第17話 ケイ、魔王軍を監査する
第17話 ケイ、魔王軍を監査する
秋の終わりが近づいていた。
鋼鉄の牙の執務室では、暖炉の火がぱちぱちと音を立てている。
窓の外では冷たい風が街路樹の葉を揺らし、夕暮れの空には赤紫色の雲が流れていた。
そんな中。
ケイは机の上に山積みになった資料を見つめていた。
魔王軍の補給記録。
捕虜から得た証言。
偵察隊の報告書。
各地の目撃情報。
紙の山が机から溢れそうになっている。
ヴィクトリアは向かいの席で頭を抱えた。
「ねえ」
「何でしょう」
「それ何日目?」
「三日目です」
「寝てる?」
「四時間ほど」
「少ない!」
ケイは答えず資料をめくる。
そして。
ぴたりと手が止まった。
「なるほど」
「何が?」
「魔王軍の補給線です」
ヴィクトリアは身を乗り出した。
「何か分かったの?」
ケイは地図を広げる。
王国北部。
魔王領。
補給拠点。
軍事拠点。
街道。
矢印がびっしり書き込まれている。
「おかしいのです」
「だから何が」
「補給量です」
ヴィクトリアは理解を諦めた。
だがケイは説明を続ける。
「第二侵攻軍は三万人規模です」
「はい」
「ですが送られている食料は二万人分です」
「それで?」
「餓死します」
「えっ」
会議室が静まり返る。
ガルガが肉を噛みながら言った。
「計算間違いじゃねぇのか」
「ありません」
「断言するな」
「三回確認しました」
ケイは資料を配る。
数字が並ぶ。
全員分からない。
だがケイだけは分かる。
そしてそれが怖い。
「さらにこちら」
別の資料。
「第三侵攻軍には必要量以上の補給が集中しています」
「つまり?」
セリアが尋ねる。
ケイは静かに言った。
「横取りです」
全員が顔を見合わせた。
ガルガが眉をひそめる。
「味方の補給を?」
「はい」
「馬鹿じゃねぇの」
「馬鹿ですね」
ケイは即答した。
数秒後。
自分が敵軍を馬鹿呼ばわりしたことに気付く。
「失礼しました」
「今さらだよ」
ヴィクトリアは笑った。
翌日。
地下牢。
捕虜の魔族は薄い毛布にくるまりながら黒パンをかじっていた。
意外と待遇は悪くない。
ケイは向かいに座る。
机。
紙。
インク。
完全に面談である。
「質問です」
「またか」
魔族はうんざりした顔をした。
「第二侵攻軍と第三侵攻軍の関係は」
魔族が顔をしかめる。
「ああ」
「やっぱり」
「最悪だ」
即答だった。
ケイの目が光る。
「詳しくお願いします」
魔族はため息をついた。
「第二軍の司令官は四天王ベルゼア派」
「第三軍は四天王グランゼル派」
「犬猿の仲だ」
「なるほど」
ペンが走る。
さらさら。
さらさら。
魔族は寒気を覚えた。
何だろう。
この人間。
拷問もしていない。
脅迫もしていない。
なのに。
何かを恐ろしく後悔している気がする。
数日後。
鋼鉄の牙の会議室。
壁一面に紙が貼られていた。
派閥図。
人間関係。
補給経路。
昇進ルート。
責任者一覧。
まるで巨大な蜘蛛の巣だ。
ヴィクトリアは絶句した。
「何これ」
「魔王軍組織分析図です」
「気持ち悪い」
「ありがとうございます」
「褒めてない!」
ケイは気にしない。
そして一枚の紙を指差した。
「ここです」
「どこ?」
「補給管理局」
全員が近付く。
「第二軍」
「第三軍」
「第四軍」
矢印が伸びている。
しかし。
その中心に一人の名前があった。
「この人誰?」
「魔王軍補給管理局長」
「偉いの?」
「非常に」
ケイはうなずく。
そして。
静かに言った。
「この人が倒れたら魔王軍は半年で崩壊します」
会議室が静まり返った。
ガルガが口を開く。
「強いのか?」
「分かりません」
「え?」
「戦闘能力は不明です」
「じゃあ何で」
「仕事をしているからです」
全員が沈黙した。
それは。
妙に説得力があった。
ケイは続ける。
「軍は剣では動きません」
「食料で動きます」
「武器で動きます」
「情報で動きます」
暖炉の火が揺れる。
その赤い光の中で、ケイの声だけが静かに響く。
「英雄が一人いても組織は維持できません」
「ですが」
「優秀な補給担当がいれば軍は生き残れます」
ガルガがぽつりと呟いた。
「何かお前みたいだな」
ケイが固まる。
珍しく。
本当に珍しく。
数秒沈黙した。
「心外です」
「どこがだ」
「私はただの事務員です」
全員が笑った。
その日の夜。
ヴィクトリアは執務室に残っていた。
窓の外には月。
静かな街並み。
遠くから酒場の笑い声が聞こえる。
ケイはまだ資料を読んでいた。
山のような紙。
冷めた紅茶。
食べかけのサンドイッチ。
ハムとチーズを挟んだ簡素な夕食だ。
ヴィクトリアはぽつりと尋ねる。
「ねえ」
「何でしょう」
「どうしてそんなに分かるの?」
ケイは少し考えた。
暖炉の火が眼鏡に映る。
「前の世界で学びました」
「会社?」
「はい」
静かな返事だった。
「どんな会社だったの?」
ケイは遠くを見る。
少しだけ。
本当に少しだけ。
疲れた顔をした。
「派閥争いがありました」
「補給不足もありました」
「責任の押し付け合いも」
「人手不足も」
ヴィクトリアは吹き出した。
「それ魔王軍じゃない」
「ええ」
ケイは苦笑する。
「だから分かるのです」
窓の外で風が鳴る。
組織は違っても。
人間でも魔族でも。
問題は驚くほど似ている。
そして今。
誰も気付いていない。
魔王軍最大の弱点が。
巨大な魔物でも。
四天王でも。
魔王でもなく。
組織の中にあることを。
それを見つけてしまった男が。
事務員ケイだったことを。




