長閑(六)
「随分な上玉じゃないか。」
ほくそ笑む男たちを前にして、ルナリーシアは怯えたように一歩後ずさった。
「……何なんですか、あなたたち。」
声も、ほんの少し震わせておく。その一方で、頭の中は冷静だった。
(相手は五人。)
素早く視線を走らせる。
(見たところ武器は持ってない。でも、隠し持ってるかもしれないし、油断はできない。どのみち、男五人を相手にするなんて無理。)
「おい。そっちのガキはどうするよ」
「死にかけてるみてえだし、放っとけ」
男たちの視線が、一瞬だけ少年へ向けられる。ルナリーシアは奥歯を噛んだ。
(この子を連れては逃げられない。)
いくらなんでも、小さな子どもを背負って五人の男から逃げ切るのは不可能だ。
幸い、男たちは少年には興味がないらしい。
そして、自分には————『商品』としての価値を見出している。
(だったら——)
ルナリーシアは覚悟を決めた。思いきり息を吸い込む。
丹田に力を込めて、喉の奥に反響させるように――。
「きゃあああああああああああ!! 誰か、助けてえええええ!!」
「!?」
静かな橋の下に、耳を劈くような悲鳴が響き渡った。
高く、鋭く。
できる限り遠くまで届くように。
男たちが思わず怯む。
その一瞬を、ルナリーシアは見逃さなかった。
「なっ、おい!」
走る。
すぐそばを流れる細い水路へ向かって助走をつけ、そのまま地面を蹴った。ふわりと、淡い金髪が宙に広がる。水路を飛び越え、反対側へ着地した。
「待て!」
「待てと言われて待つ馬鹿がいるもんですか!」
着地と同時に全力で駆け出す。
「このアマ!」
背後から怒声と足音が迫ってきた。
(速い……!)
水をたっぷり吸い込んだ服が、足にまとわりつく。濡れた靴も重い。
濁流に揉まれた身体はとっくに限界に近く、息もすぐに上がった。
それでも、止まるわけにはいかない。
「お願い!」
走りながら、不可視の存在へ叫ぶ。
「ガーディアスとナディフ神官長に、私とあの子の場所を知らせて! それから、人がたくさんいる場所まで案内して!」
『まかせて。』
楽しげな声が返ってきた。
「ありがとう!」
角を曲がる。
『こっち。』
また曲がる。
パラスの街に張り巡らされた水路と、入り組んだ路地。
ルナリーシアは精霊たちの導きに従って、ひたすら走った。
何度も足を取られそうになる。転びそうになるたび、必死に踏ん張った。
(もう少し……!)
何度目かの角を曲がろうとした、そのときだった。
「————っ!?」
突然、後ろから髪を掴まれた。頭を強く引かれ、身体が仰向けに倒れる。
「っ……!」
次に見えたのは、抜けるようなパラスの青空。そして、その視界を遮るように現れた、お世辞にも小綺麗とは言い難い男の顔だった。直後、背中に鈍い痛みが走る。
「いっ……!」
「捕まえたよ、お嬢ちゃん。」
先ほどの男たちの一人だった。ぜえぜえと荒い息を吐きながら、それでも男は満足げに笑っている。
「まったく、大したお嬢ちゃんだ。手間かけさせやがって。」
「離して……!」
ルナリーシアは身を捩った。だが、押さえ込む腕はびくともしない。腕力では、どうしたって敵わない。
「大人しくしな。どうせ逃げられやしないんだからよ。」
腕を掴まれ、無理やり立たされる。
そのまま路地の壁へ背中を押しつけられた。
「……っ。」
男の無骨な手が、ルナリーシアの首元を押さえつける。息が詰まった。
「んっ……!」
苦しそうに顔を歪めるルナリーシアを見て、男が勝ち誇ったように笑う。完全に、自分が優位に立ったと思っている顔だった。
(——だから、ツメが甘いのよ)
ルナリーシアは抵抗する力を、ほんの一瞬だけ抜いた。
「そうそう。最初から大人しくしてりゃ――」
男の注意が緩む。その瞬間、ルナリーシアは迷わなかった。
片脚を思いきり振り上げ、容赦なく膝を叩き込む。
狙うは急所————男の股間。
ゴッ。
「うぎっ!?」
何とも形容しがたい声を上げ、男が身体をくの字に折った。人攫いにかける情けなどない。
「ざまあ見なさい!」
決して淑女が言わない捨て台詞とともに、ルナリーシアは再び走り出した。
『もう少し。』
精霊の声が聞こえる。
その言葉通り、薄暗い路地の先に明るい光が見え始めた。大通りだ。
(よかった……!)
あそこまで行けば————。
安堵で胸がいっぱいになった、その瞬間。
ぽん。
後ろから、大きな手がルナリーシアの肩に置かれた。
「————おい。」
低い男の声が、耳朶を震わせた。




