春の嵐(六)
――実に厄介だ。
ガーディアスがその少女に抱いた第一印象は、決して良いものではなかった。
「……ロシャスなんて田舎に、またどうして。」
「田舎だからこそでしょう。」
頭を抱えるように額へ手を当てた神官に、ガーディアスは淡々と答えた。
まったく、ギエフ侯爵も、面倒なことをしてくれたものだ。
ロシャスにいると思われる『精霊の巫女』が、ギエフ侯爵の庶子である可能性が高い————。
その報告を受けたとき、ガーディアスは思わずため息をついたものだった。
『精霊の巫女』の存在は、この国の開闢と深く関わっている。
遥か昔。
まだ人と精霊とが、今よりずっと近しい存在だった頃。
この地では人々が争い、幾度となく血が流れていた。
それを憂い、争いを終わらせた者がいる。
精霊と人との間に生まれ、精霊の権能をその身に宿した者————後に、この国の始祖となる人物である。
始祖は精霊の力を借りて諸侯を平定し、一つの国を築き上げた。その際に、始祖は精霊たちと一つの約束を交わしたという。
――これより先、この地に生まれ落ちる精霊王たちの誕生に、力を貸す。
その約束は血とともに受け継がれた。
ゆえに、始祖の血を引く貴族の中には、ごく稀に精霊へ干渉する権能を持つ女性が生まれる。
それが、『精霊の巫女』である。
精霊王の誕生に力を貸し、ひいては精霊の加護によって成り立つこの国を支える。
それは『精霊の巫女』として生まれた者の責務であり――同時に、貴族として果たすべき役目でもある。
少なくとも、ガーディアスはそう教えられて育った。そして、それを疑ったこともなかった。
————我々は、尊き血を継ぐ者。
その言葉の中に、高慢な自負が含まれていたことは否定できない。
だが、時代が下るにつれ、始祖の血は薄まっていった。それに伴い、『精霊の巫女』として現れる権能も弱まっていった。
そのせいか、ここ数百年に一度、複数の『精霊の巫女』が同時期に生まれるようになった。
それは近く『精霊王』が誕生する兆しだと言われている。
そうして彼女たちの中から一人、『聖女』が選ばれる。精霊王の顕現を直接助ける者。同時期に生まれた他の『精霊の巫女』たちは、その聖女を支える役目を担う。
『精霊の巫女』が生まれた土地には、奇跡が起こる。
あまり公には知られていないことだが、神殿には「精霊の巫女」についてそのような記録が残らせれていた。
精霊たちが、その誕生を祝福するのだ。
————十六年前。
満月の夜、ロシャスの空に突如として無数の光が降り注いだ。流星群のようだったという。
だが、光は地面へ落ちることなく、空中で白い花弁へ姿を変え、そのまま消えた。
当然、神殿も王宮も、その日にロシャスで生まれた始祖の血を引く娘はいないか、調査官を派遣した。
だが、該当する貴族家には一人として女児が生まれていなかった。
ゆえに、その奇跡は長らく————精霊の悪戯として処理されていた。
それが、一か月ほど前。偶然ロシャスを訪れた老貴族が、神殿へ一つの報告を持ち込んだのだ。
『ルルーシャ王女に生き写しの娘を見た』、と。
ルルーシャ王女。かつてギエフ侯爵家へ降嫁した王女であり、そして記録に残る『精霊の巫女』の一人。
それを糸口に、ガーディアスはギエフ侯爵家の過去を洗った。
すると、一つの記録が見つかった。
十六年前、現ギエフ侯爵夫人が第一子を身籠っていた頃、侯爵家に仕えていた女中が一人、屋敷を追放されていた。
理由は————主人であるギエフ侯爵を誘惑し、その子を身籠ったため。
女中の名は、シンシア。
追放された後、彼女は故郷を離れ、ロシャスへ流れ着いたらしい。
そして、その地で一人の娘を産んでいる。
「精霊の巫女」であったルルーシャ王女に生き写しの少女の存在。ルルーシャ王女の曾孫を身籠り追放された女中が流れついた地。そして、観測された精霊の祝福。
それが、十六年前のロシャスで交差している。
偶然と片づけるには、あまりにも条件が揃いすぎていた。
この国の開祖が、精霊と人間の子であるという事実は広く知られている一方、『精霊の巫女』の存在は周知されていない。
国から手厚く保護される『精霊の巫女』を産むことを平民が目論み、尊き血が薄まることを、古くから貴族たちは危惧してきたためである。
そのため、『精霊の巫女』はほとんど例外なく貴族同士の間に生まれてきた。
だが、例外がないわけではない。
ほんの僅かではあるが、貴族の男と平民の女との間に庶子として生を受け、後に『精霊の巫女』であることが判明した者もいる。
彼女たちはその後、父方の家や親族の貴族家へ養女として引き取られ、貴族の娘として神殿に迎えられた。ゆえに、「精霊の巫女」である彼女たちは貴族の娘として記録されている物が多かった。
だからだろう。
長い年月の中で、「平民との間に生まれた『精霊の巫女』も存在する」という事実は次第に忘れられていった。
————平民との間に、『精霊の巫女』は生まれない。
いつしかそれが、貴族たちの間では疑う必要すらない常識となっていた。無論、事実ではない。
古い記録を丹念に紐解けば、庶子として生を受けた『精霊の巫女』の存在は確認できる。
だが、ギエフ侯爵がそこまで調べていたとは到底思えなかった。
おそらく彼もまた、「平民との間に『精霊の巫女』は生まれない」と信じて疑わなかったのだろう。
だからこそ、シンシアが身籠ったとき、その腹の子が『精霊の巫女』である可能性など、これっぽっちも考えなかった。
もし仮に侯爵がその可能性に思い至れていれば。十六年前、ロシャスの空を覆ったあの奇跡が『精霊の巫女』の誕生によるものだと、もっと早く分かっていたはずだ。
――まったく、愚かなことをしてくれたものだ。
その尻拭いのために、自分がこんな辺境まで足を運ぶ羽目になったのだから。
王命を受けて、調査を開始したガーディアスは、ギエフ侯爵についてさらに徹底的に調べあげた。
侯爵家の記録だけを鵜呑みにするつもりはなかった。
そして分かったのは、シンシアは、オリヴィンで大きな商家を営む家の娘で、行儀見習いとして侯爵家に上がっていたということ。そして、彼女が実家から勘当されたこと。
それは————ガーディアスに、シンシアが実家にすら勘当された「不埒な女」だと確信させるには十分だった。
そんな女が産み、十六年間育ててきた娘に対して、最初から好意的な感情を抱けと言われても無理な話だ。
もちろん、親の罪がそのまま子の罪になるとは思わない。
だが、どのような価値観のもとで育てられたのか————警戒するなという方が難しい。
そして実際に会ってみて、ガーディアスは、自身の直感は間違っていなかったと思ったのだ。
————応接室を訪れた少女は、ガーディアスの理解の範疇を超えていた。
『……何かの間違いではないでしょうか』
少女は、涼しい顔で嘘をつき、追い詰められるとガーディアスに飛びかかってきた。神殿への同行を拒むその姿は、「精霊の巫女」として到底相応しいものとはいえなかった。
母親が母親なら、娘も娘か、と。
そこにはほんの少しの落胆と憤りも含まれていた。「精霊の巫女」である少女に対して。
「精霊の巫女」は、貴族の正当性と矜持の表れだ。貴族が貴族たるのは、ひとえに開闢の祖の尊き血が流れているからである。つまり、開祖と精霊の約束を遂行する「精霊の巫女」は本来、貴族の中の貴族であるべきなのだ。
そんな貴族の顔とも言える「精霊の巫女」に対して、ガーディアスは無意識のうちにある種の理想を抱いていた。
慎み深く、清廉で、穏やかな存在。
国のために己の使命を全うし、国の繁栄のためにはその身を捧げることも厭わない女性。
それが、ルナリーシアの言動で脆く崩れ去った。
尚且つ、ガーディアスが普段から関わってきたのは、貴族の女性がほとんどだったことが、ルナリーシアへの悪印象に更に拍車をかけた。
彼女たちは、礼節を弁え、声を荒らげることもなく、どれほど不満があろうと人前では微笑みを絶やさない。感情を表に出さない淑女として育てあげられてきたのである。
そんな、貴族のご令嬢と比べれば、ルナリーシアはあまりにも粗忽だった。
————この女が「精霊の巫女」など、到底納得できない。
けれども、こちらを真っ直ぐに睨みつけるエメラルドの瞳を見た時、世界がグラリと傾いた気がした。
眩いばかりの生命力に満ちた瞳だった。
淑女らしい慎ましさなど欠片もない。従順さも、穏やかさも皆無だ。
——それどころか。 怒りも、憎しみも、悔しさも。
何一つ取り繕うことなく、こちらへ叩きつけてくる。
ガーディアスは、そんな女を知らなかった。
何より理解できなかったのは、母親のことだった。
追及から逃れるためなら、平然と嘘をつく。頑として己の秘密を認めようとしない。
それなのに、母親の名誉を傷つけられた途端――少女は自ら、その秘密を明かした。
ガーディアスには、それが妙に引っかかった。
そして極め付けは————100万マニー。
王命を前にしてなお、この娘はただでは屈しなかった。
十六年間平民として生きてきた彼女は、貴族として何1つ恩恵を受けていない————と、今になって貴族の責務だけを負わせるというのならその十六年分を払え————と、過去の精算を要求してきたのだ。
無茶苦茶だ。
王命を相手に金銭を要求するなど、正気の沙汰とも思えない。
————だが。
『私のお母さんはその民じゃないの!?』
先ほど叩きつけられた言葉が、耳の奥でこだまする。何故なのか、ガーディアス自身にも分からなかった。
過去の精算を迫り、見事100万マニーを手に入れた少女の瞳には、揺らがない何かがあった。王命に屈したというのに、負けた者の目ではなかった。
ガーディアスがこれまで目にしてきた、どの貴族令嬢とも違う。
しぶとく、貪欲で、どこまでも不屈。
——実に厄介だ。
ガーディアスは心の中で、特大のため息をついた。




