第2話 喧嘩を1秒で静める『進捗管理ボード』
第2話 喧嘩を1秒で静める『進捗管理ボード』
朝の『鋼鉄の牙』は、だいたいうるさい。
酒臭い息。鎧の擦れる金属音。依頼書を奪い合う怒声。木の皿に残った昨夜の肉汁の匂い。窓から差し込む朝日だけが妙に綺麗で、その光が散らかったロビーを余計みじめに見せていた。
「だからこの依頼は俺たちが先に――」
「ふざけんな! 昨日サボって寝てた奴に言われたくねぇ!」
「誰がサボった!!」
朝からガルガが怒鳴っている。
その向かいでは、銀髪の女が氷みたいな目で腕を組んでいた。
セリア。
ギルド最高クラスの回復術師。
美人だが、口を開くと大体揉める。
「昨日どこで寝てたのか言ってみなさいよ」
「あぁ!?」
「また西区の女のところでしょ」
「関係ねぇだろ!!」
「でしょうね。どうせ私は回復係ですもの。怪我した時だけ頼ればいいんじゃない?」
「話が飛躍してんだよ!!」
周囲の冒険者たちが面白がって囃し立てる。
「始まった始まった」
「今日はセリア優勢だな」
「賭けるか?」
空気がじわじわ荒れていく。
ヴィクトリアは受付で頭を抱えていた。
「朝から胃が痛い……」
「正常な反応です」
隣で書類をめくりながら、ケイが答えた。
「お前は平然としすぎだ!!」
「慣れています」
ケイは羽ペンを置き、静かに立ち上がる。
その手には、何枚もの木札があった。
昨日の夜から彼はずっと作業していた。巨大な板を切り出し、線を引き、文字を書き込み、紐を張る。寝たのは二時間だけだ。
だがその目は相変わらず死んでいる。
「では、始めます」
「は?」
冒険者たちがざわつく中、ケイはロビー中央の壁に近づいた。
ドン、と大きな板を立てかける。
黒く塗られた木板には、白い線でいくつも区切りが作られていた。
『未着手』
『進行中』
『確認待ち』
『完了』
その下には依頼内容が書かれた木札が大量に並んでいる。
討伐、採集、護衛、薬草管理、武器整備。
色ごとに分類され、紐で整理されていた。
ロビーが静まり返る。
「……なんだこれ」
誰かが呟く。
「進捗管理ボードです」
ケイは淡々と言った。
「各自、自分の担当依頼をここで確認してください」
「しん……なんだって?」
「進捗管理です」
「意味わかんねぇ」
「現在、誰が何を抱えているのか不明瞭なため、業務効率が著しく低下しています。あと喧嘩が多すぎます」
「最後ただの悪口だろ!」
「事実です」
ガルガが眉をひそめた。
「なんで俺の名前がこんな貼られてんだ」
「未処理案件です」
「未処理……」
「ガルガ様。薬草採集護衛、武器返却、討伐報告書、後輩育成面談。四件滞留しています」
「滞留ってなんだよ」
「仕事を溜めてる状態です」
「うっ……」
周囲から笑いが漏れる。
「ガルガ、めちゃくちゃ溜めてんじゃねぇか」
「だから昨日も報酬止められてたのか」
「うるせぇ!!」
ガルガが怒鳴った瞬間だった。
「それより」
ケイが静かに言う。
「喧嘩をする元気があるなら、この『未着手』の依頼を消化してください」
空気が止まった。
ケイはボードを指差す。
「現在、緊急依頼が十三件滞留しています。特に東区の下水掃除依頼は三週間放置です」
「誰がやるんだよそんなクソ仕事!」
「では腐敗病が流行します」
「う……」
「あと、セリア様」
突然名前を呼ばれ、セリアが目を細めた。
「なによ」
「ガルガ様への不満を愚痴る暇があるなら、薬草の在庫確認をお願いします」
「は?」
「回復薬の材料が不足しています。昨日の時点で残量二割です」
「なんで知ってるのよ」
「確認しましたので」
「……」
「感情の言語化は業務日報の『改善点欄』にお願いします」
数秒。
ロビーが完全に沈黙した。
そして。
「ぶっ……!」
誰かが吹き出した。
「改善点欄ってなんだよ!」
「恋愛揉め事を報告書に書くのか!?」
「やめろ腹痛ぇ!」
爆笑が広がる。
セリアの頬が真っ赤になった。
「だ、誰が恋愛で揉めてるって!?」
「違うんですか」
「違っ……!」
セリアが詰まる。
ガルガも妙に気まずそうに目を逸らした。
ケイは無表情のまま続ける。
「なお、感情的対立によるクエスト失敗率は先月比で十八パーセント増加しています」
「そんな増えてんの!?」
ヴィクトリアが悲鳴を上げた。
「原因の大半はコミュニケーション不全です」
「コミュ……?」
「要するに仲が悪い」
「ストレートに言うな!」
冒険者たちがまた笑う。
その空気の変化に、ヴィクトリアは目を丸くした。
いつもなら殴り合いになる流れだった。
なのに今は違う。
怒鳴り声の代わりに笑い声がある。
ケイは木札を一枚動かした。
カタン。
小さな音。
だが、その動きに全員の目が吸い寄せられる。
「依頼が終われば、ここを『完了』へ移動します」
「それで?」
「視覚的達成感が得られます」
「なんだそれ」
「人間は終わった仕事が見えると少し機嫌が良くなります」
ケイは静かに言った。
「逆に、終わってない仕事は精神を削ります」
その瞬間。
なぜか何人かの冒険者が目を逸らした。
思い当たることがある顔だった。
ケイは続ける。
「なので放置は禁止です」
「……お前、なんか怖ぇな」
ガルガが呟く。
「よく言われます」
「でもよ」
ガルガは進捗ボードを見上げた。
乱雑だった依頼が整理されている。
誰が何を抱えているか、一目でわかる。
不思議だった。
それだけなのに、ギルドの空気が少しだけ整って見える。
「これ、終わったら動かしていいのか?」
「はい」
「……なんか面白そうだな」
「中毒性があります」
「中毒!?」
「前世では皆これに支配されていました」
「怖ぇよ!!」
再び笑いが起こる。
その時だった。
ケイの視界が一瞬ぐらりと揺れた。
耳鳴り。
白い会議室。
鳴り続ける通知音。
『進捗どうなってる?』
『納期今日だよね?』
『まだ?』
喉の奥が焼ける。
吐き気。
だがケイは表情を変えなかった。
「……ケイ?」
ヴィクトリアが不安そうに覗き込む。
「問題ありません」
「顔色悪いぞ」
「仕様です」
「仕様!?」
ケイは静かにボードへ最後の札を貼った。
『休憩』
その文字に、冒険者たちがきょとんとする。
「なんだこれ」
「休む予定も管理します」
「休みまで?」
「疲労した人間は判断を誤りますので」
ロビーに朝の光が差し込む。
埃が金色に舞っていた。
その光の中で。
ぐちゃぐちゃだった『鋼鉄の牙』に、初めて“流れ”みたいなものが生まれていた。




