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「証拠ならいくらでも作れる」――その脅迫、完全な『自白』として一言一句違わず記録いたします

「リオネル・ダルク。証言を取り下げなければ、今夜中にエステル嬢を新たな横領容疑で告発する」


戸口に立つ男の声は低く、静かだった。灯りの下でも、その顔には見覚えがない。


背は高くないが、佇まいだけで場の空気を押さえつけるような重みがあった。


リオネルの手から、帳面が滑り落ちかけた。


指先が紙の端を辛うじて掴み、それでも数枚が床に散った。


散った紙が板張りの上で乾いた音を立て、蝋燭の炎がそれに合わせて小さく揺れる。


「あなたは……」


「名乗る必要があるか。用件は今、言った通りだ」


「わざわざ名乗らずとも、その言葉の運び方で見当はつきます」


「見当がつくなら、話は早い」


「早い、とは。子爵閣下ご自身が、こんな夜更けに」


「夜更けだからこそ、都合がいい」


エステルは筆を置き、男を正面から見据えた。膝の上で握った拳が、わずかに震えている。


その震えを悟らせまいと、彼女は背筋をまっすぐに保った。


インクの匂いがまだ鼻先に残る中、心臓だけが早鐘を打っていた。


「ロシュ子爵。ご本人がいらっしゃるとは、光栄ですこと」


「光栄、か。減らず口が叩けるうちに、選べ。証言を止めるか、彼女を差し出すか」


「差し出す、とは穏やかじゃありませんね」


「今夜中に、新たな横領容疑で告発する。証拠なら、いくらでも作れる」


「いくらでも、と仰いましたね。それは、作ってきた経験がある者の言い方です」


「言葉尻を捕まえる癖は、母親譲りか」


作れる、という言葉に、部屋の空気が一段冷えた。リオネルの視線が、エステルへと走る。


その目に浮かんでいたのは怒りより先に、恐れだった。


蝋燭の炎が揺れ、彼の頬に落ちる影が細かく震える。


「エステル、これは……」


「リオネル」


エステルの声は、揺れなかった。


「今の一言、正確に書き留めて」


「……今の、一言?」


「『証拠ならいくらでも作れる』。これは脅迫であり、同時に自白よ。証拠を作ってきた張本人にしか、出てこない言葉」


「自白、と仰るのですか。この場の一言を」


「ええ。数字だけが証拠になるわけじゃない。言葉も、発した瞬間に事実として記録できる」


「発した瞬間、ですか。逃げも隠れもできないと」


「そう。今この場に、証人が三人いる」


リオネルの手が、止まっていた筆を再び取る。指の震えが、握り直すごとに少しずつ収まっていく。


「今、何と仰いましたか。もう一度、正確に」


「聞き返す必要があるか。お前が書き取っている間に、私が撤回するとでも」


「撤回はなさらなくて結構です。書き取ったものを、そのまま使いますので」


「使う、だと。たかが見習い風情が」


「見習いでも、聞いたことを正確に書き取る腕だけは磨いてきました」


「磨いた腕とやらで、何ができると思っている」


「三十年前の記録を、今読み解いている最中です」


ロシュの眉が、初めてわずかに動いた。


「小娘が」


「小娘の記帳が、三十年分の帳簿を読み解いたんです。子爵閣下がご存じの通りに」


「知らんな、そんな話は」


「知らないふりが、お上手ですこと」


「ふりではない。本当に知らんと言っている」


「では、なぜ今夜、わざわざご自身の口で脅しにいらしたのですか」


隅の暗がりから、小さな影が進み出た。ジョエルだった。


床板が軋む音がして、彼の存在にロシュが初めて気づいたように振り向く。


「聞きました。今の言葉、全部」


「お前は……」


「御用聞きのジョエルです。誰が、いつ、何を要求したか。証人として、いつでも証言します」


「子供の証言など、法廷で何の価値がある」


「価値があるかどうかは、法廷が決めることです。俺が決めることじゃない」


「生意気な口を利く」


「生意気でも、嘘は言っていません」


ロシュの視線が、リオネルとエステル、そしてジョエルの間を往復する。数えるように、三度。


その視線が止まるたび、部屋の温度がまた一段下がるようだった。


「……好きにしろ」


短くそれだけ言うと、男は踵を返した。扉が閉まる音が、思いのほか小さく響く。


足音が遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなるまで、誰も口を開かなかった。


静けさが戻ってから、リオネルの手からようやく力が抜けた。


筆が机の上に転がり、乾いた音を立てて止まる。


「あなたは……怖くなかったのですか」


「怖かったわ。声が震えなかったのは、震えている暇がなかったから」


「暇が、なかった?」


「相手が焦って口を滑らせる瞬間は、一度きり。それを逃したら、次はない」


「その一瞬を、あなたは逃さなかった」


「逃さなかったんじゃなく、逃せなかったのよ。あなたの父君の名誉がかかっていたから」


「俺の父のために、あなたが震える手を隠していたと」


「隠していたんじゃないわ。震えている場合じゃなかっただけ」


「記帳係の反射、というやつですか」


「そう呼んでもいいわ。数字も言葉も、証拠になる瞬間を逃さないだけ」


「その反射、俺にも仕込んでいただけますか」


「もう仕込まれているじゃない。今、あなたはちゃんと書き取ったでしょう」


「書き取りながら、手が震えていました。あなたのようには、まだ」


「震えながらでも書けたなら、それで十分よ」


翌朝、二人は書き取った証言と、断片の解読結果を携えて記録院へ向かった。窓口の書記が、書類の束を一枚ずつ確かめていく。


指先が最後の一枚で止まり、印を確かめるように何度も裏返した。


書記の眉間に深い皺が寄り、しばらくその一枚だけを見つめ続けた。


「ヴェルヌイユ元伯爵の名誉回復申立て……三十年前の事件について、これほどの根拠が揃っているとは」


「壁の中に隠されていた断片と、当時の獄吏の証言。そして昨夜の脅迫の記録です」


「脅迫の、記録?」


「証拠なら作れる、という発言そのものが、三十年前も同じ手口が使われた証左になります」


「同じ手口……つまり、この発言者が三十年前の事件にも関与していたと」


「その可能性を、正式に審理していただきたいのです」


「発言者の名は、書類に明記されていますか」


「ロシュ子爵。証人二名の署名付きです」


書記はしばらく黙り込み、やがて受理印を取り上げた。


印を持つ手が、一度だけ迷うように止まり、それから静かに紙面へ下りていく。


「……受理します。審理対象として、正式に扱います」


印がひとつ、紙面に押し付けられる。


乾いた音が、静かな窓口に響いた。


「ありがとうございます」


「礼を言うのはこちらのほうかもしれません。三十年、誰も持ち込めなかった案件です」


その夜、事務所に戻った二人は、灯りの下でしばらく口を開かなかった。エステルが書類を棚にしまい、リオネルが窓の外を見つめている。


窓硝子の向こうで、通りの灯りがひとつ、またひとつと消えていく。


「三十年、誰も動かせなかった事件が……今日、初めて動きました」


「あなたの父君の名誉が、正式に審理される。それだけのことよ」


「それだけの、こと……」


リオネルの声が、かすかに掠れた。


「父の名前を、やっと堂々と口にできる」


エステルは何も言わなかった。ただ、そっと手を伸ばし、彼の手を握った。


握った手のひらに、彼の指が遅れてそっと応える。


灯りが揺れ、二つの影が壁の上でひとつに重なった。

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