


「名前は?」


 カイは珍しくすぐに答えなかった。


 廊下の窓の外を見て、少し考える。


「白布の子を勝手に作らない用」


 エリアナがその言葉を聞いて、ゆっくりカイを見た。


 リゼも。


 アルトは胸が少し温かくなった。


 ミリアが静かに微笑む。


「とても良い名前だと思うわ」


 カイは少し照れたように頷いた。


「長いけど」


「長くていいです」


 エリアナが言った。


 その声は少し疲れていたが、確かだった。


「今日は、その名前がいいです」


 布包みの中には、小さな焼き菓子と、香草パンの欠けが入っていた。


 アルトは成分を読み上げる。


「焼き菓子は小麦、卵、乳、林檎、杏。香草パンは小麦、卵、乳、蜂蜜、香草候補二、香草候補三。蜂蜜減量版です」


 エリアナは頷く。


「確認しました」


 廊下の窓辺で、五人は少しずつ食べた。


 香草パンは少し硬く、蜂蜜は控えめで、香草の苦味が前より残る。


 エリアナはそれを食べて、少しだけ眉を寄せた。


「香草候補三が、少し粗いです」


 カイがすぐに頷く。


「次、細かく」


「はい。次は、私が砕きます。急がずに」


 リゼが静かに言う。


「記憶も、急がずに扱います」


 エリアナはリゼを見る。


「はい。急がずに。でも、止めたままにもしないでください」


「はい」


 アルトは左手首に触れた。


 痛みなし。


 熱少し。


 声なし。


 廊下の向こうで、誰かが名前を呼んだ。


 呼ばれた生徒が振り返る。


 その声に、アルトは白布の少女のことを思った。


 リナかもしれない。


 リネかもしれない。


 まったく違う名前かもしれない。


 まだ呼べない。


 間違えたくないから。


 でも、探すことはできる。


 名前が戻るまで、数にも分類にも戻さないことはできる。


 エリアナは窓の外を見ながら、小さく言った。


「白布の子を、勝手に作らない」


 リゼが頷く。


「はい」


「でも、消さない」


「はい」


 アルトも頷いた。


「はい」


 カイが焼き菓子を持ったまま言う。


「探す」


 ミリアが微笑む。


「ええ。探しましょう」


 白布の少女には、まだ顔がない。


 名前もない。


 けれど、もう誰かの罪悪感だけで作られることも、軍記録の数だけに戻されることもない。


 そのための小さな確認が、廊下の午後の光の中に残った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ