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夏越の夜

 夏が来た。制服のスカートの生地が薄手になって、ジャケットも脱いで涼し気な気配だけは漂わせている。

 セレナたちの助力の賜物で僕は補講をギリギリで回避できた。もちろん、三人の方も何とか数学の合格点を取ることができた。教室のあちこちで泣いている子たちは夏休みの計画に変更を加えなければならないだろう。


「これで旅行に行けるわね!」

 こちらもスレスレで数学をクリアしたステラははしゃいだ様子でそう言った。

「ありがとう。あなたがいなかったら家に帰れないところだった」

「どういたしまして。こちらこそお世話になりました、だね」

 カリンもほっと一息ついていた。僕はそのカリンに聞いてみた。

「それで、どこに行くの?」

 孤児だった僕はこの世界の地理、特に観光地については全くの無知だ。だからどこに行きたいという欲求もない。例えば北海道という場所があると知らなければ「北海道に行こう」とは思わないだろう、知らないのだから。そういう状態だ。彼女たちに誘われなければ学校に残って勉強していたに違いない。


「湖水地方を検討しているわ。それともティベスティ高原の方がいい?」

「へえ! 聞いたこともない名前だ。いろんなところがあるんだね」

「夏のバカンスの定番よ」

「早く予約しないとホテルがなくなってしまうわ」

「大丈夫よ、父にお願いすればすぐ取れるから」

「さすがカリンさんのお家は凄いわね」

「それで予約してなかったのね」

「本当は、テストが危なくて行けるかわからなかったから……」

「あっ。うん」

「そうね……」

「え、えーっと、ミレイさんはどこか行きたいところはないの?」


 一緒にかなり勉強したつもりだったけど、カリンの数学は本当にボーダーちょうどの点数だった。誤魔化すように話を振るカリンに僕は肩をすくめて答えた。


「どこも知らないからね。お任せするよ」

「知っているところなら?」

「そうだね……あえて言えば首都かな。一度も行ったことがないんだ」

「えっ、そうなの?」

「生まれた田舎のことしか知らないよ。首都──リビカってところはきっと都会なんだろうね」

「えーっと、普通?」

「それこそ私たちにとっては生まれた町だから……」

「この町と比べて、どう?」

「さすがにここよりは大きいかな?」

「ほら。僕の町はここの半分もないよ。いや半分って言ったら誇張になるかな、三分の一もない。ましてリビカなんて、どんなところなのか見当もつかないね」

「そうなんだ……」

「なんだか逆に──ミケーネだっけ? あなたの町に行ってみたくなってきたわ」

「行ったところで本当に何もないよ。リビカには観光名所ってないの?」

「観光名所……って言うと、おのぼりさんが行きそうなところ? えーっと、シルベストリ庭園美術館とか」

「何、それ」

「王家の離宮が昔あったところ。今は国立公園になっているわ」

「そういえば私、そこ行ったことない……」

「私も子供の頃に行ったきりね。そうね、離宮なら、マルガリータ宮殿はどうかしら」

「首相官邸じゃない。観光できるようなところじゃないでしょ」

「私は父が勤めているから何度か行ったことがあるわ。素敵なところよ」

「えー、いいなー」

「私も行ってみたーい!」

「歴史的建造物ならカフラ国立劇場もあるわね」

「オルナータ美術館も」

「ビエティ戦勝記念碑とかどう?」

「行ったことないわ。地元なのに」

「近くに住んでいるとかえって行かないわよね」


 三人は僕を置き去りにして地元の話で盛り上がっていた。


「なんだ。やっぱり名所があるんじゃないか」

「そうね……」

 そして顎先に指を当て、少しぽかんと斜め上を見つめていたステラは、やがて地上に視線を戻して提案した。


「ねえ、それじゃこの夏はリビカの、行ったことのない名所巡りなんてどう?」


 瞳を輝かせるステラに、他の二人もすぐさま賛同した。

「いいわね、それ。面白そう」

「いつも避暑地じゃなくても、たまにはそういうのもいいかもね」

「それじゃ、ミレイさんに私たちの町を案内してあげるわ」

「いいの? 僕には旅行だけど、君たちには近所でしかないんじゃない?」

「いいの」

「こんな機会でもないと一生行かずに終わりそうだし」

「そう。それじゃ是非お願いするよ。首都観光か……楽しみだね。早くホテルを手配しないと」

「そんなの心配することないわ。私の家に泊まればいいし」

 ステラは簡単にそんなことを言った。こいつと来たらお嬢様なものだから滞在費やら家人の手間やら、その辺りの感覚が鷹揚だ。

 そうしたら他のお嬢様方も簡単に同じことを口にした。

「あら、私の家にも招待するわよ」

「いっそそれぞれの家に順番に泊まらない? みんなで一緒に」

「あら──それは素敵ね」

「楽しい夏になりそう!」




 いよいよ夏季休暇が始まった。それぞれの家から迎えの馬車が差し向けられて学校の正面口にずらりと並んでいて、生徒たちは自分の家の馬車を見つけては乗り込んでいる。

 僕は一足先に出発した二人を見送って、ステラと一緒に馬車を待っていた。

 ステラはいつものお嬢様コーデで、僕も出来上がったばかりの同じような服を嫌々着ている。いずれドレスも着ないといけないんだろうか……。気が滅入る。

 僕たちは真っ直ぐ首都には向かわず、まずは祖母をお見舞いすることになっていた。ステラの勧めによるものだ。勧めた以上は送ってくれると言うので、かなり遠回りになるんだけど、甘えることにした。


 馬車が来た。

「お嬢様、お待たせいたしました」

 護衛が降りてきてステラの前で礼を取った。中には召使いも乗っていた。ちなみに当然ながらどちらも女だ。

 道中は快適なものだった。何しろ来た時と違って話す相手がいる。夕方には到着して、あらかじめ手紙でやり取りしていた通り一泊していくことになった。


 祖母はもう夕食の席に出られないほど衰弱しているということだった。僕はまた病室を訪問した。

「お帰りなさい、ミリ……ミレイ」

 祖母は母の名を呼び掛けて訂正した。相当耄碌しているようだ。

「ただ今戻りました」

「ねえ、あなた、お金は大丈夫?」

「充分頂いています」

 僕はマナー通りに答えた。そう言えば無心したことがないな。そういう発想がなかった。

 それだけ聞くと祖母は緩慢に視線をステラへと移した。

「そちらの方は?」

「彼女はステラさん。ブラン家の方です」

「はっ、初めまして! ステラと申します」

 紹介するとステラは慌てて頭を下げた。

「僕のマナーの先生なんです」

「まあ……。ねえ、貴女、ミレイのことをよろしくお願いするわね」

「はい。謹んでお受けいたします」

 ステラは何だかかしこまって答えた。


 母の実家から首都までは少し遠く、途中で一泊する必要があった。

 昼前にリビカに入った──入ったと言ってもどこからリビカなのかわからないけど。石造りの街並みがとにかくどこまでも続いている。なるほど、これは確かに都会だ。ステラは「今住んでいる町よりは大きい」なんて言っていたけど、比較にならない。

「凄いね。どこまでも街だ」

 嘆息しながらそう言うとステラは「そう?」と小首をかしげた。

「君の家、まだ?」

「もう少しよ」


 少しと言いつつ三十分は走った。

 景色が変わった。これまでの路は左右に箱のような、東京の町の小さなビルを思わせるような建物が連なっていたのが急に幅が広くなった。大理石の重厚な建物は高さが三、四階くらいあって横幅ときたら数十メートルはある。

「随分建物が大きいね。ここは官庁街なの?」

「え? いいえ、これはお屋敷よ。上流階級は大抵この辺りに住んでいるわね」

「──え、個人の邸宅なの? これが?」

 家というよりまるで校舎だ。


 ようやくステラの家に着いた。

「はあ……」

 馬車から降りた僕は建物の威容を見上げて呆然としてしまった。何だかすごい建物だ。単に大きいというだけじゃない。母の実家は歴史的な芸術性があったけど、こちらの意匠にはそれとはまた違う新しい時代の息吹を感じる。

「ご実家は何をしているの?」

「貿易商」

 ステラは軽く答えたけど、後で使用人に聞いたら貿易商としてはこの国で一番大きな家らしい。


 ステラの家で昼食をごちそうになって、午後の僕たちはカリンの家へ赴いた。こちらもまたすごい家だった。

「カリンのおうちは大銀行家なの」

 建物を見上げながらステラが説明してくれた。

「私の家もお世話になっていてね。家同士でお付き合いがあったから、子供の頃からの友達なの」


「ごめんなさい!」

 ところが僕たちを見るなりカリンは顔の前で手を合わせた。

「どうしたの? 何を謝っているの?」

「今、急にお客様がいらしてて。私、案内役を仰せつかってしまったの」

「あら……。おうちのお仕事では仕方ないわね。でも大丈夫? あなた、そろそろでしょう?」

「その時はさすがに閉じこもらせてもらうわ」

 カリンの発情期まで多分数日もないくらいかな? カリンの発情は強いのだという。ステラが言えたことではないと思ったけど、黙っていた。


 それから僕たちはセレナの家を訪れた。ここはまた様相が違っていた。ステラの家もカリンの家も箱型で、上から見ると建物でロの字に囲まれた内側に中庭があった。それがこちらは広大な庭園の中に瀟洒な白い家が建っている。むしろ母の実家と似ている。

 出迎えたセレナは僕たちを見て視線で後ろを探った。もう一人を探してるみたいだ。

「いらっしゃい──あら、カリンさんは?」

「それが、お客様がいらっしゃってて、案内係に任命されてしまったのですって。だから一緒に出かけられないって言うの」

「それは残念ね」


 僕たちはセレナの部屋で翌日の予定を相談した。寮と同じく本の多い部屋でやはりきちんと整頓されていた。繊細なレースのカーテンやシックなチェアセットが彼女の趣味なのだろう。寝室は別でベッドは確認できなかった。残念。

 二人は明日はシルベストリ、明後日はマルガリータ──と相談し合っている。リビカのことを何も知らない僕はまったくのノープランで、全部お任せだ。どこに連れて行ってくれることやら楽しみだ。

 夜はそのまま泊まらせてもらった。客間にベッドを三台連ねて、僕たちは灯を消した後も長いことおしゃべりしていた。


 翌日は朝からシルベストリ庭園へと向かった。シルベストリは街中の小さな丘の上にある庭園美術館だ。昔は街はずれだったんだろうけど今は山裾まで民家に埋もれて町に飲み込まれてしまっている。とはいえこの庭園が国立公園に指定されているおかげで丘までは開発の手が伸びず、レンガの海の中にここだけ緑が残されている。

 元は王家の別荘だったそうだ。丘を三段に整備して一番頂点に離宮がある。僕たちは真っ先にここに登った。

「子供の頃に来たきりだったけど、ここから町がよく見えたのを覚えているの」

 とステラが言うのでまずそれを見てみようと思ったのだ。

「うん。これは絶景だね」

 確かに──ここからは町をぐるりと見渡すことができるだけではなく、遥か遠くまで見通すことができた。

「すごいわ……。こんな景色をどうして覚えていなかったのかしら。今まで来なかったのがもったいないみたい」

「でしょ?」

 セレナも目を細めて彼方を見透かしていた。ステラは何だか得意げに胸を張った。


 近くに目を戻せば二段目には花壇と噴水のある池、そして水路が巡らされていて、さらに下の段を目掛けて階段状の滝が下っていく。一番下の段は植栽だ。高さを揃えた木々が幾何学的な対称性で植えられている。一部は迷路のようになっているようだ。

 その迷路の中の男女が目を引いた。男女というか女性の方だ。あの艶のある明るい頭には見覚えがある。

「あれ? カリンじゃない」

 ステラが呟いた。

 カリンは見知らぬ男性と歩いていた。

「あれがお客様なのかな?」

 丘の上にいる僕たちはちょっと見上げればすぐに見つかると思う。でもカリンはちっともこちらに気づかない様子だった。どうやら隣の男性に一生懸命のようだ。

「おーい!」

 ステラが声を上げて手を振ったけどカリンはやっぱり気づかなかった。

「よそう」

「中に行きましょう」

「え? あの、ちょっと」

 僕とセレナは左右からステラの手を捕まえて引っ張った。ステラは戸惑っていたけど邪魔をするのはよくない。僕たちは離宮の中の観光に切り替えた。こちらは彫刻展示がメインの美術館になっているそうだ。


 その次の日はマルガリータ宮殿に行った。こちらも旧王家の居城の一つで今は首相官邸になっている。現存する中では一番豪華な宮殿だそうだ。

「ねえ、今さらなんだけど……」

 ステラが何だか心配そうな声を出して、先導していたセレナはくるりと振り返った。

「なぁに?」

「フェリス家の方がマルガリータ宮殿なんて訪問しても大丈夫なの?」

 僕自身に自覚はないとは言え今となっては貴族代表みたいな家柄だからね。一方ここは元は滅ぼされた王家の居城にして今は民主主義の牙城だ。

「大丈夫よ。むしろ喜ばれるんじゃないかしら。官報に載るかも」

「え、そんな大ごとなの?」

「冗談よ」

 セレナは下手なジョークに一人でクスクス笑っていた。


 セレナの祖父の秘書が案内してくれるというので僕たちはその祖父のところへ挨拶に行った。

「おおセレナ、待っていたよ」

「お祖父様、今日はよろしくお願いいたします」

 こちらから行くつもりだったんだけど、初老の男性はなんと玄関で待っていた。生態のせいで僕たちの世代交代は早い。祖父と言っても還暦にも届いていないだろう。スマートな立ち姿には面影があるけど髪の色はセレナと違ってグレーが基本で、耳に黒の縞模様が入っている。

 セレナのフォーリン家は政治家の家系だと前に聞いていた。この人は確か上院議員、総務大臣だと言っていたかな? 一応秘書と護衛はついていたけど、それにしてもフットワークが軽い。

 セレナの祖父はステラに握手を求めた。

「やあ、君はブラン家のステラ君だね。久しぶりだ」

「ステラです。初めまして……あの、どこかでお会いしたことがあったでしょうか?」

「随分昔にね。あの時君はまだ三歳だったから覚えていなくても仕方ない」

「失礼しました……」

 ステラは顔を赤くしたけど、からかわれてるんだよ。セレナと違って気さくというか、話をすることに慣れている。彼は次に僕に手を差し出したので握手にこたえて名前を言った。

「ミレイです。初めまして」

「初めまして。君は?」

「フェリス家の方よ」

 隣からセレナが補足すると彼は表情を改めた。

「貴女が噂の次期当主か。これは失礼いたしました。セレナの祖父でございます。以後お見知りおきを」

「こちらこそ、どうぞよろしく」


 セレナの祖父はやはり忙しかったみたいで、後のことを秘書に任せると退出してしまった。午前中の僕たちは秘書の女性に案内されて歴史ある宮殿の隅々まで見学した。

 昼食は議員食堂でセレナの祖父を始めとしたお歴々とご一緒させてもらった。食堂と言っても学生食堂とは違う一流レストランの佇まいで、料理も立派なものだった。僕はフェリス家の最後の生き残りということで随分と珍しがられてパンダのように扱われた。調子に乗って孤児ジョークを飛ばしたら議員先生方の顔は引きつっていた。


 午後はお願いして国立図書館に連れて行ってもらった。これもまた歴史的な建造物だった。何でも元の王国の建国時に建てられたものだそうだ。蔵書だけじゃなくて建物自体に見る価値がある文化財だ。

 何でこんなところに来たのかと言うとちょっと調べたいことがあったからだ。比較的新しめの政治学の本の中を探したらそれについて書いてあった。

 その本によればセレナのフォーリン家は民主党の領袖なんだそうだ。政治的に対立、というほどでもないけど貴族とは隔意がある。編入してすぐの頃、僕はセレナに避けられていた。あれは貴族に対していいイメージを持っていなかったからか。セレナの祖父という人はあの頃のセレナよりは大人ってことなんだろう。

 ついでに最近のフェリス家についても書いてあった。前の王朝交代の際に主導的な役割を果たしたフェリス家だったけど三百年の間に仲違いして、王家とはすっかり疎遠になっていた。そのため革命に際しても静観に徹し、結果貴族として存続することになったというわけだ。へえ、知らなかったな、そんなこと。まあ、どうせもう少しで絶えてなくなることだしどうでもいいけど。


 僕たちは毎日コンサートや観劇に出かけ、高級レストランで舌鼓を打った。

 ステラとセレナは毎日服が違う。微妙な違いだけど何着も持っている。夏の魔法の中で少女たちは煌めいて学校にいるときとは別の生き物のようだ。

 僕? 僕は一張羅の外出着の着たきり雀だ。何度かブティックに連れていかれたけど、結局替えは作らなかった。どうせ女装はババアが死ぬまでの話だ。あの様子なら二着目を作っても無駄になるだろう。




 夏季休暇に入って十日が過ぎた。

 見るべきところはまだいくらでもあるけれどそろそろ戻らないと、という話をしていた。夏越祭が待っている。

 今夜も三人同じ部屋で眠っていたんだけど……隣に潜り込む人の気配に揺り動かされて目が覚めた。誰かがベッドに入ってきた。まだ眠いんだけど、誰だよ。

 明け方の薄い光はまだカーテンの向こうにあって部屋は暗い。だから姿は見えなかったんだけど、布団の中から匂いがした。あの桃の果実に似た芳しい香りが夏掛けの下に充満していた。……あ、発情だ。ということは時期的にステラだろう。そういえばそろそろだった。


 暁闇の中、体でにじり寄ったステラの手が僕を探る。柔らかな体が押し付けられて唇に唇が触れた。

「ん……」

 そのままチュッ、チュッ、チュッ、チュッと交互に舌を吸い合う。耳の付け根をトン、トンと叩いてあげたら気持ち良かったのか小刻みに震えていた。

 キスが好きなステラのために朝の時間を費やしているともう一つのベッドの上で衣擦れの音がした。人の気配がベッドから降りて、シュッと音を立ててカーテンを引き開けた。

 そしてセレナは振り向いて僕たちを見た。

「おはよう──」

 唇を貪り合う僕たちを。朝の光の中でステラの子供みたいな顔が愉悦に溶けていた。


「……何をしているの?」


 セレナの声には険があった。君と同じ──と言おうと思ったんだけど、何となく怒り出すような気がしたので踏みとどまった。口を離してステラの頭を抱きかかえて動きを封じておいてから答えた。

「おはよう。朝の挨拶さ」

 セレナはむっとした顔で近寄ってきた。どうしても怒るのか。そしてベッドに這い上がったセレナはステラの頭越しにキスしてきた。……うわ、積極的だ。セレナの発情期はまだのはずだけど。

「もしかして、妬いてる?」

 睨まれた。そんな顔も可愛いね。僕はセレナを引っ張ってベッドに寝ころばせた。そしてまだしがみついたままのステラを弾き剥がして、セレナの上に乗せた。

「ステラ、セレナとキスして」

「ん……」

「んーっ!」

 ステラは指示に従った。セレナは抵抗しようとしたので腕を押さえていたら、やがて諦めたのか力が抜けた。


 これで自由になった。僕は重なり合う二人を上から眺めた。寝巻代わりのシュミーズの裾から覗く太ももが絡み合っている。僕は太もものギリギリのところを撫で回し、それからステラのシュミーズをゆっくりとめくり上げていった。薄いパンツの上で尻尾が踊っている。両手のひらで腰をさする。背筋から柔らかな脇腹へ向けてマッサージするように。そして手は次第に上へ向かって移動してゆく。肩甲骨の下の辺りからまた脇腹へ。脇腹から前へ。柔らかな塊の縁に手を添わせて──


「おはようございます」


 ノックの音に続いてドアが開いた。メイドが起こしに来た。

 一瞬で我に返った。僕はとっさにベッドから飛び降りて、セレナにしがみつくステラをどかせて、放心状態のセレナの手を引っ張って立たせた。

 ギリギリのタイミングだった。洗面器とタオルを抱えたメイドはドアの隙間に体を捻じ込むように後ろ向きに入ってきたのでその場面を目撃されずに済んだ。僕はセレナの手を引っ張ったまま部屋を退出した。

「あら、おはようございます」

「おはよう。あのね、お嬢様はちょっと──その──うん。あの日なんだ。寝かせておいてあげてくれないかな?」

「あっ、はい」

 すれ違いざまにメイドに告げると彼女も察したようで、洗面器を足元に下ろすと僕たちには目もくれずベッドの上で悶えるステラに布団を掛け直した。


 後ろでドアが閉じた。部屋を出るやいなやセレナは顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。

「わ、私なんてことを……」

「いつも僕としてるじゃないか」

「あなたは別よ。ああ……明日からどんな顔をして会ったらいいのかしら……」




 学校に戻ってからは夏越祭の準備にかかりきりになった。この世界の暦の上ではこの日夏が終わる。夏の名残を惜しむための僕たちのもっとも重要な祭日の一つで、世界中がお休みになる。店も学校も閉め切りにして持ち寄ったものをみんなで食べて飲んで、朝から晩まで歌って踊る。どの町の男も村の娘も意中の相手をダンスに誘うチャンスだ。

 もちろん学校職員もお休みになるので、準備や片づけを生徒自身がしなければならないというわけだ。

 この学校の夏越祭でのメインイベントもやはりダンス。国中から上流階級の男が集まってお嬢様をダンスに誘う。「お客様が大勢いらっしゃるのですから、恥ずかしくないように」との教師の言いつけで僕はダンスホールの壁を飾りつけていた。難しそうな顔でリースの角度を直していたステラが視線を壁に向けたまま聞いてきた。

「ミレイさんは誰と踊るの?」

「特に誰ともその予定はないね」

 いくら女装しているからって、何が悲しくて男と踊らなきゃならないんだ。

「君となら踊ってもいいけど」

「え、女同士で? う、でも、ミレイさんとなら……」

「そういうステラさんはどうなの? リビカにいい人がいて、踊りに来たりしないの?」

「もう、知ってるでしょ? そんな人がいたら帰ったときに会ってるって。ねえ、カリンさん」

「ひゃいっ!」

 ステラの向こうで飾りを持ったままぼーっとしていたカリンは話を振られて飛び上がった。本当にジャンプした。首だけカクカク動かしてステラを見る表情がぎこちない。顔が真っ赤だし。何だか挙動不審だ。ステラも訝しむように眉をひそめた。

「どうしたの?」

「にゃっ、にゃんでもにゃいっ」

 舌が上手く回らないカリンは言葉を嚙みながら首をブンブン振った。


 そして夏越祭当日。僕は青いドレスに身を包んでいた。いつだかに作ったやつだ。思っていたより案外シンプルなデザインで飾り気が少ない。ゴテゴテした袖や膨らんだスカートなんてのは時代遅れなんだそうだ。何とかいうスカートを釣り鐘型に膨らませるやつとかコルセットとかはつけなくなった。民主化にともなって懐古趣味は衰退して、こういうのが進歩的ってやつなんだ。もう一つにはダンスが高度化したせいもある。まあ膨らんだスカートじゃ激しいダンスは踊れないよな。

 でもおかげでちょっと困ってしまった。これじゃ腰のラインが丸見えじゃないか。即男だとバレることはないと思いたいけど、このドレスでは体型の違いは隠しがたい。仕方ないので腰の後ろにおんどりの尾羽みたいに膨らんだ飾り布をつけてもらった。これでヒップラインを誤魔化せる。


 手作りのダンスホールに優雅な円舞曲が鳴り響く。この曲も管弦楽部の生徒たちの生演奏だ。彼女たちは演奏とダンスで代わる代わる入れ替わる。ビュッフェ形式の料理を補充するのも生徒たちだ。もっとも料理自体は昨日のうちに料理人が作っておいたものなので、冷たいものしかない。

 そして見知らぬ若い男たちが壁際にずらりと並んでいた。外部からの招待客だ。彼らはお嬢様方を品定めする目で、あるいは獲物を狙う目で見ていた。まるでオークション会場だね。もっとも、それは女生徒たちも同じだけど。彼女たちの視線は男たちを値踏みしていた。実際ステラによればこのパーティーは一種お見合いも兼ねているそうだ。

 彼らの中から真っ先に歩き出した者がいた。背の高い、二十歳そこそこの男だ。彼は真っ直ぐにカリンに向かうと彼女の前で身をかがめて手を差し伸べた。

「僕と踊ってくださいますね?」

「は、はい……」

 もしかしたらあのシルベストリの庭で見た彼だったかもしれない。カリンは何だか殊勝な態度でその手を取った。そして夢見る目つきで彼と踊った。


 そんなカリンの様子を見ていたら、隣からスッと手が伸びてきた。隣からだから、もちろん女性の手だ。ステラだ。僕はその手をまじまじと見つめた。

「踊りましょ」

「いいの? 彼らじゃなくて」

「なによ、ミレイさんが言ったんじゃない」

「そりゃそうだけど」

「今はまだそういう気分じゃないもの。知らない男性と踊るよりミレイさんの方がいいわ」

「光栄だね。それでは是非、喜んで」

 僕はステラの手を取った。


 ホールに進み出た僕たちは曲に合わせて踊った。男女のペアのダンスの中に二つのドレスが翻る。少し場違いかな?

「あ、ずるいわ、ステラさん!」

「ねえ、私とも踊りましょ」

 そうしたら次から次へとクラスメイトがやってきて自分も踊りたいというので、結局女性とばかり踊ることになった。僕は断固男のパートを譲らなかったけどね。半分くらいとは踊ったかな? 男たちの視線が痛いけど、自分で頑張ってくれ。

 でも、その中にセレナはいなかった。別に僕を嫌がっているわけでも他に意中の男がいるわけでもない。彼女は折悪しく発情期が来てしまって部屋に閉じこもっている。


 パーティーの熱狂が去ってしじまの夜が訪れた。僕はまた無人の廊下を一人歩いてセレナの扉の前に立った。

 コンコン。ノックするけど返事がない。ドアノブに手を掛けると鍵は開いていた。

「セレナ」

 許しを得ないで僕は入った。部屋の中に例の桃の香りが漂っている。でもセレナは高揚してはいなかった。顔を伏せて泣いていた。

「どうしたの?」

「……自分が惨めで」

 未練なのだろう。壁には僕のドレスとお揃いの色のドレスが吊るされていた。

「誰か期待する人でもいたの?」

「あなた」

 セレナは顔を伏せたまま、でも包み隠すことなくそう言った。

「他にはいないわ」


 ……期待されていたなら仕方ないな。僕はセレナの手を取って、顔を上げさせた。


「今夜は夏越祭だよ。朝まで踊ろう」

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