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第4話 ゴミ屋敷のギルド長室と、最初の信頼

第4話 ゴミ屋敷のギルド長室と、最初の信頼


 夜だった。


 迷宮都市グランゼルの夜は騒がしい。酒場から漏れる笑い声、酔っ払いの怒鳴り声、遠くで鳴る鐘。窓の外では小雨が石畳を濡らし、湿った風が『鋼鉄の牙』の古い建物を軋ませていた。


 だがギルドの三階だけは妙に静かだった。


 ケイは廊下を歩きながら眉をひそめる。


「……静かすぎますね」


 いつもならヴィクトリアの悲鳴か、書類を崩す音か、何かしら聞こえる時間だ。


 だが今日は物音一つない。


 嫌な予感がした。


 コンコン、と扉を叩く。


「ヴィクトリア様」


 返事がない。


「入ります」


 扉を開けた瞬間。


 紙雪崩が起きた。


「うわっ」


 大量の羊皮紙がケイの胸へ降り注ぐ。契約書、請求書、討伐報告書、未処理依頼、食べかけのパン、空になったインク瓶。湿気を吸った紙の臭いと、冷えたスープの酸っぱい匂いが鼻を刺した。


 部屋の中央では、ヴィクトリアが机に突っ伏していた。


「…………」


「ヴィクトリア様」


「……むり」


 か細い声だった。


「もうむり……」


 金髪はぼさぼさ。目の下には濃い隈。高価なドレスはしわだらけで、片足にはなぜか靴下しか履いていない。


 床には書類が山のように積み上がっていた。


 いや、山というより遺跡だった。


「現状確認します」


 ケイは静かに部屋を見回した。


 まず机の上。


 未開封書類三十二件。


 処理済みと未処理が混在。


 飲みかけのお茶四つ。


 パンくず多数。


 次に床。


 請求書の上に依頼書、その上に猫。どこから入ったのか知らない猫が丸くなって寝ていた。


「……終わってますね」


「うぅ……」


「物理的にも精神的にも」


「そんな冷静に言うなぁ……」


 ヴィクトリアが涙目で顔を上げた。


「なんで増えるんだ……! 処理しても処理しても書類が増える……!」


「仕事ですので」


「嫌な真実を突きつけるな!!」


 ケイは黙って袖をまくった。


「立ってください」


「え?」


「今から環境改善を行います」


「か、環境?」


「5Sです」


「ごえす?」


「整理・整頓・清掃・清潔・しつけ」


「最後なんか怖い!」


 ケイは返事をせず、床の書類を拾い始めた。


 ぱさ、ぱさ、と紙の擦れる音が部屋に響く。


「まず分類します」


 机の上へ三枚の札が置かれる。


『即決』


『保留』


『廃棄』


「えっ」


「判断基準は三秒です」


「三秒!?」


「悩むから処理速度が落ちます」


 ケイは請求書を一枚持ち上げた。


「これは期限切れです。廃棄」


「えぇ!?」


「こちらは緊急。即決」


「速っ!」


「こちらは判断材料不足。保留」


 紙が次々仕分けられていく。


 まるで洪水を堰き止めるみたいだった。


 ヴィクトリアは呆然と見つめる。


「なんでそんなに迷わないんだ……」


「迷う時間が最も人間を疲弊させますので」


「…………」


「あと」


 ケイは床のパンを摘まみ上げた。


「食べ残しは禁止です」


「ご、ごめんなさい……」


 なぜか謝ってしまった。


 ヴィクトリア自身も理由がわからない。


 だがこの男にだけは、変な誤魔化しが通じない気がした。


 ケイは窓を開ける。


 夜風が吹き込み、湿った紙の臭いを押し流していく。雨の匂い。遠くの酒場から漂う焼肉の香り。少しだけ息がしやすくなる。


「換気は重要です」


「……お前、主婦みたいだな」


「デスマーチ現場の基本です」


「その言葉ほんと怖い」


 ケイは机に新しい紙を広げた。


『本日のタスク』


 そう書かれている。


 下には時間ごとの区切り。


『19:00〜19:30 請求書確認』


『19:30〜20:00 討伐報告書押印』


『20:00〜20:30 休憩』


「休憩ある!?」


「あります」


「えっ」


「人間は休まないと壊れるので」


 ケイは当然のように言った。


 ヴィクトリアは目を瞬かせる。


 このギルドでそんなことを言われたのは初めてだった。


 先代ギルド長――父は、倒れるまで働いた。


 眠らず、食べず、誰にも頼らず。


 そして死んだ。


 だから自分もそうするしかないと思っていた。


「……休んでいいのか」


 ぽつりと漏れた声。


 ケイは羽ペンを動かしながら答える。


「休まない方が最終的な損失が増えます」


「損失って言い方ぁ……」


「あと、ヴィクトリア様」


「な、なんだ」


「あなたがやるべきなのは、悩むことではありません」


 ケイは紙を差し出した。


 そこには小さな四角が並んでいる。


□請求確認

□押印

□在庫確認

□夕食

□睡眠


「チェックボックス?」


「はい」


「……これだけ?」


「これだけです」


「え」


「私が作ったチェックボックスに『✓』を入れてください」


「…………」


「それだけで進みます」


 ヴィクトリアは紙を見つめた。


 今まで山みたいに見えていた仕事が、小さな四角になって並んでいる。


 不思議だった。


 急に“終われそう”に見えた。


「……変なの」


「よく言われます」


 ケイは床の猫を抱えて廊下へ出した。


 戻ってくると、ヴィクトリアが最初の□に震える手で印をつけている。


✓請求確認


 その瞬間。


 ほんの少しだけ、胸の奥が軽くなった。


「……終わった」


「一件完了です」


「こんなので?」


「こんなものです」


 ヴィクトリアは笑ってしまった。


 変な笑いだった。


 泣きそうな笑い。


「なあケイ」


「はい」


「お前、なんでもできるんだな」


「いいえ」


 ケイは静かに答えた。


「壊れた現場に慣れているだけです」


 その言葉が妙に寂しく聞こえた。


 ヴィクトリアは彼を見る。


 相変わらず死んだ魚みたいな目。


 感情の起伏も薄い。


 でも。


 この男はずっと、人が壊れる瞬間を見てきたのだと、なんとなくわかった。


「……なあ」


「なんでしょう」


「明日も来るよな」


「事務員ですので」


「絶対だぞ」


「雇用契約が続く限りは」


「そういう言い方じゃなくて!!」


 ヴィクトリアが叫ぶ。


 だがその声には、もう昨日までみたいな追い詰められた響きはなかった。


 ケイは新しい紙束を整理しながら、小さく息を吐く。


 部屋はまだ散らかっている。


 仕事も山積みだ。


 だが。


 崩壊寸前だった空間に、初めて“順番”が生まれていた。



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