惑わす神の子、
「あのですねぇ~本当なら貴女は…」
人の運命を決めるのは、時の神。
長く白い髭で表情なんて読み取れない、腰の曲がった、如何にもな老人の姿の『時の神』は、その見た目通りに中身も典型的な頑固でちょっと古めかしい御老人。
そんな彼の定める運命は、堅苦しくて古めかしい、こうあれば人は幸せだろうという彼自身の想像の範囲以内でしかない規定に乗っ取ったものになる。こういう性格、こういう身分に生まれるのだから、こういう『運命』を成し遂げよ。こういう『運命』を与えれば世界はよく進む筈だ。
それにそのまま、予定通りに沿っていたのなら、リリスは王国の王妃となり、賢く穏やかに幸せを全う出来ていたのだ。そうカヤは肩を竦めて口にした。
だが、そんな予定調和でしかない人々の運命など、それによって造られる世界など面白くない、と思う神が居る。そのせいで、多くの人々は『運命』を少しずつ狂わされてしまうのだと。
そんな神々の思惑が交じり合うことで、世界は複雑で面白いものとして脈々と歩み続けているのだと。
それが繰り返されてきた世界の在り方なのだと、カヤは子供に寝物語を語るように話した。
『時の神』が与えた『運命』にまず、不用意な介入をするのは『冥府の妹神』。
慈悲の心も過ぎれば害悪にしかならない。その魂が辿ることになる『運命』の助けになればと『冥府の妹神』が与える『祝福』は、確かにその『運命』を助けもするのだが、それよりも複雑怪奇なものへと変貌させることの方が多い。特に、『運命』や『祝福』などを知る事の出来る目や、人の生活に必要のない異能など、多かれ少なかれ害悪でしかないものだ。
それを『冥府の妹神』は何時まで経っても理解しようとはせず、ただただ可哀想、ただただ幸いあれ、と生まれていく人々に過ぎたる力を『祝福』として与えていくのだ。
そして、生まれ出でた命達の『運命』を面白可笑しく、ただ、その方が楽しいじゃないか、自分が誇る権能を示したいというそれだけの理由で狂わせていくのは、『戦』『愛』『魔』の神々。戦うことを司る神は戦え、争えと『運命』を歪める。愛を司る神は出逢う筈のない人々を出会わせ、結び付かせ、生まれる予定の無かった命さえも産み出し、『運命』を狂わせる。そして、欲望を司る神は人々に要らぬ不純な欲望を植え付け、『運命』を破壊する。
ただ生真面目に、全てを上手く整えた調和の『運命』は大抵の場合、これら四柱の神々によって、始まりとは全く違うものへと塗り替えられていく。
『時の神』はそれを遺憾に思い、出来る限り、狂った『運命』をその人が憤り嘆く限りは元へと戻そうと目を向けているが、数多くの小さき命達全てに目が向けれる訳もなく。また、大きく動き出してしまったものを元に戻すのは、逆に多くの『運命』を大きく変えてしまう可能性が高い。
しかも、三柱の神々は強かで狡猾で。
『時の神』が介入しないように、彼等は端的な言葉で表された『運命』に沿うように、という小細工をした上で『運命』を狂わせるのだ。
リリスの『運命』を歪め狂せたのは、『戦神』。
最も、『戦神』自身が歪めたわけではない。
彼の神が我が子として遇する『強欲』がただ、リリスを欲しいと考えたから。ただ、それだけで、リリスの『運命』は変わることなく、歪められてしまった。
それも、リリスの『運命』からは外れてはいない王の妻となったのだから、『時の神』が口を挟む余地はなく、なおかつリリス自身がそれを良しとして受け入れていたのだから、それにあえて介入し修正しようとは、『時の神』は思わなかった。
「そんなっ」
リリスは声を荒げた。
淡々として物言いで語られた、カヤによる人知の及ばむ神の領域の説明は、今、自身に起こった全てを知ったリリスには受け入れがたいものだった。
全てを失ったことを、リリスが全て受け入れ、ましてや喜んでいたのだと、『時の神』を始めとする神々が見たのだとカヤは言う。
確かに、そうなのだ。故郷を失ったのも、友を死地へと向かわせたのも、皇帝の愛を受け取ったのも、全てはリリスの判断だった。でも、それは全て皇帝カルロの思惑に操られてのこと。神ならば、それを簡単に知ることが出来る筈。なのに、なのに…、爪が食い込むほど握り締めたリリスの拳がふるふると震える。
「『時の神』が『運命』を授けなければいけない生まれくる命は毎日大量ですもん。狂った『運命』を嘆き、助けを求める声も毎日たくさん上がります。だから、一度でもそれに満足して幸せを感じちゃった人に、後々から目を向けて介入する暇は、偉大なる神の一柱といえありませんよ」
軽い声音で、カヤは言い捨てる。
その言葉に、リリスが反論することは出来なかった。確かにそうなのだ、と僅かでも賢くあれと育ったリリスは納得してしまったから。
「だから、いくら真実が暴かれて貴女が怒り狂おうが、この『運命』はこのままずっと死ぬまで続く予定だったんですよ?」
でも、とカヤは笑った。
それは酷く意地の悪い、にたぁという厭らしい音が聞こえてきそうな笑みだった。
「うちの神様が『強欲』様のせいで大変な事態にされちゃったんですよぉ。その仕返しをかねて、私が貴女の下に送り込まれたんです」
うっふふ、助けてあげます。
その言葉に、リリスは別の言葉が重なって聞こえた。
でも、リリスには他に何が出来るわけでもないのだ。ここで人形として皇帝に反抗し続けるか、それともカヤとその名付け親である神に大人しく利用されるか。ならば、リリスが選ぶのはたった一つ。どうなるかも分からないものの利用されることで、あの全てを思うがままにしている夫、皇帝カルロにどうにか一矢報いる事だった。
「貴女の御父様は、『冥府の神』ヘルファヴォス様?」
それは、『魅了の魔女』という罪人として牢獄に囚われていた際、キャロラインが小さな窓を通して空へと祈りを捧げていた神の一柱。
塔に張り付かせた見張りから、彼女がラシドの為に祈っているのだと、リリスは報告を受けていた。それもまた、カルロの手の内だったのだと今なら分かる。自身の手駒であり可愛い妹を死刑にするつもりなど、カルロには一切無かったのだと。その時、首を斬られていた筈のラシドも生きていたのだ。何もかもが、カルロの思惑の通り。
ただ、人形の状態となって抵抗をする中で静かに全てを思い返して、深い思考を繰り返したことで、一つ違うのではないかと思うようになっていた。
報告にきいた祈りの言葉、実はこっそりと覗き見た囚われの状態にあったキョロラインに、嘘偽り、演技があったとは思えない、と。
もしかしたら、全てではなくともキャロラインもまた、何も知らされずにカルロに上手く操られていたのではないか、と。
もし、そうなのだとしたら。
勿論、キャロラインを許すという思いが浮かんでくるわけではない。どうであろうと、彼女もまたリリスを狂わせた一人なのだから。その上で、全てを上手く操り思うがままにしたカルロに、リリスはより一層憎しみを募らせる。
「はい。死者を迎え入れる冥府の支配者にして、全ての死者に裁きを与える神、冥王ヘルファボス。それこそが、私を此処に遣わした、私の名付け親です」
それまでの軽い声音ではなく、しっかりとした声でカヤは答えた。
「『強欲』はその『運命』のままとはいえ、『戦神』の期待に応じる為とはいえ、少しやりすぎました。可愛い妹と弟が傍にいて、理解のあり過ぎる友人達を得て、そして最愛なる妻を得て。幸せの全てを手に入れて、調子に乗った。それもまぁ、これまでの歴史の上で他に無かったという訳でもありませんけど、それでも流石に『冥府の神』の仕事を大きく狂わせ過ぎた。いらぬ争いをあちらこちらで起こして、本来なら無かった大量の死者に、大量の罪人。予定になかったそれらのせいで、ただでさえ多忙な冥府を大混乱に陥ってるんですよ」
死者を司る神が、過労死寸前ってシャレになんないっしょ。
あはは、という力なく笑いながら、カヤは両肩を竦めてみせた。