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花を散らす雨(六)


 パキータ・プディーシュ・ギエフは、我が耳を疑った。


「……お父様に、隠し子?」


 聞き返しても、家令はいたって真面目な顔で頷いた。

「はい。左様でございます。」

「何かの間違いではなくって? わたくしのお父様が?」

「……はい。」


 一瞬、夢ではないかと思った。

 ドレスの上から太腿をつねってみる。痛い。どうやら夢ではないらしい。


 父————ギエフ侯爵は、社交界で恐妻家とからかわれるほどの人物だ。


 交易都市オリヴィンを治める権力者でありながら物腰は穏やかで、母を大切にし、パキータたち子供にも惜しみなく愛情を注いでくれた。パキータにとって父は、この世で最も尊敬する人物だった。


「どうして、今になって隠し子なんて……。」

「その方が……『精霊の巫女』であることが判明したためでございます。」

「詐欺ではなくて?」

「王宮と神殿、双方から正式な連絡がございました。まず間違いないかと。」


 パキータは眉を顰めた。


『精霊の巫女』。貴族の子女であれば、誰もが幼い頃から敬い、憧れる存在だ。

 精霊と人との間に生まれた始祖。その尊き血を受け継いでいることこそが、この国の貴族が貴族たる所以。

『精霊の巫女』とは、その血の尊さが目に見える形となって、この世に現れた存在なのである。


「……その方、おいくつなの?」


 恐る恐る尋ねる。

 パキータは、父と母の結婚から一年ほどで生まれた。

 もしかしたら、結婚前の話なのかもしれない。

 そうであってほしいと、どこかで願っていた。


「……それが。」

 家令が言い淀む。


「よいから、教えて頂戴」

「十六歳、と。」

「…………。」

「出生記録によれば、お嬢様より五か月ほど後に生まれたことになっております。」


「なんですって!?」


 思わず声を上げた。

 それでは————母が自分を身籠っている最中に、父が他の女と関係を持ったことになるではないか。


(……やっぱり、何かの間違いよ。)


 パキータはそう結論づけた。そうでなければ困る。


「ヴァージルにも、このことを伝えたの?」

 ヴァージルは、今年五歳になるパキータの弟だ。

「いえ。まだ何も。」


「そう。あの子には、まだ伝えないで頂戴。」

 何も分からないうちから聞かせるには、ヴァージルは幼すぎる。

 パキータの言葉に、家令は黙って一礼した。


 ◇


 それから一月ほど経った頃。パキータ自身、その話を半ば忘れかけていた時だった。

 いつも冷静沈着な家令が、珍しく動揺を滲ませながら報告にやってきた。

 ————『精霊の巫女』を伴い、王宮と神殿から使者が来訪する。

ギエフ侯爵の実子であるかを確認し、その後の処遇を決定するためだという。

 

(……本当に、いたのね。)

 それでも、まだ実感は湧かなかった。

 自分に、たった五か月違いの異母妹がいる。

 その事実が、どうしても現実のものとして感じられない。


 それほどまでに、ギエフ侯爵は、パキータにとって理想の父親だった。


 ◇


 春の嵐に足止めされ、使者がギエフ侯爵邸へ到着したのは、予定から六日ほど遅れてのことだった。


 玄関ホールに現れた神官服の男を見て、パキータは愕然とした。


(ナディフ神官長様……!?)


 王都にある神殿の総本山で神官長を務め、次代の神殿長とも目されている人物。

 パキータも王都で何度かその姿を見たことがある。

 重要な祭事では、必ずと言っていいほど中心に立っていた。

 事実上、神殿の第二位にあたる人物。


 そんな人が、わざわざオリヴィンまで————。


 思わず視線を逸らした、その先————ナディフ神官長の隣に立つ、黒髪の長身の青年を認めた瞬間。


 パキータは、ようやく事の重大さを理解した。


(…………本当なのね。)

 ————父に隠し子がいる。

 そして、その娘は本当に『精霊の巫女』なのだ。


 ◇


 難色を示す使者側を押し切り、パキータは母とともに応接室での話し合いに同席した。

 母の隣から、そっと今回の騒動の中心となった少女を盗み見る。

 そして、息を呑んだ。


(……生き写しだわ。)


 淡い金色の髪に大きなエメラルドの瞳。

 人形のように整った顔立ち。


 古い肖像画で何度も目にした、曽祖母ルルーシャ王女に驚くほどよく似ている。

 けれど、事前に聞いていた通り、彼女が平民として育ったことも一目で分かった。

 立ち居振る舞いは、お世辞にも洗練されているとは言い難い。

 言葉遣いにも、時折ぎこちなさが垣間見えた。


 そして何より————その手は、あかぎれだらけだった。


 荒れた指先、日に焼けた肌。

 質素で、動きやすさを優先した服。


 自分とは、あまりにも違う。

 同じ父親の血を引き、わずか五か月しか年の違わない少女。


 一方で、少女は、一度たりともパキータを見なかった。

 至極の宝石を思わせるエメラルドの双眸は、ただ一点。


 父————ギエフ侯爵だけに注がれている。


 そこに浮かんでいるものを見て、パキータは背筋が寒くなった。

 怒り、――いや、そんな生ぬるいものではない。

 軽蔑、嫌悪、そして何より————隠しようもなく滲み出る、殺意。


 話が進むにつれ、パキータは、何も考えられなくなっていった。


(————この男は、誰?)


 父が口を開くたびに、一言、また一言と重ねるたびに。パキータの知っている父親が、少しずつ消えていく。

 穏やかで、優しくて。家族を何より大切にしてくれた父。


 その顔が、剥がれていく。


(もう……。)

 お願いだから。

(もう、喋らないで……。)


 けれど、父は喋り続けた。そして、その言葉が異母妹の逆鱗に触れた時——。


 閉ざされた応接室に、嵐が起こった。


 窓も、扉も閉ざされている密室ではあり得ない。風が荒れ狂い、室内のものを巻き上げていく。

それは、「奇跡」と呼ぶに相応しい代物。

 パキータは、初めて心の底から理解した。


 ——この少女は、本当に『精霊の巫女』なのだ。


 やがて、風が止み代わりに、十六年前の声が響いた。


 聞きたくなかった。耳を塞ぎたかった。


 父の声が聞こえるたびに、胃の底から何かが込み上げてくる。


 目の前にいる男が、つい先ほどまで自分が「お父様」と呼んで慕っていた人が、何か、得体の知れない生き物に思えて仕方がなかった。

 それでも、パキータは、耳を塞がなかった。目も逸らさなかった。


 ————ただ、貴族令嬢としての矜持だけが、それを許さなかった。


 ◇


 すべてが終わった。ルナリーシアの身柄は王家が預かると決まり、使者たちが応接室を後にする。

 放心した父を残して、パキータは立ち上がった。

 そして————駆け出す。


 自分でも、なぜ追いかけるのか分からない。

 それでも、足は止まってくれなかった。


「お待ちになって——!」


 玄関ホールを出ようとしていた一行が足を止める。

 ゆっくりとわ淡い金髪の少女が振り返った。


「……どうして、今さら……!」


 口から飛び出しかけた言葉を、慌てて飲み込む。


 違う。


 今の言葉は、『精霊の巫女』が今になって現れたことを責めるものになってしまう。貴族としては、あってはならない言葉だ。


(しっかりしなさい、パキータ……!)


 自分を律する。背筋を伸ばし、淑女として教え込まれた通り、優雅に頭を下げた。


「この度は、我が家の不始末のため、ご足労をおかけいたしました。そして————」


 息を吸う。


「『精霊の巫女』様。大変、申し訳——」

「やめて。」


 凛とした声が、謝罪を遮った。


「……謝らないで。」


 思わず顔を上げる。エメラルドの瞳と、真正面から視線がぶつかった。

 ————初めて、この少女の顔を、正面から見た気がした。


「……被害者よ。私も、あなたも。」


 息を呑んだ。それは、迷いのない声だった。

 その瞳、その声には、パキータにはない、強さがあった。

 思わず視線を落とす。

 自分が身に纏っているのは、職人が仕立てた上等な絹のドレス。その向こうに立つ少女が着ているのは、何の飾り気もない、質素な町娘の服。

 その手は荒れ、日に焼けている。

 同じ男を父に持つ、たった五か月違いの娘なのに。

 その意味することを、パキータは、理解していた。


「……どうか、お元気で。」


 それだけ言って、パキータは、精一杯、優雅に微笑んだ。


「……お嬢様も。」

 数か月だけ年下の異母妹は、少し困ったように微笑み返した。


 それが、パキータにとって、腹違いの妹との、生まれて初めて、そして、おそらく最後になる、個人的なやり取りだった。

 

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