第5話 納期厳守の討伐戦(デスマーチの始まり)
第5話 納期厳守の討伐戦(デスマーチの始まり)
その依頼書が届いた瞬間、『鋼鉄の牙』の空気は凍った。
朝のロビーには雨上がりの湿気が残っていた。濡れた革鎧の臭い、薬草を煮込む苦い匂い、昨夜の酒臭さ。窓の外では灰色の空の下、鐘の音が鈍く響いている。
ヴィクトリアは羊皮紙を持ったまま青ざめていた。
「……嘘だろ」
「どうしました」
帳簿を整理していたケイが顔を上げる。
ヴィクトリアは震える手で依頼書を差し出した。
「東坑道の魔獣異常発生……討伐指定数、百二十体……期限、三日……」
ロビーがざわつく。
「百二十!?」
「無茶だろ!!」
「三日で終わる量じゃねぇ!!」
冒険者たちの怒声が飛び交う。
ガルガが依頼書を奪い取った。
「チッ……『黒狼の爪』か」
その名前に空気が険しくなる。
『黒狼の爪』。
この街最大のギルド。
そして『鋼鉄の牙』を潰したがっている連中だ。
「嫌がらせだな」
セリアが吐き捨てる。
「こんなの受けたら死人が出る」
「でも断ったら終わりだぞ……」
誰かが呟く。
その通りだった。
今の『鋼鉄の牙』には金がない。大型依頼を蹴れば資金繰りが止まる。
原作でも、これが崩壊の始まりだった。
無理な討伐。
疲弊。
連携崩壊。
死者。
裏切り。
そしてギルドは壊れる。
ヴィクトリアの唇が震える。
「どうする……」
誰も答えられない。
重たい沈黙。
その時だった。
「なるほど」
ケイが依頼書を見ながら呟く。
「典型的ですね」
「……は?」
「ただのデスマーチです」
空気が止まった。
「ただのってお前……!」
ガルガが怒鳴る。
「死ぬぞこれ!!」
「前世に比べれば天国です」
「どんな地獄で働いてたんだよ!?」
ケイは無視してロビー中央へ歩いた。
そして巨大な紙を広げる。
ばさり、と机いっぱいに広がる羊皮紙。
そこにはびっしりと名前と線が書かれていた。
「な、なんだこれ……」
「シフト表です」
「しふと?」
「24時間運用管理表」
「嫌な予感しかしねぇ」
ケイは羽ペンを走らせる。
「まず戦力分析を行いました」
名前が並ぶ。
ガルガ、セリア、レン、マルク、リナ。
その横には細かい文字。
『前衛特化』
『持久力低』
『夜間索敵適性』
『対毒耐性あり』
「え、ちょっと待って」
セリアが顔を引きつらせる。
「なんでそんな細かく把握してるの」
「観察しました」
「怖っ」
「ガルガ様は瞬間火力が高いですが継戦能力が低いので四時間交代」
「馬みたいに言うな!!」
「セリア様は回復効率が高い反面、感情でMP消費が乱れるため補助役を追加」
「感情でMP消費って何!?」
「イライラすると回復精度が落ちています」
「うっ」
「あとレン様は集中力が夜型です」
隅で酒を飲んでいた男が吹き出した。
「なんで知ってんだよ!?」
「昼間ずっと眠そうなので」
「見てんじゃねぇよ!!」
ロビーが騒がしくなる。
だがケイは止まらない。
「今から部隊を三交代制にします」
「三交代?」
「睡眠時間を強制確保します」
「はぁ!?」
「疲労蓄積による事故率を避けるためです」
ケイは壁へ新しいボードを貼った。
『第一班』
『第二班』
『第三班』
時間ごとに色分けされている。
「え、休めるのか?」
若い冒険者が目を丸くする。
「はい」
「でも期限三日だぞ!?」
「だからです」
ケイは静かに答えた。
「徹夜した人間は判断を誤ります」
その声に、妙な重みがあった。
一瞬だけ。
ケイの脳裏に白い蛍光灯が過る。
終わらない会議。
机に突っ伏した同僚。
『あと三日だけ頑張ろう』
そう言った上司が翌週消えた。
息が少し詰まる。
だが表情は変えない。
「全員、二時間ごとに水分補給。食事は必須。無断残業は禁止」
「冒険に残業って言葉使うな!!」
「あと」
ケイはガルガを見る。
「単独突撃は禁止です」
「なんで俺だけ!」
「死亡率が高いので」
「ぐっ……」
「感情で動くと全体効率が崩れます」
「お前さぁ!!」
ガルガが頭を抱える。
だが周囲は少しずつ静かになっていた。
不思議だった。
無茶な依頼のはずなのに。
ケイが紙にして、順番を決めて、役割を並べるだけで。
“終わるかもしれない”と思えてしまう。
「……ケイ」
ヴィクトリアが小さく呼ぶ。
「本当にできるのか」
「できます」
「なんでそんな言い切れる」
「終わらない仕事は存在しません」
「いやあるだろ!?」
「あります」
「あるのかよ!」
「その場合は人が壊れます」
ロビーが静まり返る。
ケイは淡々と続けた。
「なので今回は壊れる前提を排除します」
「…………」
「皆さん」
ケイは冒険者たちを見回した。
「これは戦争ではありません」
「じゃあ何だよ」
「納期管理です」
全員が変な顔をした。
だが。
次の瞬間。
「第一班、集合」
ケイの声が響く。
すると自然に冒険者たちが動き始めた。
武器確認。
食料確認。
回復薬配布。
まるで軍隊みたいだった。
ガルガがぼそりと呟く。
「……なんか腹立つけど動きやすいな」
「はい」
「なんでだ」
「無駄が減ったので」
セリアが苦笑する。
「ほんと、何者なのよアンタ」
ケイは少しだけ黙った。
雨上がりの光が窓から差し込む。
埃が白く浮かんで見えた。
そして彼は静かに答える。
「納期に追われ続けた、ただの一般人です」
その言葉だけが。
なぜか誰よりも重たく響いた。




