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第18話 伝説の冒険者、帰還

第18話 伝説の冒険者、帰還


その男が街へ戻ってきた日。


迷宮都市アルカディアは朝から妙にざわついていた。


市場では魚屋が声を張り上げる。


焼きたてのパンの香りが石畳の通りを流れる。


宿屋では旅人たちが噂話に花を咲かせていた。


そして誰もが同じ名前を口にしていた。


ゼノン。


かつて鋼鉄の牙最強と呼ばれた男。


単独で上位魔獣を討伐し。


竜種を退け。


迷宮最深部から生還した伝説の冒険者。


その男が五年ぶりに帰ってきたのだ。


昼過ぎ。


鋼鉄の牙の正面扉が開いた。


重い革のロングコート。


黒いシャツ。


銀の肩当て。


背中には巨大な魔剣。


長い金髪を後ろで束ねた男がゆっくりと中へ入る。


年齢は三十代前半。


鋭い灰色の瞳。


歩くだけで周囲の空気が変わる。


まさに歴戦の英雄だった。


ところが。


男は入口で立ち止まった。


「……は?」


誰もが思った。


伝説の冒険者が間抜けな顔をしている。


ゼノンは目をぱちぱちさせた。


床が光っている。


綺麗なのだ。


埃がない。


酒瓶も転がっていない。


壁の依頼掲示板は整然としている。


書類は分類されている。


受付には行列用の縄まである。


新人たちは順番に並んでいる。


誰も割り込まない。


誰も怒鳴らない。


誰も殴り合っていない。


「なんだこの気持ち悪いギルド……」


受付嬢が苦笑した。


「お久しぶりです、ゼノンさん」


「ここ本当に鋼鉄の牙か?」


「はい」


「嘘だろ」


五年前。


彼が去った頃の鋼鉄の牙は地獄だった。


酔っ払い。


借金。


喧嘩。


未提出報告書。


行方不明の備品。


依頼の押し付け合い。


それが日常だった。


だが今は違う。


異様なほど整っている。


その時だった。


「ゼノン!」


ガルガが食堂から飛び出してきた。


「お前、生きてたのか!」


「おう」


二人は拳をぶつけ合う。


鈍い音が響く。


懐かしい再会だった。


だが。


ゼノンは周囲を見回して首を傾げる。


「何なんだこの空気」


「慣れる」


ガルガは真顔で言った。


「慣れる?」


「最初はみんなそうだった」


嫌な予感しかしなかった。


その夜。


歓迎会が開かれた。


食堂には豪華な料理が並ぶ。


骨付き肉のロースト。


香草焼きの魚。


きのこのクリーム煮。


果実酒。


甘い蜂蜜ケーキ。


冒険者たちは盛り上がっていた。


ゼノンも酒を飲む。


笑う。


騒ぐ。


そして。


二時間後。


立ち上がった。


「よし!」


酒杯を掲げる。


「久々の再会だ!」


歓声が上がる。


「明日は休みだ!」


さらに歓声。


「朝まで飲むぞ!」


その瞬間だった。


食堂が静かになる。


なぜだろう。


誰も反応しない。


ゼノンは困惑した。


「どうした?」


ガルガが遠い目をした。


「明日、定例会議」


「は?」


「九時開始」


「……」


「遅刻厳禁」


ゼノンは笑った。


冗談だと思った。


ところが。


翌朝。


九時。


全員揃っている。


誰一人遅刻していない。


ガルガも。


セリアも。


ヴィクトリアも。


新人たちも。


全員である。


ゼノンだけが遅れた。


十分ほど。


そして。


会議室へ入った瞬間。


一人の男が顔を上げた。


黒いベスト。


白いシャツ。


地味な外見。


しかし妙な存在感がある。


「おはようございます」


静かな声だった。


「ゼノン様」


「おう」


「会議開始時刻は九時です」


「だから?」


「現在九時十分です」


「だから?」


沈黙。


ケイは紙を一枚差し出した。


『遅刻理由報告書』


ゼノンが固まった。


「何だこれ」


「遅刻理由報告書です」


「見れば分かる」


「提出をお願いします」


会議室が静まり返る。


ゼノンは初めて理解した。


ああ。


こいつだ。


このギルドをおかしくした元凶は。


会議終了後。


ゼノンはケイを呼び止めた。


中庭。


秋風が木々を揺らす。


落ち葉が舞う。


「お前が事務員か」


「はい」


「聞いてるぞ」


「何をでしょう」


「ギルドを立て直したらしいな」


「皆様の努力です」


模範解答だった。


ゼノンは鼻で笑う。


「気に入らねぇな」


「そうですか」


「書類で世界は救えねぇ」


静かな声だった。


しかし鋭かった。


「魔王軍は会議じゃ倒せねぇ」


「はい」


「剣が必要だ」


「はい」


「強さが必要だ」


「はい」


ケイは全部肯定する。


だから余計に腹が立つ。


「だったら何でお前が中心なんだ」


風が吹く。


落ち葉が足元を転がる。


ケイは少し考えた。


そして答えた。


「中心ではありません」


「は?」


「私は後方支援です」


「同じだろ」


「違います」


ケイは静かに言う。


「ゼノン様が戦えるのは」


「武器が届くからです」


「食料が届くからです」


「情報が届くからです」


「治療薬があるからです」


ゼノンが黙る。


「前線は重要です」


「ですが」


「後方も重要です」


二人の視線がぶつかる。


伝説の冒険者。


そして事務員。


真逆の存在だった。


ゼノンは剣を信じている。


ケイは仕組みを信じている。


だから。


どうしても相容れなかった。


「気に入らねぇ」


ゼノンは繰り返す。


「そうですか」


「証明してやる」


「何をですか」


「強さだ」


ケイは少し首を傾げた。


「楽しみにしています」


その反応がまた腹立たしい。


ゼノンは舌打ちする。


そして去っていった。


ヴィクトリアはその様子を窓から見ていた。


「最悪ね」


「はい」


ケイはうなずく。


「価値観が真逆です」


「でも」


ヴィクトリアは苦笑した。


「少し似てるかも」


「どこがですか」


「頑固なところ」


ケイは答えなかった。


窓の外では夕日が沈んでいく。


伝説の冒険者が帰ってきた。


本来の物語なら。


彼はやがて鋼鉄の牙を裏切る。


そしてギルド崩壊の引き金になる。


だが。


今の鋼鉄の牙は違う。


そして。


ゼノン自身もまだ知らない。


これから先。


自分が最も苦戦する相手が。


魔王軍ではなく。


剣も魔法も使えない一人の事務員だということを。



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