第8話 裏切り者のタスクを『見える化』する
第8話 裏切り者のタスクを『見える化』する
夜の『鋼鉄の牙』は、以前より静かになった。
依頼帰りの冒険者たちは、進捗管理ボードの前で札を動かし、報告書を提出し、交代で飯を食う。木椀のスープの湯気。焼いた肉の匂い。酒臭さは相変わらずだが、昔みたいな殺気は薄れていた。
「おーい、第二班帰還!」
「怪我人一名!」
「回復室空いてるぞー!」
怒鳴り声すら、今はどこか秩序がある。
ヴィクトリアはそれを見ながら、妙に落ち着かない顔をしていた。
「……なあケイ」
「はい」
「最近ちょっと平和すぎないか」
「良い傾向です」
「いや、逆に怖い」
ケイは帳簿から顔を上げなかった。
ぱらり、と紙をめくる音。
その指が止まる。
「……なるほど」
「え?」
「発見しました」
「何を!?」
ケイは静かに立ち上がった。
その顔を見た瞬間、ヴィクトリアの背筋に嫌なものが走る。
いつもの無表情。
だが。
目だけが冷えていた。
「ヴィクトリア様」
「な、なんだ」
「会議室を使用します」
数分後。
薄暗い会議室には、湿った木の匂いが満ちていた。窓の外では小雨が降っている。遠くで雷が鳴った。
椅子に座らされているのは、一人の男。
細身の冒険者、ルーク。
『鋼鉄の牙』所属の中堅団員だ。
「……なんなんすか」
彼は笑っていた。
だが目が泳いでいる。
「急に呼び出して」
「業務確認です」
ケイは紙束を机へ置いた。
どさり、と重い音。
ルークの喉が動く。
「……業務?」
「はい」
ケイは一枚の紙を広げた。
時間表。
びっしりと記録が並んでいる。
「この一週間の行動履歴です」
「…………」
「朝八時、東区巡回」
「昼、物資運搬」
「十五時、酒場滞在」
「十七時、報告書提出」
淡々と読み上げる声。
まるで感情がない。
だからこそ怖い。
「問題はここです」
ケイの指が止まる。
『十九時〜二十二時 空白』
「三時間のロストタイムがあります」
ルークの肩がびくりと揺れた。
「ろ、ロスト……?」
「空白時間です」
「別にいいだろ、そんくらい!」
「よくありません」
ケイは静かに続ける。
「加えて、使途不明金が銀貨十二枚」
「っ……!」
「さらに東門警備の証言と移動時間が一致しません」
ルークの顔から血の気が引いていく。
ヴィクトリアが息を呑んだ。
「ま、待てケイ……これって」
「裏取り済みです」
ケイはもう一枚紙を置いた。
「こちらは酒場の会計記録」
「こちらは門番証言」
「こちらは宿屋の宿泊記録」
「……」
「矛盾しています」
静かだった。
怒鳴りもしない。
脅しもしない。
なのに逃げ場がない。
ルークの額に汗が滲む。
「お前……なんでこんなの……」
「進捗管理ですので」
「進捗管理でここまでやるか普通!?」
「異常検知は基本機能です」
ヴィクトリアが青ざめた。
「基本なの!?」
ケイは続ける。
「あと、昨日の行動」
「二十一時、西区裏路地」
「接触相手、灰色ローブの男」
「会話時間、七分」
ルークの唇が震える。
「……見てたのか」
「いいえ」
「は?」
「見回り班の報告と時間記録です」
「…………」
「人間、完全に痕跡を消すことはできません」
雨音が強くなる。
部屋の空気が冷たい。
ルークは椅子の上で拳を握った。
「……だったら何だよ」
低い声だった。
「俺が裏切り者だって言いてぇのか」
「はい」
即答だった。
ヴィクトリアが思わず息を呑む。
「ケイ!!」
「なお、動機も推測済みです」
「……っ」
「借金ですね」
ルークの顔が歪んだ。
「妹さんの治療費」
「…………」
「魔王軍側から金銭援助を受けた」
沈黙。
ルークの肩が小さく震える。
「……しょうがねぇだろ」
絞り出すような声だった。
「誰も助けてくれなかった」
「…………」
「金が必要だったんだよ……!」
初めて感情が爆発した。
机を叩く。
涙声。
「俺だって好きで裏切ったわけじゃ――」
「報告してください」
ケイが静かに言った。
「……は?」
「困窮時は相談を」
「できるわけねぇだろ!!」
「なぜです」
「迷惑かけるからだ!!」
その瞬間。
ケイの目がほんの少しだけ揺れた。
脳裏に蘇る。
『大丈夫です』
『まだやれます』
『迷惑かけたくないので』
そう言って壊れていった人間たち。
会議室。
白い顔。
積み上がる未処理。
息が詰まる。
ケイは静かに目を閉じた。
そして。
「……『鋼鉄の牙』では」
ゆっくり言う。
「問題の未報告を禁止しています」
「え……」
「あなたのミスは、裏切りより先に“相談しなかったこと”です」
ルークが呆然とする。
ヴィクトリアも固まっていた。
「借金、治療費、人間関係」
ケイは淡々と続ける。
「隠すと事故になります」
「…………」
「報告してください」
その声は、相変わらず静かだった。
でも。
どこか不器用な優しさがあった。
ルークが顔を覆う。
肩が震える。
「……言えなかった」
「はい」
「怖かった……」
「はい」
「見捨てられると思った……」
ケイは少し沈黙した。
窓の外では雨。
静かな夜。
そして彼は、小さく言った。
「このギルドは、もうそういう組織ではありません」
ヴィクトリアが息を止める。
ルークが泣き崩れる。
その姿を見ながら。
ケイは静かに紙へ新しい項目を書き足した。
『相談窓口』
その文字だけが、やけに優しく見えた。




