表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
15/22

第14話 分からないことが分からない

第14話 分からないことが分からない


その箱は、ある朝突然現れた。


鋼鉄の牙のロビー。


依頼掲示板の横。


新人冒険者たちが必ず通る場所に、小さな木箱が置かれていた。


綺麗に磨かれた木製の箱には白い紙が貼られている。


そこには達筆な字でこう書かれていた。


『質問箱』


その下にはさらに小さな文字。


『分からないことを書いてください』


『匿名可』


『今さら聞けないこと歓迎』


朝食を終えた冒険者たちが足を止めた。


「何だこれ」


「またケイだろ」


「絶対ケイだ」


誰もがそう思った。


案の定、受付の横ではケイが何やら書類を整理している。


黒いベスト。


白いシャツ。


今日もいつも通りだった。


ガルガが箱を指差す。


「おい」


「何でしょう」


「これ何だ」


「質問箱です」


「見れば分かる」


ケイは少し考えた。


「質問を受け付ける箱です」


「説明になってねぇ!」


食堂から笑い声が上がった。


しかし新人たちは興味深そうに箱を見ている。


ケイは続けた。


「新人教育会を始めてから気付きました」


「何に?」


ヴィクトリアが尋ねる。


「分からないことが分からない人がいます」


その言葉に何人かの新人が顔を上げた。


「また、知識不足を恥だと思い質問できない方もいます」


静かになる。


図星だった。


知らないことがある。


でも聞けない。


今さらそんなことも知らないのかと思われそうだから。


冒険者の世界では特にそうだった。


強く見られたい。


馬鹿だと思われたくない。


だから黙る。


そして失敗する。


その日の夕方。


箱の中には紙が三枚入っていた。


ケイは執務室で開封する。


ヴィクトリアも興味津々で覗き込む。


「何て書いてあるの?」


ケイは一枚目を読む。


そして沈黙した。


「どうしたの?」


「質問です」


「だから何て?」


ケイは紙を見せた。


『ポーションはいつ飲めばいいんですか?』


ヴィクトリアは固まった。


「えっ」


「えっ?」


「そんなことも知らないの?」


ケイは首を横に振る。


「だから質問したのです」


ヴィクトリアは言葉を失った。


二枚目。


『迷宮でトイレに行きたくなったらどうすればいいですか』


三枚目。


『セリアさんが綺麗すぎて話せません』


「最後のは違うでしょ!」


ヴィクトリアが叫ぶ。


ケイは真面目な顔でうなずく。


「悩みですね」


「そういう意味じゃない!」


翌日。


ロビーの掲示板に新しい紙が貼り出された。


『質問箱への回答』


冒険者たちが集まる。


「おお」


「回答してる」


そこには一つ一つ丁寧な字で答えが書かれていた。


ポーションを飲むタイミング。


迷宮での携帯トイレの使い方。


そして。


『セリア様に話しかける際は、まず挨拶から始めてください』


食堂が爆笑に包まれた。


セリアは真っ赤になっている。


「誰よこれ書いたの!」


「知りません」


ケイは即答した。


数日後。


箱は満杯になった。


『魔物に追われたらどうすればいいですか』


『仲間が怒っている時の対処法は?』


『恋人と別れた後、同じパーティーで活動する方法』


『剣士なのに高いところが怖いです』


『ガルガさんは本当に怖い人ですか』


ガルガが紙を見て怒鳴る。


「誰だ!」


「匿名です」


「くそっ!」


その夜。


ケイは一枚の紙を見て手を止めた。


紙はくしゃくしゃだった。


何度も書き直した跡がある。


『自分が冒険者に向いているか分かりません』


短い文章だった。


だが。


妙に重かった。


翌日。


ケイは質問者を探した。


匿名なので分からない。


しかし字の癖からある程度予想できた。


訓練場の隅。


一人の少年が木剣を振っている。


第12話で質問したあの少年だった。


周囲より遅い。


力も弱い。


何度も転ぶ。


ケイは近づく。


「おはようございます」


少年は慌てて頭を下げた。


「お、おはようございます!」


「質問箱を利用しましたか」


少年の肩が震えた。


図星だった。


「……はい」


小さな声だった。


「向いていないと思いますか」


少年は唇を噛む。


秋風が吹く。


訓練場の木々が揺れる。


遠くでは剣の音が響いていた。


「僕」


少年は俯く。


「弱いんです」


「はい」


「覚えるのも遅いし」


「はい」


「怖がりだし」


「はい」


少年の目に涙が浮かんだ。


「みんなみたいになれないんです」


しばらく沈黙が続いた。


やがてケイは言う。


「質問があります」


「え?」


「新人教育会には出席していますか」


「はい」


「マニュアルは読みましたか」


「はい」


「危険行動を減らせましたか」


少年は考える。


「……はい」


「依頼失敗は減りましたか」


「はい」


「仲間からの評価は」


「前より良くなりました」


「なるほど」


ケイはうなずく。


そして静かに言った。


「成長していますね」


少年が顔を上げた。


まるで信じられない言葉を聞いたように。


「え?」


「成長しています」


「でも」


「昨日の自分より前進しています」


夕日が訓練場を赤く染める。


少年の瞳が揺れた。


ケイは続ける。


「最初から強い人はいません」


「ですが」


「質問できる人は強くなれます」


風が吹いた。


少年は何も言えない。


ただ涙を拭いていた。


その日の夜。


質問箱には新しい紙が入っていた。


『今日はありがとうございました』


名前はない。


だが誰のものか分かった。


ケイは紙を読み、そっと箱に戻す。


ヴィクトリアが微笑んだ。


「ねえ」


「何でしょう」


「質問箱、成功じゃない?」


ケイは少し考えた。


そして珍しく小さく笑った。


「はい」


ロビーでは今日も冒険者たちが紙を書いている。


インクの匂い。


暖炉の温もり。


夕食のシチューの香り。


笑い声。


質問箱はただの木箱だった。


しかしその箱は。


誰にも言えなかった不安や悩みを受け止めていた。


分からないことが分からない。


それは恥ではない。


本当に危険なのは。


分からないまま黙っていることなのだ。


そして今日もまた。


鋼鉄の牙の小さな箱には、新しい質問がそっと投函されるのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ