思春期の猫耳少年は彼女の心を狙ってる
秋の初めの日の朝の光の中に黒い耳が横たわっている。昨夜はセレナを抱きしめたまま眠りについたのだった。その耳の内側の和毛をつまんで先を揃えていたら耳の主人が目を覚ました。
「おはよう」
「……おはよう」
セレナはまだ少し顔が赤い。発情期が終わっていないようだ。セレナは赤い頬をすり寄せながらつぶやいた。
「あなたが男だったら良かったのに」
可愛いことを言う少女に僕は少し長いキスをした。
「僕がもしも男なら、きっと君を迎えに行くよ」
夏休み明けのカリンは調子が悪そうで食がちっとも進まなかった。それで朝から保健室に連れて行ったら、昼食時になってようやく戻ってきた。
「お帰り。調子はどう?」
軽い気持ちで尋ねたんだけどカリンはなかなか答えなかった。そのまましばらく言いにくそうにしていたかと思ったら、突然とんでもないことを口にした。
「……やっぱり、できちゃってた」
……え?
「キャ──ッ!」
こういうことはやはり女性の方が強い。男の僕があっけに取られているというのに、ステラを始めとした女子たちはどよめくような歓声と共ににじり寄って、一斉に質問攻めにしていた。
「いつ?」
「どこで?」
「お相手は?」
カリンは少し恥ずかしそうに目を伏せて、もじもじと身をよじらせながら答えた。
「あの……夏越祭で踊った方……」
「ああ、あの人!」
「やっぱり!」
「どちらの方なの?」
「あの、父の仕事の、取引先の方……。マフィン家の跡継ぎなの」
「キャー!」
「すごいわ!」
「ねえ、どこで知り合ったの?」
「その、私の家にお客様でいらっしゃってて、接待役を仰せつかって……」
「それがどうしてそういう関係に?」
「発情期が来て、つい」
矢継ぎ早の質問にカリンは顔を真っ赤にしながら聞かれるままに答えていた。
ああ、パーティーで見た彼か。やはり庭園美術館で見た相手だったのかな? 多分お膳立てされてたんだろうな、親が心配していい相手を見繕ったんだろう。うちの親みたいなことになっても困るし。まあなかなか可愛い子だし、先方も文句はなかったんじゃないだろうか。
周りの子たちは無邪気に「素敵ね」なんて言っていた。
それから慌ただしくやり取りがあって、カリンは結婚のために退学することになった。
「おめでとう。でも寂しくなるね」
「生まれたら赤ちゃん見せてね」
「うん。絶対会いに来てね。……私はこれでさよならだけど、ステラもいい人を見つけてね。ミレイさんも」
「うん、頑張る。カリンもお母さんになるの大変だと思うけど頑張って」
「ありがとう。それじゃ、また!」
荷物をまとめたカリンは馬車の窓から手を振りつつ去って行った。僕はステラと横並びで馬車が角を曲がって見えなくなってしまうまで手を振り続けた。
「卒業までにね、生徒の三割くらいはこうやっていなくなってしまうの」
ステラは少し寂しそうにそう言った。
僕の母もそうだったのだろう。相手は野良猫だったけど。
そうやって月に一人か二人ずつ、カリンと同じようにクラスメイトの数は減っていった。机に空きができるたびに席が前に詰められて黒板は次第に近づいてきた。
この時は見送る側だと思っていた自分が、まさかいなくなる側に回るとは思ってもいなかった。いや、想像していてしかるべきだったんだけど。
祖母の死が知らされたのは冬が来る前のことだった。僕は葬式のために母の実家に向かい、相続のためにそのまま退学した。
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ミレイが学校を去ってから二度目の夏越祭が訪れた。
「ねえ、聞いた?」
パーティー会場を準備しながら二人の女生徒が話していた。もちろん話題の中心は夏越祭のことだ。特に秘密とするような内容ではなかったので二人の声はひそめられることもなく、周り中に聞こえていた。
「今年は特別なゲストがいらっしゃるそうよ」
「まあ。どなた?」
「フェリス家の若きご当主がいらっしゃるのですって!」
「ええっ? ということは、彼女の?」
「ええ。弟さんらしいわ」
上流階級の間でまことしやかに噂されるところによれば、フェリス家の跡を継いだのは当時十四歳の少年だった。人によって少しずつ話が食い違っているのだが、まとめればどうやらあのかつてのクラスメイトの弟らしい。姉よりも二つ年下ということだから、今年十六歳のはずだ。
彼は近頃社交界の噂となっていた。三か月ほど前、同世代の少年少女が主体のパーティーが開かれたのだが、その会場で一人の少女が不意に発情期を迎えてしまった。その誘惑は強烈で経験のない少年に耐えられるはずもない。周りの少年たちはたちまち群がろうとしたのだが、その場に居合わせた中で彼一人が冷静だった。他の少女たちに彼女を任せて隔離させて、少女と少年たちの名誉を守ったのだという。年齢に似合わない素晴らしく強靭な精神力の持ち主と、既に一目置かれているそうだ──。
セレナは彼女たちの近くの壁の飾りつけをしていたのだが、目は壁の飾りに向けつつも心は少女たちの噂話に耳を立てていた。
今年の夏越祭が始まった。パーティー会場には例年通り外部からの男性客が招かれていたけれど、少女たちは他の大勢には目もくれず視線を一点に集めていた。
そこにいた少年には懐かしい少女の面影があった。彼女よりもずっと背が高くて髪は短いけれど、バイカラーの髪も耳の端で跳ねる毛も顔立ちも、一目で弟とわかるほど姉にそっくりだ。
曲を奏でる管弦楽部の少女たちの手も浮き立つ中、少年は真っ直ぐにセレナのもとへと向かった。
「お嬢様、一曲お付き合いいただけますか?」
「は、はい……」
差し出された手をセレナは震える手で取った。手を引かれてホールの真ん中へと進み出る間、セレナは少年の襟首から漂う香り、あの胸をかき乱す匂いを嗅ぎ取ったように思った。
そしてダンスが始まった。会場中が見守る中、少年の腕が腰を抱いた。
心臓が跳ねた。発情期でもないのにドキドキした。触れられてわかった。同じ指だ。
曲が終わって少年は礼をした。セレナの心はすっかりここにあらずといった風情だったので彼女自身ちゃんと踊れたかどうか怪しい。しかしそれでお別れではなかった。少年はそのまま彼女を会場の外へと誘った。セレナは年下の少年に手を引かれるままフラフラとついて行った。
夏も今日で終わりとは言えまだ日は長く、光の中に陰が混じり始めた薄暮の中にグレーの髪が曖昧な色彩でたゆたっていた。その色はライトグレーなのかダークグレーなのか。その人は男なのか女なのか。彼女の弟なのか、それともセレナの想うその人なのか。
我慢できなくなったセレナは遠回しに確認を取った。
「背、伸びたのね」
「食べるものが良かったからね」
彼は否定しなかった。胸が苦しい……心臓が飛び出してしまいそうなほど高鳴って、なのに頭は夢の中のようにふわふわしている。判断力を失ったセレナは今度はストレートに聞いた。
「あなたなのでしょう? ねえ、本当だと言って」
「そうだよ。僕はミレイ。フェリス家の死んだ娘の弟さ」
気が遠くなりそうだった。いなくなった彼が、あの時からずっと恋をしていた人が、嘘のように目の前にいる。
「ステラさんと会ったよ」
ところがミレイは唐突にそんなことを言った。セレナは怪訝に思ったけれども、気になっていたのも確かだったのでそれに答えた。
「あら……ご様子はいかがかしら?」
「元気だったよ。幸せそうで良かった。だから彼女には本当のことは言わなかった」
「本当のこと?」
「あのね──」
ミレイは自分の身に起こったことを全て説明した。両親と姉が馬車に轢かれて死んだこと。孤児院に送られてそこで九年間を過ごしたこと。フェリス家から迎えが来たけれども姉の方だと思われていたこと。そのまま姉の振りをしてこの女学校に編入したこと。そこでセレナと出会ったこと──。
背が伸びたミレイは昔のそのままの仕草で肩をすくめた。
「本当はね、あんな家は潰してしまおうと思っていたんだけど、君のために心変わりしたんだ。野良猫じゃフォーリン家のお嬢様とは釣り合わないからね」
「それは、どういう意味……?」
「言ったよね、僕が男だったらきっと君を迎えに行くって。君が誰かのものになる前に迎えに来たんだ」
そしてミレイはセレナの前に跪いてその手を取った。
「セレナ、僕と結婚してくれるね?」
真摯な瞳に見つめられてセレナは揺れた。
実際この二年間、セレナにはそういう話が何度もあった。祖父や両親が連れてきた人もいたし、パーティーで踊った相手に申し込まれたこともあった。それでもセレナは──そんなことがあるはずはないと思いつつも、どこか心の中に期するものがあったために一人の人を待ち続けてきた。
それが今現実となった。セレナは震えながら小さく頷いた。
「はい……。お受けします」
「ありがとう」
震える声で了承すると、ミレイはその指先にそっと口づけをした。
これにてこのお話は完結です。
思い付きで始めた話でしたが調子よく書くことができました──途中までは。
ひとつには私生活上の都合で時間が取れなかったことと、もうひとつには三人の関係が思ったよりも早く進み過ぎてしまって、これ次はやることやらないと嘘だよな……という状況になってしまい、さあどうしようという迷いがありました。みんな思春期主人公が悪い。
そういうわけでしばらく書けないでいたらすっかり文章の書き方を忘れてしまって、勘を取り戻すまでにかなりの時間を必要としました。
そのために大変お待たせしましたことを申し訳なく思います。
そんな話ですがここまでお付き合いいただきありがとうございました。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。




