第1話 限界PM、血生臭いギルドへ配属される
第1話 限界PM、血生臭いギルドへ配属される
迷宮都市グランゼルの夕方は、いつも鉄臭い。
西日に焼かれた石畳の上を、血の付いた鎧の冒険者たちが怒鳴りながら歩いていく。解体場から流れてくる内臓の腐臭、酒場から漏れる安酒の匂い、汗と泥と煙草の混じった空気。空は綺麗な茜色なのに、街全体が疲れ切った人間の肺みたいに重かった。
ケイはギルドの看板を見上げた。
『鋼鉄の牙』
かつて名門と呼ばれた冒険者ギルド。
そして、一年後に崩壊する場所。
「……まあ、知ってましたけど」
小さく呟き、扉を押し開ける。
その瞬間。
「てめぇが依頼を横取りしたんだろうが!!」
「はぁ!? 先に受注したのはこっちだ!!」
怒号と共に椅子が飛んだ。
木製の椅子が壁に叩きつけられ、乾いた破裂音を響かせる。酒瓶が転がり、床を濡らした酒が鼻につく酸っぱい臭いを放った。受付カウンターには食べかけの肉串、紙屑、泥付きの靴跡。床には誰かの鼻血まで落ちている。
ケイは静かに瞬きをした。
「地獄ですね」
受付奥で書類に埋もれていた少女が、びくりと肩を震わせる。
「あっ……! き、君が新しい事務員!? た、助けてくれ! もう無理だ! 私は三日寝てない!」
金髪の少女――ギルド長ヴィクトリアは、泣きそうな顔で叫んだ。机の上には書類が山脈みたいに積み上がっている。インク瓶は倒れ、パンの食べかすが羊皮紙に張り付いていた。
「採用面談の時より酷いですね」
「その時はまだマシだったんだ!」
その背後で、また机が吹き飛ぶ。
「殺すぞクソ野郎!!」
怒鳴り声と同時に、大男が相手の胸ぐらを掴み、そのまま壁へ叩きつけた。筋肉の塊みたいな男だった。赤毛を逆立て、額に血管を浮かせている。
ガルガ。
このギルドの元エース。
そして原作では半年後、仲間割れの末に暴走死する男。
「ガルガ!! やめろぉ!!」
「うるせぇ!! こいつが俺の獲物を――」
怒鳴りながら振り向いたガルガの視線が、ケイを捉えた。
「あぁ? なんだそのヒョロいのは」
「本日付で採用されました事務員のケイです。よろしくお願いします」
「事務員ぉ?」
ガルガは鼻で笑った。
「こんな場所で紙遊びする気か? 三日で逃げるぞ」
「可能性はあります」
「あ?」
「労働環境が想定を下回っていますので」
ギルド内が少し静かになった。
酔っ払いの冒険者たちが、面白そうにこちらを見始める。
「なんだコイツ」
「新人か?」
「死んだ魚みてぇな目してんな」
ケイは無視して、受付横の空席へ向かった。埃を被った机。片脚が折れ、羊皮紙が散乱している。
彼は鞄から布を取り出し、静かに机を拭き始めた。
その態度が気に入らなかったのか、ガルガが苛立ったように近づいてくる。
「おい」
「なんでしょう」
「さっきから気に食わねぇな」
「よく言われます」
「新人のくせにビビりもしねぇ」
「慣れてますので」
「何にだ」
「修羅場に、です」
ガルガが鼻で笑った。
「だったら試してやるよ!!」
次の瞬間、巨大な拳が机へ振り下ろされた。
轟音。
木片が弾け飛び、机が真っ二つに割れる。
酒場の空気が一瞬凍った。
誰もが、ケイが青ざめると思った。
だが。
「デスクの破損確認しました」
ケイは淡々と紙を取り出した。
「備品番号D-12。修繕費、銀貨十八枚。こちらはガルガ様の次回報酬から相殺します」
「……は?」
「あと、討伐報告書の提出期限が三日過ぎています」
ケイはガルガを見上げた。
静かな目だった。
怒りも怯えもない。
まるで、壊れた機械を見るような目。
「提出いただけない場合、報酬処理が停止されます」
「……なんだと?」
「口座凍結です」
ギルド内が静まり返った。
誰かがごくりと唾を飲む音が聞こえる。
ガルガの頬が引きつった。
「て、てめぇ……俺を脅してんのか」
「事実確認です」
「俺が誰かわかってんのか!!」
「はい。未提出書類を四件抱えている前衛職のガルガ様ですね」
「っ……!」
周囲から吹き出す声が漏れた。
「四件も溜めてんのかよ!」
「子供か!」
「うるせぇ!!」
ガルガが怒鳴る。
だがさっきまでの勢いがない。
ケイは静かに続けた。
「なお、先月分の武器修繕費も未精算です。こちらも本日中に処理をお願いします」
「なんでそんなこと把握してやがる……」
「事務員ですので」
「……」
「あと」
ケイは床に散らばった酒瓶を見る。
「床が滑ります。転倒事故は労災申請が面倒なので片付けてください」
「…………」
沈黙。
ガルガは数秒固まったあと、乱暴に頭を掻いた。
「……チッ」
そして本当に酒瓶を拾い始めた。
ギルド中がざわつく。
「嘘だろ」
「ガルガが片付けてる……」
「初めて見た……」
ヴィクトリアがぽかんと口を開けていた。
ケイはそんな周囲を気にも留めず、壊れた机の残骸を見下ろした。
「代替デスクが必要ですね」
「お、お前……怖くないのか?」
ヴィクトリアが震え声で訊く。
ケイは少しだけ考えた。
脳裏に浮かぶ。
前世。
終電のないオフィス。
怒鳴り散らす上司。
徹夜三日目の会議室。
泣きながら謝罪する新人。
積み上がる未読メール。
壊れていく人間たち。
あれに比べれば。
「いえ」
ケイは静かに答えた。
「まだ誰も、過労で倒れていないので」
その言葉に。
なぜかギルドの全員が、ぞくりと背筋を震わせた。




