春の嵐(五)
「ルナリーシアさん。貴女には神殿に来てもらいます。」
暫く黙っていた壮年の神官が、口を開いた。
「——できかねます。」
強情なルナリーシアに、神官は悲しそうに首を振った。
「これは王命なのです。」
できる、できないの問題ではない。王命は絶対だ。
そして、神官は説明してくれた。
曰く、この国では何十年かに一度、「精霊王」が誕生するという。その「精霊王」の誕生を手伝うために「聖女」なる存在がいる。
「『聖女』様には、精霊と意思疎通のできる方の中から選ばれます。そして、その精霊と意思疎通ができる者————我々は『精霊の巫女』と呼びますが、『精霊の巫女』は神殿に入ってもらい、『精霊王』が顕現するのを補佐するための修行を積んでもらうのです。」
色々言われて、ルナリーシアは混乱した。
「ええと、つまり、『精霊王』が生まれるのを手助けする人が必要だから、精霊と会話できる人は神殿に来い、ということですか。」
「まあ、そういうことになります。」
神官は上品に頷いた。
「でも、それがどうして王命なのですか?」
ルナリーシアは自身の質問に返された言葉に、絶句した。
「それは————『聖女』様は、王太子妃になるからです。」
「は?」
取り繕うことを忘れて、素の声が出てしまう。
百歩譲って「精霊王」の誕生を手助けしてくれ、というのは納得できる。精霊は、奇跡の存在だ。彼らの中でも力がある者が顕現するとなれば、なんらかの作用があるだろうし、それがこの国に影響を及ぼすことは明らかだ。
だが、未来の王妃となると話が違う。それは完全に貴族、というか王族の勝手ではないか。
「その『精霊王』が生まれるのを助けたらお役御免ということは?」
「————精霊に干渉できる力のある方には、この国を守っていただきたいのです。」
酷く迂遠な言い方だ。同時に、精霊と会話できることが知られることを母が恐れたのも頷ける。
精霊と会話できる者は例外なく貴族の血が流れている。それは、ずっと前から『精霊の巫女』を、貴族や王族の妻にして、国が管理していたことを示唆していた。
「承服し兼ねます。」
ルナリーシアの声は強張っていた。『精霊の巫女』になるということは、貴族に一生を縛られたまま過ごすということだ。
「承服する、しない、と言うことはできないのです。王命なのですから。」
神官は同情的な顔をしてルナリーシアを宥めた。
(……本当に貴族って大嫌い。)
思い切り顔を顰めるルナリーシアに黙って聞いていたガーディアスが口を開いた。
「貴族の血を引く者の運命だ。受け入れろ。」
「は?」
ナニイッテンダ、コノオトコハ。
「……お貴族様が私たちに今まで何をしてくれたって言うのよ。」
「そなた、民のために責務を果たす気がないのか?」
ガーディアスはどこまでも貴族だった。それがルナリーシアの逆鱗に触れる。
「耳をかっぽじってよく聞きなさい!!いーい?貴方達貴族の責務は、貴族という尊き身分ゆえでしょ!?散々私たちに泥水を啜らせといて、父親が貴族っていうだけで掌返した挙句、大変なことだけ押し付けようだなんて、虫が良すぎるわよ!!」
「……だが。」
「私は!綺麗な洋服も、お腹いっぱいの食事も、清潔な寝床だってあんたたち貴族から何一つ与えられなかった!貴族のお嬢さんが受けてきた恩恵を何一つ与えずして、なーにが貴族の血の運命よ、なーにが民のための責務よ。私のお母さんはその民じゃないの!?今まで邪険にしておいて、よく言うわ。」
ハアハアと肩で息をしながらルナリーシアは言い切った。ガーディアスを見れば、何か考え込んでいるようだ。
「ルナリーシアさん。王命への反逆と見做されれば、貴女だけの問題では済みません。……場合によっては、お母上にも累が及ぶでしょう」
(お母さんを人質にするつもり!?何て卑怯なの。)
だが、神官の声で冷静になれた。相手は、国なのだ。ルナリーシアがジタバタここで足掻いたところでどうにかなる相手ではない。
悔しいが、それは紛れもない現実だった。
(————だったら。)
「……神殿に来てくれますか?」
神官は、もう一度聞いた。
ルナリーシアは下を向いたままだ。ガーディアスはそれを見て、苛立たしそうな顔をした。
「……100万マニー。」
「はい?」
「100万マニーで手を打とうじゃない。」
ガーディアスと神官は信じられないものを見る目をルナリーシアに向けた。
「そなた、責務を果たすのに金をとる気か?正気か?」
「言ったでしょ。私は平民として生きてきたって。なら、私が貴族として受けられたであろうこの十六年間の恩恵を今すぐ100万マニーで精算しなさいよ。」
「しかし、それは。」
「100万マニーで私が大人しく着いてくるんだったら、安いものでしょ。頷かないなら、この場で舌噛んで死んでやる。」
ルナリーシアは本気だった。貴族に一生を縛られて生きていくなら、母を人質に取られるくらいなら、いっそこの場で死んだ方がマシだ。だが、自分が死ねば、唯一の肉親である母が責任を負わされかねない。
「脅しのつもりか?」
「先に母さんの命を持ち出したのはそっちよ。」
エメラルドの瞳はメラメラと闘志に燃えていた。タダで転んでなどやるものか。
「貴方達も私に死なれちゃまずいでしょ。」
最強の矛と最強の盾。さて、どちらが壊れるか。
「————分かった。」
先に折れたのはガーディアスの方だった。渋々ながらという体で、ため息をつく。
「100万マニー、用意しよう。」
「交渉成立ね。」
ルナリーシアは、高らかに宣言した。




