花を散らす雨(四)
連れて来られた男は、落ち着き払っている様に見えて、その実、目が所在なさげに少し泳いでいた。
「お前は————。」
ギエフ侯爵の表情が固くなる。
「侯爵閣下は流石にご存知のようだ。そなた、名を名乗れ。」
「————はい、私はサンカーヴィシュ商会会頭、ジェイコブでございます。」
ガーディアスの命令に、男は静かに名乗りをあげた。
「そなたが、シンシアの父親で相違ないな。」
「はい、間違いなく。」
キビキビとした動作で、ジェイコブが頷く。
そう彼こそが、シンシアの父にしてルナリーシアの実の祖父であった。
「そなたは実の娘、シンシアを勘当しているな?」
「はい、左様でございます。」
「理由は、シンシアがギエフ侯爵の子供を妊娠したからか?」
「はい。」
淡々とした問答を、ギエフ侯爵は黙って聞いている。
「————シンシアを勘当し、オリヴィンから追放したのは、そなたの独断か?」
ガーディアスの質問に、ギエフ侯爵の顔がサッと蒼くなった。
「これは、国の根幹に関わる重要な事項だ。包み隠すことなく答えよ。」
「————会頭、そなた……!」
ギエフ侯爵が何かを言おうとするのを、ガーディアスが目だけで制した。
「……失礼いたしました。」
ギエフ侯爵が押し黙る。
一方、ジェイコブは答えあぐねているようだった。
「正直に答えよ。さすれば、その内容でそなたたちを不利に扱うことはしない。」
ガーディアスの一言で、ジェイコブは意を決したように口を開いた。
「50万マニーと引き換えに、シンシアをオリヴィンから追放するという密約を、ギエフ侯爵と結び、シンシアを追放いたしました……!」
「貴様、出鱈目を……!」
怒りを剥き出しにして、叫ぶギエフ侯爵にジェイコブは緩やかに首を振った。
「出鱈目ではございません。これが、その密約の契約書でございます。」
ジェイコブが取り出した紙を、ガーディアスは部下から受け取った。
「ふむ、ギエフ侯爵家の家紋と押印、侯爵閣下の署名まである。」
「『サンカーヴィシュ商会会頭の娘シンシアを50万マニーと引き換えにオリヴィンから追放する。尚、今後、侯爵家はシンシアとその子供について一切関与しない。』とありますね。」
ナディフ神官長が、横から契約書を覗き込み、内容を読み上げた。
「侯爵閣下。これでも、貴族の責務を放棄していないと……?」
ガーディアスの問いに、ギエフ侯爵はジェイコブを睨みつけた。
「ジェイコブ、貴様……!」
だが、初老の会頭は緩やかに首を振った。
「50万マニーと引き換えに、あの子を追放することで、我が会頭と一族、そして従業員を守れるなら、と密約に署名を致しました。あの時、未婚の母となるあの子に憤りを覚えて、着の身着のままで勘当したのも事実です。しかし、あの子が産んだ娘————孫に関して、神殿と王宮が関与してくるとなると、話は別です。私は、一人で泥舟に乗るつもりはございませんよ、閣下。」
沈むなら、諸共に————。
そう告げるジェイコブは、どこか悲しそうだった。
「……これは、何かの間違いです。」
「もうおやめ下さい、あなた。これ以上、貴族として恥をお晒にならないで。」
尚も言い募るギエフ侯爵を止めたのは、最初から同席していたギエフ侯爵夫人だった。彼女と、その娘である侯爵家令嬢は、難色を示されたのを押し切って、同席をしていた。
栗色の豊かな髪を見事に編み上げ、ふっくらとした上品な顔立ちの奥方は、鳶色の眼を細めて、ゆっくりと頭を下げた。
「この度は、我が侯爵家の失態により、多大なご迷惑をおかけしたこと、謝罪のしようもございません。」
洗練された見事な礼だった。
「ですが————、今回いらしたのは、『精霊の巫女』の所在を決めるためではなくて?」
妻の言葉に、ギエフ侯爵は息を吹き返した。
「ルナリーシアは、我が侯爵家で引き取るということで、よろしいのですよね?」
ガーディアスがチラリとルナリーシアに視線を投げかけた。それを受けて、ルナリーシアは口を開く。
「……私は、ギエフ侯爵家に籍を入れるつもりはございません。」
「……何!?」
侯爵の狼狽に、ルナリーシアは冷たく答えた。
「先程の契約書に書いてあったでしょう?『今後、侯爵家はシンシアとその子供について一切関与しない。』と。」




