春の嵐(二)
その春、穏やかな気候のロシャスには珍しい嵐が吹き荒れた。人々は店を閉め、家に閉じこもる。いつもの賑やかさは鳴りを顰め、大通りは閑散としていた。
寂しいロシャスの大通りをルナリーシアは、走っていた。
(遅くなっちゃたな。)
ついつい勤務先に長居しすぎた。それもこれも、ルナリーシアが読書にのめり込みすぎたためである。気付けば、あたりは暗くなり、雨と風が容赦なく窓を打ちつけていた。
「お母さん、あったかくしているといいけど。」
自分を産んでから、体を弱くした母を思いやる。二人で住むあばら屋は、隙間風が酷い。風邪でも引かないか心配だ。
バシャバシャと足元に泥が跳ねる。それもお構いなしに、ルナリーシアは家路を急いだ。
——その時だった。声が聞こえたのは。
『助けて……。誰か、助けてくれ。動けない、誰か。息が……。』
不可視の声だった。普通の人間には決して聞くことができない。気まぐれな風の精霊がどこからか拾ってきたもの。その声を聞いて、ルナリーシアは足を止めた。スピードを殺しきれずに転びそうになるのをかろうじて踏ん張り、ルナリーシアは誰もいない空間に声をかけた。
「どこ!?案内して!!」
『いいよ。』
久々のルナリーシアの呼びかけに、精霊は嬉しそうに返事をした。ルナリーシアは、普段ならば滅多に精霊の気まぐれには応じない。そうやって自分を守ってきた。
けれど————、今回は特別だった。
(この嵐で、人通りなんて見込めない……!)
自然が生み出した奇跡である精霊が拾ってきた声ならば、十中八九屋外だ。そして精霊が自分に「声」を届けたということは、何かしらあるのだろう。助けられる命を見捨てられるほど、ルナリーシアは薄情にはなれない。
ハラハラと、何もない空中から白い花弁が落ちて道を作る。
一枚、また一枚と。
嵐に吹き散らされるはずの花弁は不思議なことに同じ方向へ流れていく。ルナリーシアはその後を追った。そして、裏路地に入り、目の前の光景に驚く。
強風で、木造の屋根が丸ごと地面に落ちてひしゃげていた。
目を凝らすと、人の手が残骸となった木の板の間から出ていた。どうやら、声の主は落下した屋根の下敷きになったらしい。
素早く周りを見渡して、誰もいないことを確認すると、ルナリーシアは空に向かって叫んだ。
「この屋根の下にいる人を助けたいの!手伝ってくれる?」
ルナリーシアに答えるように、白い花弁がふわりと彼女に降り注いだ。
次の瞬間————木片が持ち上がった。まるで、見えざる手に支えられているように。
ふわふわと浮遊する木片の下から、どうにかして手の主である男性を引っ張り出す。ここら辺では見かけない顔だ。腕や顔から血を流しているが、ほとんどがかすり傷のようである。どうやら、胴体が木材に挟まって身動きが取れなかっただけらしい。
「君は……」
「もう大丈夫ですよ。」
ルナリーシアは、男性を落ち着かせるために笑って見せた。
(後は、誰かを呼んでくれば良いけど。お医者さんも呼ばなきゃな。)
不意に、ルナリーシアは、視線を感じた。ゆっくりと振り返る。
裏路地の入口に、一人の男が立っていた。
激しい雨の向こうでも分かる。神官服だ。それも、ルナリーシアのような田舎娘でさえ知っているほど、位の高い者だけが身につけるもの。男は何も言わない。
ただ、宙に浮かぶ巨大な屋根と――その下にいるルナリーシアを、じっと見つめていた。
血の気が引いた。
(————今の、見られた?)
脳裏に母との約束が蘇る。
『良いこと?ルナリーシア。精霊とお話しできるのは、二人だけの約束よ。』




