長閑(二)
「土砂崩れ?」
「ええ、この間の嵐で道が土砂で塞がったらしく。」
パラスの街で、少し休憩するだけの筈が、とんだ災難である。御者の青年は、不安そうに雇い主を見上げた。
「道が馬車で通れるようになるに、どれくらいかかる?」
「……急いで復旧しているらしいですが、あと4日ほどかと。」
「そうなると、オリヴィンに到着するのは6日後になるな。この街で宿泊の手配を。」
手際よく指示を出すガーディアスの横で、ルナリーシアはあからさまに嫌そうだった。
「どうしました?ルナリーシアさん。」
「いや、ちょっと……。早く終わらせてしまいたかっただけです……。」
ナディフ神官長の探るような問いかけに、ルナリーシアは苦笑した。
彼こそ、先日の嵐の夜、ルナリーシアが精霊たちと意思疎通する現場を目撃した張本人である。
先ほどまで馬車の空気に徹していたが、教会の総本山で神官長を務める、かなりのお偉方だ。
嫌なことは早めに終わらせてしまいたい。
そんなルナリーシアの思いとは裏腹に、一同はパラスで足止めされることになった。
「————素敵!」
ルナリーシアは思わず感嘆の声を漏らした。ガーディアスが急遽手配した宿は、パラスにある王族所有の城だった。城といってもこじんまりとしていて、作りは貴族の別荘に近い。
「ようこそおいでくださいました。」
城の管理を任されていた老夫婦が一向を出迎えてくれた。
「急な対応、感謝する。」
「いえ、是非おくつろぎ下さい。」
老夫婦の微笑みに一番安心したのは、ルナリーシアだった。
(城に泊まるって聞いたときは、一体どんな貴族に迎えられるのか、って思ったけど。)
杞憂だったようだ。
「……何か。」
「何でもないわよ。」
ガーディアスは、鷹揚に頷いてみせた。泊まるのが、王族所有の城だと知ったとき、真っ先に反対したのはルナリーシアである。
『無理!息が詰まっちゃう!私だけ教会に泊まるから!』
『ならば、私も。』
ナディフ神官長様も珍しく同意してくれた。教会は、無料の宿泊施設として旅の者に、寝床と食べ物を提供する。もっとも、最低限度のものであるが。
清廉潔白を重んじる教会の神官長としては、貴族に接待されるよりも、自身の所属する教会に泊まりたかったようだ。
しかし、ガーディアスは頑として首を縦に振らなかった。
『王家としては、「精霊の巫女」を守らねばならない。万が一ということもあるからな。そして神官長。あなたクラスの人間が、嵐の後処理に追われるパラスの教会に泊まるとなると、皆混乱するのでは?』
その通りである。
結局、二人はガーディアスに根負けし、パラスの城に泊まることとなったのであった。
「では、お部屋を案内しますね。」
老婦人に連れられて、広い廊下を歩く。持ち主の趣味か、内装はあまり華美ではない。しかし、一目見れば家具や置物はどれも逸品と分かるものばかりだった。
(……触らないようにしよう。)
商家で働いていたとき、否応なく物の価値を見る目を鍛えられたルナリーシアは、その値段を思い出し、そっと心に誓った。
「ルナリーシアさん、これを。」
それぞれの部屋に案内された後、廊下でナディフ神官長に声をかけられた。
手渡されたのは、便箋と筆記具である。
「強引にこちらに連れてきてしまいましたから、お母様に直接お手紙を書いてあげて下さい。ルナリーシアさんもお母様も読み書きはできますよね?」
「ありがとうございます。」
丁度、精霊に母への言伝を頼もうとしていたところだ。だが、精霊は基本的に気まぐれで無邪気なため、たまに曖昧な内容になってしまう。
だから、手紙を書けるのはありがたかった。
「ただ、一つだけお願いがあります。」
「?」
便箋を受け取ろうとした手を止め、ルナリーシアは神官長を見上げた。
「『精霊の巫女』については、まだお母様にもお伝えにならないでください。」
「……お母さんにも?」
思わず眉を寄せる。
「ええ。『精霊の巫女』の存在そのものが、神殿と王家によって厳重に管理されている情報です。今回の件も、正式な確認と今後の方針が決まるまでは、必要以上に広めるわけにはいきません。」
ルナリーシアは、手の中の便箋へ視線を落とした。
母には、何でも話してきた。
今日あったことも。
嬉しかったことも、腹が立ったことも。
仕事先で失敗したことも、面白い本を見つけたことも。
その母に、自分の身に起きた一番大きなことだけは話してはいけないらしい。
「……分かりました。」
少しだけ間を置いて、ルナリーシアは頷いた。
「不自由をおかけします。申し訳ない。」
「いえ。神官長様が決めたことじゃないでしょう?」
そう言って、ルナリーシアは曖昧に笑った。
「お母さんには、とりあえず元気にしてるって書いておきます」
その言葉に、ナディフ神官長は少しだけ痛ましそうに目を細めた。
「ああ、そうだ。無理矢理同行をお願いしましたから、着替えなどはこちらで用意させていただきます。後で部屋に届けさせますので。」
思い出したように、ナディフ神官長はポンと手をうった。かなりのお偉いさんなのに、非常に丁寧な方である。そこへ、老婦人がやってきた。
「お夕飯は、お部屋で食べられますか?」
「えっと……。」
どうしようかな、と迷っているとナディフ神官長が微笑んだ。
「ルナリーシアさん、夕飯を下の食堂でご一緒しても構いませんか?」
「もちろんです。」
正直、知らない場所で一人でご飯を食べるのは寂しい。そんなルナリーシアの心情を知ってか知らずか、神官長の発言は渡に船だった。
「では、そのようにご準備いたしますね。」
「ありがとうございます。」
「では、また夕食で。」
颯爽と立ち去る壮年の神官の背中を見送る。
行き先を聞いて散々暴れたあと、苛立ちを持て余していたルナリーシアに本を差し出してくれたのも、ナディフ神官長だった。
事前に商会で、彼女が大の本好きだと聞いていたらしい。
(……よくできた方だなあ。)
正直、神殿へ行くことに、不安がないわけではない。
むしろ、不安だらけだ。
慣れないところにたった1人。きっと今までの常識も通じない。
————他の神官様も、この方みたいに優しければいい。
そうルナリーシアは願わずにいられなかった。




