第3話 感情の泥沼に、ロジックのメスを入れろ
第3話 感情の泥沼に、ロジックのメスを入れろ
雨だった。
迷宮都市グランゼルは、雨の日になると石畳の隙間から腐臭が立ち上る。濡れた革鎧の臭い、湿った木材、煙草、酒、そして血。『鋼鉄の牙』のロビーも例外ではなく、朝から重たい湿気が漂っていた。
「だからお前は突っ込みすぎなんだよ!!」
「はぁ!? 回復が遅ぇからだろ!!」
怒号が響く。
また始まった、と周囲の冒険者たちがうんざりした顔をした。
ガルガとセリア。
今朝も二人は真正面から睨み合っている。
昨日のクエストで、前衛だったガルガが重傷を負った。原因は連携ミス。だが問題は戦術ではない。どう見ても私情だった。
「お前、わざと回復遅らせただろ!」
「馬鹿じゃないの!? 敵が三体いたの見えなかったわけ!?」
「だったら最初から言え!」
「言った!! あんたが聞いてなかったの!!」
「聞こえるかあんな小声!」
「他の人は聞こえてたわよ!!」
ロビーの空気がじわじわ張り詰める。
ヴィクトリアは受付で頭を抱えていた。
「胃が……また胃が痛い……」
「正常です」
隣で帳簿をめくるケイが淡々と言った。
「お前はその『正常』って言葉を便利に使いすぎだ!!」
ケイは答えず、羽ペンを置いた。
ぱたん、と静かな音。
その音だけで、なぜか近くにいた冒険者たちが少し黙る。
「ガルガ様。セリア様」
「あぁ!?」
「なによ」
「会議室へ」
「は?」
二人の眉が同時にひそめられる。
「現在の騒音レベルが業務に支障をきたしています」
「業務ってなんだよ!!」
「ギルド運営です」
「今それどころじゃ――」
「あと」
ケイは紙束を持ち上げた。
「お二人が原因のクエスト失敗率について共有事項があります」
その瞬間。
周囲の冒険者たちがざわついた。
「失敗率?」
「なんだそりゃ」
「また変なこと始めたぞあの事務員」
ガルガが露骨に嫌そうな顔をする。
「……行かなきゃダメか?」
「はい」
「拒否権は」
「ありません」
「なんでだよ!」
「あなた方の揉め事で先月の収益が下がっているので」
「収益って言うな!!」
結局、二人は会議室へ連行された。
会議室といっても、元は物置だ。湿った木の匂いが染みつき、窓も小さい。外では雨粒がぱちぱち音を立てていた。
机の中央には、紙が何枚も並べられている。
ガルガが嫌そうに顔をしかめた。
「なんだこれ」
「資料です」
「……絵?」
「グラフです」
紙には線や棒が描かれていた。
依頼成功率。
負傷率。
収益変動。
そのすべてが、ある時期から大きく乱れている。
セリアが目を細める。
「……これ、私たち?」
「はい」
ケイは淡々と頷いた。
「お二人の関係悪化以降、パーティ成功率が二十三パーセント低下しています」
「に、二十三!?」
ガルガが変な声を出した。
「負傷率は三十一パーセント増加。回復薬使用量は一・八倍。ギルド全体の利益は十五パーセント減少しています」
「そんなに!?」
今度はセリアが叫ぶ。
ケイは静かに紙をめくった。
「なお、これは感情的対立が他メンバーへ波及した結果でもあります」
「波及?」
「空気が悪いと周囲の集中力が下がります」
「う……」
「あと食堂での愚痴が長いです」
「それ関係ある!?」
「あります」
ケイは真顔だった。
雨音だけが部屋を打つ。
ガルガが腕を組み、苦虫を噛み潰した顔をした。
「……で、なんだよ」
「なんでしょう」
「説教か?」
「いいえ」
ケイは即答した。
「お二人の恋愛事情には一ミリも興味ありません」
「っ……!!」
セリアの顔が真っ赤になる。
「れ、恋愛じゃない!!」
「そういうことにしておきます」
「だから違――」
「重要なのは感情の揺らぎで業務が破綻している点です」
静かな声だった。
怒鳴りもしない。
責めもしない。
なのに妙に逃げ場がない。
「公私の区別がつかないなら、今後は『ビジネスパートナー』として行動してください」
「ビジネス……?」
「毎朝五分、定例ミーティングを実施します」
「ていれい?」
「情報共有です」
ケイは紙を差し出した。
『本日の体調』
『不満点』
『危険行動予測』
『必要支援』
そう書かれている。
ガルガがぎょっとした。
「なんだこれ気持ち悪ぃ!!」
「感情の可視化シートです」
「可視化!?」
「言語化しない感情は事故になりますので」
セリアが紙を見つめた。
しばらく黙り込み、ぽつりと呟く。
「……毎朝、話すの?」
「はい」
「五分だけ?」
「はい」
「喧嘩したら」
「議題を一つに絞ってください」
「会議みたいに言うな!!」
ガルガが叫ぶ。
だが、その声には前ほどの勢いがなかった。
ケイは静かに続ける。
「なお、個人攻撃は禁止です」
「なんで」
「生産性が下がるので」
「全部それだなお前!」
「あと」
ケイは二人を見た。
その目は相変わらず静かだった。
「お互い、相手に期待しすぎです」
その一言に。
二人とも黙った。
雨音だけが響く。
セリアが視線を落とす。
「……別に」
小さな声だった。
「死んでほしく、ないだけだし」
「セリア……」
「うるさい」
ガルガが頭を掻く。
赤毛が乱暴に揺れる。
「俺だって……」
言いかけて止まった。
ケイは静かに席を立つ。
「では、本日の会議は終了です」
「えっ」
「これだけ!?」
「はい」
「もっとなんかあるだろ!」
「あります」
ケイは扉を開けながら振り返った。
「明日から毎朝五分前集合でお願いします」
「うっ」
「遅刻は報酬査定へ反映します」
「怖ぇよ!!」
叫び声が響く。
だが会議室に残った空気は、不思議と少し軽かった。
ケイは廊下を歩く。
その途中。
壁に手をついた。
ずきり、と頭が痛む。
脳裏に蘇る。
白い蛍光灯。
鳴り続ける着信。
『なんで連携できてないんだ』
『報告したよね?』
『聞いてません』
誰かが泣いている。
誰かが怒鳴っている。
誰かが辞表を置く。
息が詰まる。
「……ケイ?」
振り返るとヴィクトリアがいた。
「顔色悪いぞ」
「問題ありません」
「それ毎回言うな」
ケイはゆっくり息を吐いた。
ロビーでは、珍しくガルガとセリアが小声で話している。
まだぎこちない。
だが怒鳴ってはいない。
ケイはそれを見て、ほんの少しだけ目を細めた。
「……進捗あり、ですね」




